もどる

    かけはし2012.年11月12日号

「日米安保と東アジアの中の沖縄」


10.21「変えよう日本 日本の根本問題とは何か」

新崎盛暉さんが語る「構造的差別」



福島が抱える
矛盾とは何か
 一〇月二一日、東京・文京区民センターで「変えよう日本! 10・21討論会 日本の根本問題とは何か――『日米安保と東アジアの中の沖縄』」が開催された、メインのスピーカーは沖縄大学元学長で同名誉教授の新崎盛暉さん。討論会には七五人が集まった。
 この日の集会は七月二一日に「日本を変えよう!討論会」を行った実行委員会が主催したもので、同実行委員会は今後、「三・一一と政権交代――日本の根本問題とは何か」をテーマに討論会を企画している。
 主催者を代表して開会のあいさつをした土屋源太郎さん(伊達判決を生かす会)は、「東日本大震災と福島原発事故の惨禍、そして沖縄へのオスプレイ配備・米軍の性暴力犯罪、混迷する政治の根本には行き詰まりをあらわにした資本主義の世界的システムの問題がある。問題はそれに正面から立ち向かう運動・政治勢力をどのように共同して作り出していくか、ということにある」と語った。
 最初に「福島からの報告」として椎名千恵子さん(原発いらない福島の女)が報告した。椎名さんは「福島県全体が放射線管理区域になっている。その中でさまざまな矛盾が噴出している」と切り出した。
 「一〇月一九日に東電社長が福島県議会に初めて来たが、彼の発言は福島第二原発の廃炉問題については判断を留保した。政府も経済界もアメリカに顔を向けて判断停止のままに『国策』としての原発を継続しようとしている。子どもたちの半分近くに甲状腺の異常が発見された。ある三〇代の女性は福島から静岡、広島へと避難したが、避難先で検査したら手術しなければならない症状になっていた、という例もある。おなかの赤ちゃんの心臓が停止していた、という女性の話も聞いた」。
 「一〇月一九日県議会前では、東電社長に対する訴えを行った。一二月一五日日から一七日にはIAEA(国際原子力機関)が福島にやってくる。肌身の感覚を持って、どのように原発をストップさせるかを考えながら直接行動を進めていきたい」。椎名さんは、静かにかつ切実な口調で語りかけた。

「本土」の惰性的
対米従属意識
 この日の討論会のメインスピーカーは新崎盛暉さん。新崎さんは一〇月一八日まで中国・上海で開催された東アジアの批判的雑誌会議に新沖縄フォーラム『けーし風』を代表して参加し、「沖縄は東アジアの平和の触媒となりうるか」というテーマで報告し、帰ってきたばかり。この日の報告は、オスプレイ配備に対決する沖縄の闘いとともに、現在の「尖閣」(釣魚諸島)をめぐる「領土ナショナリズム」の嵐の中で、東アジアの平和をどのように作り出すかを正面から論じるものだった。
 新崎さんはまず日本の政治家、マスコミが意識的に作り出した「惰性的対米従属意識」について指摘した。この対米従属意識は敗戦後の米国への経済的依存と国際関係によって培養された「反共」路線に基づくものだったが、今日では北朝鮮による「拉致」問題や「尖閣」問題を利用した「アジア排外主義的抑止力依存」といったものになっている。
一九五〇年代の日本では「反米民族主義」が存在していたが、現在ではこうした反米ナショナリズムは存在せず、もっぱら朝鮮・中国への排外主義として噴出している。日米安保は構造的沖縄差別の上に成り立っているものだが、現在のTPP、原発依存策を見てもその「対米依存」ががんじがらめのものであることが分かる。
 それではこの「構造的沖縄差別」とはどのようなものか。日米安保の抱えている矛盾を沖縄にしわ寄せすることだ。一九五二年の「講和」時点では日本には沖縄の八倍の米軍基地があった。一九六〇年の安保改定以後、沖縄に基地負担がしわ寄せされ、海兵隊は日本から沖縄に移された。なし崩し的に、何の説明もなく、ひそかに行われたこの政策は「沖縄は太平洋の要石、在沖米軍は抑止力」という議論によって作り出されたものだ。こうした定着した意識は、日米同盟との闘いを通じてしか変革できない、と新崎さんは強調した。

抵抗主体と
しての沖縄
 新崎さんは、オスプレイ配備の意味と反対闘争について次に報告した。
 オスプレイという最新鋭兵器の普天間配備は、辺野古新基地建設計画と並行して進められたものであることを新崎さんは指摘した。
 凧上げを含めて、オスプレイ配備を契機に基地撤去を求める非暴力実力闘争の展開が見られる。この展開に米軍は神経をとがらせており、中部市町村会に「凧上げ」などを止めさせるよう要求した。九月九日の県民大会当時から、オスプレイ配備に対してどういう闘争を作り出すかの論議が意識的に始まっていた、一九九五年の県民大会の時もそうだったが覚悟のほどは、はるかに進んでいる。
普天間基地ゲート前の座り込み行動は、米兵を立ち入らせないことで基地機能をマヒさせるという方針に基づいている。先日のレイプ事件を契機に「基地・軍隊はいらない行動する女たちの会」は、「基地から米兵を出すな」と主張している。「米兵を基地に閉じ込める」という闘いへの変化だ。
 かつては米軍兵士への外出禁止令は、沖縄をゆさぶる手段だった。基地で生きてきた商店主(Aサイン業者)たちは全軍労のピケを襲撃し、基地周辺自治体は「オフリミッツ(米軍人・家族に基地外の飲食店などへの立ち入りを禁止した指令)」解除を要求した。屋良沖縄県知事の後継者だった平良幸市知事(元沖縄社会大衆党委員長)も「オフリミッツ」解除を求めた。
 しかし事態は変化している。内部矛盾を抱えながらも、沖縄の人びとは米軍と闘っており、オスプレイやレイプ事件で保守派の知事や市長も従来の「日米政府と民衆との板ばさみ」という状況からの変化が見られる。
 そこで問題は、ヤマトからの対抗運動をどう作っていくかということだ。沖縄が最先端のギリギリのところで闘いの高揚を作り出していることに対し、日米同盟の矛盾のしわ寄せに対してどう闘うかが問題だ。
 一九九五年の少女レイプ事件に対して最も強く反応したのが韓国の反基地運動だった。最近、済州島の韓国海軍基地建設(事実上の米韓共同基地)反対運動との連帯のために訪韓しようとした沖縄の人びとが入国拒否された。それほど韓国の運動と沖縄の運動の結合が強くなっているのかもしれない。
 新崎さんはこのように最近の沖縄の反基地闘争の発展を性格づけた。

民衆交流が
作り出す平和
 最後に新崎さんは、上海の国際会議の報告「沖縄は東アジアにおける平和の触媒たりうるか」に関して、「尖閣」をめぐる「領土紛争」についての見解を語った。
 そのためには一八七九年の「琉球処分」と、それをめぐる清国との交渉の中で日本側から提起された「分島改約」問題にふれる必要がある。当時、琉球王国は清との宗属関係にあった。清国は明治政府が「琉球処分」=日本への併合を一方的に行ったことに抗議し、琉球王朝を沖縄本島において存続させて日清両国への宗属関係を維持し、先島を清国に、本島以北の奄美諸島は日本に帰属させるという案を提示した。これに対して明治政府は沖縄本島を日本に併合する一方で、宮古・石垣など本島以南の先島については清国に帰属させるという提案を行った。これが「分島改約」問題である。琉球でも、伊波普猶のように「琉球処分」を「奴隷制からの解放」であると評価する意見もあった。先島の帰属問題はその後もペンディング状況で、この問題に決着がついたのは日清戦争によってである。
 戦後の米占領下では一九五一年頃、米軍と協力し、自治を発展させることで「琉球独立」を実現しようという見解と、日本との民族的・文化的親近性、経済的一体性の下で沖縄を発展させる、という主張があった。「戦後の日本は変わった」という認識の下で、当時の日本における反米ナショナリズムと共鳴する主張が一九五〇年代の復帰運動の中で形成された。
 沖縄の民衆闘争は、ベトナム戦争の中で「脱ナショナリズム」化し、基地をなくす闘い、非暴力実力闘争として作りだされてきた。一九五四年の沖縄刑務所暴動や一九七〇年のコザ暴動でも死者は出していないし、略奪も行われなかった。
そこで「尖閣問題」についてどのように考えるかであるが、もともと国家「固有の領土」なるものは存在しない。この点は「分島改約」問題の経過を見ても分かる。「尖閣」をめぐる井上清氏の主張は、資料解釈の面での誤りもあり、「尖閣」は歴史的に「中国の領土」という主張も成り立たない。
 「固有の領土」論は欧米近代が持ち込んだもので排他的なものだが、地域住民の「生活圏」は排他的ではない。台湾の漁民、石垣などの漁民は「生活圏」を共有しており、この「生活圏」を基盤にした民衆自身の交流を発展させる中から「領土紛争」ではない、平和を築き上げる道を探っていく必要がある。
 これが新崎さんの提起だった。その後、新崎さんの意見への質問・回答が行われた。最後に事務局の生田あいさんから、今後の「変えよう!日本」討論会の論議の方向が提起され、討論を積み重ねていくことが確認された。     (K)

映画案内

アグニェシュカ・ホランド監督・作品/ドイツ・ポーランド合作2011年

『ソハの地下水道』

投稿:沢村 満


  「ソハの地下水道」という劇映画(アグニェシュカ・ホランド監督作品/2011年/ドイツ・ポーランド合作映画)を観た。
この映画は、ナチスが占領するポーランドの地下水道でユダヤ人をかくまったポーランド人と地下水道で懸命に生きたユダヤ人の物語を描いている。ラストでは、この映画が実話に基づいていることが明らかになる。この映画を観ると、ポーランドのユダヤ人とユダヤ人を助けたポーランド人の体験をリアルに追体験することが出来る。それは、必ずしも愉快なことではないかも知れない。だが、それは必要なことだ。
この映画を観て、ナチスがやった犯罪を他人事と考えるのではなく、少しでも天皇制日本がやった犯罪についても想像することができたら良い。ある意味で、私はドイツなどがうらやましい。日本は、ドイツなどと比べると、侵略戦争と植民地支配に対する反省が不充分だ。天皇制も完全に解体されたわけではない。ナチスがやった犯罪を正面から批判する映画と同じ位、天皇制日本がやった犯罪を正面から批判する映画がたくさん作られるべきだ。侵略戦争と植民地支配を反省せず天皇制を賛美する日本の政党やマスコミは、反革命だ。A級戦犯だ。私は、そう思う。
 この映画はやりきれない映画だが、下水修理工のソハが変わっていくところ、ソハの妻が自由になったユダヤ人を歓迎するところなどに救いがあるような気がした。ユダヤ人が「神」にではなくソ連の赤軍によって解放されるところが印象に残った。ソ連は、戦後ポーランドを抑圧した。戦後のスターリン主義独裁体制を倒したポーランドでは、資本主義が復活してしまった。シオニストが作った国家は、パレスチナ人を差別し虐殺している。これらのことを考えると、必ずしもユダヤ人やポーランド人の物語もまだハッピーエンドにはなってはいない、と思う。なお、この映画の原作(『ソハの地下水道』)が集英社から文庫で翻訳出版されているらしい。あとがきだけでも読んでみたい。ナチスと「反韓」「反中」を叫ぶ日本の右翼には、共通性があるのではないか。ナチスが「精神障害者」や同性愛者やロマなどに対してやった犯罪を正面から批判する映画も作ってほしい。そして、日本で公開してほしい。私は、それらのことも考えた。
(二〇一二年一〇月七日)

コラム

海保学校と入試

 一〇月一日の新聞各紙は、「海保人気急浮上 応募者二・五倍」と報じ、スポーツ新聞の社会面に至っては「尖閣守って!」「未来の海猿」「映画の影響大 潜水士は憧れ」とセンセーショナルな言葉が踊った。
 たしかに九月三〇日に実施された海上保安学校の試験では受験者数は昨年に比較して二・五倍に膨れ上がり、約一九〇人の募集人員に対し四〇・五倍の七七〇八人が受験するという超難関的状況が出現した。だが受験生に対するアンケートの回答を丁寧に読むと新聞各紙の刺激的「見出し」とは全く違う本質が垣間見えてくる。「受けられる公務員試験はすべて受けるように学校から指導されているし、家からも言われている。就職難のご時世なので」というのが圧倒的な意見。
 さらに読み進むと「たしかに二〇一〇年に尖閣列島沖で起きた中国漁船衝突事件では海保に関心を持つ契機になった」が、「領土を守りたい」から入試したと話すのは全体の〇・一%以下。また近年テレビ・映画の人気ドラマ「海猿」についてはどうかの質問に対しても「主人公・仙崎大輔君に憧れ潜水士になりたい」と答えたのも〇・一%未満。多くの受験生はドラマを観て「初めて海保の仕事を知った」と答えている。仕事の内容を知らなくても「海保・公務員」というだけで受験するということに驚かされる。
 海保学校の試験は毎年春と秋の二回。今年の春の応募者は例年の一・一倍、今秋の入試に受験生が突然増えたのは、例年九月の第三日曜に行っていたのを九月の末日に変更したため、他の地方公務員試験と併願が可能となったとみるのが妥当のようだ。
 時節柄マスコミは「領土問題=国を守る海保」を前面に押し出して報じているが、隠れた本質は就職・職業の選択が海上保安庁でさえ「職種」ではなく、「公務員」になれるかどうかで選択されているという事実だ。それは派遣労働に代表される現在の不安定雇用問題の逆説的現象といえる。そしてこの社会的歪みこそ他方では橋下大阪市長らの公務員バッシングに利用される温床ともなっている。「公務員叩き」と「公務員への羨望」は、その意味で閉塞した社会を根に持つ二つの株といえる。
 蛇足ではあるが、ドラマ「海猿」を観た。一言でいうと、競技ではなく海保で一人前の潜水士になっていく男のスポ根的青春もの。主人公仙崎はかつての星飛雄馬や矢吹ジョーのように時代に切り裂かれながらも抗う「孤高のヒーロー」ではなく、伊藤英明が演ずるカッコ良くてがんばり屋の明るい青年。海難事故など現代的テーマを扱っているが残念にも「時代」には切り込めていない。 (武)


もどる

Back