復興交付金配分の波紋
――「宮城全労協ニュース」より
|
東北大震災被災地復興の、とりわけ政府対応の現状については、東電福島第一原発事故への対応を除けば(これとて多くはないが)、全国報道は極端に少ない。しかし復興の遅れは現実の問題であり、そこには、実効性を欠いた政府対応の問題も大きく影を落としている。以下に、復興庁の機能不全状態を被災地から批判している宮城全労協の論評を抜粋して紹介する。(「かけはし」編集部)
復興庁は二月一〇日、修正協議の末にようやくスタートした。震災から一一カ月、あまりにも遅く、また権限と機能に疑問符がついたままの出発だった。
いま、野田政権をはじめ政治の最大の関心事は「大震災からの復旧・復興」にはない。当然、「被災地に寄り添う」役割を復興庁が果たすことはますます困難になっている。その存在感は薄れ、被災自治体との対立が解消できないまま時間が過ぎている。まして、平野大臣が「最大の仕事になるだろう」という「福島の復旧・復興」のために、復興庁が前面に出て闘いぬくとは、当事者たちも思えないだろう。
「司令塔」「ワンストップ」機能が期待されたが、被災自治体との関係悪化をひきずったままだ。復興交付金の申請と配分がそれを示した。
「査定庁」から「絶好
庁」へ(村井知事)
復興庁は五月二五日、第二回交付金配分額を各自治体に通知した。宮城県は全体で、申請に対して一・八倍の交付となり、三月の第一回配分から一転して大幅増額となった。岩手、福島両県も申請額を大きく上回った。復興庁は事業の前倒し分も含めたなどと増額の理由を説明した。全国紙など多くのマスコミは被災地との関係改善をねらった復興庁の「大盤振る舞い」と報じた。
宮城県・村井知事は第一回配分に際して「復興庁は査定庁だ」と怒りをあらわにし、批判の急先鋒となった。その村井知事が「一二〇点の満額回答」だと称賛した。
五月二八日、記者会見で見せた知事の高揚感は異様なものだった。
知事は「真骨庁」と書かれたボードを掲げながら「『査定庁』改め『真骨庁(真骨頂)』でどうか」「現在は真骨庁(真骨頂)だが、『絶好庁(絶好調)』を目指して、復興庁には頑張っていただきたい」と持ち上げた。「真骨庁(真骨頂)」などのネーミングは「県庁内の全知全能を集めて考えた結果」であり「(その心は)被災地に寄り添う復興庁の本領を発揮していただいた」からだと説明した。
復興交付金の申請と配分をめぐって、平野大臣は「コスト意識」という言葉を使い、申請を自動的に受け入れることはないと表明して対象自治体とのあつれきが表面化していた。二月一八、一九の両日、復興庁発足以降初めて、復興大臣と被災市町村長との被災地での意見交換会が宮城と岩手で開かれた。大臣としては地元岩手での記者団とのやりとりを意識したのかもしれないが、復興交付金の配分決定は「厳しめにやると事務方に指示している」「不要不急のものは採択を延期することもある」と述べた。その後、第一回配分決定で岩手がほぼ申請額を確保し、宮城・福島両県と大きな差がついたことも事態を複雑にさせた。
配分結果に対する抗議が広がる中、平野大臣は「コミュニケーション不足」を認めたうえで、対象四〇事業の交付金の位置づけについて復興庁の見解を繰り返し説明し、理解を求めた。復興交付金は通常の災害復旧事業では対応できない事業を対象にしたものである。「ただ、そうはいっても、特に津波で非常に大きな被害を受けている市町村は経済的にも(困難であり)、それから非常に疲弊していますし、社会資本整備を進めていくにしても大変だと思う。だから、そこはそこを踏まえた上での(復興交付金の)活用方法は考えていきますということは(市町村との意見交換で)申し上げました」。つまり大臣は、復興交付金の対象事業に解釈の幅がありうることを示唆した(三月二五日、記者会見)。
第二回交付金について大臣は、「事前の計画提出、承認を要さずに使える資金」として事業費の一部を「一括配分」した、いわゆる「使い勝手」を「抜本的に改善する措置」だと復興庁の努力を強調した。「復興庁としては、被災地の要望をくみ取り、そのニーズに最大限に対応し、市町村等における復興の取組みを加速させるため、事業費の前倒し配分、効果促進事業等の一括配分といった支援策を講じた」(五月二五日、平野大臣記者会見)。 役割を果たせ
ない復興庁
復興庁は「格上の庁」として出発した。「一括」「一元化」「ワンストップ」が期待された。しかし、他省庁への勧告には強制力はない。復興交付金の認定には、実質的な権限をもつ省庁の承認が前提となる。実際の業務は、各省庁と県と基礎自治体に、もう一つの組織を外から付け足したことになるのではないか。結局、被災地にとっては二重三重の手間が追加されることになるのではないか。復興庁職員の過半が東京本庁にいて、三県復興局が三〇人ずつという陣容にも当初から疑問符がついた。そのような懸念が現実になっていることを、交付金問題は示した。
復興庁はその役割を次のように宣言している(二月一四日、第一回復興推進会議)。
?被災自治体の要望に、ワンストップで迅速に対応。
?役所の縦割りと先例主義を乗り越える。
?現場主義を徹底し、被災地のみなさんの心を心として粉骨砕身、その使命を果たす。
「権限と政治のリーダーシップにより、役所の壁を乗り越え、縦割りの弊害をなくす」という。そこには民主党の「政治主導」へのこだわりを見ることができるが、民主党が中央官僚支配体制を打破する力量に欠けることの裏返しであるように感じられる。そして大方の見方は、政治主導は空文句に終わるだろうというものだった。
毎日新聞仙台支局の記者たちは、実名座談会で次のように述べている(全国紙の中では震災に関する多様な取材記事を地元版に掲載してきた)。
「駄目だ。権限が復興局に下りていなくて、東京の復興庁、またはそれぞれ農水省や国交省、財務省が権限を持ったままだ。ワンストップになっていない。復興交付金事業も旧来の役所が持っていたものを、窓口は復興局に設けただけというのが現状だ。必ずしも復興庁がイニシアチブを持っている体制ではない」。
「県庁の組織の中に復興局を作れば、いろいろ対応が早かったと思う。県と国の連携がうまくいってないし、無駄が多い。今、復興局の人たちは『現場を見る段階』と話していたが、そんなことを言っている場合だろうか。もっと県と一緒に取り組めば、早い対応が可能だろう」。……
「施策も含めて新しい知恵が出ていない。既存の事業を規制緩和や修正することに終始しているのではないだろうか。とても政治主導でやっているとは言えない。突破すべき政治力もないから、だからアイデアも出てこない。それは県庁にも言える話だ」(三月三〇日、大震災一年・記者座談会)。
二月一〇日、宮城復興局の発足式で郡政務官は次のように訓示したという。
「出身の役所をおもんばかったり、復興庁本庁におもねったりすることなく、闘う職員であってほしい」(日経新聞二月一一日)。
農林水産省出身の二〇歳代の職員の声も紹介されていた。「霞が関でできることに限界を感じ、現地での仕事を志願した」。
一カ月後には次のような記事が載っていた。「復興庁では交付金の二次配分に向け大型連休を返上して働いた職員も多い。しかし被災地の首長からは政府への不満ばかりが聞こえる。法案作成や国会対応に明け暮れ、過労で倒れたり出向先に戻ったりした職員も十数人はいる」(日経新聞三月一〇日「復興庁、権限・予算に壁」)。
国土交通省を先頭にして地方に強力な組織網が張り巡らされているなかで、復興庁を設立したことにあえて意味があるとすれば、国家公務員として一〇年間を被災地で闘う舞台があるということではないか。復興局労働者たちの健闘が期待されないとすれば、復興庁に何が残るのだろうか。 後退する野田
政権の震災対応
復興庁は一〇年間の時限立法であり、三年目の見直し規定がある。三年後に現在の政権枠組みが続いているとは考えられない。「被災地から遊離した」現状のままでは、さらなる形骸化を余儀なくされる可能性もあるだろう。
とくに復興庁・復興局へのテコ入れを装って経済団体の関与が強まり、また政府不信を利用した「道州制」への動きが目立っていることに注意が必要だ。
復興庁には四月から「企業連携推進室」が設置された。特区制度の推進など、被災地と参入企業をつなぐセンターの役割をめざす。経済三団体を通して二〇人ほどの出向職員が企業から配置されている。「被災地に寄り添う」復興庁の基本視点を企業目線に変えようとするものだ。
村井知事は持論である道州制に関して、被災地が前面に出ることは避けたいと慎重姿勢だったが、今年に入って主張を強めている。六月八日には松下政経塾も主催者である東京でのシンポジウムに出席して講演し、新しい国づくりには道州制が必要だと訴えている。
野田首相は一月二四日、施政方針で次のように演説した。
「三次補正予算と関連法によって復興庁、復興交付金、復興特区制度など復興を力強く進めていく道具立てが揃いました。『復興』という名を戴いた新しい役所は被災者に寄り添い続け、必ずや被災地の復興を成し遂げるという与野党が共に刻んだ誓いの証しです。復興庁を二月上旬に立ち上げ、ワンストップで現地の要望をきめ細かにくみ取り、全体の司令塔となって復興事業をこれまで以上に加速化していきます」。「ふるさとが復興する具体的な未来図を描くのは、他ならぬ住民の皆様自身です。地域のことは地域で決める、という地域主権の理念が今ほど試されている時はありません。多様な主体が参加した住民自治に基づく、開かれた復興を全力で応援します」。
実際はどうか。一二月九日に復興庁設置法が成立してから半年間、復興推進会議は二回しか開催されていない。一年前の「復興構想会議」の流れを組む復興委員会も同じだ。
二月一四日、最初の復興推進会議が開催された。野田首相を議長とし、平野大臣が副議長、全国務大臣と復興大臣政務官が出席する政権の「復興推進」に関する最高会議である。そこで確認されたのは「住宅再建及び高台移転」「がれきの広域処理」「雇用の確保」「被害者の孤立防止と心のケア」「原発事故避難者の帰還支援」の五つの課題と、復興庁の役割の確認および福島復興再生特別措置法案についての取り扱いであった。五つの課題は、菅政権から続いてきた「復興対策本部」の最後の会合(一月二三日)を引き継いだものだ。
政府の方針も国会の議論も、手詰まり状況におちいっている。復興庁には打開する権限も力もない。そして、野田政権は原発再稼働方針を決定し、また消費税増税の実現を最大課題に設定して政局運営にあたっている。そのような状況の下で、復興庁と復興局が「五つの課題」を推進できるだろうか。震災対応を事実上、復興庁に「丸投げ」している野田政権の対応は厳しく批判されねばならない。
■以上/宮城全労協ニュース二二六号(二〇一二年六月一八日)より。
コラム 節電ではなく抵抗を 東京電力は四月からの事業所向け電気料金の平均一六・七%値上げに引き続いて、九月からは一般家庭向け電気料金を八%以上も値上げしようとしている。
一軒家を持ち、資金に余裕があれば、ソーラーパネルを取りつけるなどして、この不当な値上げに対抗するということも可能なのだろうが、私のような集合アパート住まいの貧乏人にやれることはただひとつ。あの憎き東電への「支払いは一円でも少なく」という、固い意識で武装された闘いである。単なる節電ではなくて、抵抗闘争として位置づけることが重要なのだ。
そもそもひとり暮らしで、さほど電気を浪費的に使ってきたとは思ってはいなかったが、東電が値上げをほのめかし始めた二月ごろから本格的な抵抗闘争に入ることになった。
統計によると一般家庭における電力の消費は、エアコン、冷蔵庫、テレビ、照明で全体の六〇%を占めるという。その他の電気機器と言えば、パソコン、洗濯機、掃除機、電子レンジ、トースター、炊飯器、換気扇、扇風機、電話、音響機器などだ。これらのなかで対策可能なのはやはりエアコン、テレビ、照明ということになるだろう。
エアコンは夏場の暑い盛りに、熱中症にかからない程度に使用すれば十分。扇風機で耐えて、その時期以外はコンセントを抜いてしまう。台所の小窓には手作りの網戸も取りつけて、風通しもいくらかよくなった。また冬場の暖房は、ガスファンヒーターのみ使用する。
テレビは見たいもの以外は見ない。つけっ放し、ダラダラ見はやらない。照明の白熱電球はすべてLEDに交換した。それも原発を作っている東芝、日立製のものは買わない。こまめに消して、必要最小限の使用とする。炊飯器はもちろん保温などしない。
こうして七月現在のわが家の夜は、テレビの音もなく、扇風機がスーッと風を切る音がして、電気スタンドからは八ワットのLEDの明かりが漏れているという光景になった。
こんなささやかな対東電抵抗闘争なのだが、その成果は数字(電気料金)となって現れている。
伝票は一年分しか残してこなかったので、前年同月比ということにはならないが、暖房が必要な時期を見てみよう。三〇Aの契約で、一二月三四一六円、一月二八六九円、二月二〇七〇円、三月二〇九四円ということになった。こうして二月からの成果が如実に示されることになった。もちろんその分ガス料金は多くはなっているのだが、この闘争は対東電なのだから、商売仇の東京ガスへの支払いが多くなってもいたしかたないというものだ。
この夏場の数字を残した上で、値上げ後の秋からは二〇Aに契約変更して、抵抗闘争を激化させるつもりである。街頭でも家庭でも闘おう!(星)
|