もどる

    かけはし2012.年10月29日号

日本は島、中国は岩礁と主張

国連大陸棚限界委員会の決定は?

 領土、人民、権力。この3つが近代国家の要素だというのは19世紀ドイツの法学者エリネックを持ち出すまでもなく、感覚的に感じることができる。けれども前近代時代の自然共同体が、そのまま近代国家の形態に直結するわけではない。19世紀以来、「人工的」暴力が自然共同体を破壊したり、これを再編する過程を必ず伴いつつ近代国家が作られる。そうして生活共同体が国境によって突然、区切られもし、全く異質な共同体が合わさって単一国家へと統合されたりもする。
 地図帳を開いてみると、まるで物差しで引いたような国境線を見ることができる。数千qも離れた所に領土を持つ国も、た易く見ることができる。近代国家が帝国主義の暴力によって、いかに人工的に作られたのかをよく見せつけるものだ。帝国主義国家間の戦争や民族解放戦争などによって国境線が再構成されもしたけれども、現在の国境線は19世紀帝国主義の時代に作られた基本骨格に多少の足し算、引き算をしたにすぎない。日本も例外ではない。
 今、日本が主張している自国の領土面積は37万7915?、世界で62番目だ。韓国の4倍近くで、南・北韓全部を合わせた面積の1・5倍を超える。日本列島の長さは日本政府の主張に従えば、実に3264qだ。韓(朝鮮)半島の長さが1000q程度なので、約3倍もの長さだ。また海岸線は世界で最も長い。

沖縄の留学生は琉球の留学生


 ところで領土面積に劣らず重要なのは排他的経済水域の広さだ。1982年に国際海洋法条約(1996年に正式発効)が排他的経済水域を規定して以降、各国は沿岸から200海里(約370q)範囲内の水産資源ならびに鉱物資源について独占的権利を有するようになった。海に囲まれた国らしく、日本の排他的経済水域の広さは領土面積の12倍を上回る。世界で6番目に広い。
 日本側が主張している日本領土の東端は「南鳥」だ。行政区域上、東京都小笠原村に属しているが、東京からは1879q、小笠原からは1220qも離れている。面積は1・51?で極めて小さい。無人島だけれども自衛隊がいる。1864年に米国の船が発見し、マーカス島という名が付いた。日本列島に編入されたのは1898年で、この時に日本政府が現在の名前を付けた。
 列島の西端は沖縄の「与那国」島だ。沖縄の県庁所在地である那覇から510qも離れているが台湾までは111qなので生活経済圏は台湾とより近い。元来、琉球王国に属していたが1872年に沖縄が日本に編入される時、日本領土となった。今、中国と領土紛争中の尖閣(中国名ティヤオウィダオ)に隣接している。
 最北端は北海道の上にある「択捉(エトロフ)」だ。「岬がある場所」という先住民族アイヌの言葉に由来する。明治維新(1868年)直後に日本列島に編入された。今はロシアが実効支配している。そして最南端は「沖の鳥」だ。1931年に日本が領有を宣言した。こうして見ると今日、日本が自国領土と主張している国境線や排他的経済水域の境界が、明治維新以降に作られた領土の範囲から始まったものであることが分かる。
 最近、領有権紛争が起きた尖閣のほかに日本が中国・台湾と葛藤をかもしている問題が、もう1つある。沖縄だ。今年7月、中国軍高位将校が「日本は沖縄から退くべきだ」と語り、日本内で反中の世論が悪化したことがある。この将校の発言と日本の反発は、実際には今さらながらの感がないわけでもない。なぜならば中国や台湾が、沖縄が日本の領土だという事実を認めたことは1回もないからだ。
 台湾の空港では沖縄行の飛行機を琉球行と表示する。台湾にいる沖縄出身の留学生は日本人留学生ではなく琉球の留学生として分類する。中国と台湾にとって日本領土・沖縄は、依然として「独立国家」琉球だ。中国や台湾は沖縄が「中国の領土」だと言っているわけではない。少なくとも「日本の領土」ではない、ということだ。すなわち、沖縄の独立を支持するということだ。これは沖縄が日本の領土に編入されて以来、中国側が一貫して取った態度だ。だから沖縄独立運動家が中国に亡命し、沖縄独立運動を繰り広げたこともある。

日本は排他的経済水域主張

 日本が中国と葛藤をひき起こしているもう1つの問題が、まさに日本の領土の南端に位置する沖の鳥だ。日本政府は、ここの面積が1・5?だと言うけれども、ここは海に浸かったサンゴ礁の面積まで含んだ広さで、実際には満潮時に2つの岩がわずか10〜20p首を出しているだけだ。地形的には島と言うことができないほどに小さい。沖の鳥が日本の領土に編入されたのは1931年の内務省告示を通じてだ。この時から沖の鳥という名称を使い始めた。「沖合いの鳥」という意味だけれども、実際にここに鳥が棲息しているわけではない。16世紀にスペイン船が発見し「パレセ・ベラ(Parece Vela 帆のような姿、と言う意味)」の名前が、そして1789年に英国人ウィリアム・ダグラスが発見したとして「ダグラス岩礁」という名前が付いていた。
 ここが日本領に編入されたのには歴史的経緯がある。第1次世界大戦で日本は連合国の一員として戦争に参加した。ドイツが戦争で敗れると、日本はベルサイユ条約によって連合国の資格でドイツの海外植民地の一部を委任統治することとなり、西太平洋赤道付近のミクロネシア地域に広がっている島々に対する支配権を獲得した。現在の北マリアナ諸島、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦地域だ。これを日本では当時「南洋諸島」と呼んだ。そしてここを拠点として西太平洋付近に対する影響力を拡大していくが、1922年に日本の測量船が沖の鳥を「発見」し、1931年に日本領に編入した。1952年、サンフランシスコ条約によって日本が独立して以降も、ここは米国の支配権下に置かれていたが1968年に日本に「返還」された。
 沖の鳥は東京から1700qも離れているけれども行政区域上では南鳥島と同様に東京都に属している。1000q離れた米国領グアムの方が近い。隣接する沿岸国もないので、日本以外にはここの領有権を主張している国もない。中国ももちろん日本の領有権を否定しない。そうだとしたら何が問題なのだろうか。
 日本はここを「沖の鳥島」と言い、中国は「チュンズニャオジャオ(沖之鳥礁)」と言う。漢字を自国式の発音で読んでいるのは漢字文化圏ではよくあることなので問題にはならない。問題は、ここを日本は「島」と言い、中国は「礁(岩礁)」と言っていることにある。中国と日本の間の葛藤は、この点にある。島ならば排他的経済水域が認められる。岩礁ならば認められない。それで沖の鳥をめぐる中日の葛藤は排他的経済水域をめぐる対立だ。日本の立場からすれば、わずかにベッド1つを置けるほどの小さい小さいここが島として認定されれば、日本列島に匹敵する広さの排他的経済水域を確保することができる。従って海洋法上、ここが島として認定され得るのかが重要だ。
 海洋法条約は121条1項で「島」を「自然に形成された陸地で、4面が海に取り囲われているが満潮期にも水面上に出ていなければならない」と規定している。この基準に従えば沖の鳥は「島」であり得る。ところで同121条3項には「人間が居住し独自的に経済活動をすることのできない岩は排他的経済水域や大陸棚を持つことはできない」となっている。3項の基準に従えば、沖の鳥は岩だ。従って排他的経済水域や大陸棚を持つことはできない。
 なぜならば、ここで人間が独自的に生活するのは全く不可能だからだ。従ってここを島として仕立てようとして日本政府は1988年、実に300億円を投入して工事を敢行した。水面上にわずかに顔を出している2つの岩が水面下に沈まないようにコンクリートによって取り巻く工事を行ったのだ。そして真ん中に「日本国」という漢字を刻み込んだ。事実上「人工の島」を構築したのだ。海洋法条約60条8項には「人工島、施設および構築物は島の地位を持つことができない。領海を持つことはできないし排他的経済水域や大陸棚の境界確定にいかなる影響をも及ぼすことはできない」となっているのでコンクリート工事が日本政府が主張する「沖の鳥=島」という論理の根拠となることができないのは明白だ。それにもかかわらず日本政府はこれを受け入れず、「沖の鳥=島」を主張し、中国がこれに反発しているのだ。

軍事的価値、中国封鎖効果

 事実、ここが島でないということ、つまり岩礁だということは1931年に領有権宣言をした当時、既に日本も意識していた。現在、外務省外交史料館には1931年の領有権宣言当時の沖の鳥に関する公文書が残っている。領有権の宣言直前に当時の内務省長官が総理に送った公文書には、この「孤立した岩礁」を「沖の鳥島」と命名し東京都の所管とするとしながらも、「水面下にほとんど沈んでいるサンゴ礁に対して領有権を主張することができるのか」という点に憂慮を表明している。「岩礁」という事実を認知していたのだ。それにもかかわらず領有宣言を断行した理由は何だったのだろうか。
 その理由を当時の日本政府は、このように説明している。「軍令部内部では、このサンゴ礁の内側が波が穏やかであるがゆえに水上飛行機の基地として利用が可能だとの意見があり、軍事上の見地からしてこのサンゴ礁の領有権を確定することを希望する」。ここで言っている軍令部とは海軍参謀本部に該当する。そうであってみれば、沖の鳥の日本編入は完全に軍事的目的下でなされたものだ。今も基本は変わらない。もちろん海洋資源および鉱物資源の潜在力も重要だけれども、日本が「沖の鳥=島」を主張し、これに対して米国が沈黙を守っている訳は、ここが持っている軍事的価値、すなわち太平洋側に軍事的影響力を広げている中国側を封鎖する上で戦略的に重要な位置にあるという判断のためだ。

韓中と日本、異なる解釈


 今年に入って沖の鳥問題に多少の変化が生じた。日本は2008年、国連・大陸棚限界委員会(CLCS)に沖の鳥を含む周辺海域71万?を大陸棚として認定してくれるよう要請した。韓国と中国は、これに反対した。ところで今年4月、国連の大陸棚限界委員会が沖の鳥を岩礁ではなく「島」と判断し31万?を日本の大陸棚として認定した、と日本のメディアが報道したのだ。この通りであれば日本の「勝利」だ。ところが中国や韓国は大陸棚限界委員会が日本側の要請の中から沖の鳥を除いた31万?についてのみ日本の申請を受け入れる決定をしたのだ、と反論を展開した。事実上、日本の要請を拒否したものと解釈している。ベッド1つ分の広さの岩をめぐる紛争は19世紀以来の帝国主義時代が、その種を蒔いた。そして現在の軍事的安全保障問題がこれを大きくしている。(「ハンギョレ21」第929号、12年9月24日付、クォン・ヒョッテ/聖公会大・日本学科教授)

サムスン半導体工場でまた2人が死亡

被害者5人 集団労災申請

下請け業者 がん患者が多発


 サムスン半導体工場に勤務して白血病、リンパ腫、肺がん、乳がんを発病した五人の労働者が集団労災申請を行った。その中の二人は、すでに今年五月と八月にそれぞれ死亡している。
 これまで明らかになったサムスン半導体、サムスン電子のそれぞれで労災により死亡した労働者は四人である。だが、今回の労災申請に参加した二人を合わせれば総勢六人のサムスン職業病被害者が命を失ったことになる。
 サムスンの半導体下請け業者の場合、常時勤務者の二五%が乳がん、肺がんにかかって死亡し、あるいは闘病中という衝撃的な事実が明らかになった。
 一六日午前、勤労福祉公団前での記者会見では、故パク・ヒョスン氏などサムスン半導体労災労働者五人についての集団労災申請を行うことが明らかにされた。

明らかになった
人数は氷山の一角
 一九八四年生まれのパク・ヒョスン氏は、高等学校三学年だった二〇〇二年、サムスン半導体キフン工場に入社した。パク氏は六ラインおよび八〜九ラインに勤務し、二〇〇六年初めに体調を崩して退社した。二〇一〇年一一月悪性リンパ種の診断を受け、今年八月一九日に二八歳で死亡した。
 故イ・ギョンヒ氏も去る一九九四年、二三歳でサムスン半導体キフン工場に入社。一六年間乾式エッチング工程設備エンジニアとして勤務したが、二〇一〇年に肺がんの末期の診断を受け、闘病生活の末今年五月一六日に死亡した。
 今年満二七歳のキム・キチョル氏は、大学卒業予備生だった二〇〇六年一二月からサムスン半導体ファソン事業場に勤務。入社六年目の今年九月、歯茎に出血があったため病院の診断を受けたところ急性骨髄性白血病の診断を受けた。現在、亜洲大病院で抗がん剤治療を受けている。
 イ・ジョンラン労務士は「今年までに四人のサムスン半導体被害者が死亡したと聞いていたが、二人の労働者については把握していなかった」とし「まだ把握されていない数多くの労働者が死亡したり闘病しているのではないか」と憂慮した。
 このほかにサムスン半導体の下請け業者では、がんが集団発病したことが明らかになった。ヨンインにあるサムスン半導体の下請け業者の(株)QTSでは、二〇一〇〜二〇一二年までに常勤労働者二〇人のうち四人が乳がんの診断を受け、ひとりは肺がんで死亡した。
 この事業所では四〇〜五〇代女性が主に勤務し、労働者は換気が不十分な劣悪な環境で鉛、フラックスなどを使った鉛メッキ業務を行っていたことが明らかになっている。
 イ・ジョンラン労務士は「四〇〜五〇台の女性の乳がん発病については、労災と容易には結びつけることができないが、二〇人の常勤労働者のうち、勤続年数が四〜五年間の長期にわたった五人が、過去二年間にさまざまながんにかかって死亡し、あるいは闘病中である」と述べた。現在の乳がんの治療を受けているキム某氏など二人が集団労災申請行った状態だ。
 一方、これまで情報提供されたサムスン労災の被害者は約一六〇人に達しており、このうち五八人は死亡している。また、約三〇人の被害者が労災申請を行ったが、勤労福祉公団の労災認定は、今年の四月の再生不良性貧血患者のキム・ジスク氏の例だけである。
 被害者ハン・ヘギョン氏の母親は「勤労福祉公団の建物を見上げるだけで、このあいだに受けた苦痛の記憶で悲しくなるだけだ」として「公団は権力とお金でなく中立の立場に立って、労働者の職業病認定に取り組まなければならない」と強調した。

ユン・ジヨン記者
12年10月16日

 原文:チャムセサン

 


もどる

Back