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    かけはし2012.年6月18日号

自民党との「大連立」見据えた
野田第2次改造内閣の成立


消費税増税と「日米同盟深化」に布陣

マニフェスト
は完全に破棄


 六月四日、野田政権は、参院で問責決議を受け、自民党などの野党から辞任を突きつけられていた田中直紀防衛相と前田武志国交相に代わって森本敏拓殖大学大学院教授を新防衛相に、羽田雄一郎・民主党参院国対委員長を国交相に就任させるなどの内閣改造を行った。あわせて野党から批判の対象に上がっていた鹿野道彦農水相や小川敏夫法相も解任された。
 いうまでもなくこの内閣改造は、野田首相が「政治生命をかける」と豪語している「税と社会保障の一体改革」法案を成立させるために、自民党との協力が不可欠となっているためである。野田政権は、消費税率引き上げに反対している党内小沢グループの動向を見据え、自民・公明党との政策協議を通じて、事実上の「民主・自民」大連立に活路を見出さざるをえない。自民党などが主張している早期の「解散・総選挙」を経て、「大連立」の前提条件を作り出すこと――野田政権を支える民主党主流ブロックの思惑と、自民党・谷垣執行部の思惑は、「同床異夢」だとは言え、この方向に収れんしようとしている。
 それはまた対GDP比二〇〇%に達する公的財政赤字を、消費税増税と社会保障の切り捨てで突破し、新自由主義的な「成長戦略」の土台を築こうとする支配階級の利害に沿った道でもある。
 今や二〇〇九年の政権交代を実現した民主党「マニフェスト」のほぼすべてが投げ捨てられた。二〇一〇年参院選挙での民主党の大敗による「衆参ねじれ」、東日本大震災と相次ぐ首相の交代による、民主党支持率の大幅な後退――こうした状況の中で民主党と自民党の「二極」体制は、政策的には完全に「一極」化しており、欧州危機に示されるグローバル資本主義の危機のいっそうの深まりを通じて、既成政党への不信は拡大する一方である。今回の内閣改造と、民主党と自民・公明との「法案修正協議」は、政治システムの機能マヒをあからさまに体現するものと言わなければならない。

軍事タカ派の
森本が防衛相


 今回の内閣改造自体について言及すれば、なによりも森本敏の防衛相就任について注目すべきだろう。防衛大―航空自衛隊出身の森本は、右派の安保・軍事問題のエキスパートとして、集団的自衛権行使の推進、有事法制の整備、「日米同盟深化」の旗ふり役であり、その立場から「普天間代替基地」の「県外移設」を掲げていた鳩山政権を批判しつづけてきた。
 彼は外交評論家の岡本行夫との対談で「民主党政権の誕生によって、(辺野古新基地建設で合意した)一四年間の努力は水泡に帰した」と自民党と同じ立場から語っていた(「沖縄タイムス」二〇一一年五月一日)。
 彼は防衛相就任直後の六月五日の記者会見で、「米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが四月に起こした事故の原因が解明されなくても、普天間飛行場に予定通り配備される可能性がある」と語り、沖縄の人びとからの怒りをかっている。
 六月六日、那覇市の翁長雄志市長は「県民の心、歴史を理解しない理屈は通用しない」と批判し、七日には民主党沖縄県連が「発言は県民蔑視以外のなにものでもない」として防衛相辞任を求める緊急声明を発表した。
 森本の防衛相就任に対して、「政治家でないものに文民統制はできない」との批判が上がっている。しかし問題は、現在の野田民主党政権の軍事政策が、四月の「2+2」共同発表や日米共同声明に示されるように、米国の新軍事戦略と完全に実戦的に一体化し、「動的防衛協力」の名の下に、沖縄への日米の軍事的プレゼンスを強化するものとなっていることである。森本の防衛相就任は、野田政権が沖縄への差別と軍事植民地支配の継続の延長上に成り立っていることの証である。
 それはまた、衆参両院でスピードアップしている「憲法審査会」での改憲論議を背景に、九条改憲へのプロセスがさらに歩を進めていることの象徴でもある。

踏みにじられる
原発事故被害者


 野田第二次改造内閣の発足は、増税法案の「政策協議」と衆院解散、そして新たな政界再編・「大連立」という「政局」がらみの事態の急展開につながっている。その中で「大飯原発再稼働」が決定されようとしている。福島をはじめとした東日本大震災の被災者の訴えは、この「政局」の中で退けられようとしている。「大連立」、新たな政界再編は、「原発延命・推進」大連合でもある。
 こうした労働者・民衆を無視した「政局」への批判は、「橋下・維新の会」をはじめとした強権主義的リーダーシップを求める流れに集約される危険を内包している。
 再稼働阻止・脱原発の大衆的運動、そして沖縄の反基地運動をベースに、「草の根」からの民衆的運動のパワーを発揮して、この流れに立ち向かおう。 (純)
 

6.3陸自練馬駐屯地に抗議デモ

基地も原発もいらない
今こそ反戦の声をあげよう

 【東京北部】六月三日、 基地も原発もいらない!今こそ反戦の声を 6・3練馬駐屯地抗議デモが、同実行委員会の主催で行われ、練馬や板橋など東京北部地域の労働者市民を中心に二五人が参加した。
 午後一時より東武東上線・東武練馬駅近くの徳丸第二公園で行われた集会ではまず実行委員会の仲間が発言にたち、五月一八日に湯浅一郎さんを迎えて「今、反戦・反核運動の課題を考える」という講演集会を行ったことを報告。また、四月八日には駐屯地祭抗議行動を行ったが、昨年の三・一一の大震災を受けて、地域住民の対応も激しくなってきている、マイクを持っていると「お前は朝鮮人か?中国人か?」などと言いがかりをつけてきて、制服警官に「こいつを逮捕しろ!」と、排除を先導するという事態になってきていることなどを報告した。
 そして、現在の軍事情勢について、在日米軍基地の見直し、日米安保・防衛協力の強化を進め、国連PKOの枠組みを超えて自衛隊・米軍の共同作戦行動によってアジア太平洋地域への出撃を目論んでいる。と喝破した。
 そして、普天間基地の撤去、危険なオスプレイの配備反対などの闘いを沖縄の民衆とともに闘っていこうと訴えた。

市街地でのレン
ジャー訓練反対
 続いて板橋・歩こう会の仲間が発言し、六月十二日に自衛隊が行おうとしている市街地でのレンジャー訓練の問題を提起した。荒川戸田緑地にヘリコプターで降り立った三〇人の隊員たちが徒歩で板橋区、練馬区を通り、練馬駐屯地まで七キロに渡る、歩行訓練を行うというもので、三月から、九週間の殺傷、破壊のサバイバル訓練を行い、その締めくくりの四泊五日の訓練の最後に行う訓練で、今までは、基地内で行っていたものを、今回、大震災以降の自衛隊の浸透という事態の中で、市街地で行うという。
 数日間ほとんど食事、睡眠を取らず、ギリギリの状況の隊員たちが、小銃、銃剣を携行し市街地を行軍するというこの訓練が、通過する町内会などにも連絡が行われていないことが明らかになっている。
 こんなことを許しておいてはいけないと訴えた。
 さらに、三多摩合同労組、学校と地域を結ぶ板橋の会、五月三〇日の東京スカイツリーでの対テロ訓練監視行動に参加した仲間、戦争協力をしない!させない!練馬アクション、北部労働者共同闘争会議の仲間が発言し、デモに出発した。
 練馬駐屯地正門前では南スーダン派兵反対などを骨子とした申し入れ書を読み上げて手渡し、基地に向けたシュプレヒコールを行った。
 解散地では反天連、2・9竪川弾圧救援会の発言を受け、実行委員会の仲間のアフガン復興東京会議や、この間の「改憲」状況の中で、地域で持続的に闘っていこうというまとめの発言を受けて、この日の行動を終えた。                    (板)

声明

6・4天安門事件23年

中国民主化には未来がある

先駆社(香港)

 一九八九年「北京の春」に対して行われた弾圧「六・四天安門事件」から二三年を迎えた。いまだ厳しい状況にある中国だが、経済構造の変化が闘争主体を鍛えつつある。以下は香港・先駆社の声明。

 今日、香港ではますます多くの人が、中国民主化の前途に悲観的になるか、関心を持つことをやめてしまっているかもしれない。六四天安門事件二三周年の今日、われわれは、当面の道は険しいものであるが、中国の民主化の前途に悲観的になる必要はないと訴える。
 一九八九年に登場した無数の無名の英雄たちによって、普通の学生と労働者がもっとも善良であり、民主主義の追求に尽力したという一面を示した。およそあの年代を意識的に過ごした人は、もし当時のことを忘れていないのであれば、専制支配者の残酷さだけでなく、その残酷さを用いて善良な中国人民に対処したことを忘れることはないだろう。
 八九年民主化運動は突如降って湧いたものではない。それは、一九五七年反右派闘争、一九六六年から始まった文化大革命、一九七六年の(第一次)天安門事件、一九七九年と一九八六年の二つの学生運動という五つの重要な時代からつながる中国の労働者人民の度重なる民主的抵抗の頂点であった。

 六月四日の弾圧は中国人民の民主化の夢を打ち砕いた。その後の二〇年、中国共産党による労働者農民への恐るべき抑圧と搾取が、世界で最も良好な投資環境のひとつを作り上げ、中国経済の急速な発展の基礎を築いた。
 しかるに、中国共産党による二〇年にわたる急速な工業化は、さらに強力な民主的勢力を準備し、一党独裁を終わらせる歴史的基盤を作り上げることにもなった。今日における中国の都市人口は人口の半数を占め、小農が多数を占める国家ではなくなった。高等教育を受ける学生の数も爆発的に拡大している。労働者階級の総数は三億人にまで増え、農村労働人口はわずか四億あまりにまで減少した。大学生から労働者にいたるまで初歩的な民主化闘争を経験している。二〇一〇年のホンダ労働者の闘争では、企業内労組役員の改選を大胆に要求し、資本と地元政府が労働者代表との交渉のテーブルに着くようストライキを通じて迫った。この闘争によって、農村出身の若年労働者らは、素朴な民主的要求とともに民主的組織化の能力をも有することを示した。

 一方、農民たちも従来とは違った動きを見せ始めている。昨年の烏坎村農民による土地の無償収用に抗する闘争では、自主的選挙で選ばれた臨時理事会が闘争を率い、政府に解決を迫った後、民主的選挙によって村民委員会を選出し、民主的意識の存在を示した。

 現在、大衆闘争の高揚期段階にはいまだ遠い状況である。だが民衆心理は変化し始め、恐怖心は減退している。烏坎村の事件後、広東省共産党委員会の朱明国副書記は幹部に対して「大衆の怒りによって力とは何かを知る」と訓示している。これこそが近年発生している大衆的闘争に対して、なぜ一部の地方政府が比較的容認するような態度をとるのかを物語っている。
 将来の政治危機が、経済危機を契機とするか中国共産党内の派閥闘争を契機とするかに関わりなく、その時の中国の民主的力量は一九八九年よりも増大こそすれ、小さくなることはないだろう。

   二〇一二年六月四日



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