6.30〜7.1第1回ふくしまフォーラムを開催
震災と放射能汚染後の今
権利実現へ議論と団結を |
継続した議論
の場を作ろう
六月三〇日、七月一日の二日間にわたって福島県いわき市で「震災と放射能汚染後をどう生きるのか 第一回ふくしまフォーラム」が開催された。フォーラムには一七〇人が集まった。内訳は地元いわき市から五〇人、いわき以外の福島県内から五〇人、県外から七〇人。
東日本大震災と福島第一原発事故という、まさに人間としての社会的生活の基盤そのものを破壊する未曽有の複合的災害の中で、人びとの生きる権利をどのように回復し、作り出していくのか、という問題意識は、もともと新自由主義に対抗する世界社会フォーラム運動を日本で担ってきた人びとの経験から着想されたものであった。だがこの問題意識は地元の主催者によって、より具体的に「三・一一」以後一年を経た福島の矛盾と葛藤に満ちた現実の中から、未来に向かって進む具体的課題は何かを共有する場として煮詰められることになった。
いわき市文化センターで六月三〇日午前一〇時半から始まったオープニングの全体会で、主催者あいさつを行ったふくしまフォーラム代表の長谷川秀雄さん(NPO法人いわき自立生活センター)は、次のように語った。
「ふくしまフォーラムの第一の課題は、震災の教訓について被災地から発信することだ。そのためにも『復興』のあり方について、市民、町民、村民として主体的に考えることが必要だ。その際、単発型のシンポジウムをいくらやっても自己満足に陥ってしまう。ここで『第一回ふくしまフォーラム』と銘打ったのは、この討論を継続してやっていくことが重要だからだ。県内各地で開いていくようにしたい。そして継続して議論を積み重ねていくことで判断を『お上』に委ねてきた誤りを克服し、自ら考え、判断していこう。私たちは、なにか方向性を上から決めるということではなく、民衆レベルでの討論の場を提供することに徹したい」。
「最近、水俣を訪れた。水俣では五十数年たって新たな患者が出ている。私たちは広島、長崎、水俣の経験を持っている。そこでは長い歳月を経て、半世紀かけても裁判が続いている。私たちも自分たちの経験を次の世代に引き継ぐ長い闘いになるだろう」。
「いま三カ月先にどうなるかが分からないのが現実だ。したがって半年ごとに議論を積み重ね、新しい事態に対応していくことが必要だ。第二回のフォーラムは決して一年後というわけではない。半年後にも第二回のフォーラムが必要になるだろう。そのくらいの覚悟を持って論議を積み重ねなければ間に合わない」。
平等の前提は
生活再建支援
主催者あいさつに続いてゲストスピーカーから問題提起。最初に「避難者の生活について」というテーマで、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク前代表の中手聖一さんが話をした。中手さんは、この日を最後に福島を離れて札幌に居を移すという。
中手さんはいわき市内郷の生まれ。福島市で障がい者の自立センターの仕事にたずさわってきた。
「震災・原発事故による県外への避難者は現在六万数千人とされているが、他の都道府県によると福島からの避難者は二〇〜三〇万人ともされており、実数ははっきりと分からない。そもそも行政には調べようという努力が足りない」。
このように切り出した中手さんは、@「一時避難」、A「疎開」(数年の予定で戻ってくると考えている人)、B「移住」、と福島県から避難した人びとをカテゴリー分けした上で、戻ってくることを前提にしない「移住」の割合が今年になって増えていると指摘した。年度末の今年三月を区切りに、家族で相談して移住した人が一万人、その後も月に一〇〇〇人ほどの割合で、こうした移住の流れが続いている。その中で医師、看護士の流出、福祉・介護関係での人材流出が続いている、という。
中手さんは、そうした中で「地域の分断」を克服することがなによりも重要だと強調した。
「昨年三月以来、避難した人びとに『地域を見捨てるのか』という非難が浴びせられることもあった。『避難した者は職場放棄と見なし、解雇』という例もあった。しかし今こそ、自己決定・自己選択を尊重することが必要だ。避難する・避難しないがもたらす分断を公の機関が促進するようなことがあってはならない。さまざまな選択肢のうちの一つだけを押し付けるようなことがあってはならない」。
このように語った中手さんは、国会で成立した「被災者支援法」にふれて「住民には住み続ける権利、避難する権利、帰還の権利が保障されるべきだ。この三つをすべて支援してほしい。子ども、妊婦の健康管理に万全を尽くさなければならない。施設にいても他者と平等に生きていく権利を失ったわけではない。生活再建への支援があって初めて対等・平等が保障される」と強調した。
さらに中手さんは「年間二〇ミリシーベルト以上の地域には住んではならないということになっているが、同時に少なくとも年間一ミリシーベルト以上の被ばくを与えてはならないこともはっきりしているわけだから、この一〜二〇ミリシーベルトのグレイゾーンもすべて支援対象地域にすることが必要」と訴えた。
障がい者にとっ
て原発事故とは
次に「障がい者の視点から見た防災計画」について鈴木絹江さん(田村市、ケアステーションゆーとぴあ)が報告した。
鈴木さんは東日本大震災において、障がい者、高齢者など要援護者への避難計画が機能しなかった、と指摘した。
「避難の全体計画はあった。それに基づく個別計画もあった。しかし一体誰が誰をどこに避難させるのか、という個別具体的プランはなかった。ここのところがないと計画など立てられていないのと同じだ。さらに要援護者が誰かもはっきりしていない。私が要援護者だという『手上げ方式』ではリストから漏れる人がたくさん出てくる」。
「南相馬市では人口七万人中六万人が避難した。しかし残りの一万人のうちには自力で避難できず、残らざるを得なかった人びともいる。残らざるを得なかった人びとの中で援護制度の利用者は三割しかいなかった。要援護者の実態が分からなかったことが明るみに出た。原発事故は避難計画の中に想定されていなかった」と、その問題点を訴えた。
東電・国への賠
償請求のために
「東京電力への賠償請求について」は日弁連(日本弁護士連合会)前事務総長の海渡雄一弁護士が報告した。海渡さんは「被害者への公正な賠償」と「被害者への援護立法」について語った。海渡さんは、福島原発事故以後の膨大な量の日弁連としての提言・意見書などの起草にたずさわってきた。
「原子力損害の賠償については、法律上原子力損害賠償紛争審査会が一般的指針を策定するのであるから、福島原子力事故の加害者である東京電力ではなく、国が責任を持って定めるべきだ。基準の内容についても『東京電力財物賠償指針』には看過しがたい問題がある。まず帰還困難区域の不動産のみを全壊扱いとしているが、帰還困難区域、居住制限区域、および避難指示解除準備区域の建物内に残置された動産類および居住制限区域や避難指示解除準備区域の不動産についても、被害の実情に応じて、被害者が望む場合には、原則として全損として扱うべきだ」。
「建物等の財物評価は事故発生前の価値を基準としているが、被害者は転居あるいは新規移転先で新たな建物等を取得しなければならないのだから、原則として経年減価を考慮しない再取得価格を基本とした賠償がなされるべきであり、同等の配慮は、中古市場が存在しないか、あっても中古品の調達が困難な事業用の設備機器についてもなされるべきだ」。
海渡さんは、この日の「福島民報」一面トップで報道された「避難区域の不動産賠償」方針が、新築の場合に比べて例えば「築三二年」の場合には市場価格に応じて半額以下の賠償額になっていることを批判し、あくまで新規購入の必要に応じた費用を賠償として支払うべきだ、と述べた。
さらに海渡さんは、六月二一日に成立した被災者支援法(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)を高く評価しつつ、「事故の恐怖や避難生活を余儀なくされたこと、さらに家族が別々に生活せざるをえなくなったことなどにより慣れない生活を強制されたことによるストレスなどに起因する精神的疾患や生活習慣病等についても、広く支援の対象とされるべき」と語った。また「国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告である一般公衆の被ばく限度量である年間一ミリシーベルトを超える放射線量が検出される地域を『支援対象地域』とすべきだ」と強調した。
これからが本格
的なせめぎあい
福島第一原発の立地自治体である大熊町民で、現在は会津若松に避難している木幡仁さん(前大熊町議)、木幡ますみさん(大熊町の明日を考える女性の会代表)夫妻は「もどる/もどれるのか――相双地区住民のこれから」というテーマで報告。
仁さんは、強制的に避難させられた住民に出ていた月一〇万円の補償金も今年三月で打ち切りになり、自殺者も出ている現状を語った。そして大熊町にはもはや帰ることができないということをはっきりさせた上で「放射性物質の中間貯蔵施設の大熊町への建設」を選択すること、そして「町民の被害への全面的補償」「被災者援護手帳の発行」を求め、町民の間での署名活動を進めていることを紹介した。署名はすでに一七〇〇筆を集約している。
ますみさんは避難した女性たちの間での情報が不足している中で、自分たちで新聞を発行しつつ開始した「女性の会」の活動について語り、「女性たちは総合的に考える力がある。子どもたち、障がい者への放射能の影響について考えながら、絶対に原発を作ってはいけない、と活動している」と報告した。
ゲストスピーカーの発言の最後は、いわき市議の佐藤和義さん。佐藤さんは五月に、事故から二六年がたったチェルノブイリを訪れた。
佐藤さんは長期的な低線量被曝のもたらす健康への影響を生存権保障の観点からはっきりと打ち出し、広島・長崎の被爆者たちの運動が闘い取ってきた成果を継承し、福島原発災害被災者援護法をかちとっていこうと訴えた。
佐藤さんは、チェルノブイリ周辺の元住民に対してはすべて国家保障としての社会保障によって支援がなされていること、汚染地域の指定についても@居住禁止区域A年間五ミリシーベルト以上の強制避難区域B一ミリシーベルト以上の「避難の権利」区域C一ミリシーベルト以下の「健康管理」区域、と各段階ごとの対処が行われていることを紹介した。
「ところが日本政府の対応は、年間二〇ミリシーベルト以下の地域については住民を帰還させる、というのが基本になっている。日本での被災者支援をめぐる闘いは、これから本当に始まる。一ミリシーベルト以上の地域を汚染区域として指定させることが必要だ。被災者自身が、当事者の声を届け、自ら権利を闘い取っていこう。これから本格的なせめぎ合いが始まる」と、佐藤さんは力強く語った。
一日目の全体会は、いわき市内のライブハウスで働いている、みかたけいぞうさんが自作の「俺はいわきに帰るよ」の熱唱でしめくくられた。
の分科会で活
発な討論と交流
六月三〇日の午後から、@「障がい者にとっての東日本大震災」A「もどる/もどれるのか―相双地区住民のこれから」B「食の安全・免疫力を高めるメニュー」C「廃炉と除染作業に従事する労働者の被ばく」D「東京電力への賠償請求について」E「いかに被ばくをしないか 内部被ばく、子どもへの影響」F「避難者の生活について 避難先での県人会結成の動きや支え合いの取り組み」の七つの分科会が行われた。
また七月一日には@「避難者支援〜津波と原発事故の避難者支援の現状」A「新エネルギー」B「健康を守る、しかし医療・介護の人材流出をどうする」C「放射能汚染と農業」D「放射線についての教育をどうする」E「女性たちの交流」の六つの分科会が開催された。
最後の全体会では、各分科会の要点が紹介されるとともに、第一回「ふくしまフォーラム」で提起された課題を整理し、急速に変化する状況に対応する新たな課題に挑んでいくために、できるだけ早く第二回、第三回と論議を継続していくことを確認した。
昼食後、県外から来た参加者たちはマイクロバスや乗用車に分乗して、津波で大きな被害を受けた久ノ浜地区の現状を見て住民から話を聞き、また福島第一原発事故「収束」作業の拠点となっているJヴィレッジ近くを訪れ、被ばく労働の現状についての説明を受けた。
第一回ふくしまフォーラムは、被災地自身の取り組みとして、被災者・住民相互の討論を深め、運動を作り出していく上で重要な出発点を画した。それは脱原発・反原発運動全体にとっても、大きな課題と可能性を提起している。 (K)
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