福島の今を聞こう そして
脱原発―次の社会を語り合おう
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【大阪】 ワークショップ『福島の今を聞こう そして脱原発!次の社会を語りあおう』「次の社会」の前に、まず「福島の今」を知ろう、ということで佐藤一夫さん(福島県生協連専務理事)の問題提起「福島の今、子ども・暮らし」を聞く。それから、原発なき「次の社会」を考えるために?デイオスコロ・カルムバスさん(フィリッピン非核運動)に『原発から地熱発電へ』?野池政宏さん(住まいと環境社)に「1985energy・life」?麻生義継さん(東和電機株式会社)に「福島県で自然エネルギーの企業集団をつくる」?長谷川羽衣子さん(緑の党)に「みんなでつくる節電所」、と話題提供してもらう、という内容。(時間が足りず?〜?は紹介だけになり、実質的な論議も午後からとなった)。
ここでは佐藤一夫さんとデイオスコロ・カルムバスさんの発言を報告する。
福島の今・子
ども・暮らし
【佐藤一夫さんの発言】 「大阪には八一八人(八月二日現在)の福島から自主避難している親子が住んでいる。福島は人類初めての原発震災を経験している。原発事故はまだ収束しておらず、県民の苦悩の日々は続いており、一五万九千人を超す住民が今もなお避難生活をしている」「福島全域が汚染されているかのように誤解されている。福島市・郡山市は今も放射線量が非常に高い(事故前〇・〇〇四マイクロ・シーベルト、今〇・六〜〇・七マイクロ・シーベルト)。
しかし、会津地方は山に阻まれてフォールアウトが少なかったので事故前と変わりない。中通りや浜通りは〈実害〉に、会津は〈風評〉被害にあっている」と述べた。
この後、原発事故についてこの間報道されたニュースを追いながら「情報が小出しになっているから総合的に判断できないし、決して安心できる状態ではない。それ故、止まるべきか・避難すべきかの問いかけを福島県民の誰もが日常的に突きつけられている。多くの人たちがガソリンは常に満タン、水・防災用具一式を車のトランクに積んで、(震度五以上の地震が起これば)とにかく西の方(新潟)に向かって逃げるようにしている。
被災地と結ぶ
具体的取り組み
具体的な取組みについては、まず@「福島の子ども保養プロジェクト(コヨット)」について、映像を交えて報告。
「低線量地域への避難を望みながらも、諸事情によりそれが困難な子育て世帯」に対して「県内外の低線量地域における短期間(数日間)の保養を継続的・定期的に原則無償で提供します(以上、パンフレットより)」というものだ。
このような試みは、チェルノブイリの原発事故以降、欧米・日本など約三〇か国が、被災した子どもたちを受け入れるプランを実施している。福島事故の後、昨年は一〇〇件を超えるプランやプロジェクトが開始された(当時は、二〇ミリシーベルト問題をめぐって大混乱の最中だった)。しかし、確かに行政も潤沢な公的資金を使って保養を行っているが、旅行会社に丸投げしてしまう。だから、参加者とニーズマッチングしていないし、ノウハウが蓄積されない。今後は行政から委託を受ける形が必要、しかし最終的には(ウクライナやベラルーシのように)国が責任を持つべきだ」などと多くの課題も指摘。
A「土壌スクリーニングプロジェクト」について。
「現在のような復興・除染の進め方には問題がある。ウクライナやベラルーシのように詳細な汚染マップと土壌分析をしなければ、対策も立てられない。結果、住民の将来設計も描けず、福島県産は危険という風評被害も放置することになってしまうので、プロジェクトを立ち上げて福島市の農地の放射性物質分布状況を調査する準備をしている」という。佐藤さんは、最後に「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし(田中正造)」を紹介した。
フィリピン―
バターン原発
【デイオスコロ・カルムバスさんの発言】
「一九五八年、政府はフィリッピン原子力エネルギー委員会をつくった。そして、一九七六年にはフィリピン電力公社とウェスティングハウスエレクトリック社(WH社)との間で、原発建設の契約が交わされた。バターン原発(BNPP)だ。
建設が始まって一九八四年に完成(ただし、現在に至るまで一度も稼動したことがない!)する間、バターンの人々は座して見てはいなかった。BNPPの建設と同時に、紙に落書きを書いて学校の壁に貼ったり、その市場的な意味や見込みに疑問が出てくると、市民たちの間で関心や懸念が高まった。
四つの問題点がある。@原発は地震に脆弱で、火山の噴火によって周囲の地域の人々の生命や生活を危険にさらすことになる、地理的にも安全でない所に建設されようとしている。
A核廃棄物を安全に貯蔵・廃棄する効果的な科学技術は現存していない。
BWH社は安全に関して悲惨な経歴を持っている。六九〜七九年に起きた上位一〇件の核事故の内四件はWH社の原発で起きている。
Cその計画でこうむる負債を私たちの税金で支払うことになる。そして事実、BNPPははじめ六億ドルの取引きだった。
ところが、当時のマルコス大統領と彼の仲間のポケットには少なくとも一七〇〇万ドルの賄賂が入り、結果的には二三億ドルに膨れ上がった。BNPPの負債は、三〇年以上も続く国の年間元利支払い金額の二〇%になってしまった」という。
「これらの問題が、ある牧師の提案から始まった小さな討論グループから市民に知らされ、討論は地方レベルから州レベル、そして非核フィリッピン連合の支援を受け国レベルに広がっていった。そして、「非核のバターン・バターンの原発撤去」の国民的要求となった。
原発が最終的に
拒否されるまで
一九八五年、バターンでは戒厳令下、原発に抗議しゼネストが行われた。原子力もエネルギーの選択肢に入れるということが以降も続いて、二〇〇八年にBNPPを再生させようとする政府の動きが表面化した。しかし、反対の運動も復活し、すぐに強力な世論をつくることが出来た。二〇一〇年、BNPPを棚上げした母親とは逆に、現在のベニグノ・アキノ大統領は電力不足を解決するために原発を容認するかも知れないと発表した。
事実、政府は予定地として一三の場所を挙げている。国全体の反核ネットワークとなっている《非核バターン運動ネットワーク》は、原発政策を再生する必要はないと主張している。エネルギー省のデータからも、電力は足りており、再生可能エネルギー資源(地熱・太陽光・風力・海洋・バイオマスなど)も十分な潜在発電能力を持っていると見積もられている」と指摘し、「チェルノブイリや福島で核の危険は明らかになった。私たちの反核の運動は原発が撤去され、原発という選択が拒否される日を目にするまで終わることはない」と力強く語った。 (努)
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