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    かけはし2012.年11月5日号

無期限ゼネストに向け組織化を

ギリシャ

ファシストを孤立させよ

OKDE・スパルタコス

  ギリシャでは五月と六月の二回の選挙を経て新しい連立政権が成立した。この新政権は、ギリシャ民衆の緊縮政策に対する激しい反対を、EU、欧州中央銀行、IMFのいわゆるトロイカとの財政支援再交渉によって、何とかなだめようと試みてきた。しかし緊縮という基本骨格が変わるわけではないこの方針に、ギリシャの民衆はまったく同意していない。九月に入って人々は再び街頭を闘いの場とし始めている。九月二六日には二大全国労組連合主導の下に、ゼネストが成功裏に敢行された。この一段階水準の上がった対決を前にしたギリシャの同志たちの闘いの呼びかけを、以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
 以下のリーフレットは、メルケルのアテネ訪問日に第四インターナショナルギリシャ支部のOKDE・スパルタコスによって配布された。(IV編集部)

危機はファシストを育てている


 銀行家のパパディモスの政府に反対する六カ月の騒乱を経て、またメモランダ政策が劇的な形で拒絶された二つの連続した選挙の後、移民を殺害し左翼活動家を攻撃するといった、ファシストの「黄金の夜明け」(GD)の勝ち誇った振る舞いを除けば、何事も変わっていないように見える。変わることのない悲惨な下降スパイラル、同じテロ、労働者の生活が破壊されていながら、「責任の時」や「重大な決定」に対する同じ陳腐な言及、賃金や年金や労働者の諸権利の同じ切り刻み、山のような失業、不安定さ、絶望、そして社会の悲惨と資本主義の残忍さから点を稼いでいるネオナチの広がり、これが現実だ!
 疑いなく、新民主主義(権力の座にある右翼ブルジョア政党、ND)のサマラス、そして彼らの連立相手、ヴェニゼロスの今や威力を失ったPASOK、そしてコウヴェリスの下にある「左翼」的支えであるDIMAR、これらはギリシャの民衆に見え透いた嘘を語ってきた。彼らがレイシズムの種をまいてきたことも疑いはない。彼らは、彼らの犯罪的な政策から注意をそらす目的で、ファシスト的デマゴギーを用い、ミカロリアコスとカッシディアイス(GDの指導者)の新たなSA大隊(一九三三年以前のドイツナチ党の戦闘部隊)形成を力づけたのだ。彼らは、メモランダムについての再交渉という彼らの「穏健で合理的な路線」が債権者の圧力を和らげ、その結果、統制不可能な破綻とユーロ圏からのこの国の離脱という最悪のシナリオを回避させるかもしれない、このように主張している。ほとんどすぐ、このような物語に納得する者は誰もいなくなるだろう。その時支配階級は、GDのファシストを頼りにし、労働者の運動を全滅させることに向けゴーサインを出すだろう。

政権三党は民衆攻撃をやめない


 ND、PASOK、DIMARは、彼らをわれわれが蹴り出さない限りメモランダ政策の保証人に留まり続ける。それははっきりしている。彼らは「政治的才覚」を欠いているわけでも、より良い政策を見出す能力を欠いているわけでもない。彼らは基本的に、ユーロを救出し、債権者とトロイカの不当利得者一味に対する「国際的義務」を満たすために労働者階級の社会的成果を破壊するという、ビッグビジネスの急を要する必要を代表しているのだ。彼らは結局のところギリシャ支配階級の「国民的主張」に忠実なのであり、必要とあれば彼らが「置き換え可能」であることを完全に意識している。ギリシャブルジョアジーはユーロクラブに留まることを欲し、労働者階級を意のままになる形で、打ち破られ、貧困に突き落とされ、飢餓線上をさまよい、そして民族的に分断された形で抱えたいと思っている。
 メディアの最新のリークに従えば、首相は、彼自身の退陣というコストを払っても、「必要なあらゆる手段を取る」ことを欲している。かれは「民衆の審判」、あるいは彼の選挙キャンペーンの約束など気にかけず、さらに深まる貧困と失業に苦しむ何百万人という民衆の怒りと絶望をも気にかけていない。ギリシャ支配階級の利益を確保するために、銀行家、債権者、そしてテレビチャンネル所有者が据えた三党連立は、彼らの惨めな政策を続けている。システム破綻の重荷は、何百万人という勤労民衆、女性、若者、さらに移民によって返済されることになっている。債務の原因ではない人口の巨大な多数は、今や高利貸しのために犠牲を払う者とされ、こうして人肉食のような資本主義の危機の主な犠牲者となっている。
 支配者は、貧困層の怒りと憎悪をもっとも貧しい者、もっとも脆弱な者、諸権利をまったくもっていない者たちへと向けることによって、社会的反乱と総蜂起という危険から逃れることができる、と考えている。こうして彼らは、すべての労働者の抵抗と社会的抵抗を抑え込むために、経営者の卑劣な道具であるファシストの殺人的な大群に水門を開いている。彼らは、民族主義、男性顕示的振る舞い、愚かさといったイデオロギー的霞を広めている。――企業のための課題設定に抵抗を決して止めていない社会の中で――。

メモランダ反対だけでは不十分


 今こそ、近年の苦痛に満ちた諸経験から教訓を引き出すべき時だ。すなわち、われわれはメモランダに反対だと言うだけでは不十分だ。サマラスは嘘つきであり、「反メモランダム」という旗を掲げたデマゴーグだった。今日、彼はすべてを放棄し、パパンドレウ政権とパパディモス政府が関わったすべての犯罪を上回る反労働者諸策を得意気に取っている。コウヴェリス(DIMAR)は、メモランダに反対だと思われていた。そしてその後政権の「反メモランダム」要素となった。今日彼は、俸給や年金の残忍な一律削減、退職年齢の引き上げ、さらに公共企業の遅滞のない私有化までも支持している。
 SYRIZA指導部もまた、ギリシャをユーロ圏に留めつつ、メモランダ政策を停止できると主張している。しかし、オルタナティブが何もないのであれば、ロンパイ(EU大統領、EUの最高意志決定機関である欧州理事会の常任議長:訳者)、メルケル、バローゾ(欧州委員会委員長:訳者)、そしてオーランド(欧州財政条約を受け容れ、フランスで緊縮諸方策を始めたもう一人のいわゆる社会主義者、かつ「ギリシャの友人」)への服従は排除され得ない。これが示すことは、人が富裕な者たちと力ある者たちのルールを尊重する限り、彼らの政策を採用するように運命付けられる、ということだ。
 われわれが支配階級の基本教条に反対しなければ、特に「破産」の脅しとユーロ圏に留まることの強要を拒まなければ、メモランダ政策を停止させることや、六カ月毎に強要される組になった諸方策、あるいは貸し付け条件の残酷さに終止符を打つことなど不可能だ。われわれがギリシャにおける市場の機能に反対しなければ、市場のテロからわれわれ自身を解き放つことはできないだろう。資本主義それ自身を標的としない限り、われわれはメモランダを取り除くことはできないだろう。そしてこのどれ一つとして、ファシストの蛇を踏みつけその頭を切り落とすことがなければ、達成されないだろう。
 われわれの生活条件が日々朽ちることを望まないのであれば、次から次へと削減される失業給付を受け取る長い列に立つよう落とし込められることを望まないのであれば、マスメディアのデマゴーグとファシストが主張するように、失業者と貧しい者たち、そして「危険な諸要素」で「救命ボートは一杯になっている」として、移民として国を去ることを望まないのであれば、われわれは問題の根源に組み付く必要がある。大衆的な社会的蜂起を通して、われわれの支配者は最終的に、ヘリコプターによる緊急脱出を行うよう強制されなければならない。われわれは、「新政権という手近の解決」、また「闘争ではなく連帯」の優先性、さらに「責任ある議会野党」といったスローガンを拒否する必要がある。「イタリアやスペインと同じ期間」をギリシャに認めるよう懇願するために、一層身をかがめることに意味はない。

もう一つの突破政治ゼネストへ


 前政権は選挙で追い払われたわけではなかった。現政権は、事実においてメモランダ政策を実行することとなる、そのような次の「反メモランダ救済者」を求める希望によって置き換えられることはないだろう。いくつもの自治体、病院、そして公共輸送におけるストライキは全般化されなければならない。九月二六日のストライキと大衆的デモは始まりだった。共同体における、また電力企業DEIでの労働者の決起は、国家に恥をかかせることとなった賃金不払いのスカラマンガス造船所労働者による国防省へのヒロイックな侵入と並んで、次の段階を示した。その結果こそが、政権と司法の復讐であり、それだけではなくGDの吠え立て、さらにデモに決起した者たちのそのような「過激な」行動に関する、「責任ある」SYRIZAの身の引き離しだった。しかし今日、改良主義のイメージに磨きをかけるような単純な決起ではなく、諸労組の基層組合員による全国規模での協調を必要とする系統的なストライキ闘争という、もう一つの突破がなければならない。

すべての職場と居住区で決起を


 われわれは、資本家と彼らの政治スタッフによる経済の支配に挑まなければならない。公共企業と公共サービス、さらに大企業は、労働者と彼らの総会によって統制される必要がある。「ドドナ」とVIOMET(労働者自主管理下にある企業)の先進的な例は当たり前のことにならなければならない。連帯を打ち固め、闘いを調整するためにあらゆる地方で会合をもとう。ファシストのGD徒党を孤立させるために、すべての市と地方で反ファシスト委員会を発足させよう。

連立政権打倒!労働者政府を!


 われわれは、労働者に責任を負う、そしてシステムと絶縁し債務と利子負担を拒絶し、補償なしの国有化を通して銀行の寄生から社会を解放する、さらに経済と貿易の戦略的な部分を国有化する、そのようなことをできる政府を必要としている。この政府は、工場や事務所やサービス部門にわれわれが自身で建設できる民主的な評議会に責任を負わなければならない。われわれなしには、これまで何も生産されたことはなく、今後も決して生産されないだろう。解決はただ一つ、労働者、農民、女性、若者、年長者、そして移民によって――すなわち、われわれすべてが一体となって――与えられるだろう。(二〇一二年一〇月二二日)
(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年一〇月号)

イベリア半島

大規模な反緊縮決起へ

人々は新しい姿
で闘いを始めた

ヤン・マレフスキ

 スペイン、ポルトガルで巨万の民衆決起が続いている。支配階級が強要する緊縮への反撃であり、そこには、民衆を排除した政治を拒否する民主主義の取り戻し要求が一体化されている。そしてこの決起には、民衆運動の伝統的な枠組みを介さずに作り上げられ発展している、という共通の性格もはっきりと刻み込まれている。以下は、この新しい姿で、人々が既成の支配体制との非和解的な衝突へ向おうとしていることを伝え、そこに反資本主義左翼が先入観なく参加し役割を果たすべきことを訴えている。(「かけはし」編集部)

スペインで、
ポルトガルで


 スペインで、数万人の民衆が今年九月二五日、マドリードの議会中心部を包囲しようと試みた。「民主主義は拉致された!」「政権は退陣せよ!」という叫びの只中で、デモに決起した人々は初めて、議会に面するネプチューン広場への進行に先立って大衆的な民衆総会を組織した。
 マリアーノ・ラホイ(国民党、PP)の政権は対決を決定した。PP指導部は、このデモの主催者――「S25コオルディナドラ」と「プラタフォルマ!エンピエ!」――を、一九八三年二月二三日の失敗したクーデターの責任者であるファシストに並べた。一三〇〇人以上の対騒乱警察部隊が動員された。彼らは突撃を敢行し、ゴム弾を発射、夜中続いた衝突に導き、六〇人以上の負傷者と少なくとも三五人の逮捕者を残した。
 しかしながら翌九月二六日、議会前には再び数千人が集まった。そして政権は、社会的不信の高まりを意識しつつ、彼らのキャンペーンも警察の展開も数万人の民衆を脅しつけることには成功しなかった、ということを知り始めた。これらの人々は、民主主義に想定されている「人民主権という根幹部」の「市場の独裁」による仮差し押さえを、厳しく非難していたのだ。
 ポルトガルでは九月一五日、トロイカによって強要され、ペドロ・パソス・コエルホが率いる政権によって熱を込めて適用されている緊縮政策に反対して、一〇〇万人の人々がデモを決行した。一九七四年五月一日以来この国では見られたことのない規模における決起は政権を強制し、最新の課税方策の撤回公表という術策に走らせた(労働者、年金受給者、また失業者を標的とした、等しく悪質な他の手段を準備するために)。

新しい運動に先
入観捨て挑戦を


 これら二つの真新しいできごとは、緊縮政策に対する民衆的な拒絶の高まりを示している。ポルトガルとスペインでは、これらの大規模な民衆決起は、大労組や伝統的な左翼政党によってではなく、新しい社会運動によって主導されてきた。これは重要な変化を意味している。すでに二〇一一年五月一五日、スペインの怒れる者たちは以下のようなスローガンを掲げていた。すなわち、「どの党も、どの組合もどれ一つわれわれを代表していない」と。これは一過性の現象ではなかった。それは、「党という形態」あるいは「労働組合という形態」に関わる問題、あるいは「組織という形態」の問題ですらない。それとは逆に、先に名を上げたこれらの動員主催者のアピールは、組織することの不可欠的必要を強調していた。しかしこれは、労働者運動の歴史的な組織との間に起きている断絶の新たな段階への到達だ。それらの運動組織は、保守主義に閉じ込められ、現状の防衛に対するそれらの熱中という点で一層はっきりし、こうして、反乱する人びとの数を増す大衆に映る姿としては、敵対的組織ではないとしても、役立たずとなっているのだ。
 この状況は、伝統的な労働者運動内部にいるその状況を受け容れないすべての人々と同様に、反資本主義的活動家並びにその組織にとってもまた、一つの挑戦すべきものだ。彼らの歴史と経験、すなわち彼らの臨機応変の才は、その過去に根ざしている。資本主義の現在の危機と共に、この過去はかつて以上に時代遅れとなった。それは、過去の経験が今日役に立たない限りで、ということではない。特に、支配階級の権力は、その正統性をますます失いつつ、日毎により一層その残忍な顔に頼るように見えている。支配の機構――国家とその国内的かつ国際的諸制度――ははっきりと、それらは改善や改良が不可能である、と示している。改革という言葉それ自身がその方向を変えてしまった――今日それは、大衆が勝ち取った成果に挑むことを一層意味している――。
 しかし同時に、国に応じてさまざまな速度をもって変化しつつあるものは、大衆と「労働者組織」の間の結びつきだ。後者の正統性は、それらが足場を置いている諸制度の正統性喪失に従って下降している。それ故、新たな社会運動にとっての空間拡張がある。そこに関与している活動家にとっての挑戦は、先入観をもつことなく、あるいは文献から引き出した「解答」を押しつけようとすることなく、彼らの出発点、すなわち憤りから始めて、運動の建設に力を貸す能力を発揮する、ということだ。ダニエル・ベンサイードの言葉を借りれば、「憤りこそが始まりだ。それが、立ち上がり旅を始める方法だ。人は憤り、立ち上がり、それから何が起こるかを知るのだ」。(二〇一二年一〇月六日)
(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年一〇月号)


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