読書案内
『検察崩壊 失われた正義』
郷原信郎著/毎日新聞社刊/一三〇〇円+税 暴き出される密室のストーリー
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本書は、「小沢一郎・陸山会事件」(政治資金収支報告書虚偽記載事件)で東京地検特捜部が強行した虚偽公文書作成事件と組織犯罪隠蔽工作を批判し、検察権力機構の腐敗と堕落の一断面を描き出した。著者の郷原信郎(弁護士/元検事)と元法務大臣の小川敏夫、小沢元秘書の石川知裕衆議院議員、元大阪地検特捜部長の大坪弘道、八木啓代(健全な法治国家のために声をあげる市民の会代表)がそれぞれ対談し問題を掘り下げている。
共謀ストーリー
がねつ造された
検察は、一連の小沢・陸山会事件において政治資金収支報告書の虚偽記載が小沢と秘書との共謀があったとするストーリーをでっち上げて、次々と組織犯罪を繰り返していった。その一環としてあったのが秘書の大久保隆規の逮捕(二〇〇九年三月三日)だった。西松建設の偽装献金を「虚偽記載」にあたる政治資金規正法違反罪に該当するというものだった。さらに陸山会事件の「虚偽記載」で秘書だった石川、大久保、池田光智を逮捕した(一〇年一月一五日)。だが、小沢は不起訴だった。
今度は「真実を求める会」という市民団体が小沢を共謀共同正犯嫌疑で刑事告発(一月二一日)し、検察は二月四日に不起訴とした。同団体が、東京第五検察審査会に不起訴を不服として審査を申し立てた。検察審査会は四月二七日に、小沢に対する「起訴相当議決」を行った。
検察は、検察審査会の起訴議決後の再捜査で事情徴取を行った。石川は、取調室にボイスレコーダーを持ち込み、田代政弘検事のデッチアゲのための取り調べを録音し、後にその全貌を暴きだした。 取り調べ室で
何があったか
第一章「小沢氏元秘書が語る田代取調べ室の真実=vでは石川が、「政治資金収支報告書の内容については、年末に一応おおまかな事を報告しただけで、ほとんど具体的には報告・了承を行っていない」と主張しているにもかかわらず、田代の「それでは上司が納得しない」「この程度の調書の記載であれば小沢さんは起訴されない」などと言いくるめ、恫喝と脅迫を行使しながら調書に署名をさせたことを明らかにしている。
田代の取り調べ、調書作成は、検察幹部の承認のもとに行っていることは確かだ。上司の主任、部長、次席、検事正の協議、そして高検、最高検の承認によって遂行したのである。このデッチアゲ報告書が検察審査会に提出され、小沢を起訴すべきだとする起訴議決に誘導していくことまで東京地検特捜部、最高検はねらっていたのであった。
その後、この虚偽公文書作成が暴露されるや検察幹部は、田代に「記憶違いによる過失」などと証言させた。結局、田代は不起訴処分で減給、上司だった佐久間達哉特捜部長らも戒告処分で逃げ切ることに「成功」したかにみえた。
しかし最高検も報告書の中で一連の経過を居直って正当化し、従来のように権力犯罪を強行しようとしたが、今回は取調べ状況の録音記録の反訳書(文字起こししたもの)と報告書の違いが明白であることが社会的に明らかとなり、「絶体絶命」のピンチに追い込まれてしまったのだ。しかも最高検が報告書の一般公開を拒否したが、ネットに流出してしまった。
東京地裁は小沢に対して無罪判決(一二年四月二六日)をだしたが、検察官役の指定弁護士が控訴した。東京高裁は、初公判で結審し、判決は一一月一二日に言い渡される。小沢判決がどうなるにせよ、検察機構の権力犯罪の隠蔽を許してはならない。 指揮権発動に
動いた元法相 第二章は、「元特捜部長が反省悔悟、そして検察批判」というテーマで大坪が語っている。現在、大坪は村木厚子さん郵便不正えん罪事件で大阪地検特捜部長として「証拠の捏造」に関与し、犯人隠避罪で逮捕され、大阪地裁で有罪判決(一二年三月三〇日、懲役一年六ヶ月、執行猶予三年)を受け控訴し公判中だ。
大坪は言う。村木さん郵便不正事件では、デッチアゲに関与した前田恒彦元検事ら自分も含めて幹部が逮捕され、起訴まで追い込まれたが、「小沢一郎・陸山会事件」では検察機構の組織温存のために田代検事だけが辞職と不起訴処分だった。この検察官僚の立ち居振舞いに対して「今回の最高検報告書が、いかにとんでもないものか、あってはならないものか、しっかり言わなければならない。それが、検察に対する私自身の使命だと思います」と憤怒の感情を前面に押し出している。
だが村木さん郵便不正事件については、「監督責任を問われることはあっても」「犯罪者として処罰を受けるようなことは絶対にしていない」と断言し、いまだに権力犯罪を強行した自覚がないようだ。そして、かつての元大阪高検公安部長の三井環の検察裏金告発を事前逮捕(〇二年四月二二日)によって圧殺した犯罪関与についても反省がない。
巻頭特別対談では小川元法務大臣が検察権力の組織的隠蔽に対して権力防衛の観点から徹底した調査が必要だと判断し、指揮権を発動しようとしたことを明らかにしている。
五月下旬に官邸で野田首相に相談したら「やめろ」といわれ、一二年六月四日の野田内閣改造で解任に追い込まれたと小川は同日の記者会見で暴露した。検察庁法は指揮権について「法相は個々の事件の取り調べや処分については、検事総長のみを指揮することができる」と明記しているが、検察幹部はマスコミにリークし、「個々の事件に関して法相が指揮するのは司法に対する政治的介入になりかねない」などと煽り、詭弁を弄して、検察官僚の指導によって野田首相に阻止させたのが実態だ。小川は、このままでは「検察は今後五〇年間信頼を回復できない」と嘆くだけだ。
検察機構防衛
を許さぬ世論を
第三章「ネット時代の市民が検察を追い詰める」で八木が「メディア自体が、一連の検察の捜査に乗っかるような形で、無批判な小沢バッシングを今まで繰り広げてきてしまったので、今さら引っ込みがつかないというか、今さら検察が間違っていたと断罪することは、メディアの在り方も間違っていたということを認めることにもなるので、素直に報道できないという部分があるようには感じます」と指摘する。その後の一連の小沢裁判報道においてもこの姿勢は変わっていない。
現在、市民の会は、田代政弘元検事を虚偽有印公文書作成及び行使と偽証、佐久間達哉元特捜部長、木村匡良元主任検事を虚偽有印公文書作成及び行使の共犯で、検察審査会に申し立てている。
最後に郷原が「対談を終えて」で「検察の組織的不祥事と法務大臣の指揮権をめぐる問題」について展開する。そして「今からでも遅くない。外部者による陸山会事件の捜査の検証などによって、真相究明を図るべきである」と提言し、滝元大臣を「何ら責務を果たさなかった大臣」として指弾している。
以上のように本書を通して検察機構の欠陥が浮き彫りになる。検察の悪あがきを放置してはならない。われわれの結論は、でっち上げマシーンの検察特捜部の解体であり、最高検による検察機構防衛を許さない陣形の構築である。その一環として検察・警察の任意の取調べも含めた全過程の録音・録画の導入実現、人権侵害に満ちた取調べの温床である代用監獄の廃止、証拠の全面開示、弁護人立会権を認めさせることだ。すべての権力犯罪を摘発し、一掃していこう。 (遠山裕樹)
映画案内
『トガニ 幼き瞳の告発』
ファン・ドンヒョク監督作品/韓国映画/2011年
「障害者」への性的暴行と
通底する「慰安婦」への暴力 「トガニ 幼き瞳の告発」という映画(ファン・ドンヒョク監督作品/二〇一一年/韓国映画)を観た。 韓国の「聴覚障害者」の学校で、教職員が長年にわたって「障害者」たちに性的暴行を加えていた。『私たちの幸せな時間』のコン・ジヨン(孔枝泳)さんは、その事件の公判に関する新聞記事に触発されて小説・『トガニ』を書き上げた。その小説を読んで強い衝撃を受けた俳優コン・ユさんの強い要望によって映画も作られる。映画は、四六七万人の観客を動員する。事件の裁判は学校側に甘い結末を迎えていたが、事件は再捜査され、問題の学校は廃校になり、法律が改正される。蓮池薫さんは、『波』二〇一二年六月号で、そういう意味のことを述べている。「トガニ 幼き瞳の告発」は、その映画だ。「幼児や障がい者への虐待や施設の閉鎖性など、すべて日本でも身近な問題だ。そして真実はもっと悲惨で卑劣なのだ」。斎藤綾子さん(大学教員)は、『ふぇみん』二〇一二年六月一五日号で、そう述べている。
「障害者」に性的暴行を加えた学校側とそれと闘う人びとのやりとりを見て、従軍「慰安婦」問題のことを私は考えた。日本がやってきたこと・やっていることは、「障害者」に性的暴行を加えた学校側がやったことと同じなのではないか。いや、もっと悪いかも知れない。コン・ジヨンさんやファン・ドンヒョクさんには、従軍「慰安婦」問題を扱った小説や映画も作ってもらいたい。この映画は、金曜日か土曜日か日曜日の夜にテレビで上映してほしい。この映画を作ったファン・ドンヒョクさんや原作を書いたコン・ジヨンさんや原作の映画化を要望したコン・ユさんらを私は尊敬する。この映画を一人でも多くの人が観て、それが「障害者」に対する差別のない世界、性暴力のない世界の建設につながれば良い。私は、学校側と闘う美術教師や人権センターの幹事のような人間でありたい。私は、そう思った。(二〇一二年九月一六日)(投書 沢村
満)
コラム
東京新聞の真価 東京新聞は「新聞報道のあり方委員会」全体会議の内容を、一〇月一四日の朝刊に見開きで掲載した。
同紙は過去、精力的に「共謀罪反対」の論陣を張り、「3・11」以降は「反原発」の旗幟を鮮明に打ち出して、活動家から支持を得ている。運動の現場では、集会の資料としてはもちろん、コピーを拡大してプラカードにするなど、その人気ぶりが随所にうかがえる。
首相野田は六月一六日午前、関西電力大飯原発3・4号機の再稼働決定を強行した。前夜の金曜日には、首相官邸前で大規模な抗議デモがあった。ところが一六日の朝刊では、この行動は一行も報じられず、不審に思った読者からの抗議や問い合わせが、一〇〇件以上に寄せられた。
同紙はこの問題を二一日の「応答室だより」で取りあげ、釈明している。不掲載の理由は、指摘された外部の圧力でも自己規制でもなく、担当部署内の単なる連絡ミス。結果的に現場に一人の記者も出さなかったという。
私はこの初歩的なミスよりも、同紙が事態の経過を公表したことに仰天した。今日、党派の機関紙ですら、ボツの理由を説明したりはしないだろう。一〇〇人の声を黙殺しようと思えば、いくらでもできたはずだ。これまでの論調を見れば、いまさら圧力とやらに屈する必要もあるまい。同紙の「応答」には、なるほど説得力がある。
ジャーナリストの魚住昭氏は、この対応を「画期的」だと称賛。「読者の信頼感がさらに増したのではないか」と語っている。
ある立場を明確にすればするほど、風当たりが強くなることも、この採録は示している。出席した木村太郎は、「新聞社としてバランス感覚を持て」などと、苦言を呈している。「バランス感覚」と言えば聞こえはいいが、保守や現状維持派が、対立者をけん制する際に持ち出す常とう句であり、「原発ゼロ」におびえる木村の本音が吐露されたともいえる。
原発を止めるか否かは、人類の命と健康を左右する、根源的な問題であり、そこには「バランス感覚」や「ブレ」といった「幅」が入り込む余地はない。「生きるか死ぬか」という究極の選択なのである。
もちろん天皇制や領土問題、TPPやジェンダーなど、個別のテーマでは立場の違いが歴然とする。ただ大手商業紙に市民運動すべてへの同調を求めるのも、無理がある。むしろ私は、取材現場の葛藤を想像する。さぞかしクラブ内で冷遇され、不利益を受けているのではないか、と。
この疑問に、特集の最後で石川智規記者が答えている。「正直、孤独ではある。だが怖くはない。あらゆる読者の反響が僕たち現場の記者を支え、記事を磨いてくれる」――謙虚な発言だ。その姿勢を貫くことを、心から願っている。 (隆)
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