ポルトガル
不法な債務返済の棚上げを
警察と軍は不介入を宣言
ルイ・ペレリア・ヴィアンナ
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世界のメディアは、二〇一二年九月一五日のポルトガルの政治生活を揺るがした巨万の民衆的決起を、首都での少なくとも五〇万人を含む、全国で一〇〇万人(人口の一〇%)の抗議をほとんど無視してきた。それは、サラザール独裁体制崩壊後の一九七四年メーデー以後では最大の決起だった。
緊急政策に耐え
忍んできた民衆
近年、社会組織や社会運動の一定程度少数の決起は別として、ポルトガル民衆は、あきらめの気持ちで緊縮政策を堪え忍んできた。 このあきらめは、先天的な愚かさに起因するものでないことと同じく、いわゆる「民族的(ないしは文化的)特性」の産物などではない。まったくそうではなくそれは、何十年にもわたる大量の宣伝キャンペーンから来ているものだ。そのキャンペーンは、それとは逆の証拠すべてにもかかわらず、もっとも恐るべき作り話を信用するようポルトガルの労働者を導いてきた。政府の赤字あるいは公的赤字に対する責任は民衆にある、そしてその救出は銀行や金融の投機屋次第だ、さらに公共―サービスやそれを動かしている労働者に支払うカネはない、こういったことを信じさせようとするキャンペーンの結果として、この国の住民たちはトロイカの干渉を受け入れた。
月額最低可処分賃金が近年では四〇〇ユーロ以下(この数字は、スペイン、ギリシャ、また欧州の他の諸国のそれと比較されるべきだろう)となってしまっている国に、このだまされやすさが生じている。そしてそれは二つの結論の基になっている。
1.何世代にもわたる貧困に慣らされた人々を支配することはより容易である。
2.過去三〇年の成り行きの中で、資本と政権を代わる代わる引き継いできた諸政党(PS、PSD、そしてCDS―PP)は、彼らの勢力と資源のほとんどを、情報を扱う顧問を雇うこと、並びにメディアの絶対的支配に集中してきた。
あきらめからデ
モ・反乱に決起
しかしながら時を経る毎に、不満と反乱がいくつかの層で感じられるものとなった。二〇一一年三月一一日以来、二つのゼネストといくつかの大デモが現れた。そして九月一五日われわれは、怒りに駆られた人々の巨大なデモを見た。これらのデモは全国で一〇〇万人以上を動員したと見積もられている。
このデモへの呼びかけとなったスローガンは、現在の反乱の理由すべてを模範的なやり方で概括した。「トロイカをたたき出せ! われわれが欲するものは生活だ!」、そして「われわれは常識を超えた何事かをやらなければならない!」と。この三つの章句の中にすべてが示されている。すなわち、政府打倒の緊急性、緊縮政策を終わりにすること、国家の社会的機能の再結合、資本に利益を与え労働者から奪う不法な債務返済の棚上げ、がそれだ。
デモの前夜には、警察と軍下士官の何人かの代表者は、明確なメッセージを送った。「ポルトガル民衆は、この事態に反対して反乱する十分な理由をもっている。そして政治的な指導者たちは、警官と下士官が宣誓して守るとしている民衆を抑圧することで、彼らを当てにすることはできないだろう」と。
一〇〇万人の民衆は何を示すことができるのだろうか?
現連立政権(CDS―PPプラスPSD)は、二〇一一年六月五日には登録有権者の二九%の支持を得た。しかしそれは、
▼労働者が年当たり一カ月から三カ月の俸給を失う前だった。
▼団体協約取り消しの前だった。
▼時間当たり、週当たり、さらに年当たりの労働負荷引き上げの前だった。
▼労働者が不払いの追加労働時間(さらに追加労働日)を義務づけられる前だった。
▼付加価値税引き上げの前だった。
▼疾病、障害、医療、教育、文化の分野での財政支出削減、また失業給付と最低所得給付の切り下げの前だった。
▼教員の大量解雇の前だった。
▼解雇、速配便改革、そして国民保健システムにおける医師と看護師の不安定な条件での再雇用の前だった。
▼公共病院における利用可能ベッド数の徹底的な削減の前だった。
▼奴隷にようにされることに慣らされた労働者へと、五歳時点で子どもたちを変えることを狙いとした、教育諸方策の強化の前だった。
▼都市中心部の縁にある貧しい居住区に警官隊が来て、人々を殺害する前だった。
▼自治体当局の暴力的かつ違法な諸行為に反対して平和的に抗議したことをもって、抗議した一〇〇人以上が法廷に引き出される前だった。
▼デモや集会を広めたウェブサイトの閉鎖の前だった。
▼ スラムの人々を助けようと試みていた活動家が私服警官たちにから激しく殴打される前だった。
▼雇用を求めまたリーフレットを配布する目的で職業紹介所に入ろうとしたことをもって、怒れる失業者たちが逮捕され法廷に引き出される前だった。
▼教員の時間当たり労働負荷が不意打ち的に引き上げられる前だった。
▼二年前には一クラス児童数が二四人だったのに、今や最大三〇人となる、このように教育相が公表する前だった。
▼カネのない地方の透析患者が、すでに現代の新たな虐殺と見なされ得るように、確実な死まで放置される前だった。
▼教育センターでもあったこの国で最大の産院の閉鎖を政府が命じる前だった。▼文化予算の一〇〇%カットの前だった。
今回のデモには、このデモを非難することから話を始めていた政治組織、政党、労組の活動家や支持者も何万人の単位で参加した。このことも知られるべきだ。その前の週を通して、また人々が集まり始めた二時間前にいたるまでメディアは、警察の襲撃、悪意のある意図をもった挑発者の潜入分子や覆面をした過激派に言及しつつ、こうしてデモに参加することから数万人以上の人々を遠ざけることに力を貸しながら、人々がデモをすることを思いとどまらせようと集中的にキャンペーンを張ったが、これも知っておくべきことだ。外見上の見せかけの下でメディアは、潜在的な抗議の意思をもつ人々を決起から遠ざけるために、やれる限りのことを行った。
突然の想定外の
最後の決定打
時を選ぶ感性の明らかな欠如を示しながら、デモの呼びかけの二日後に首相は、労働者には忘れようのないもっとも攻撃的な諸方策を公表した。つまり、雇用主負担の五・七五%カットと一体となった社会的基金労働者負担の七%引き上げ、そして国家の社会的機能の追加的切り下げだ。この方策は、以前の緊縮諸方策に上乗せされて出されたものであり、少なくとも八・五%の新たな賃下げを含んでいる。
多数のデモ参加者(おそらくは過半数の)は、この他の闘争の武器はまったくもっていない――多くは、即時の解雇や派遣会社のブラックリストに載せられるという制裁があるため、リーフレットを配ったりストライキに訴えたりする「ゆとり」をもつことのできない臨時労働者であるが故に――。今日多くの人々は、デモに姿を見せることや写真に撮られること、また公然と識別されることを恐れ、結果として仕事を失うことを気づかっている。われわれは、独裁体制の下で一般的だったものと似た雰囲気の中で暮らしているのだ。
これらの理由があるため、九月一五日の今回のデモは、デモ参加者数以上の意味をもつ、この国を揺るがしつつある反乱精神の鮮明な表現だった。数という厳密な指標を見れば、われわれが思い起こすことのできるこの規模のデモはただ一つ、一九七四年のメーデーだった。その時は、一〇〇万人の民衆がリスボン(当時は今日に比較して約二倍の住民がいた)の街頭に繰り出した。そしてその時印象的だったことは、カーネーション革命をもって四月二五日に起きたサラザール独裁体制崩壊を経て、人々が笑い互いに抱き合う様だった。今回の九月一五日にリスボンとポルトの街頭に見出せなかったものこそ、その喜びだった。
大衆的決起は荒野
の偶発事ではない
もちろん、街頭に繰り出し「もうたくさんだ!」と言うだけでは十分でない。政治的力関係の変化は常に、適確な目的やスローガン以上のものの結果だ。政権を強要し退却させるためには、闘争のもっと厳しい形態が必要とされる。この意味で、九月二五日にこの国で示された大きな潜在的可能性を前にした時、労働組合と左翼諸組織には、緊縮と既存の権力に対決する闘争を組織する点でのこれまで以上の大きな責任がある。それらはもはや、労働者の精神状態に関する疑念を示すことで生ぬるい姿勢を正当化することなどできない――諸個人の政治的観点とは関わりなく、緊縮策を終わりにし、政権並びにトロイカの干渉に終止符を打つ自覚と意志があることは鮮明なのだ――。
この時点から、このデモを考慮にはっきりとは入れない、また沈静化を試み関与を放棄するすべての労働組合と政治組織は、ただ忌まわしい反逆行為と見なされる可能性があるだけだろう。
二〇一二年九月一六日、リスボン
▼初出はCADPPサイト。
▼筆者はCADPP(ポルトガルの公的債務帳消し委員会)の活動家。(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年一〇月号)
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