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    かけはし2012.年9月17日号

脱原発基本法案の国会提出

法制化論理と運動力学との緊張
関係を自覚的に展開する必要性

法案への率直な疑問提出

  八月二二日、大江健三郎(作家)、河合弘之(脱原発弁護団全国連絡会)、鎌田慧(作家)の各氏を代表世話人、海渡雄一弁護士を事務局長として脱原発法制定全国ネットワークが発足し、今国会会期中の脱原発法案提出に向けた記者会見が行われた。
 ネットワークの代表世話人には飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)、上原公子(元国立市長)、内橋克人(評論家)、宇都宮健児(前日弁連会長)、木村結(脱原発・東電株主運動)、坂本龍一(音楽家)、桜井勝延(南相馬市長)、瀬戸内寂聴(作家)、伴英幸(原子力資料情報室)、三上元(湖西市長)、満田夏花(FoE Japan)、武藤類子(喫茶店経営)、村上達也(東海村村長)、吉原毅(城南信用金庫理事長)の各氏など、「三・一一」以後の反原発運動において重要な役割を担い、「反原発・脱原発」の世論形成や運動の先頭に立ってきた知識人、自治体首長、活動家が多く含まれている。
 この記者会見の翌日、八月二三日に七・一六の一七万人集会以後初めての「さようなら原発一〇〇〇万人アクション」の会議が開かれ、鎌田慧さんから「脱原発法制定」運動についての説明が行われたが、会議参加者の多くは、初めて聞く話で唐突であったことも含めて、そこで提示された脱原発基本法要綱案(未定稿)に対して疑問や、批判を率直にぶつけた。私もその一人であった。
 疑問・批判の対象となったのは、第一に、要綱案の中にある「原発がなくなった場合には、電力の需給がひっ迫し、電力の安定的な供給に支障を及ぼす可能性があり」という認識が「原発がなくなれば電力が足りなくなり、経済が破綻する」といった財界など原発依存派のウソのキャンペーンに迎合しているのではないか、ということである。
 第二は、「脱原発の実現」の年度について、ほぼ二〇二〇年度から二〇二五年度までの間としており、反原発・脱原発運動が求めている「即時の運転原発ゼロ」が一〇年以上にわたって先送りされていること、それと関連して「発電用原子炉の運転を廃止するまでの間は、最新の科学的知見に基づいて定められる原子炉等による災害防止のために基準への適合性が確認されない限り発電用原子炉の運転(運転の再開を含む)をしてはならない」という文言が、「再稼働」の容認に道を開く結果になるのではないか」ということである。
 さらに第三に「脱原発を実現するにあたって生じ得る電力会社等の損失に対して適切に対処する」責務を国に課していることである。これはまさに「国策」としての原発開発で原発立地にカネをばらまきつつ、巨額の利潤を蓄積してきた電力会社への補償を住民の税金で支払う、ということにならざるを得ない。
 「一〇〇〇万人アクション」の当日の会議では出されなかったが、「脱原発」の中には原発輸出の禁止も明記されていない。この欠落は「廃炉及びこれに関連する核廃棄物の処理、放射能汚染対策、核セキュリティー等における原子力関連の技術・研究レベルの向上並びにそのための人材の確保に関連する事項」と結びついた時、原発輸出を容認する可能性に帰結するおそれをもたらすのではないか。

制度化の必要性を認めたうえで


 もちろんこうした疑問や批判は、脱原発の運動と世論の形成を法律として制度化していくことの重要性を認めないというものではなかった。疑問や批判を投げかけた人びとのほぼすべてが、政局レベルでのさまざまな思惑を秘めた脱原発に向けての各政党内の分解・流動化の中で、「脱原発」の法律化・制度化にチャレンジしていくことの独自の意義を否定していたわけではない。しかし「再稼働阻止」、「大飯原発の運転停止」から「運転原発ゼロ」の即時実現を課題とする大衆的運動の高揚の中に、今日のきわめて未分化であいまいで混乱した議会内での「脱原発」の主張の一定の伸長を土台に「脱原発法」制定を運動課題として提起することが、運動自身に混乱と対立を持ち込むのではないかという危惧が多くの参加者から表明されたのである。
 当日の議論は、「脱原発法」制定のための議会内での努力を確認しつつ、同時に「脱原発運動」があらためて「再稼働阻止」や「原子力規制委員会の人事案撤回」を当面する最大の焦点として闘っていく必要性を強調した。
 八月二九日の院内集会「脱原発法の制定をめざす国会議員と市民のつどい」には、民主党、「国民の生活が第一」、社民党、大地、共産党から四八人の国会議員が出席した。集会冒頭で河合弁護士は「脱原発のうねりを制度化」することの急務をあらためて提起し、九月八日が会期末となるこの国会中に法案として提出する必要がある、内橋克人さんは「福島の悲劇に学ぼうとしない政治家を再び国会に送ってはならない」と訴え、阪神淡路大震災の時の市民立法運動を通じた被災者生活再建支援制度の制定の教訓を生かすことが必要だ、と強調した。
 他方、共産党の笠井亮衆院議員は、今回の法案が菅直人元総理らの「脱原発ロードマップを考える会」のプランを下敷きにしたものであり、広範な合意の下になされたものではないと批判的な見解を述べ、あくまで「原発ゼロをめざし、ともに闘っていこう」と語った。

幾つかの項目が省かれた


 このような経過で、九月七日、国会会期終了の前日に「脱原発基本法案」がついに議員立法として国会に提出され、継続審議となった。
 この法案には一三人の衆院議員が提出者に名を連ね(所属会派は、国民の生活が第一、社民党、新党きづな、減税日本、新党改革、新党大地・真民主)、二三人の衆院議員が賛成者となった。さらに同日の記者会見では法案に賛同する衆参両院議員六七人のリストも公表された。この賛同議員リストの大半は民主党所属だが、提出・賛成議員には加わらなかったみんなの党、みどりの風、たちあがれ日本の議員も入っている。こうして提出・賛成議員と、賛同議員を合わせれば一〇三人に達する。共産党は「即時原発をなくすことが国民の声」であり、「この法案は国民の期待に応えるものとなっていない」と批判して、同法案の共同提案に加わらず、賛同にも名を連ねなかった。
 脱原発基本法案は「脱原発は、遅くとも、平成三十二(二〇二〇)年から平成三十七(二〇二五)年までのできる限り早い三月一一日までに実現されなければならない」としている。また「政府は、脱原発を計画的に推進するため、脱原発のための施策に関する基本的な計画(以下、『脱原発基本計画という。』)を定めなければならない」としている。
 そして「脱原発基本計画」が定めるべき事項として「発送電の分離」などをも組み込んだ。
 しかし八月二二日に出された「脱原発基本法案要綱案」(未定稿)の中で「脱原発基本計画」に「定めなければならない」として盛り込まれていた「発電用原子炉の設置の許可及び増設を伴う変更の許可を新たに与えないこと」「発電用原子炉の運転期間を例外なく四〇年までとすること」「高速増殖炉を直ちに廃止すること」といった項目は除かれた。他方、「脱原発を実現するに際し、その運転を廃止するまでの間においても、最新の科学的知見に基づいて定められる原子炉等による災害の防止のための基準に適合していると認められた後でなければ、運転(運転の再開を含む。)をしてはならないものとする」とする、「再稼働」を許容するものと多くの人びとが疑問・批判を提示した項目は、そのまま生かされているのである。
 そこには法案をまとめるにあたっての様々な議会会派との「調整」の必要性や、具体的内容は「基本計画」に盛り込めばよい、との理由があったのかも知れない。しかし当初、「要綱案」に含まれていた「原発の新規の建設・増設はしない」「原子炉運転期限を例外なく四〇年とする」「高速増殖炉の即時廃止」の項目が消えてしまった、という事実は残る。そして筆者の知る限り、この点に関してのはっきりした説明はないように思われる。これはやはり説明を要する事項ではないのか。

「リトマス試験紙」論

 脱原発法制定全国ネットワークのサイトには、この法案の提出を会期内に行うことを急いだ背景の一つに「秋以降の早い時期に衆院解散が実施され、総選挙では今後の原子力政策が大きな争点となるにもかかわらず、各政党、候補者の政策は明確ではないなか、明確な争点を提示する必要があると考えたからだ」「年限の明らかでない『脱原発依存』政策と脱原発時期を明記した法案に賛成を表明している政党・候補者を見分け、次の国会で脱原発政策を確実に実現するためのツールとして、法案をこの国会に提案する必要があると考えたのだ」との認識を挙げている。すなわち衆院総選挙で「脱原発」が本物であるか否かを見分ける「リトマス試験紙」の役割を、同法案に託しているのである。
 その上で、同サイトには「次は国民運動を起こして、この法案を現実に成立させなければならない」という宇都宮健児弁護士の記者会見(九月七日)での発言も紹介されている。
 私も「脱原発基本法案」が国会に提出された以上、近く行われる国政選挙においてすべての政党、候補者に脱原発政策を具体的にどのように構想するのかを問うためにも、提出された法案への態度を問う活動が、運動として展開される必要がある、と考える。
 脱原発法制定全国ネットのサイトでは「法案は二〇二〇年から二五年まで原発の稼働を認めているように見える。この法案は再稼働を認める事にならないかという危惧の声」に対して「脱原発法は、大飯3、4号機などの再稼働を容認するものではない」として次のように主張している。
 「今必要なことは、一つ一つの再稼働を止めるだけではなく、これまで五四基もの原発の設置を許可し、運転を認めてきた国の政策を、法律によって明確に方向転換することだ。日本が国として脱原発政策を選択し、廃炉や立地地域の産業復興などに国を挙げて取り組むためには、再稼働を止めるだけでは不十分であり、国会の多数による法律という形での決定を避けることはできない」。
 「原発をやめるべきだという私たち一人一人の倫理的な判断を政治的現実に転化していくためには、国会における法律がどうしても必要なのだ。/全国で再稼働反対に取り組むことと、脱原発法制定に取り組むことは同じ目標のためのひとつながりの活動であり、互いに矛盾するものではない」。
 私もその通りだと考える。そうであればこそ二つの課題を「運動」として展開する上で生じる「矛盾」を直視した上で、言葉の上だけではなく、解決していくための論議がていねいに行われなければならない。
 中核派の「前進」は「再稼働絶対反対の20万人デモと脱原発基本法制定は相いれない」との見出しで「『脱原発基本法』制定運動に賛同する諸人士の主観的な思いがどうあろうと、法によって原発を規制し廃炉にすることも可能だという幻想をばらまくことは、人民の行動による変革ではなく『議員だのみ』の腐敗した政治を再び導入するものとなるしかない」として「これでは『脱原発』どころか“原発再稼働容認基本法”になるしかない」と口をきわめて罵倒している(「前進」二五五〇号、九月三日付)。
 われわれがこのような「運動突破主義」の色合いをかぶせたセクト主義的立場に立たないことは言うまでもない。脱原発の法案化=制度化と、かつてない脱原発・反原発運動の高まりを、「原発のない社会」形成に向けていっそう発展させていくための討論・行動の二つの課題として統一的にとらえ、両者がふくむ緊張関係を意識しながら、ともに実現していくことが提起されている。

議会政治の危機と運動の力

 一九八六年のチェルノブイリ事故以後、一九八八年の伊方原発出力調整実験反対運動を頂点に高揚した反原発運動の中で、故高木仁三郎さんは「脱原発法」制定運動を提起した。高木さんの問題意識は「現に動いている原発を止める」ためには立地点での闘いだけでは不十分であり、原発に不安を持つ八六%もの人びとの気持ちを全体へと結びつけ「何千万もの署名」をテコに「超党派で国会を動かすような力」が必要である、というところにあった。
 今回の「脱原発基本法」制定のための呼びかけに参加した人びとからは「高木さんの意思を引き継ぐ」ことが語られた。
 私は一九八八年当時、この「脱原発法」制定運動について次のように書いた。
 「『脱原発法』制定運動が闘いの全国性を作り出していく上で一つの有効な武器たりうることについては、われわれも同意する。しかし同時に考えなければならない点は、そうした『全国化』方針が、今日の反原発運動の社会的基盤となっている大衆の直接的危機感と、“当事者”性に根ざす行動的エネルギー、すなわち今すぐ原発をとめなければ未来はないという切迫感に促された運動のダイナミズムを十分に吸収しうるものになるか、という点である」(平井純一「大衆運動構造の転換がいまわれわれに問いかけるもの」、『世界革命』一〇五六・七合併号、一九八八年八月一五日)。
 この時、われわれは社共・総評を軸にした労働運動・大衆運動の崩壊過程の最終局面の中で、新しい全国的大衆運動のイニシアティブの可能性を、どのように作り出していこうとするのかというところに多くの関心を集中させており、私のこの文章は、「超党派的立法化」を通じた脱原発運動の全国政治化の展望に対して、もっぱら「大衆運動の自立」という観点から議会と大衆運動の相互関係を批判的に捉えようとするものであった。
 もちろん当時と情勢は大きく異なっている。一九八八年の脱原発法案が議員立法として日の目を見ることはなかったのに対し、今回は広範な世論と運動を背景に「脱原発基本法案」は議員立法として提出された。
 同時に、今日の議会政治の枠組みは危機の中でますます右傾化を進め、議会と広範な大衆運動との乖離は決定的な段階に入っている。この中で、「脱原発基本法案」を使ってそうした乖離の状況に運動の側が介入し、民衆の多数意思を法案として議会・政府に押し付ける政治構造が作りだされるのか。
 かつてないほど脱原発・再稼働阻止の訴えが世論を主導し、各政党をも揺り動かしている中で、われわれはあくまで「再稼働阻止」「運転原発ゼロ」の闘いを持続的に強化することに全力を集中しつつ脱原発基本法案の弱点・問題点を克服していく論議を広げていく必要がある。
 (九月一〇日 平井純一)

 


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