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    かけはし2012.年8月27日号

7.21「変えよう日本」討論会を開催

新しい運動の発展と政治の危機
―― 私たちはどう進むべきか?


共に論議する
ステップとして
 七月二一日、東京・御茶ノ水の連合会館で「変えよう!日本」討論会が行われた。この討論会は「今日の原発・沖縄など闘いの発展のために力を合わせ、社会運動の新しいあり方を基礎に、グローバル資本主義の深刻な危機に対抗し、社会・政治・経済・生活システムの変革を推進する新しい政治勢力を作り出していく時だと考えます」という呼びかけ趣旨に基づいて企画された。
 民主党政権三年間のバランスシートは、野田政権の今日の無残な現実にありありと示されている。野田政権は原発再稼働の強行、TPPへの参加促進、オスプレイの沖縄配備に示される米国の新「太平洋戦略」への実戦的一体化と改憲プロセスの促進に示されるように、二〇〇九年「マニフェスト」のすべてを放棄して、米国・大資本・官僚機構の思うがままに事実上自民党との「連合」化に踏み出した。民主・自民という「二大政党」は政策的には一極に収れんしつつ、分解・再編の過程を歩んでいる。
 この中で、世論の支持を集めているのは橋下「維新の会」など「強力なリーダーシップ」を呼号しつつ強権主義的政治手法と徹底した新自由主義路線の結合によって、人々の不信・不満を吸収しようとする勢力であって、共産党、社民党など旧来の「左派」政党や、「新左翼」潮流は周辺化と孤立の趨勢に抗し得ていない。グローバル資本主義の危機はいっそう深まっているにもかかわらずそれが現状である。
 他方、昨年「三・一一」以後の脱原発運動の急速な発展と七・一六集会や首相官邸前アクションに見られるかつてない大規模デモ、そして沖縄の「島ぐるみ」反基地行動が持続的に展開されている。この矛盾に満ちたダイナミックに揺れ動く状況をどのように捉え、その中から今日の「資本主義システムの危機」に立ち向かおうとする政治勢力をどのように準備するのか。こうした問題を正面から見据え、共に論議する最初のステップとして、この日の討論会が準備された。

異った分野から
多様な問題提起
 この討論会には社民党の服部良一衆院議員からのメッセージも寄せられた。司会の生田あいさん(コモンズ政策研究機構)が、主催者側からのこうした問題意識を紹介した後、問題提起の発言が行われた。
 最初に発言した田淵太一さん(同志社大学教授)は、脱原発運動をふくむ今日の運動が「一網打尽」にされる危険性について、警鐘を打ち鳴らした。それは中国を主要なターゲットにした米国の太平洋戦略の中で、「尖閣」をめぐる対立が「一触即発」の危機を含んでいることに規定されている、と田淵さんは述べる。彼は、米国主導のTPPが、アジア太平洋戦略の中での「対中包囲網」の一環であり、米国の「知的所有権」を武器にしたTPPの本質は何かについての暴露と批判を強めることを強調した。
 経産省前テントひろばの江田忠雄さんは、この間の大飯原発再稼働反対運動の中で「テントひろば」が果たした役割を紹介し、「テントひろば」がこれからも行動と交流の場としての機能を強めていこうとしている、と語った。
 大野和興さん(脱WTO/FTA草の根キャンペーン)は、TPP反対運動の中に「日本の国益を守れ」という主張を前面に掲げる流れが存在していることを指摘し、排外主義やレイシズム反対の立場をはっきりさせる必要がある、と述べた。土屋源太郎さん(伊達判決を生かす会)は、「日米安保違憲」を打ち出した一九五九年の砂川闘争伊達判決の意義を紹介し、今こそ日米安保・地位協定反対の主張を前面に押し出すことを強調した。
 沖縄から駆けつけた安次富浩さん(名護ヘリ基地反対協)は、八月五日に準備されているオスプレイ反対の県民大会の準備状況について報告し、いかにオスプレイを来させないかについて「水道を止める、風船を上げる」などの話も紹介した。さらに建設業者で構成される沖縄防衛協会が「オスプレイ反対・新基地賛成」の矛盾した立場を取っていることにふれて、「オスプレイに反対することは辺野古新基地に反対することだ」という明確な立場を取る必要性をあらためて訴えた。
 椎名千枝子さん(原発いらない福島の女たち)は、訪米して各地で福島事故の実状について報告した、と語った。
 仲村実さん(管理職ユニオン・関西)は、関西生コン支部など労働組合をベースにした新しい反資本主義潮流への闘いへの挑戦について報告した。最後に新時代社の国富建治が、脱原発運動のうねりと沖縄における「島ぐるみ」の反基地・反オスプレイの闘い、世論調査において脱原発や消費税反対が多数を占め、民主党の次回選挙での大敗が必至であるにもかかわらず、予測される「勝者」が橋下・維新の会や「みんなの党」であるという巨大なギャップ、議会の正統性の危機の深まりについて語り、この困難な局面の中で新しい反資本主義政治勢力の可能性を現実のものにするための討議を積み重ねる必要性を強調した。
 討論の時間は限られたものだったが、今後とも継続してこうした討論を続けていくことを確認した。(K)

7.18反資本主義勢力形成へ連続学習会

仏反資本主義新党の形成
と現状から学ぶべきこと

 【大阪】七月一八日、湯川順夫さん(翻訳家)を招き、生コン会館旧館で第二回目の学習会を行った。フランスでは、八〇年代の新自由主義の攻勢の前に、既成の左翼・労働組合は次々と屈服していった。しかし、九〇年代になると、SUD系労働組合などの新しい労働運動の展開、ATTACやAC(失業者運動)を始め、ホームレス・移民・薬害エイズの運動などの新しい社会運動も一体となって起こってきた。それらは、自分達の生活を破壊していく新自由主義グローバリゼーションと闘う労働運動・社会運動として、民衆の信頼を勝ち取っていった。この流れが、やがて「アラブの春」や「ウォール・ストリートの占拠」につながっていく。ここまでを前回(六月一四日)に学んだ。
 今回は、大衆運動のそのような動きがあって、では政治レベルではどうだったのか。ダニエル・ベンサイド著『二一世紀マルクス主義の模索』の「第四章フランス反資本主義新党への挑戦」をテキストに、テーマも『反資本主義新党(NPA)の形成過程と現状』である。湯川さんの報告(別掲)の後、活発に意見交流が行われた。NPAの現状に、やはり関心が集まった。私達もまた、資本主義と対決する新しい全国政治潮流の形成を、重要な課題として共有している。NPAの、「困難性をかかえた現在」も含めた豊かな経験には、学ぶべき実に多くのことがあるからだ。第三回目の学習会は、八月後半か九月初旬に予定されている。
          (努)

湯川順夫さんの報告から

ベルリンの壁の崩壊
―― 終りと始まり


資本の攻勢と
左翼の後退
 ロシア革命(一九一七年)から始まった労働者を中心とした民衆の解放運動が、ベルリンの壁の崩壊(一九八九年)をもって一つのサイクルが終わった、とベンサイドは言う。ベルリンの壁の崩壊によって、左翼・マルクス主義の権威が失墜したのであり、新自由主義の攻撃が始まったのだと捉える。それまでソ連や東欧があり、植民地の独立があり、資本主義国では労働運動があった。だから、資本の側は心ならずも労働者の要求に譲歩して、権利(賃金や年金)を認めざるを得なかった。ところが、ベルリンの壁の崩壊によって、それらもまた崩壊した。これを、資本家は奪い返すチャンスと見たのだ、と。そのような状況に対して、社会党や共産党は対応できなかった。彼らは、一つ「右」に行く。社会党=社会民主主義は民主党=中道派へ(イギリス、日本)、共産党は社会民主主義へ(イタリア)と。
 こうして、民衆の生活・労働者の権利を擁護する組織が不在になる。同時に、彼らが占めていた政治空間にはぽっかりと穴が開いてしまった。様々な新しい社会運動が起こってくる。そして、それを表現する新しい政治勢力も必要なのだが、自動的には出来ない。社会党に期待した人々は「裏切られた」となる。ポピュリズムは、社会党の政策がつくり出したものだ(日本の現在で言えば、民主党への幻滅と橋下の登場)。極右の国民戦線(ルペン)は、失業の原因を「移民」にあるとして攻撃、そしてそれを労働者の一部が支持する。このような政治の混乱によって、排外主義・ナショナリズムを助長させないためには、社会党の「左」に左派の全国的な政治潮流をつくることが決定的に重要になった、と強調する。皆さんも、若い活動家が継続して育っていかない、と感じられているだろう。例えば、イラク反戦闘争があった。しかし、高揚した後も続けて活動している人は少ない。
 ベンサイドは「政治戦略」が重要だと言っているが、後で触れたい。

転機は 年の
仏大統領選挙
 フランスでの経過を見る。大統領選があった(二〇〇二年四月)時の政権は、左翼連立政権(社会党・共産党・緑の党)だった。ところが、やったことは前政権と同じ、民営化など新自由主義に基づく政策だったので、民衆の信頼をなくしていく。この時の大統領選では、極右の国民戦線(ルペン)の台頭が著しく、社会党・党首ジョスパンは三位で決戦投票にも進めなかった(一位右のシラク、二位極右のルペン)。一方、もっとも注目されたのが、LCR(革命的共産主義者同盟)から立候補した無名の郵便労働者ブザンスノ(二七歳)だった。彼は新自由主義を批判する立場を鮮明にし、結果は共産党を上回る四・二五%(一二〇万票)の支持を得た。
 さらに、欧州憲法条約の国民投票(二〇〇五年三月)で、反対派が勝利したことだ。最初は賛成派の楽勝と言われていたが、社会党や緑の党も反対の立場に変わり、予想とは逆になってしまった。ATTACなど反対派は「欧州憲法は、新自由主義に基づいたヨーロッパの資本家のための憲法」だと大衆的に批判活動を展開し、世論を変えていったからだ。この欧州憲法は結局、反対多数(フランスでは否決)となり、「新しい社会運動」の力と広がりを示すものとなった。
 当然、この勝利を次の大統領選(二〇〇七年六月)につなげ、反新自由主義の統一大統領候補を出そうという気運が盛り上がってくる。この擁立の動きは地方から、共産党・社会党左派・農民連盟も加わり、もちろんLCRも積極的に活動していった。ところが、最後の段階で、社会党との関係をめぐって意見が対立。LCRは新自由主義の社会党とは連立を組むべきではないと主張し、弱小の共産党や緑の党は、(フランスの小選挙区制では負けたら二回目の選挙があり、その時は社会党に依存しなければ議員を出せないので)それには賛成できない。結局、統一候補を出すことには失敗。それぞれで立候補することになり、結果は、サルコジが当選(ブザンスノは四・一%で、前回よりも約三〇万得票数を伸ばす)。
 ところで、緑の党は日本で思われているように「反原発」の党なのではない。政権の中にいる時は、フランスでは「原発大国」を支えていたし、ドイツではかつてNATOのユーゴスラビア空爆(劣化ウラン弾使用)も認めた。このように極めて現実主義的な党なのだ。

NPAが直面
する困難とは
 このような情勢の中で、LCRは社会党との関係を明確にした、全国的な反資本主義新党への挑戦を決定し、人々に呼びかけた。そのための準備は、「下から」の取組みとして行われた。それはなぜか。LCR以外にも、トロツキスト系の「ランベール派」「労働者の闘争派」・統一社会党・左派社会党などさまざまなグループがあり、それらが集まって討議を繰り返していては永遠に決定できないからだ。そこで、LCRは統一候補の経験をふまえ、各地域に新党準備のための集団(コレクティブ)をつくることを提案。そこに、さまざまな活動家が結集してきた。綱領や規約も、コレクティブで、そして全国から集まって決定していった。だから、いくつかの党派が集まって決定していく「上から」の取組みではなかったことだ。かつて、三里塚・戸村選挙の時に全国に「連帯する会」をつくったが、それと似ている。こうして、二〇〇八年、反資本主義新党(NPA)が結成され、党員約一万で出発した。
 資料「アビニョンのコレクティブ」で報告されているが、実にさまざまな立場と考え方の活動家が結集している。ここで、ベンサイドの「政治戦略」の重要性について。例として、フランスは移民が多いので、イスラムのスカーフの問題。ある地区の女性がこれを被ってNPAの選挙に出たとする。そうすると、マスコミが「NPAはイスラムの味方なのか」と叩く。この地区指導部の多数派は、フェミニズムの立場から「スカーフは女性への抑圧の象徴」でありだめだと言う。全国指導部は、彼女は反資本主義の立場を支持しているのでよいと言う。しかし、戦略的に見ると、そのような短絡的な発想では、移民で貧しい彼女たちを仲間に獲得することはできない。時間をかけて「戦略」を内部で論議すべきだが、これがなかなか難しい。マルクス主義者、エコロジスト、フェミニストだけではない、もっともっとさまざまな立場の活動家が集まっている。ここに、現在のNPAの困難性がある。結成して四年だが、分散化傾向が進んでいる。同質性を獲得するためには時間がかかる。しかし、よく考えてみると、若い活動家が増えた(歓迎すべきことだが)労組や反原発など大衆運動の中で、私たちも分散化傾向やアナーキーな雰囲気など同じような経験をしてはいないだろうか。ベンサイドの言うように、権力を握らないと問題は解決しない(他の誰かが権力を握ってしまうから)。これは歴史の教訓でもある。    (努)

 


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