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    かけはし2012.年9月3日号

排外主義と天皇制を撃ち返せ

8.15右翼の暴力はねのけ反「靖国」行動つらぬく

戦争責任・戦後責任を問う闘いを



領土ナショナリ
ズムの嵐に抗し
 八月一五日、排外主義と天皇制を問う8・15 反「靖国」行動実行委員会は、集会(在日本韓国YMCA)と反「靖国」デモを行い、一七〇人が参加した。
 天皇と野田首相は、政府主催の第六七回全国戦没者追悼式(武道館)でアジア民衆に向けた戦前の植民地支配と侵略戦争の真摯な謝罪と反省をせず、戦後補償について触れなかった。従来から続くこの姿勢を韓国の李明博大統領は、天皇訪韓について「(日本の植民地支配下で)独立運動への謝罪をするというのならいいのだが、『痛惜の念』だとか、こんな単語一つなら、来る必要はない」、旧日本軍従軍慰安婦問題についても「女性の人権問題として、人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為だ」と批判した。李発言が自らの政治的不安定性を乗り切るためであったとしても、その背景には韓国民衆の歴史的に続く怒りがあるからだ。
 野田首相は、全国戦没者追悼式での式辞で「国際社会の一員として、国際平和の実現を不断に追求していく」と強調し、対中国と領土ナショナリズムを煽りながらグローバル派兵国家へと突き進もうとしている。野田は、かつて野党時代に小泉政権に対して「四回におよぶ(戦犯釈放を求める)国会決議などで、A・B・C級すべての戦犯の名誉は回復されている」「A級戦犯合祀を理由に首相の靖国参拝に反対する論理は破綻している」などとという質問主意書を出していた(二〇〇五年一〇月)。今回は、アジア諸国からの批判をすり抜けるために靖国参拝を行わなかったが、野田の本音は靖国賛美なのだ。産経新聞から「野田首相は靖国神社をよく理解する政治家だけに、残念である」(八月一七日)と言われる始末だ。
 野田の立ち振舞いに苛立った松原仁拉致問題担当相、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」副会長の羽田雄一国土交通相が民主党政権下で初めて靖国参拝を行った。侵略戦争と天皇制を賛美する「国会議員の会」の与野党国会議員五五人、石原慎太郎都知事が参拝を強行し、英霊にこたえる会と日本会議が靖国神社で「戦没者追悼国民集会」を開催した。連動して天皇主義街宣右翼、在日特権を許さない会、頑張れ日本!全国行動委員会などが反天皇制運動への敵対を行ってきた。反「靖国」行動は、右翼らの暴力的破壊と挑発を許さず、断固として集会と反靖国デモを貫徹した。

愛国心高揚の
ための国家儀式
 集会では、実行委が@「戦没者追悼式」と「靖国」参拝に抗議の声を!A右派状況・歴史認識B野田政権の性格C普天間基地へのオスプレイ配備を許すな!日米安保廃棄、天皇沖縄訪問阻止を!―基調を提起した。
 さらに「アキヒトXデーを見据えた天皇制の強化に対しても、反天皇制を鮮明に一つ一つ闘いを繋げて」いくことを確認。とりわけ天皇制国民統合装置と治安管理の強化に反撃するための一環として「スポーツ祭東京2013」(第六八回国民体育大会・第一三回全国障害者スポーツ大会)反対運動、東京都の二〇二〇年オリンピック招致運動への批判を強め、反天皇制運動を広げていくことを意志一致した。
 「お話」が山田昭次さん(歴史研究者)から行われ、「八・一五と国体護持、日本の軍事大国化のための『愛国心』昂揚」について問題提起した。
 山田さんは、冒頭、「八・
一五とは何だったのか。この日が敗戦という危機を迎えた天皇制国家の護持を訴えた日であるにとどまらず、その後にもこの日が日本の軍事大国化の精神的支柱としての『愛国心』、すなわち国家に対する忠誠心の昂揚を目指す国家儀礼の日として利用されてきた」と糾弾した。
 そのうえで「八・一五」批判を@一九四五年八月一五日、天皇が日本人民私有に天皇制国家護持を訴えた「終戦の詔勅」Aアジア・太平洋戦争日本人戦死者を殉国者として顕彰する全国戦没者追悼式と八・一五との列号B「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の制定と首相中曾根康弘の八月一五日靖国神社公式参拝」C首相小泉純一郎の八月一五日の靖国神社公式参拝の意図――などを掘り下げ、「全国戦没者追悼式や首相の靖国公式参拝は、反平和的な政治的意図を覆い隠す役割しか果たしていない。国家儀礼にこめられた内実を見破る鋭い批判的な眼をいま日本民衆に求められている」と結論づけた。
 連帯アピールが二〇一二
・九・一五ピョンヤン宣言一〇周年集会実行委員会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、自衛隊・米軍参加の東京都・目黒区総合防災訓練に反対する実行委員会2012、福島原発事故緊急会議から行われた。

警察・右翼の妨
害はねのけデモ
 集会後、九段下の靖国神社に向けてデモに出発した。すでに水道橋から神保町には、権力機動隊配備の下で天皇主義右翼、街宣車が徘徊し、デモに対する挑発を行ってきた。警察は、右翼による集会横断幕、実行委宣伝カーマイクの破壊、水入りゴム球の投擲を放置し、この妨害を利用してデモ規制を行ってきた。九段下交差点前、実行委は、不当規制をはねのけて「侵略・戦争神社ヤスクニ反対!天皇制解体!」のシュプレヒコールをたたきつけた。デモは、水道橋の解散地点に到着し、闘争勝利を全体で打ち固めた。 (Y)

8.11平和の灯をヤスクニの闇へ

サンフランシスコ条約60年と
「ヤスクニ」復権を捉え返す


憲法改悪勢力の
活性化に抗して
 八月一一日、2012平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会は、豊島公会堂で「60年目に考えるサンフランシスコ条約体制とヤスクニの『復権』」の集会とデモを行った。四〇〇人が参加した。
 行動は、今年がサンフランシスコ条約発効六〇年の年であり、また、沖縄「復帰」、日中国交正常化から四〇年目にあたる位置から戦後日本のあり方を規定し、枠組みをつくったサンフランシスコ条約とヤスクニの関係を検証する場として設定した。
 今村嗣夫さん(共同代表)から主催者あいさつが行われ、憲法改悪勢力の活性化とともにヤスクニ復権策動の警戒と人権否定の自民党憲法草案を批判していくことを訴えた。

侵略戦争反省を
欠いた講和条約
 第一部はシンポジウム。
 古関彰一さん(獨協大学教授)は、「サンフランシスコ条約とヤスクニ」というテーマから「講和条約の最大の特徴は、戦争を法的に終結する条約であるにもかかわらず、侵略戦争を行ったことに対する謝罪や反省がないことだ。さらに日米安保条約の締結を義務付け、沖縄を本土から分離し、侵略を受けた国々に対する賠償請求権(戦後補償)を反故にした」と批判した。
 その政治性格について「当時の権力者たちは、A級戦犯の赦免請願運動を取り組み、次々と復権させていった。このプロセスは講和条約によって権力あるいは権力に連なる人びとが有利になるような構造の下で戦後を歩み始め、その対極にある弱者、わけてもアジアの人々の視点を忘れて戦後を歩み出してしまった」ことを明らかにした。
 石原昌家さん(沖縄国際大学名誉教授)は、「サンフランシスコ条約とヤスクニ下の沖縄」について@講和条約が発効した一九五二年四月二八日を「屈辱の日」と捉えたことA天皇制維持のための沖縄戦B戦後の天皇メッセージの犯罪性C米軍沖縄占領と講和条約D戦傷病者戦没者遺族等援護法とヤスクニ化された沖縄――から検証した。
 さらに「オスプレイ配備問題で日米安保を具体的に問題視する状況にある。しかし、軍事活動を活発化させている中国と尖閣列島をめぐって『領土ナショナリズム』が台頭しつつある。沖縄の先島への軍備増強を促進させる役目を担っている。日米最後の地上戦となった沖縄戦で、沖縄住民が軍民一体化した戦闘だったと沖縄戦体験を捏造して、それを利用しているところに大きな特徴がある。日本の国民世論を好戦的軍民一体形成を狙っている」と分析し、この流れに抗するために「沖縄靖国神社合祀取消裁判」の教訓を強調した。

東アジアの平和
への共同事業
 曾健民さん(台湾社会科学研究会長)は、「サンフランシスコ条約と台湾」についてアプローチし、「講和条約によつて作られた軍事、政治、経済、文化体制が、未だわれわれの現実生活を左右し、東アジアの真の平和にとって脅威となっている。それゆえに条約の再認識は東アジア人民が『平和、民主、公義』を追求するにあたって共同事業だ」と報告した。
 李時雨さん(韓国・写真家)は、「サンフランシスコ条約と日米韓軍事同盟」の実態について、大量に配備された劣化ウラン弾の追跡、原子力潜水艦、アジアの米軍基地などを映し出しながら「国連体制下の対日平和条約」を批判した。
 高橋哲哉さん(東京大学教授)は、「サンフランシスコ条約と戦後日本の思想状況」について「犠牲のシステム」「核システム」としての日米安保体制を暴き出し、その柱の一つが「原子力平和利用」だったことを歴史的に明らかにした。
 第二部は証言&コンサート。
 イ・インボクさんは、「父は、一九四四年四月二八日、ニューギニア・ヤピック河口で亡くなり、今は靖国に合祀されています。何の権利があって、家族には何も連絡せず勝手に合祀などできるのか」と糾弾した。
 イ・ヒジャさんは、太平洋戦争被害者補償推進協議会・民族問題研究所パンフ「強制動員被害者に聞く、まだ終わってない話」を紹介し、決意表明した。
 コンサートは、ソン、ビョンヒさん、ムン、ジンオさんが熱唱し、連帯を打ち固めた。
 集会終了後、デモに移った。在日特権を許さない市民の会、天皇主義右翼の挑発を許さず、反ヤスクニを池袋一帯に響かせた。(Y)

コラム

「ニッポンの嘘」

 この国の戦後史の裏側を克明に記録し、権力者の「嘘」を暴き続けてきた男がいる。報道写真家・福島菊次郎だ。
 まさに「伝説の写真家」である。安保、天皇、三里塚、祝島など、激動の瞬間に立ちあい、峻烈な作品を発表してきた。その迫力に圧倒されながらも、作者の人物像や、大げさにいえば生死すら、私には定かではなかった。だがついに表題の映画が完成。現在上映されている。
 物語は、脱原発のデモ行進から始まる。福島が道路に座り込んで先頭部隊を撮影している。六万人が集まった明治公園の集会後だ。
 キャリアの原点は、敗戦後のヒロシマにある。一九五一年、原爆症に苦しむ中村杉松さんとの出会いが、報道写真家として生きる決断をさせる。中村さんには、苦痛を逃れるための無数の切り傷がある。「写真を撮ってくれ。仇をとってくれ」――最初はカメラを向けられなかった福島だが、ついに涙ながらに頼まれた。一〇年かけた一家の記録は、栄誉ある受賞として結実。六一年、プロ写真家をめざして上京する。以後、三人の子供を男手ひとつで育てあげたという。
 山口県のアパートで愛犬と暮らす。補聴器をつけ、話す言葉も相手が注意しないと聞き取れない。洗濯も料理も自分でする。執筆の際に使うワープロ専用機。画面を開き、機械の前で手を合わせる。あまりに古いため、どうか動くようにと祈るのだ。
 「国家に歯向かってきた者が年金なんかもらえるか」――無人島での生活、女性との別離。自分の信念に忠実に生きるがゆえの選択。
 圧巻は自衛隊内部への潜入ルポ。広報課は、「発表前に検閲する」という条件つきで取材を認めたが、福島はこの約束を破って公開。激怒する防衛庁に「だまさなければ中に入れなかった。あなた方が先に国民を欺いている。だから僕に言う資格はない」と切り返す。反体制の側に身を置きながら、敵陣に乗り込む危険をも恐れない。
 兵器製造工場での隠し撮りは、指が曲がるほどカメラを握り続けた職人の、まさに真骨頂ともいえる。だが代償は大きすぎた。暴漢に襲われ、家を焼かれてしまう。間一髪で娘が貴重なネガを運び出していた。「今でも頭があがらない」と照れるしぐさは、町のどこにでもいる、ただのおいぼれ爺さんだ。
 誇り高き反骨のジャーナリスト。その波乱万丈の人生に触れるとき、田原総一朗のコメントではないが、自分がちっぽけに見えてくる。デジカメを何台も持ち、誰もがネット上で気軽に自己主張をする。穏当な表現で中立を気取ってきたメディアが、巨万の大衆行動に揺れている。福島はそんな喧噪をよそに、銀塩カメラを肩に「3・11」以後のフクシマで、堂々と警官とやり合っている。彼に教えられるものは、決して少なくない。  (隆)


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