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    かけはし2012.年8月6日号

政権に参加したSDとSPPは
新自由主義政策の推進側に立った

デンマーク 労働者政党に対する支持の歴史的な変化

トーマス・アイスラー

 この間デンマークの労働者政党を体現してきた社会民主党(SD)と社会人民党(SPP)は政権に入ると同時に、労働者人民に経済危機の矛盾をしわ寄せする税制改革や緊縮政策に同意し急速に支持を失っている。それに反比例して、新たに左派勢力によってつくられた赤緑連合が支持を上昇させている。(「かけはし」編集部)

 六月末、赤緑連合(RGA)は、一二〜一四%という実績をもって世論調査支持率の新たな高みに達した。同じ時期社会民主党(SD)は、一六〜一七%という歴史的な低さを記録した。これは、右翼と共に税制改革を行うことを政権が決定した後に起きた。これは、SDと社会人民党(SPP)が政府に入る以前にすでに始まった進行していた、最新の展開にすぎない。

突然修正された
政府の税制改革


 政府によって当初提案された税制改革は、右翼に対するはっきりした招待状のように見えた。それは、右翼の全体的な二〇二〇年計画の一部として現れた。過去の政治の課題は、二〇二〇年を目標年とした長期的施策という形で、国家的財政の均衡をいかにして確保するかに焦点が絞られてきた。これこそが、以前の右翼政権が押し進め、主流の経済学と雇用主組織その他が支援した課題だった。
 主流の経済学によれば、主な問題は公的支出と労働力供給だ。したがって支出の削減が行われなければならず、労働力供給を高めるために、率先した取り組みが行われなければならない。この全般的な課題設定を、SDとSPPの指導部は受け入れてきた。
 提案された税制改革の主な狙いは、働くための誘因を経済に与えることだった。主な要素は以下のように提案された。
▼より高い税率を課す所得区分割りの引き上げ
▼失業者や退職者などに対する給付における、年毎の賃金/物価に連動した上昇水準の引き下げ
▼もっとも高額の債務で住宅を所有している者に対するより高い課税(一定の限度を超えた利益に対してより小さな減税幅)
▼被雇用者に対するより低い課税

 当初自由党は、政府との協定に加わる意志はなかった。これは、政治的選択というよりも政府を孤立させるための戦術的選択だった。
 これがRGAに対してドアを開けた。RGAと政府との間で交渉が始まった。政府は社会給付での切り下げを行わないことを受け入れ、同様にRGAが要求した一定数の他の変更を行った。RGAと政府の間で合意がなされ、ただ二日後のRGA全国委員会による承認を待つだけとなった。
 この時突然自由党が政府に接近し、税制改革法に関する保守党をも含んだ公式協定を一日も経たないうちに発表した。その協定の中では、給付削減はそのままにされ、住宅所有者に対する増税はいかなるものも目録から外されている。
 これは、RGA議員団からの極めて強い反応に導いた。「われわれはもはやこの政権を支持しない――われわれは今野党の立場にある」、RGA議員団のスポークスパーソン、シュミット・ニールセンはこう語った。
 これはSPPにとって、彼らの危機を深めるもう一つの要因となった。高価な住宅の所有者に対するより高い課税は、非常に富裕な層に損害を与えるだけであり、この改革にある種の社会的性格を付与すると思われた部分だったのだ。

SDとSPP
の危機の増大


 税制改革は、SDとSPPに対する失望の増大に対して、まさに最後の一押しだった。二〇一一年春、SDは支持率二九%に、SPPは同一五%だった。今日それらは、各々一七%、並びに五・五%だ。世論調査によれば同時期RGAは、四%から一二%へと上昇した。またこの時期自由党は、一九%から三三%へと上昇する形で最大の勝者となった。
 昨年の議会選にいたるまで、政権交代は確実なことに見えた。保守党・自由党政権、並びにそれらとポピュリスト右翼のデンマーク人民党との緊密な連携に対する不満は、増大の一方にあった。しかしそれにもかかわらず、代わりとなるものはまったく矛盾に満ちていた。SD/SPPは以下のようなテーマについてキャンペーンした。つまり、減税よりも公共福祉を選択すること、富裕層へのより高い課税、小学校への教員増員だ。
 しかしそれらが右翼から「経済への責任」を欠いていると批判されるにつれ、彼らの対応は、右翼の批判すべてに従うというものとなった。さらにまた、移民と難民の諸条件の問題に関しても、彼らは右翼に譲歩した。
 代わりとなる政治的方向の構図が次第にぼんやりとさせられるにつれ、両党に対する支持は下落し始めた。RGAは、新政権を可能な限り程度を高めて左に留めるために闘うことを約束した。
 選挙の後にSD/SPPは社会自由党と共に政権をつくった。SD/SPPは社会自由主義者と政権綱領を交渉する中で、富裕層に関する課税を含む彼らの左翼的政策の多くまでも放棄した。それ以来政権は、新自由主義の課題設定に忠実となった。

RGAの戦術と
支持率の上昇


 RGAは、政権とのあらゆる交渉を明らかにする戦術に従ってきた。この戦術は、抽象的な急進主義だけでは、右翼と政治を共にする路線を政権が説明することをたやいものとしかねない、という懸念を回避することにある。
 これは二つの方向で成功してきた。移民や難民など、社会給付に関するいくつかのグループの状況を改善する形で、一定数の小さな改革が行われた。さらにエネルギー政策に関する包括的な改革法が、RGAの賛成投票をもって通過させられた。これと平行して、SD/SPPの直前に明らかとなった税制改革危機以前においても、RGAへの支持は着実に上昇してきた。
 主な討論は今や、二〇一三年国家予算にどう対処すべきか、となるだろう。右翼は、できるならば政権を倒すために、この機会を利用することを決めた。
 これは、一九九二〜二〇〇一年の前回SDが主導した政権の時期にあった情勢とは逆だ。この時期RGAは、棄権した一回を除いて、毎年予算反対の投票を行った。今回の情勢に対処するために、RGAは予算に関する戦術を変更した。予算案に対する賛成をあるがままの資本主義システムの全般的受容と見なすことを止め、予算は以下のような一つの基準に従って判断される。つまり、前年との比較で今回の予算は富の配分をどれだけ変えることになるのか、だ。すでに二〇一〇年、RGA全国評議会は、いくつかの明確化された条件の下で国家予算に賛成投票する、と決定した。この予算が「右翼と共にする緊縮政策の一年をまとめ上げる」ものとはならない、ということが、それらの条件の一つだ。
 RGAは今、労働組合や諸運動などを含む人々との討論を動員することを選択した。RGAはこの意見聴取と討論に基づいて、次回予算に向けた一定数の要求を確定するだろう。これらの要求は、前年になされた政府の悪行を償うものとならなければならない。RGAはこのような過程を通して、SDとSPPに対し、彼らの現在の路線を変えるよう強制するために、圧力を動員したいと思っている。
 いくつかの要求を背に労働者階級を政府に対して動員しようとするこの挑戦の重要な要素の一つは、失業手当の問題だ。前政権はこの給付期間を四年から二年に短縮した。さらにこの手当を得るために働かなければならない資格期間を、半年から一年に延長した。選挙直後新政権は、RGAや労働組合勢力の要求に折れ、給付期間の二年限定の実施を半年延期した。しかし変更が一切ないとすれば、二〇一三年一月には、数千人の失業者が彼らに対する給付を失うことになる。すでにSDとSPPの何人かの議員は、さらなる延期を求めている。しかしこれは、両党の連立相手である社会自由党から拒否されている。

RGAの闘いと
SAPの立場


 第四インターナショナルデンマーク支部であるSAP(社会主義労働者党)は、RGAを創立した諸政党の一つだ。SAPのメンバーは、戦闘的な活動家、連合基礎組織や全国指導部のメンバー、国会議員として、RGAを精力的に建設している。税制改革協定に関する論評としてSAPの政治局は次のように表明した。
 「現政権は、RGAと共有した政綱から次第に距離を置きながら、自殺的な路線を遂行中だ――そして同時に、勤労民衆からの支持を破壊し掘り崩しつつもある」「SD/SPPを支持した有権者は歴史的な次元で両党から離れつつある。税制改革は、若い戦士の新世代全体と左翼支持者、まさにこの政権に権力をもたらした人々に向けて、改良主義指導部の破綻をくっきりと照らし出した」「これはRGAに、デンマーク政治の中での新しい地位をもたらしている。党は今や、ブルジョア的な新自由主義政治に対する唯一のオルタナティブと見られている。これは危険であると同時に新しい好機を生み出している」「失望と消極性という明白な危険がある。新政権から生まれる新しい政治を期待した人々は、改良主義諸政党に対する信頼を失うことになった。同じことは、ある程度まで労働組合指導部に対しても進んでいる。機構の最上層はこの税制改革を無批判に受け入れたのだ――たとえその改革に、右翼に対する、またその陣営に属する多くの者の所得に対する一定の攻撃があるとしても――」。
 「しかしこの情勢は、新たな政治を求める戦闘を強化する可能性をも生み出している。RGAの主な任務は、SD/SPPの失望しいらいらを募らせている支持者に訴えることだ――新政権に彼らがかけた最初の希望をけなしたり中傷したりすることではなく――。われわれはむしろ彼らの怒りを共有し、それに声を与えなければならない。その目的は、彼らの失望を活動に、動員に、そして路線変更に向けた政権に対する要求へと、ひっくり返すことだ」。
 「その一つの要素は、税制改革の否定的な効果に対抗するために、どのような埋め合わせの形態が必要とされるを討論する政治的キャンペーンだ。もう一つのものは、失業した人々を失業手当を失うことから救い出すために、広範な労働組合と活動家の運動を生み出すことだ」。
 「最終的にRGAは、新自由主義的課題設定と他の諸政党のさまざまな変種に対するオルタナティブはある、つまり反資本主義の道がある、ということを示すために、もっと努力を重ねなければならない」。

▼筆者はRGA並びにSAPメンバー。RGAの前専従活動家であり、RGAの前全国委員会メンバー。現在はSAPの全国指導部、並びにFIの国際委員会の一員。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年七月号)

コラム

バラマキとヒモツキ

 夜の八時を過ぎても駅前一帯に煌々と明かりがともっているのは、ほぼ政令指定市だけ。県庁所在地でも、ひっそりとしている街は少なくない。「都会」と「非都会」は、こんなふうに、見た目ではっきり分岐している。これが、私がこれまで数十年、全国各地を歩いてきた実感だ。
 ここでいう「非都会」に暮らす人びとにとって、各種の補助金や地方交付税がなければ、道路や福祉施設や防災施設などをつくったり運営したりするのは、容易ではない。しかも多くの場合、基幹産業は建設業である。だから、市町村長には、複雑に絡み合う各種補助金の使い方を「裏ワザ」まで熟知し、「要路」と呼ばれる県会議員や国会議員のルートを駆使して、巧妙にカネを引っぱってくる手腕が問われることになる。多くの住民は、こうした「先生方」の働きで生きているかのように思ってしまう。
 このような地方と中央を貫くシステムをつくり動かしてきたのは、自民党だった。自民党の地域組織は、このシステムのもとで住民の中に独占的な根を深くはってきた。これは、高度経済成長期には、所得再配分機能を代行する面があったが、財政赤字になっても建設国債などの手法を編みだして国債を膨らませながら、カネを流し込みつづけた。このシステムと一体化した自民党支配体制を維持するうえで不可欠だったからだ。だが、流れるカネがしぼまざるをえなくなるにつれて、自民党支配体制は衰退の度を深めていった。
 即物的「反自民」の小沢一郎の勢力は、このシステムを壊すのではなく、そこに入り込んで民主党の地域組織のものに変えようとした。まず行なったのは、自民党の衰退に乗じて業界団体や農協などに手を突っ込むことだった。それはある程度まで奏功したようで、前回の衆院選の大量得票につながった。
 つづいて、民主党中央政府から地方政府に流れるカネを、自民党のヒモツキから切り離そうとした。住民に直接配る「子ども手当」はその一例にすぎない。自民党の地域組織が関与できなければ、かれらの政治的兵糧が絶たれてしまう。だから、自民党はいっせいにバラマキだと反発した。
 消費増税をめぐる三党協議で、自民党が「子ども手当」を執拗に攻撃したのは、「子ども手当」の内容そのものより、かれらの政治的兵糧がかかっていたからである。そればかりか、民主党の弱腰を見てとった自民党は、ちゃっかり、消費税を社会保障だけでなく公共事業にも使えるようにしてしまった。旧来のヒモツキ・システム「再稼働」の目論見である。
 かくて、小沢の「反自民戦略」は頓挫した。かれらは民主党から出て、もはやだれも信じない「国民の生活が第一」なる新党を立ち上げるほかはなかった。地域組織が弱い民主党議員にはブレーキがかかりにくい。難破船からいち早くネズミが逃げ出すように、離党組は続々と出てくる。
 民主党に残るのは、おそらく、松下政経塾で新自由主義のブルジョア政治技術を身に着けた議員と、「連合」に支えられた議員ぐらいになるだろう。それは、「都会」型自民党となんら変わらない政党への変貌でしかない。
 「政治」の背後には、きびしい利害対立がある。その一端を見せつけた数年間だった。    (岩)


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