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    かけはし2012.年7月9日号

マッカーシズムの暴風を防ぐ
ための選択、投降ではない

KBS新労組がストを解除し現場復帰

  イ・ミョンバク政権肝いりの落下傘社長退陣と公正報道を掲げて百日余りのストライキを続けてきたKBS新労組は、会社側と「大選(大統領選挙)公正放送委員会」の設置などで合意し、現場復帰することとなり6月6日、記者会見を行った。ただ、落下傘社長は依然として現職のままであり、ストを継続しているMBC労組などの闘いへの影響についても懸念される余地がある。以下は「ハンギョレ21」第915号、6月18日付)に掲載された「クロス 2重のツイッター・KBS新労組スト復帰の論難」での、事態の評価に関する異なった視点からの2つの指摘だ。(「かけはし」編集部)

MBCストに悪影響与えない


 今日まで放送労働者のストを鋭敏に追い続け、現状況を関心をもって見守りながら今後の方向について真剣に考えるのであれば、KBS新労組の現場復帰を支持せざるをえない。MBCチョン・ヨンハ本部長はもちろんとして、イ・ガンテク全国言論労組委員長、そして市民社会がなぜ「勝利」だと宣言しているのか、その理由がすぐにも理解できるだろう。
 断じて、懐疑し冷笑するような組織的投降行為ではない。内部から体系的に網を打つための、戦略的再配置というのが正しい。批判と監視の網の目を作りあげ、探査と公正報道のベースを設置することによって公営放送復旧の究極的目標をかちとる戦略的布石であり、そのような積極的介入に力を与えるというのが、ふさわしい。
 もちろん合意事項を実行に移し、そうして実質的な変化をもたらすという、あなどれない課題が残っている。与党セヌリ党や〈朝鮮日報〉、右翼の攻勢が尋常ではない。統合進歩党の事態を機会に、保守政権創出のための公安政局づくりのドライブがかかったようだ。問題はKBSがこの守旧ヘゲモニー構成の核心的ポイント、社会的恐慌製造の主要なチャンネルとして作動中だという事実だ。〈KBSニュース9〉〈KBSニュース・ライン〉を見れば、すぐにもあらわになる。今回の合意には何よりも、このような反ジャーナリズムのラインを断ち切り、非民主的悪意を遮断する努力の約束が含まれている。
 制作拒否の直接的原因となったイ・ファソプ報道本部長の去就について会社側がいかなる明確な措置を取るのかによって、KBSニュースが大きく変わり得る。大選を前にして極めて重要な地点だ。今回の合意の勝敗は、制度的次元における探査番組の速やかな復元、人的レベルでは報道本部長の速やかな交替にかかっていると言っても過言ではない。今年11月に任期が切れるキム・インギュ社長に対する辞退の要求は依然として有効だ。明白な条件付き合意だ。KBS旧労組も選択を強要される。これまでの退行性を清算し、KBS復旧の大義に加担しなければならない。結局、合意は内部交戦の開始を意味するのみだ。土壇場でのストの努力は、今やMBC問題の解決に収れんされる。KBSが闘争をたたんだのだからMBCの闘いのエネルギーが減じるだろうという心配は、とんでもない杞憂だ。現場の雰囲気を知らずに言っている声だ。ストの熱気が一層、高まった状況にあって、ずっしりと重い負担が政治圏、特にセヌリ党にかかっていく。世論の大衆はKBSでのような常識的な事態解決を命令する。複雑でさまざまなラインが作動しているKBSに比べて、実際にMBCの問題は極めて簡単だ。落下傘さえ撤去すればよい。労使の合意ではない社会的合意、世論の物理力を通してだ。そうすれば、一切が簡単に解決できる。KBS新労組のストの終結は、平和的な事態解決の可能性と希望とを提示し、政治的合意のすべての主体にさらに素早い決断と果敢な選択を要求する。「投降」は今、キム・ジェチョルMBC社長にピッタリの言葉だ。(チョン・ギュチャン/韓国芸術総合学校・教授)

 

「公正放送の闘い」はこれから


 彼らの選択をなじる権限は、もちろん誰にもない。世の中のあらゆることが「あの方の思うがままに」と「そうしようとするのだから」と言えば説明が可能になった、このままならない世の中にあって彼らは3カ月余りにも月給受領額「0円」を宿命として喜んで耐えてきた。世俗的という言葉も野暮ったい物質万能の世の中で、これ以上に正直な心はない。今なお「正義の言論、公正な言論人」を夢見ている方々が組織と隊伍を体現できることを確認したのは、実に胸にじんときさえした。
 けれども彼らの崇高な闘争に対する礼儀上の賛辞は、ここまでだ。街頭に出てきたということだけで「畏敬」の念をもって受けとめられ、「支持」を受けることができた時期は、彼らが「合意」をするとともに過ぎ去っていった。本物は、これからだ。例えば、結婚の実体は甘ったるい儀礼上の祝辞を聞いている時の表情によって立証されるわけではない。飯を食い、歯をみがき、ゴミを捨て、眠るという極めて日常的で、実に非葛藤的に見える諸要素が、ありとあらゆる葛藤へと点々とつづられる瞬間、結婚は苦く心苦しい本領を発揮する。言論も同じことだ。名分を掲げて「しっかりやる」という誓いをする時ではなく、見なれた空間で、問題点を距離をおいて見る瞬間の勇気がさらに必要だ。
 いずれにせよ、彼らは掲げていた要求の最大値、いや最も決定的なことを貫徹できなかった。キム・インギュは依然としてKBSの社長として残っている。起きている一切のことが、落下傘社長がやってきて以降に始まったという世間の話に真実があるのならば、これまでに変わったものは実際にはこれといってない。ストからの復帰の核心的成果として挙げられている「大選公正放送委員会」も、偏向の茫々たる大海に旧式のモーターボート1隻を船出させる試みということになるかも知れない。
 何よりももどかしいのは、メディア批判誌で4年余り記者生活をしている間、いわゆる「公正放送闘争」の実体にちゃんと出会ったことがない、という点だ。何度となくその名分の立派さを聞いてきたけれども、いざ現実にあってそれは何なのかを確認するということは、そのつど望みがたいものだった。
 従って、ある人々はもともと放送のシステム上「公正放送」というのは不可能だ、と冷笑したりもする。1人の記者が「心の中に深く刻み込んでおいた思い」をもって記事を書けば80%以上の公正さが達成される活字メディアとは違って、放送の属性は「人力」と「物量」をどこにどう投入するのかという出発からして上のラインが決定するほかはない産業構造を帯びているからだ。
 かつてとは比べようがないけれども、言論人は依然としてもてなしを受ける職業だ。どうか、街頭で意気盛んだった言論人たちが、(街頭で受けた)自らへのもてなしにふさわしい対価を、今回はぜひとも実現しぬくことを信じてみたい。放送社に帰り行く彼らが、以前にそうであったように、すべての会社にいるありふれた、そして世情にうとい人になってしまうならば、それは本当に悪夢のようなことになるだろう。百日のストの末に出合った放送がバランスがちょっとばかり改善され、バランスを担保とするけん制が少しばかり垣間見えるというレベルでは実にどうしようもないだろう。(キム・ワン〈メデアス〉記者)

ジョンチョル、ハニョル殺害から25回目の6月

まるで独裁政権時代へと
逆進するかのような雰囲気

ひとりは拷問で
ひとりは催涙弾で
 パク・ジョンチョルとイ・ハニョルが殺害された1987年、私は大学の3年生だった。多くの市民がそうであったように、小心で臆病者の私も、街頭にいた。6月抗争25周年だ。4半世紀の歳月が流れた。6月抗争は、私にとって教科書の中の歴史ではない。切り離すことのできない人生の一部だ。その年6月の熱かった街頭は私にとって追憶であり、また常に新たに反芻しなければならない記憶だ。けれども、私にとって韓国(朝鮮)戦争が体験できなかった歴史であるように、最近の若者たちにとっては6月抗争がまた、そうなのであろう。
 韓国現代史には民主主義の決定的山場がいくつかある。6月抗争がそうだった。ソ・ジュンソク教授は8・15解放と4・19革命に続く韓国現代史の「3番目の解放」だと呼んだ。振り返ってみれば、その年の6月10日から「6・29宣言」が出てきた6月29日まで全国の街頭が市民らの人波であふれるだろうと予見した人はいなかったようだ。
 チョン・ドゥファンの「4・13護憲措置」の発表にも、大学街はひっそりとしていたし、市民らは日常から脱け出ようとはしなかった。その重い沈黙を揺さぶったのが、ほかならぬパク・ジョンチョルとイ・ハニョルの死だった。その時、パク・ジョンチョルは23歳、イ・ハニョルは21歳だった。
 ソウル大・言語学科の学生だったパク・ジョンチョルは1987年1月14日、治安本部南営洞対共分室で電気拷問や水拷問によって殺害された。警察が追っていた先輩の所在を吐かなかった、というのが殺害の理由だった。
 延世大・経営学科の学生だったイ・ハニョルは1987年6月9日、チョン・ドゥファンの民主正義党がノ・テウを「体育館大統領選挙」の候補として発表する前日、野党と民主化勢力が「拷問殺人隠蔽糾弾および護憲撤廃国民大会」を開く前日、大学構内でデモをしていて警察が襲った直撃催涙弾に当たってその年7月5日に息を引き取った。
 その時、市民らはなぜ街頭にあふれ出てきたのだろうか。「護憲撤廃・独裁打倒、(大統領)直選制争取!」よりも「ジョンチョルを生きて返せ」「ハニョルを生きて返せ」という叫びがより多くのことを説明してくれる、と私は考える。罪なき人の命を奪いながらも「テーブルをドンと叩いたら、ウッと言って死んだ」と言った独裁政権の前で、もはやこれ以上の沈黙は不可能だったのかも知れない。恥ずかしさと怒りと…。独裁も民主主義も結局は人間のやることだ。「パク・ジョンチョル、イ・ハニョルたち」の死の上で今日、我々が生きている。


今われわれどこに
向かっているのか
 12月の大選を前にした今日、6月抗争の結果である「87年体制」が時効を迎えた、として「2013年体制」を作らなければならない、という声がかまびすしい。選出された権力である国会の政治に不信をつきつけて法に委託しようとしていた87年の選択は、選出されない司法権力の「独裁」を心配しなければならない現実を生んだ。6月抗争直後、堰を切ったように労働組合を結成していった労働者たちは現在、労働する人々の半分以上を占めている非正規、不安定労働の問題を解決する道を見いだせないまま、さまよっている。
財閥は統制不能の怪物となり、双龍自動車などでの労働者の死が相次いでいる。「4大河川殺し」に見られるように土建族の食い意地は餓鬼も顔負けだ。2度の首脳会談と6・15共同宣言、10・4首脳宣言など南北和解協力の努力も、保守勢力の必死な逆攻によってぐるぐる巻きにされ窒息寸前だ。新たな道を開くのも大変なのに、最近の韓国社会は、むしろ6月抗争以前のパク・チョンヒ、チョン・ドゥファン独裁政権時代へと逆進するかのような雰囲気だ。公正報道を叫んだ言論人が仕事の場から追い出され、れっきとした国会議員を相手に「国家観」を検証するとして公然と転向を強要するマッカーシズム(赤狩り)の歪んだ暴風が、執権与党や保守メディアから露骨でストレートに噴出されている。
 今、我々はどこに向かっているのだろうか。「犬と狼の時間」のように、さまざまなことがぼんやりとしている。「危機はまさに、古いものは死んで行く反面、新しいものは生まれることができない、という事実にある」と言ったアントニオ・グラムシの言葉が耳元を叩きつけている日々だ。(「ハンギョレ21」第915号、12年6月18日付、イ・ジェフン編集長)

 


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