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    かけはし2012.年10月1日号

今こそ民衆の自由 国際連帯を

エジプト

ムスリムへの侮辱を引き起こしたもの

怒りの爆発を米 イスラエルへ

革命的社会主義運動


 イスラム教の預言者ムハンマドを誹謗した映像に抗議してアラブ諸国全域で反米暴動の波が広がっている。二〇一一年のアラブ革命を反欧米・反キリスト教の宗派主義的激情に流し込もうとするイスラム主義潮流の活性化に対して、エジプトの革命的社会主義グループは、この怒りの爆発をアメリカ帝国主義とイスラエルに対する闘いに向けるよう訴える声明を発した。かれらは二〇一一年のアラブ革命を、民衆の自由と国際的連帯に向けて発展させるよう訴えている。(「かけはし」編集部)
 革命的社会主義運動は、ムスリムであろうとキリスト教徒であろうと宗教的施設やシンボルへのあらゆる攻撃を完全に拒否することを確認する。そうした行為は労働者・農民、貧しく抑圧された大衆の大多数の隊伍を破壊し、宗派的傾向と分極化を強化している。こうした攻撃は、幾百万人もの人びとの生活と運命を支配・統制する搾取者と投資家たちの一団に対する戦闘の中で、大衆の闘争、統一、かれらの自己意識と自主的組織化の発展を弱めている。
 またわれわれは、アラブ革命の真の闘いとはアメリカ帝国主義に対する闘いであって、別の文化や表現の自由に対する闘いではないことを強調する。この闘いは、勤労民衆、抑圧されたすべての民衆による内外の搾取者、苦しみを与える者どもに対するラディカルな闘争の発展を通じる以外には勝利しないだろう。
 アメリカ帝国主義に対するこの闘いは、「文明の衝突」の問題に切り縮めることはできない。小グループによるリビア、エジプト、イエメンの大使館や米軍基地に対する暴力は、独立と民族解放を求める下からの大衆闘争の代用品になることもできない。
 かれらがアメリカに対する怒りに火をつけたその時、ムスリム同胞団とサラフィスト(イスラム原理主義の一派)の指導者たちは、米国との外交的・経済的・軍事的関係の維持を強調していたのである。かれらは、帝国主義政権との協力をやめるための、いかなる真剣なステップにも踏み込もうとしなかったし、民族独立を無駄に浪費するシオニスト国家との恥ずべき平和協定を破棄する真剣な努力を行おうともしなかった。政府当局者がシナイ半島で犯した虐殺に汚れた手を洗うやいなや、かれらはガザ地峡を取り巻くトンネルを破壊した。それはアメリカとイスラエル政府の直接的支持を獲得し、かれらとの協力的連携を強化した作戦の中で行われたことであった。
 この事件は、アラブ革命に対しその集団的・民主主義的価値のレベルで打撃を与える企図を示している。これはグローバルな抵抗の運動に示唆を与え、これらの革命とともに形を取り始めた虐政からの自由を求める全世界の民衆の連帯モデルに対する打撃である。
 この地域における米国の役割を、ムスリムとキリスト教徒、あるいは東と西との文化的・宗教的侵略として描き出す、こうした怒りの言葉と行動は、帝国主義に対決するイスラム主義のレトリックに影響された大衆をふくむ民衆の爆発的怒りを宗派主義的・排外主義的方向に向けるのに資するだけであり、それは根本的な間違いである。これは、街頭からの圧力を感じないまま、外交的手練手管を弄して米国やイスラエルをなだめることに異議をさしはさまないイスラム主義潮流指導部に機会を与えるものとなるだろう。
 革命的社会主義運動は、選挙で選ばれた政府当局に圧力をかけるため、自らの力を動員し、その隊伍を組織化するよう人びとに訴える。

?米軍に反対し、米軍とのあらゆる形での協力を阻止せよ。
?キャンプ・デービッド協定(訳注:米国のカーター大統領が仲介し、一九七八年九月にエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相の間で結ばれた平和協定)をきっぱりと破棄せよ。
?あらゆる可能な方法でパレスチナの抵抗運動を支持せよ。
  革命的社会主義運動
 二〇一二年九月一四日

パキスタン

全土に暴力的衝突拡大

闘いを反欧米・反キリスト教に歪めるな

 イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱する映像に反対する抗議の行動は、イスラム圏全域に拡大している。九月二一日、パキスタンのザルダリ政権は、この日を「預言者ムハンマドを愛する日」として休日にし、国民に「平和的デモ」を呼びかけるという異例の措置をとった。しかしこの官製の「平和的抗議デモ」は、全土で暴力的衝突となり、二〇人以上が死亡したと報じられている。以下はパキスタン労働党のファルーク・タリクのコメントである。(「かけはし」編集部)
 本日(九月二一日)ほとんどすべての都市の街頭で起こったことは、完全に常軌を逸している。宗教勢力は、恥辱を与える映画の制作という問題を、自らの政治的主張を広げる口実に利用し、カラチ、ペシャワールなどの都市で映画館を焼き払い、記者クラブを攻撃し、一般の人びとのバイクや自動車に火をつけ、私有財産、公共財産を損壊し、警官を襲撃して幾人かを殺害した。これは抗議行動ではなく全くの暴力である。
 これは米国のファナテイックな宗教グループが制作した映画への抗議ではなく、自らの力と暴力的戦術で一般大衆をおびえさせることを目的にした、宗教の名による右翼政党の政治的扇動である。
 パキスタン政府もまた、この常軌を逸した行動に責任がある。かれらは映画の問題に関して具体的行動を取るのではなく、ファナティックな宗教グループのご機嫌を取るために彼らと歩調を合わせ、デモと集会のために本日を休日と宣言したのである。PPP(パキスタン人民党)政権は何事も学ばなかった。政府は次々に誤りを繰り返している。
 パキスタン労働党(LPP)は、一般の人びと、公共財産、記者クラブなどへの暴力行為を非難する。われわれは宗教諸政党の暴力によって、今日、生命を失った人びとに哀悼の意を示す。
 われわれはこの映画に全く反対である。これは挑発的な映画である。そしてすべてのパキスタン人はこの映像に抗議している。しかし宗教諸政党のやり方も批判・暴露されなければならないのだ。

ファルーク・タリク
 

オランダ総選挙結果

社会党の幻想は打ち砕かれ、右派が勝利

課題は新自由主義に反対する運動

ヴィレム・ボス

 九月一二日、オランダで総選挙が行われた。右派政権の緊縮政策への批判の中で、左派社会民主主義政党で、もともとは毛沢東派だったというユニークな歴史を持つ社会党への支持が世論調査で急増し、九月の総選挙で社会党が第一党になる可能性も予測されていた(本紙六月二五日号七面記事参照)。しかし資本と右派の強烈な社会党バッシングの中で、社会党は議席の現状維持にとどまり、第一党となった右派の自由民主党が主導する連立政権が再び形成される状況になっている(オランダの選挙制度は二院制の完全比例代表システム)。以下は社会党がなぜ現状維持にとどまったのかについての第四インターナショナル・オランダ支部の同志の分析。なお第四インターナショナル・オランダ支部(SAP)のメンバーのほとんどは各地域で社会党にも参加し、幾つかの都市では社会党の自治体議員に選出されている。(「かけはし」編集部)

新自由主義派の
VVDが第一党
 マーク・ルッテ首相率いる右派で新自由主義のVVD(自由民主党)が、九月一二日の総選挙で勝利を収めた。彼の党は一五〇の総議席のうち四一を獲得し、三八議席だった社会民主主義のPvdA(労働党)に勝利した。敗者となったのは、数十年間にわたってオランダ政治の中で支配的な政党だったが、今や一三議席にまで議席を減らしたキリスト教民主党(CDA)である。緑の党は六議席減らして四議席となり、ゲールト・ヴィルダースが党首である、右派で反ムスリムで反EUの自由党は以前の二四議席のうち一五議席を保持しただけだった。社会党(SP)は期待に反して一五議席にとどまり、前回に得ていた議席と同じだった。
 社会党のルーツは毛沢東主義だが、左派社会民主主義の政党に転換していった。数週間前にはこの党は、首相の地位に挑戦する党と見なされていた。八月中旬の一部の世論調査では、社会党は三七議席を獲得し、議会の最大政党になるとさえ予想されていたのである。しかし選挙の終盤では、ルッテと労働党の新指導者ディエデリク・サムソンの間の一騎打ちとなっていた。

労働党の左翼的
イメージ転換
 自由民主党は、ゲールト・ヴィルダースの主張の中身や調子とほとんど区別のつかない、これまでで最も右翼的なキャンペーンを行い、結党以来最大の勝利を獲得した。このようにして自由主義派は、ヴィルダース支持層の一定部分を奪い取ることに成功したのである。
 それと似たようなことが、政治的支持領域の分布図の左端の部分でも起きた。サムソン指導部の下で、労働党は左翼的イメージを採用し、社会党支持者に誘いをかけようとした。社会党は動揺し、サムソンが勝利した。現在、自由民主党と労働党は、おそらく少数の中道政党の支持を得て、ともに政権を構成せざるをえなくなっていることは確かである。両党は、支持者の期待に応えるという大きな困難を抱えることになるだろう。
 とりわけこれは労働党にとって問題となる。結局のところ労働党に投票した多くの左翼支持者は、新たな自由民主党主導政権を阻止するという企図を抱いていたのだが、それができなかったからである。

右派への譲歩が
政治的離反の原因
 今回の選挙は、社会党にとって大きな失望となった。社会党指導部は、政権への参加を勝ち取ることを目標に設定した。二〇〇六年に同党は二五議席を獲得したが、連合政権から排除された。指導部はそうしたことを再び起こさせない決意を抱いていた。選挙において強力な存在感を示すことを別にすれば、その決意は、党が政権に参加する用意があることを示すものでなければならなかった。社会党の選挙綱領は穏健なトーンを採択し、社会党員は多くの都市や地域で、党は右派政党とともに連合政権に参加すると強調した。社会党の新指導者であるエミール・レーマーは、議員として、自由民主党と連合政権で効果的に協力することができることを示した。
 こうしたアプローチの方法は成功するかに見えた。選挙戦が本番に入る前の時期には、社会党は世論調査で着実に支持を伸ばしていた。中心的なメッセージは「危機からの自由主義的脱出か、それとも社会的脱出か」だった。「皆さんはルッテの首相の座への復帰を阻止したいと思いますか。それなら社会党に投票を」。
 予想できたことではあるが、資本家と右派は社会党に悪らつな攻撃をしかけた。しかしレーマーは反撃するのではなく、この激しい攻撃の不公正さに文句を言うだけの対応だった。その攻撃が知られるようになった時、社会党はまわりくどいやり方で年金給付年齢引き上げ拒否を撤回した。社会党に投票する可能性のある有権者は、そうした姿勢に失望した。
 「われわれかルッテか」というアプローチの仕方は、人々に政綱への投票ではなく、将来の首相への投票と、自由民主党反対を呼びかけるものだった。労働党が支持をいっそう拡大する中で、社会党の戦略は裏目に出て、投票の一週間以上前から選挙はサムソンとルッテとの間の闘いであることがはっきりした。人びとにとって優先すべきことはルッテの勝利を止めることであり、その論理的選択はサムソンへの投票だった。社会党はますます防衛的にならざるを得なかった。
 社会党への幻滅は、下手に運営された選挙キャンペーンと、可能性への誤った評価によって引き起こされただけではない。根本的な問題は、左翼と社会主義の政治に関わっている。社会党は危機からの社会的脱出、新自由主義との決別という立場を取っている。こうした決別とは、できるだけ多くの議席プラス受け入れ可能なパートナーとしての右派への譲歩、のコンビネーションによっては実現できない。
 社会党が政権に参加し、その政綱の重要な部分を実施するのにいいチャンスと考えるのは、つねに非現実的だった。デンマークの社会主義人民党(訳注)の経験は、このような戦略がどのような破綻をもたらしうるかを示している。社会民主党の首相ソリング―シュミットの下での政権への参加は、かれらの大衆的人気の崩壊をもたらしたのである。
 もちろん社会党は政権を取ることを目指すべきである。政治とは権力、つまり政策を決め政綱を実施する権力にかかわるものである。しかしまた真摯な左翼政党は、支持者に対してこうしたことはつねに可能であるわけではないと告げる。そのために必要な条件があり、政権への参加は力関係に依存している。左翼の政治は、社会における力関係の変革の重要性を強調するものであるが、社会党はそれを不十分にしか行わなかった。
 最近の失望にもかかわらず、社会党は依然として欧州における左派社会民主主義政党の中で最強の党の一つである。社会党が新自由主義への反対を堅持すれば、大きな可能性がある。おそらく短期的な政権への参加ではなく、新自由主義的な危機管理に反対する強力な運動によって可能性が見出されることは確かである。

(訳注)デンマークの社会主義人民党は一九五九年にソ連派の共産党から分裂。現在は環境政党としての性格をも強め、欧州グリーンズにオブザーバー参加。現在社会民主党とともに連立政権を構成している。日本共産党とも友好関係にある。
▼ヴィレム・ボスは社会主義オルタナティブ政治(SAP、第四インターナショナル・オランダ支部)のメンバー。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年九月号)


 


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