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    かけはし2012.年10月8日号

アジアに労働運動活性化の波

インドネシア

新しい高揚迎える労働運動

派遣労働廃止 無期雇用 生活賃金を

労働者の連帯が垣根越えて発展中

ゼリー・アリアネ

  インドネシアで昨年以来労働者の闘争が新しい急進的高揚の局面に入っている、との報告が現地から『インターナショナルビューポイント』誌に届いている。その断片は日本の一般紙でもつい最近伝えられ始めた(たとえば、朝日新聞九月二七、二八日)。先の報告を以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

昨年から現在まで闘い次々と


 二〇一一年を通じ、また今にいたるまで、われわれは労働者の急進化の新しい波を経験している最中だ。その動きは、社会保障給付機構(BPJS)に関する法令を二〇一一年半ばに通過させるよう要求し、社会保障行動委員会(KAJS)の旗の下に数千人の労働者が決起した時に始まった。法に関する支持派と保守派を足場とした労働者諸組織間の論争と対比した時、諸決起は、要求を押し進める有効な道であることを証明した。そして法案は議会占拠の後で採択された。
 二〇一一年七月はじめ、少なくとも八〇〇〇人のフリーポート・マクモラン社(米国アリゾナ州フェニックスに本社を置く、世界最低コストでの銅と金の世界最大規模産出を誇る多国籍企業、インドネシアに子会社をもつ:訳者)の労働者がストライキに入り、それはほぼ四ヵ月続いた。ここの労働者がストライキに入ったのは、インドネシアのレフォルマシ(民主改革、一九九七年、当時のスハルト大統領の打倒につながった学生の決起はこのスローガンの下に始まった:訳者)後の時代では初めてのことだった。労働者たちは最低賃金を上回る賃金引き上げを要求、鉱石搬入車両の運行を阻止し、共同体と彼らの家族を動員した。彼らは彼らの主な要求を勝ち取ることはできなかった。しかし生活賃金の要求並びに決然とした抵抗という彼らの強力なメッセージは、インドネシアの労働者に一つの衝撃を残した。
 この闘いは、二〇一一年終わりと二〇一二年はじめの、全国最賃に関する話し合いを中心とした諸運動に引き継がれた。少なくとも三〇万人の労働者が、二〇一二年一月二七日、インドネシア西ジャワ州ブカシ県にある七つの工業団地で動員された。彼らの抗議は三日間の自然発生的ストライキと高速道路の封鎖で頂点に達した。同様の決起は、ジャカルタに近いタゲラン、カワラン、プルワカルタのような近隣工業地域で続いた。闘争の同様な爆発は、自由貿易地域で名高いシンガポールに近接するバタム工業州で、また東ジャワのいくつかの工業団地で見られた。数万人を超える労働者が街頭に繰り出した。
 運動はここで終わらなかった。まともな賃金を求める闘争の後、二〇一二年三月、数千人の労働者たちがブカシ県から、燃油価格引き上げに反対し行進した。インドネシアのほとんどの大都市における学生の動員に続いて、さまざまな労働組合の労働者たちが、相当な決意を示しながら、この燃油価格引き上げ反対の決起において重要な役割を果たしていることを示した。このような形での、またこのような数での彼らの関与は新しい発展だ。この運動は燃油価格引き上げの延期に成功した。つまり、劇的な議会討論を経て、政府は二〇一二年三月三〇日深夜、この引き上げの延期を決定したのだ。

「限界なき連帯」を活かす道は

 二〇一二年メーデーを祝して、数万人の労働者たちは再び街頭を行進した。生活賃金の要求、外注と有期契約化への反対、終身社会保障の要求は中でももっとも普遍的なものだった。二〇一二年七月一二日、インドネシア労組連合(KSPI)の支持者数千人は、外注の廃止を求め、HOSTUM(頭文字)の下での低賃金に反対するキャンペーンをはじめた。しかしこの真の始まりはブカシでの運動だった。
 二〇一二年メーデー後の何回かから六月、七月、八月を通じて、そして今にいたるまで、先の呼びかけはさまざまな工場や経済分野における日常的な自然発生的ストライキに行き着いた。先の呼びかけは、決起し互いに連帯を交換するための、KSPI末端組合員への呼びかけとして始まった。しかし何者も、他の組合に所属する労働者からの自然発生的支援を妨げることなどできなかった。
 四ヵ月以上にわたった諸決起の形は、「ゲルダック」と呼ばれているもの、あるいは支援動員の形をとった。つまり、経営者に降伏するよう圧力をかける目的での、経営者との交渉が暗礁に乗り上げてしまった労働者に対する支援行動だ。その主な要求は、有期契約労働者に対する期限に定めのない雇用だ。しかしいったん闘争が始まれば、労働者の要求は容易に急進化し、彼らが直面するあらゆる直接的な問題に及び得る。つまり、低賃金、解雇、組合破壊その他への波及だ。支援は、さまざまな部門から、特にすでに無期契約を勝ち取った労働者から来つつある。フェイスブックグループを通して、あるいはブラックベリー(カナダのリサーチ・イン・モーション社が一九九七年に開発したスマートフォン、世界一七五カ国で七〇〇〇万人が使用:訳者)を使うことで、労働者と活動家は交渉議事録を配布し支援を集めている。
 これらの活動のおかげでどれだけの数の労働者が無期雇用を勝ち取ったのか、これに関する公式データはこれまでのところ皆無だ。ある情報源の語るところでは、四万人に達した。しかし別の情報は、一万八〇〇〇人という数字を示している。これらの闘争から直接利益を得た労働者の数はどうあれ、一つのことは確かだ。つまり彼らは、どこの組合に加入しているかに関わりのない、労働者間の連帯という新しい感覚を生み出したのだ。「限界のない連帯」というスローガンは現実になろうとしている。
 これらを背景としてインドネシア労働者・被雇用者会議(MPBI)は二〇一二年八月、外注の廃止と賃上げを要求する目的のストライキを九月と一〇月の間に行うよう呼びかけた。KSPIは、MPBIを設立した組織の中では指導的労組連合の一つだ。彼らは一四の県における一〇〇万人の全国ストライキを呼びかけた。そしてブカシ地域はその動員の中心だ。
 この呼びかけは労働者合同書記局(SEKBER BURUH)から支持されている。そしてこの書記局は、MPBIのメンバーではない急進的な「赤色労働組合」で構成されている。SEKBERは、一〇〇万人ストライキはそれに可能な限りの労組が結集する時にのみ成功となり得る、と力説している。しかしMPBIは、この呼びかけへの合流に向け働きかけを受け容れる可能性のある多くの独立的労組連合を無視したまま、自分自身のみを、特にKSPIを当てにしている。したがってこの「一〇〇万人ストライキ」は結局、こけおどし以上のものではないと分かる可能性がある。SEKBERは、キャンペーン並びにブカシにおける進行中の急進化がもつ重要性を理解している。現にブカシにおいて彼らは活力ある役割を受け持ち、そしてそれこそが彼らが呼びかけを支持した理由だ。

要求貫徹へ大衆的圧力の組織化

 ストライキの呼びかけはそれだけで重要だ。それはこの国で、低賃金と外注に反対する初めての全国ストライキの呼びかけだ。有期契約化に関する労働法の二つの条項を部分的に廃止することを、昨年中央電力メーター検針官連盟が憲法法廷での彼らの裁判で勝ち取って以来、さらに過去四カ月のブカシにおける「ゲルダック」の波を経て、この呼びかけは本当の勢いを得ることになった。
 ただ一つの心配な兆候は、MPBIがまだストライキの日取りを決めていないことだ。KSPIにとっては初めてではないが、急進的で大げさな要求を掲げながら経営者との交渉ではるかに低い水準で解決する、このようなことになるかもしれない。彼らは外注それ自体を廃止しようと努めているのではなく、労働相が示唆するように一時的棚上げ、あるいは一定の労働類型に外注を限定するなどの方を支持している、このようにKSPIのスポークスパーソンは今とは違った時期に語ったのだ。下部組合員の支持を動員する目的で急進的な要求を確定しても、それはただ最低限を得て政府との交渉を決着させるためでしかないというようなことは、彼らにとっては初めてのことではない。
 SEKBER BURUHは、ブカシのさまざまな地域組合や工場に基盤を置く組合と共に、他の組合と統一するようKSPIに圧力をかけ、ブカシにおける急進化を維持し深めるよう懸命に努めている最中だ。SEKBER BURUHは、KSPIと共にであれKSPI不在であれ、この歩みの中でのその役割を最大限にするよう挑むだろう。さまざまな工業地域を横断する労働者運動の真の委員会が今回の諸闘争の波から生まれる可能性があるという、好ましい望みがある。

▼筆者は「ペレムプアン・マハルディヒカ(自由な女性)」の全国委員会メンバー。ジャカルタを基盤とする人民解放党(PLP、前人民民主党―貧者の政治委員会〈KPRM―PRD〉)の指導部委員会メンバーでもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年九月号)
 

パキスタン

輸出向け無法工場で反撃の闘い

殺人的職場はもういらない

ナシル・マンソール

 つい最近パキスタンで、極めて悲惨な労働災害が二四時間の内に立て続けに起きた。一つはカラチの衣料産業工場における事故、もう一つはラホールの靴製造工場における事故だ。いずれも輸出向けの工場であり、先進諸国市場における「価格破壊」の裏側にあるものをわれわれに突き付けている。パキスタンの労働者は直ちに闘いを開始しているが、以下は事故翌日の発信として、カラチの事故に関する関連情報、並びにそれに対するパキスタン労組全国連合(NTUF)の対応を伝えている。(「かけはし」編集部)

労働者は奴隷の
ように扱われた


 その日は、パキスタン労働運動の歴史上、もっとも暗くもっとも悲しい日だった。九月一一日火曜日、カラチの衣料品工場で起きた最も重大な火災事故の中で、三〇〇人の労働者が生きたまま焼かれたのだ。この工場では、あるいは他の工場でも、工場の火災事故は初めてのことではなかった。それは日常茶飯事であり、最悪の犯罪が犯され、電子媒体と印刷媒体のメディア上で注目の的となるまで、見過ごされてきたにすぎない。三〇〇人以上の労働者が、資本の貪欲とより多くの利益を求める渇望の供物台で、彼らの貴重ないのちを失った。
 計り知れない打撃と想像もできない悲惨が彼らに加えられるまで、この虐げられた人々の叫びや声を気に止めるものは誰一人いないという意味で、この社会はまさに犯罪的なまでに残虐なものにされている。カラチのサイト工業地域にある衣料品工場、アリ・エンタープライズの労働者に起きた事件はまさにそれをまざまざと示すものだ。そこでは過去に数回の火災が起きた。しかし政府機関はどれ一つとして、何らかの断固とした行動を取ることなどなかった。
 工場は工場法への登録という点で違法に設立されたということが知られるにいたっている。それは輸出向けの工場だ。そしてここパキスタンでは、規制や規則を回避するために、また労働者に対する諸権利を拒むために、工場の過半は工場法に登録されていない。
 工場の建物は、関係するカラチ建築局(KBA)からの正式な承認を受けていなかった。あらゆる職場で、安全措置が遵守されていることはめったになかった。アリ・エンタープライズでは、緊急時の出口は五〇〇人の労働者に対して一つしかなく、あらゆる窓には鉄格子が備えられ、階段は完成品や仕掛品で一杯になっていた。しかしこの状況はどの職場も同じなのだ。
 適切に安全監視が行き届いている電力に対する代替電源として発電機が使用されていた。そしてそれがボイラー爆発と並ぶ主な事故原因となった。そしてその事故は、二、三時間の内に三〇〇人の男と女を悲惨な形で死に追いやり、多くの遺体はまだがれきの中にある。この工場には、消火や防火の設備も装置もまったくなかった。

政権と国際ブラ
ンドに闘い挑む


 労働者の過半は仲介人を挟んだ契約労働者であり、それらの労働者は誰一人として、個人宛就業指示証書をもっていなかった(このことで遺体の特定が不可能にされ、現在その特定はDNA検査を使って行われている)。さらに労働者たちは、社会保障、被雇用者老齢給付制度(EOBI)、労働者福祉基金には、まったく登録されていなかった。この工場の労働者は、自分自身の労働組合を形成することを許されず、団交権をもっていなかった。この事故から生き残った労働者たちは、工場自身には保険がかかっていたが労働者にはかけられていなかったと語った。彼らはまた、工場の所有者であるシャヒード・ベラは過去、保険請求で巨費を得ようと自分自身で火事を計画した、とも非難した。パキスタン労組全国連合(NTUF)は、この事故に反撃する対応を取った最初の組織であり、カラチでの抗議デモを組織し、工場所有者の逮捕、関係諸機関トップの刑事訴追、さらに彼らの職務に関わる重大な怠慢を理由とした、労働相、産業関係閣僚、知事、シンド州首相の辞任を要求した。
 NTUFは同時に、死亡した労働者の家族に対する一〇〇万ルピーの補償、並びに負傷した労働者に対する四〇万ルピーの補償と無料の医療措置を要求した。さらに、労働者を代表する諸機関との共同による厳格な工場査察を開始すること、工場法の下に全工場を登録すること、本物の精神をもって健康と安全の法令を遵守すること、恐るべき労働契約システムを廃止すること、雇用時点で全労働者に就業指示証書を発行すること、そして社会保障、老齢給付制度および労働者福祉制度への登録も要求した。
 NTUFはさらに、国際的なブランドをもつ企業に圧力をかけ、ILOの諸条約並びに当該国の法令が想定する職場の安全基準と労働関係法令に関する厳格な遵守を当該地域の製造業に課すよう、国際労働諸機関に訴えている。

最新報
?火災時にはこの工場に六五〇人がいた、と報告されている。
?地下室は熱湯で一六フィートの深さまで満たされている。事故当時には地下室で労働者の叫びが聞こえた、そこには二五〇人がいた、との情報があり、そのため、もっと多くの遺体が今も地下室に沈んでいると恐れられていた。
?火災で死亡した女性労働者は一〇〇人以上になる。
?子どもの労働者が幾人か死亡している、との兆候もあった。

九月一二日

▼筆者はパキスタン労組全国連合(NTUF)書記長代理。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年九月号)



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