改憲・新自由主義の反動連合を許さない
反原発・オスプレイ阻止の声
を切り捨てる政治を変えよう |
制度的危機の
進行と「維新」 九月八日に通常国会は会期末を迎えた。メディアの関心は九月末に行われる民主党の代表選と自民党の総裁選に向けられている。
野田政権が、小沢新党「国民の生活が第一」など与党・民主党からの櫛の歯が抜けるような一連の離脱劇によって、事実上政権維持能力を失っていることは、もはや何の疑いもない。来るべき総選挙での民主党の惨敗は確実である。しかし消費税率大幅引き上げ法案を「近いうち解散」の合意によって成立させた自民党もまた、谷垣総裁が立候補辞退に追い込まれ、安倍晋三元首相をふくむ五人の候補がその反動ぶりを競う構図の中で、議会政治の枠組みはますます民主主義的正統性の建前を欠いた危機の様相を深めている。
この危機を象徴的に示すものこそ、圧倒的な反原発・脱原発の世論と二大政党の政策の乖離現象であり、オスプレイ配備絶対阻止の声を島ぐるみで明確にしている沖縄民衆の反基地の闘いに背を向け、一〇月配備強行を譲ろうとしない野田政権や自民党の姿である。
三年前に民主党を政権の座に押し上げた構図は、グローバルな資本主義システムの危機の深まりの中で民主・自民の「二極」が政策的に「大連合」する事態へと収斂した。この中で九月一二日に橋下徹大阪市長が政治資金パーティーを開き、「日本維新の会」の結党宣言を正式に行った。民主党に離党届を出した松野頼久元官房副長官、自民党の松浪健太参院議員や七人の国会議員を擁した「日本維新の会」は次の総裁選に三五〇人の候補擁立をめざしており、一挙に民主・自民に代わる政界再編の極にのしあがった。
その綱領と言うべき「維新八策」は「自立する個人」「自立する地域」「自立する国家」をキャッチフレーズに、徹底した「競争社会」化(「解雇規制の緩和と労働市場の流動化」をも正面からうたっている)と「決定できる統治機構の本格的再構築」のための「憲法改正」(首相公選制、参議院廃止の検討、衆議院定数の半減、九条改正のための国民投票)を掲げた新自由主義と強権主義のミックスであり、まさに労働者市民の生存権と民主主義的・社会的諸権利を剥奪した「資本の独裁」を貫徹するものに他ならない。
ここに資本主義の危機の時代における「ボナパルチズム」としての姿がありありと見てとれるのである。
「日本維新の会」はもちろん政治勢力としては萌芽的なものに過ぎないが、そのデマゴギー的主張を過小評価すべきではない。「日本維新の会」への期待は、民主、自民両党の代表選・総裁選をめぐるぶざまな混迷が民衆の中にいっそうの不信と絶望を醸し出していることによっても説明される。
「原発ゼロ」戦略
は看板だおれ
民主党の代表選、自民党の総裁選に表わされている今日の政治の枠組みを「脱原発」のテーマから見ることにしよう。
野田政権は、九月一四日のエネルギー・環境会議で「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。そこでは「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」とするとしており、また「四〇年廃炉」、「原子力規制委員会が安全確認した原発のみ再稼働」、「原発の新増設は行わない」の三原則を適用するとしている。再稼働の是非を規制委員会に委ねることによって事実上再稼働に道を開き、かつ九月一九日発令の人事に見られるように委員会メンバーに「原子力ムラ」関係者を充てることによって「再稼働承認」路線を担保するという抜け穴が仕掛けられているものの、「原発稼働ゼロ」を打ち出したことは大きな転換であることも事実だった。そこには七・一六「さようなら原発」一七万人集会の大成功、首相官邸前金曜日アクションへの万余の結集に示される、かつてないほど持続的な反原発運動の高揚と、世論の急速な転換が反映されている。
しかし「原発ゼロ」には財界をはじめとした原発推進勢力からの執拗な圧力が加えられた。電気事業連合会(電事連)は、原発ゼロになって核燃サイクルの必要性がなくなれば「青森県が使用済み燃料の返送を要求する」「原発のプールは満杯となって全原発が即時停止せざるを得なくなる」と民主党議員に根回しを進めていた。青森県の三村知事の反発はこうした電事連の動きとみごとに対応していた。九月一四日の「革新的エネルギー・環境戦略」決定を受けて、米倉経団連会長は「原発がゼロになれば電気料金が上がって経営を圧迫し、供給不安が生じれば生産活動にも悪影響が及びかねない」として、「日本脱出を考える企業も出てくる」と脅しをかけた。
国際的「原子力
ムラ」から圧力
米英仏などの原発大国の政府・業界も日本の「原発ゼロ」に強い異論を示した。そこには米国の原子力産業を技術的・資金的に支えている日本(二〇〇六年には東芝がウェスチングハウス社を買収、二〇〇七年には日立がゼネラル・エレクトリック社と原子力事業を統合)が原発ゼロを選択すれば、日米の原発産業が共倒れとなり、また中国に原発開発のヘゲモニーを奪われるという危機感も存在する(朝日新聞、九月一四日)。
さる八月一五日に発表されたアーミテージとナイの執筆による国際研究センター(CSIS)報告「米日同盟――アジアの安定を保持する――」(第三次アーミテージ報告)は述べている。
「三・一一の悲劇は、いっそう大きな経済と環境の劣化の基礎になるべきではない。安全かつクリーンで、責任を持って開発され利用される原子力は、日本の包括的な安全保障に不可欠な要素となる。この点に関して、原子力の研究開発における米日協力は不可欠である」。
そしてこのような国際的な「原子力ムラ」の危機感の中で、野田政権の「二〇三〇年代末までに原発ゼロ」方針は、原発は「必要電源」と位置付けて再稼働を容認し、核燃料サイクル政策を継続し、さらには青森県の大間、東通、島根県の島根原発3号機の建設中三原発については建設継続を認めるという形で、早くも反故にされようとしている。
原発政策を推進してきた最大の責任を負っている自民党の五人の総裁選候補者は、いずれも「経済成長戦略」、「安全保障戦略」の立場から「原発ゼロ」に真っ向から反対していることは言うまでもない。
橋本「維新の会」は「八策」の「経済政策」の中で「先進国をリードする脱原発依存政策の構築」を一言だけ掲げているものの、それがまったくのまやかしに過ぎないことは、彼自身、大飯原発再稼働を認めてしまったことによって完全に立証されてしまった。しかし民主党と自民党の反原発世論への敵対は、橋下のごまかしへの批判を後景にしりぞかせることになっている。
領土防衛」と集
団的自衛権論議
沖縄民衆は一〇万人以上が参加した九月九日のオスプレイ配備阻止県民大会で、平和に生きる権利を奪い、基地の重圧・負担をいっそう強化する日米両政府に対し、シンボルカラーとなった「赤」で「レッドカード」を突きつけた。それはヤマトと米国による沖縄への差別に対する怒りであり、普天間基地の「県外移設」、辺野古・高江の新基地建設を絶対に許さない意思の再確認であった。
極右排外主義勢力は、石原の「尖閣」購入宣言、香港の抗議船団の上陸を契機に「日の丸」を掲げて魚釣島に逆上陸するという意識的挑発を行い、「中国による尖閣略奪の脅威」を煽りたてた。野田政権による「尖閣国有化」の閣議決定は、中国政府の強硬な批判の姿勢と民衆の怒りに火をつけた。こうした中での民主党代表選、自民党総裁選は「中国の脅威」に対して「領土・領海」を守るために、日米軍事同盟のグローバルな実戦的深化=動的協力体制、沖縄米軍基地の強化・自衛隊の「離島防衛」=先島配備は不可欠というキャンペーンの大合唱となった。メディアもこぞって、中国での「反日暴動」の拡大を報道し、排外主義的危機意識を人びとの意識に刷り込んでいる。
自民党の総裁選では、安倍、石破を先頭に「国家安全基本法」の制定を通じて海外派兵された自衛隊の集団的自衛権の行使を容認し、今年四月に発表された「日本国憲法改正草案」(本紙五月二一日号参照)を振りかざして改憲にとりかかることが強調されている。そして野田首相も「集団的自衛権行使」を認める名うての改憲論者であることに違いはない。この点でも改憲大連合は事実上、すでに形成されている。そして安倍に秋波を送る橋下は、「日本軍慰安婦」問題について「謝罪」した一九九三年の河野談話の撤回を求め、「強制連行の明確な文書資料は存在しない」と言い張り、極右連合の一翼にはせ参じているのだ。
こうして沖縄の九・九県民大会に示された一〇万人を越える民衆の意思は、米日の「軍事植民地」としての差別構造に対して「沖縄の自治とアジアの平和」を突きつけるとともに、オスプレイ強行配備に表現された今日のグローバルな日米安保と領土ナショナリズム、憲法改悪の動きに正面から対決する内容となっているのである。
新しい政治勢力
のための闘い
労働者と市民は、かつてないほど持続的で年齢・階層を超えた広がりをもって繰り広げられている反原発・脱原発運動と、沖縄の島ぐるみ反基地闘争の高揚の中で繰り広げられている民主党代表選と自民党総裁選が、今日の議会制民主主義の制度的危機の縮図でもあることを実感している。
しかし議会や選挙を無視してすませるわけにはいかないことは言うまでもない。問われていることは反原発、オスプレイ配備反対に表現された「民意」を運動として拡大、深化させていくことであり、そのためにも消費税反対、TPP反対、環境破壊・温暖化との闘い、反貧困・生存権、人権・民主主義のための闘いと結びつけ、政治的に表現していくための努力である。左翼総体の選挙や社会運動の場における長期にわたる衰退と危機の中で、新しい運動の可能性が発展している現実にどう立ち向かっていくのかの論議が差し迫った国政選挙を通じて問われることになる。
七月に「緑の党」が結成され、国政選挙への挑戦が始まっている。これは積極的なスタートである。同時にわれわれは労働運動、さまざまな社会的抵抗運動の中からも、資本主義のグローバルな危機に立ち向かう政治的結集の可能性を、討論を積み上げ、具体的に模索していかなければならない。われわれが主張してきた「反資本主義的オルタナティブ」のための戦略的闘いは、大衆運動構造の新たな転換を通じていっそう意識的に進められる必要がある。
(九月一八日 平井純一)
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