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    かけはし2012.年10月8日号

課題はアン院長と民主統合党
の政策連合を強化すること

対談:大統領選まで100日も残っていない

  12月の韓国大統領選挙に向けて9月19日、若者層に圧倒的に支持されている安哲秀(アン・チョルス)ソウル大融合科学技術大学院長が無所属での立候補を表明した。これにより先に立候補を決めていた与党セヌリ党の朴槿恵(パク・クネ)、最大野党・民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)両氏らと共に主要3候補が出そろった。一方、統合進歩党(旧・民主労働党など)は総選挙での党内候補競選での不正に端を発し事実上、解体的状況に直面している。このような状況の中で野党・野圏、市民・社会勢力が与党に対抗する候補の単一化をどう実現できるかどうかがカギとなる。以下の対談記事はアン院長の立候補表明以前に行われたものだが、単一化を目指す論点の1つとして紹介する。(「かけはし」編集部)
 アン・チョルス・ソウル大学融合化学技術大学院長は政党と市民の境界に立っている。彼の大選(大統領選挙)出馬が政党政治の災いとなるのか、新たな政治の始まりとなるのか、意見が様々だ。パク・サンフン・フマニタス代表とキム・ホンテ翰林国際大学院大学兼任教授が会い、「アン・チョルスと民主党の出合い」について意見を交わした。パク代表は政治学者として、韓国社会に根深い反政治主義の危険性を指摘した〈政治の発見〉(ポリティア刊)という本を書いた。政党政治の重要性を強調する。キム教授は韓国社会世論研究所(KSOI)所長(2003年)、民主党戦略企画委員会(2011年)を務めた。現実的戦略の重要性を強調する。対談は9月5日、ソウル合井洞のフマニタス事務室で行った。

問われるアン院長
の確固とした意志
 司会 アン・チョルス院長の出馬方式からまず話してみよう。国民の意見を聞いた後、出馬するかどうかを決定する、と言っていたが。
 パク・サンフン(以下、パク) アン院長は既に政治をやっている。民主主義の基準で見ると、そのような方式は困る。民主主義は統治者に対して市民が同意する過程がある。議会や政党が政治的経験を積みつつ国家予算、巨大な官僚組織を扱う方法を慣らし、政党を通じて大衆的力を集める訓練を経なければならない。政治の外から政治自体を変えようという「市民的代行者」だったり、大選出馬の有無が本人の政治行為と集約されるのは困る。
 キム・ホンテ(以下、キム) 政治の規範的側面から、そのように批判することはできる。アン院長が既に政治をしていながら、政治をするか悩んでいるというのは矛盾だ。大選に出るか出ないか悩んでいるというのも正しくない。アン院長自らが旧体制を克服しなければならないと語っていたが、その過程が大選でなければならない理由は全くもってない。「民主党が勝てないなら私が出る」というアプローチは問題がある。「勝つことができるなら出馬する」という話だ。結果的に勝敗に恋々としているのだ。そうではないと言うのならば「政治の始まり」を宣言しなければならない。
 パク 結局、責任性の問題だ。私が政治をしても良いかを問うというのは君主制の原理だ。
 司会 アン院長は出馬すると思うか。
 キム 最大の変数は民主党の大選候補の支持度だ。パク・クネ与党セヌリ党大選候補と2者対決の構図で民主党候補が相当の競争力を見せれば出馬しないこともあり得るし、不出馬に対する負担も少なくなり得る。だが政治をしないという話は、してはだめだ。今、アン院長が政治を中断すれば大選の勝敗に大きな影響を及ぼすからだ。
 パク アン院長が定石通りに政治の過程を踏んだならば良い。大選の出馬は、ごく自然な結果として次回にしてもいいのではないのか。今、重要なのは民主党の問題であって、アン院長が候補者になるのか、ならないのかではない。アン院長を中心とした大混乱の責任は民主党に90%ぐらいはある。民主党が次期政府となることのできる存在として責任感を示すことができないならば、アン院長が望まなかったとしても政権交代が必要だと考えている人々が何としてでも彼を引き出そうとするだろう。これまでアン院長は選挙運動をしたことはないが、民主党や進歩政党が最高の選挙運動をしてくれた。今、民主党の政治人らがアン院長をめぐって算盤の珠をはじいているのを見ると「政治的間抜け」という感さえする。何とも気にいらない。
 司会 政権交代をしない方がよい話のようにも聞こえるが。
 パク そう考えてはダメだ。(笑い)政権交代は手段だ。政権を交代し、経済政策を再分配と福祉親和的に作り、平和的な南北関係を構築することを望む。セヌリ党はそれができないようだ。ところで今、回っている形は目的と手段が変わった。民主党はいかなる政府になるのかについての内容は貧弱で、既存の政府やセヌリ党がどれほど悪かったかばかりを語る。これでは合理的有権者を説得できない。政権交代が最高の進歩だ式に語ってはダメだ。
 キム 正常に、信頼される政党政治を基盤として政権を交代しなければならないという意味として理解する。ところで戦略的次元でそのような正常な執権が不可能な場合、どうするのか。既に正常な執権はなくなってしまった。副作用があるのは火を見るよりも明らかだけれども、そうだとしても歴史の進展はあるものだ。原論的な政治の領域ではなく、勝つという方向へ接近しなければならない。
 パク 限界があったとしても次善の方法を考えざるをえないということを否定はしない。だが戦略的選択においても前提がしっかりとしていなければならない。「どう組み合わせればパク・クネに勝てるか」にばかり焦点を合わせれば事態の解決は不可能だ。キチンとした政党政治を通じて社会と政治を良く作りあげなければならないという基本的な点検をしつつ戦略を進めなければならないということを忘れてはならない。

マイナスではない
候補の単一化を
 司会 共同政府論や第3地帯創党論など野圏単一化の方式についての意見があふれかえっている。キム教授は最近、「市民連合政府論」を提起したが。
 キム 最も重要なのは、個人が執権することはできないという点だ。わが憲法と現代民主主義は政党政治を根拠とする。ところが大衆性を基盤にして1個人が無党的に執権する? これは立憲君主制に類似する。民主党―アン・チョルス共同政権? これはDJP(キム・デジュン、キム・ジョンピルを指す)連合程度の水準にもならない。相手が嫌ならば追い出せば以上終わりであり、内閣制下の連立政府のように責任をとる構造もない。しかもアン院長は政党ではなく個人だ。そのような言葉自体が系派的権力欲であり、不適切な権力の分配にならざるをえない。従って政策の連合を基本とした「政治連合」を構成し、候補の単一化をしようという話だ。
 パク 政党が政府とならなければならないが、現在の野党はその役割を果せないようで、だからといって民主党や進歩政党が選挙で得た票ほどに発言権を持つ連立政府の方法でも勝利できない条件だ。そのために現実的に選択できるのが政治連合ということなんだが、その場合の参与者とは誰なのか。
 キム 個人(アン院長)と政党、市民社会をすべて包括しなければならない。
 パク 発言権の比重は、どう計算するのか。
 キム それは2次的な問題だ。少なくともそこから始めよう、ということだ。個人アン・チョルスと民主党の共同政権は失敗せざるを得ない。民主党にアン・チョルスが起用されるか、そうでなければアン・チョルスの孤立だ。6・2地方選挙、ソウル市長補欠選挙などで、選挙連合は政策連合を前提とした。今回は、はるかにもっと政策を強調する形態で多者間連合の枠組みを作らなければならない。
 パク 誰が作ることができるのか。権威主義の時節には非常時局会議のようなものを運営することができた。今はそれぞれ独立した政治の主体たちを集めようということだが、その正当性を準備するのは簡単でないようだ。
 キム 市民社会が仲裁することも考えられる。ノ・ムヒョン、チョン・モンジュンの単一化は、いわばじゃんけん方式でなされた「問答無用の単一化」だった。選挙連合の極めて低い段階だった。失敗が予告された単一化だった。アン院長と民主党候補の両者が中華料理で出会う方式、「あなたは総理をやり、私は大統領をやる」式はダメだ。アン院長を抱え込むことが民主党候補個人のレベルではなく、政策を基盤とした公的約束の枠で実現されなければならない。この枠組みで民主党候補として単一化されることもあり得る。まずは集まってみようということであり、その過程は高度の政治行為に委ねようというものだ。アン院長の立場からしても、どんな諸勢力と共に国政を運営していくかを宣言するのは、はずすことのできない重要な儀式だ。
 パク 以前の単一化モデルよりも、さらに悪いようだ。市民運動(市民政治)の実体もあいまいだし、政治が道徳的に市民運動に委託するのも問題がある。大選まで100日も残っていない状況で、政党でもない曖昧模糊な主体らが作ってみようということではないか。民主党も進歩政党も空虚で、アン院長は何でもない状態で集めるというのではうまくいかないだろう。
 司会 それならば現実的に最も望ましい単一化の方法は何だと思うか。
 パク 私はアン院長が今回の大選では準備ができていないと思う。正常な方向はアン院長も政党となり、民主党と連合することだ。それが難しいならアン院長が民主党に入党するのが民主的正当性をめぐる是非の論議をなくすことのできる方法だ。ただ、それが野圏の執権に有利でないのなら、パク・ウォンスン(現ソウル市長)のモデルがある。結局、民主党候補を支持するか、パク・ウォンスンのモデルを提案すること以上は難しいのではないだろうか。
 キム 今、心配されるのは「マイナスの単一化」だ。アン・チョルス支持者らは反与党、非野党傾向が強いが、その中の一部が離脱するだけでも負ける可能性がある。誰が候補者になるにせよ、どちらか一方が損なわれない選挙連合、両者いずれもが国政の主体であることを示せることが必要だ。
 パク アン院長のための枠組みを作ることが問題なのではなく、アン院長が責任感を持って話をすることが先決だ。
 キム 確かに、この連合政府の枠を組み立てることができるのはアン院長だ。自らが持った支持率を、力を持って枠組み作りをしなければならない。

セヌリ党に対抗
する政策が必要
 パク 市民も世論調査を通じて、その力を与えた。今や本人が答えるべきだ。「私を擁立できる機会を見守る」式にアプローチするのは、いささかいらだたしいことだ。本人に意志があるのであれば荒っぽい政治の世界で有能であることを示さなければならない。政治交渉であれ、政治連合であれ、まずは提案し、政党であれ団体であれ、動かしてみよということだ。そのようなことなしに政府を動かすことができるだろうか。模糊としたアン院長の頭の中を見守る賭博をすることはできない。
 司会 民主党が遅々として進まない状態では、いかなる単一化も効果を発揮できがたいのではないのか。
 パク その点が最も重要だ。競選以降、敗れた側がアン院長を呼ぶのが良い式に反発するならば何もかもがダメになる。政党の破算を心配しなければならない状況だ。勝った側が政治力を発揮しなければならない。
 キム 民主党にはノ・ムヒョン一門、キム・デジュン一門がおり、486一門、民主平和国民連帯の一門、市民団体の一門もいる。民衆政治、系派分化の政治をする。自らの既得権を守ろうとする特定の系派が、いかにして大韓民国の1%の既得権を撃破すると言うのか分からない。民主党が省察と反省ができないのは系派の利害関係がかかっているからだ。例えば今、省察と反省をする瞬間、親ノ(ムヒョン)は死ぬ。
 パク 現在、民主党は政権交代が必要であるがゆえに役割が付与されている消極的存在だ。自分たちが市民社会の組織者となる姿を示すことができない。民主党の危機を克服できるのは結局は大選候補、競選の走者たち、次期の指導者とする人々の間での調整の政治だけだ。
 司会 アン・チョルス大統領が誕生したとしても、その政府が成功するかは別個の問題だが。
 パク アン院長が当選すれば、それは変化を望んでいる有権者たちの意志に基づいているがゆえに、その政府が受ける圧迫はより進歩的であるだろう。だが本人が有能な政治の供給者となるのは別の次元の問題だ。うまくできないだろうと思う。わが国のように官僚制やメディアの権力、経済権力が強い所では、選出職の政府が内閣をしっかり構成し、政策能力と権力を制御する能力を備えなければならない。いかに立派な意志があってもチームを調練する時間が必要だが、うまく運営するのは難しいようだ。事実上、政党政府ではなく青瓦台政府となるだろう。政権交代がなれば世の中は突然、進歩的になるだろうか。正常な有権者であれば純真にそう期待しはしないだろう。ただ、これまでの過ちを1つずつ矯正し、政党が責任のある役割を果せるようにし、能力によって人事を行う程度ではないだろうか。このような変化の出発であっても、いくらでも価値あることだ。
 キム アン院長のリベラルと、連帯と闘争を重視する民主進歩の歴史は全く異なる。根本的な葛藤の要素となるだろう。そうであるがゆえに選挙前に政策連合を最大限に強化しなければならない。
 パク 歴代政府において執権初期の短い時期以降、レイムダックが現れたのは大統領がしっかりした政党基盤を持てなかったからだ。特にアン院長であれ民主党候補であれ誰が執権したとしても、セヌリ党という強力な野党が存在することになる。誰がなるにせよ政治的基盤を堅固にすることなしには成功しがたい。執権をするのならアン・チョルス政府、あるいは○○政府という呼び方ではなく、ぜひとも「民主党政府」と呼ばれたならば、と思う。チームとして政府の責任を担い、政党は政策能力をさらに育み、政党のリーダーにも人事権を分かつのでなければならない。
 キム 韓国政治は余りにも「風」と象徴に依存する。風によって大統領になり、イメージで大統領になる。該当対象や部門の利益を代弁できないのは間違った政治だ。
 パク 英雄を必要とする政治は不幸だ。だが必要とする時、英雄がいないのはもっと不幸だ。(笑い)英雄はそのような政治が繰り返されるのを終息させる出発点とならなければならない。ある英雄に期待していて失敗すれば別の英雄を探し回るという悲劇が続けられれば投票率が下落し続けることになる。
 キム そのような意味でアン院長は政策ではなく政治に寄与しなければならない。
 パク 政策を実行したいのならば、むしろ官僚にならなくちゃ。政治と関係なしに政策だけしっかりやるということは、私は正しいのだから付いて来い、ということだ。そのような大統領は嫌だ。


「誰でもいいや」
の投票はダメ
 司会 準備のできていない政権交代は延ばすのが良いのか。
 パク 政権が代わるのは良いことだ。仮に再び潰れたとしても、だ。ただ、代わる過程で、ましに代わったならばとの思いだ。このまま投げ棄てるような、候補者なら誰でもいいやという投票だけはないことを望む。
 キム 新たな象徴として、アン・チョルスと民主党が可能なレベルの政治連合でも構築してこそ今回の大選で勝利が可能だ。
 パク 今度の大選ではセヌリ党に変数は多くない。反面、野圏はあらん限りの資源、そして無い資源をもすべて引き出してこなければならない。それができなければ5年前の選挙と同じことになるだろう。(ハンギョレ21)第928号、12年9月17日付、司会・整理、イ・ジウン記者、ソン・ホギュン記者)

 


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