10.3大阪・米総領事館に抗議
沖縄への差別支配やめろ
辺野古新基地も作るな
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【大阪】一〇月三日、「しないさせない戦争協力関西ネットワーク」と「平和と生活をむすぶ会」が呼びかけ、米領事館に対する緊急の抗議・申し入れ行動が行われ、一五〇人が参加した。
領事館前には早くから労働者・市民が結集し、怒り≠フ集会となった。最初に、「むすぶ会」の代表は「岩国に残った三機のうち二機は整備不良で部品交換しなければならない状況だ。岩国の飛行を目撃した人の証言によれば、茶色い煙を吐いて岩国に舞い戻ったという。まさに欠陥機だ。全国から声を上げることで、沖縄の人々と共に、沖縄に新たな差別を生み出すこのような暴挙をはね返さなければならない」と発言。
続いて、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」の代表は「この二、三日眠れなかった。沖縄の人たちがこれ以上泣くことを黙って見るわけにはいかない。私たちも加害者だ。とんでもない政府はとんでもないことをやってしまう。私たちに本当に主権があるならば、オスプレイを止めなければならない」と語った。また、「ジュゴン保護キャンペーンセンター」の代表は「世界一危険な基地に危険なオスプレイを配備するなんて、これ程愚かなことはない。普天間基地を返還してほしいなら新しい基地をつくれ、平和のシンボル・絶滅の危機に瀕しているジュゴンが住む美しく豊かな海を埋め立てて基地をつくれとは何と愚かなことか」と。そして、この九月にあったIUCN(国際自然保護連合)の場で、沖縄のことを世界中の人々に訴えてきたと報告。
体を張った座り
込み行動に連帯
東京から駆けつけた服部良一さん(衆議院議員)も「沖縄では、体を張ってゲート前に座り込んでいる。沖縄の闘いを孤立させてはならない。関西からもしっかり連帯していこう。政府は、これを機会に辺野古への新基地建設を加速させようとしている。防衛省は年内にも環境影響評価に決着をつけ、年明けには公有水面の埋立て申請をするつもりだ。オスプレイ配備、そして新基地建設阻止の闘いを、腹をくくって皆でがんばろう」と激励。
続いて、関西単一労組の代表は「沖縄総領事は普天間基地は危険とは思わない、と公然と言い放った。彼らが植民地としか思っていないその沖縄で、人民は三日間にわたって普天間のゲートを封鎖し、基地機能を完全に止めるという、復帰以来初めての画期的な闘いを行った。それに対し、アメリカは(ウチナンチュウ)の沖縄県警を使って、ウチナンチュウや日本人を弾圧させた。日米安保は破棄する。アメリカは出て行け」と怒りの言葉をぶつけた。ほか、奈良や神戸からも発言があり、最後に「関西共同行動」の代表が、領事館に向かって六団体の「抗議・申し入れ書」を力強く読み上げた。 (努)
10.4STOPオスプレイ京都集会
日米両政府につのる怒り
安保廃棄めざす闘いへ
【大阪】一〇月四日に「STOP!オスプレイ京都円山集会(主催:STOP!オスプレイ京都実行委員会)」が円山音楽堂で行われ、七五〇人が参加した。まず、京都沖縄県人会の大湾宗則さんが「国策による沖縄差別をこれ以上許すことは出来ない。米軍基地を沖縄から叩き出したい。今日の集会で、沖縄の生の声を受け止めてほしい。そして、共にがんばっていこう」と主催者あいさつ。
玉城沖縄県議
が闘いの報告
さらに京都府の社民党・新社会党・日本共産党の代表のあいさつが続き、オスプレイパフォーマンス(オスプレイの機体と騒音の擬似体験!)があり、その後、沖縄の最前線で闘う玉城義和さん(県議会議員・県民大会実行委員会事務局長)が次のように語った。
「現地の闘いと全国の支援によって、現在も辺野古の新基地建設には指一本触れさせていない。オスプレイに対しては、この七月に県民大会の実行委員会を結成した。(台風で延期になったが)一〇万人以上が参加した大会は県民の怒りを結集する場となった。直後、上京して政府に米国との交渉のやり直しを訴えたが、この一〇月まさに電話一本で『これから米軍は配備するようですよ』と、まるで第三者のように沖縄の関係機関に通知してきた」。
「こうして沖縄に強行配備されたが、安全策などはこれまでの経験から信じていないし、実際すでに約束違反が繰り返されている。オール沖縄を結集して基地前に座り込んでいるが、国民の命に関わる問題に対してすら、政府は我関せず≠ニいうような酷い思考停止状態にある。沖縄にとって、日本政府はこれまでどんな存在だったのか、現在どんな存在なのか、これからどんな存在であり続けるのか、と考えてしまう。条理を尽くして話をしても聞き入れられない時はどうするのか。辛い怒りと苛立ちと悲しみさえ、沖縄県人は感じている。しかし、もし政府がそのうち沖縄の反対運動はなくなるだろうと考えているならば大間違いだ。このやり場のない怒りを持続させて闘い続ける」。
「このような連帯集会は、県民にとって大変心強い。(個人的な意見だが)六〇年たった安保条約は、本当に国民の安全をまもるのか点検が必要だ。オスプレイの問題を通して、よくわかったと思う。県民・市民にとって安保がどういう存在か、イデオロギー的にではなく実証的に考えるべきだ」。
「沖縄がまだ日本ではなかった六〇年に改定された安保そして地位協定だから、今の普天間のような基地の状況は想定していなかった。だから、地位協定の抜本的な改定を要求してきたが、政府は二〇年間一歩も動かなかった。なぜか、それをやりだすと安保条約に手をつけなければならなくなるからだ。沖縄の要求は既にそこまできている。しかしこれは、より本質的には沖縄ではなく日本の問題なのだ。いずれにしても、今は正念場だ。大きな輪をつくって、一緒にがんばっていこう」。
短時間ではあったが、熱い集会だった。この後、京都市役所までデモが行われた。 (努)
10・4 400人で首相官邸前行動
全国で沖縄に続く闘いが必要だ
連続した行動で配備撤回させる
野田政権の
責任を問う
一〇月四日午後六時から、首相官邸前で「オスプレイ沖縄配備反対」行動がオスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク(「沖縄県民大会と同時アクション」改め)の呼びかけによって行われ、四〇〇人以上が集まった。
一〇月一日、二日にわたり、アメリカ軍の新型輸送機オスプレイ九機が沖縄普天間基地に配備された。そして、多くの沖縄県民の抗議の声を無視して、早くも四日には二機が飛行訓練を開始した。一〇月五日のNHKニュースは次のように伝えている。
「一機目は沖縄本島の東側を北上したあと、本島西側の伊江島にあるアメリカ海兵隊の補助飛行場を経由して、離陸からおよそ二時間後の午前一〇時五六分に普天間基地に着陸しました。続いて午前一一時三九分には、二機目が離陸しました。一機目と同じく伊江島に向かい、離陸からおよそ二五分後の午後〇時五分ごろ飛行場に着陸したのを、現地で取材していたNHKの記者が確認しました。二機目はその後、いったん離陸して滑走路の周りを回って再び着陸する動作を三回繰り返したあと、伊江島を離れ、午後一時三三分に普天間基地に着陸しました。海兵隊の報告書によりますと、伊江島の飛行場は訓練空域が広いことなどから、オスプレイの配備で年間の訓練が現在の二倍以上のおよそ六八〇〇回に増えるとされています」。
基地封鎖行動に
保革問わぬ支持
行動の始めに司会者から、「オスプレイは普天間の市街地や高江を飛び回っている」と報告があった。福島みずほ・社民党党首が「オスプレイ配備にあたっての合意点として、一五〇b以下では飛ばない、住宅密集地では飛ばない、としたが普天間に配備されたことはこの合意が踏みにじられていることだ。断固反対だ。全国の低空訓練飛行にも反対していこう」と決意表明した。
沖縄一坪反戦地主会関東ブロックが沖縄での反対行動の報告をした。
「九月二一日、米軍普天間基地野嵩(のたけ)ゲート。二六日、車を横付けしてゲート封鎖行動。二八日、野嵩、大山ゲート封鎖。車で閉鎖行動。普天間基地の中には兵舎がなく、米兵は外から通勤している。だからゲートが閉鎖されると基地機能が麻痺してしまう。二九〜三〇日、全ゲート閉鎖行動。こうした行動を多くの県民が支持している。保革を問わずオール沖縄で県議会議員や首長まで封鎖行動に参加することは今までなかった。これは県民大会の成功・熱意が作り出したものだ。連帯行動をやっていこう」。
参加者が次々と発言を行った。東京全労協久保事務局長。「毎年沖縄平和行進に参加して、辺野古や高江に行っている。東京に帰り闘いを作るために努力している。例えば、横田基地にフィールドワークに行った。普天間に配備されている戦闘機が横田基地にも来ていると説明があった。こうした事実は地域住民に知らされていない。オスプレイ配備問題は沖縄だけの問題でなく全国の問題だ。体を張って闘わなければならない」。
ゆんたく高江の仲間は天然記念物に指定されている希少生物のノグチゲラの形をした帽子をかぶり発言した。「東村高江は人口一六〇人余りの小さな村だ。そこに広大な北部訓練場がある。住居から四〇〇bの所にヘリパッド建設のための工事が行われている。九月に抗議行動に参加した。朝七時から工事が始まるので、六時前に行動を起こしている。工事業者はゲートを使わず、山の中から歩いて現地に向かって工事をやっている。高江は危険と厳しさの中にある。高江に行って、工事を止めよう。日本カトリック正義と平和委員会。「二週間前に沖縄に行ってきた。沖縄が植民地のように差別されている。日本政府はアメリカにオスプレイ配備反対、普天間基地を撤去するように申し入れよ」。
先週火曜日から金曜日まで、高江と普天間に行き抗議行動に参加してきた仲間の発言。
「高江の座り込みをいっしょにやった。作業員は一〇カ月間でヘリパッドを作るといっている。真っ暗な朝の五時に工事現場の近くまで来て、反対派の隙をついて入っていく。止められない状況だ。強引にやってきている。待ったなしだ。私は明日また行きます」。
「私は野嵩ゲート閉鎖の時からいた。金曜日の朝から大山ゲート抗議行動に一五〇人が参加していた。参加者の七割はおじい・おばあだ。六五歳以上は前に出ろと指示が飛ぶ。逮捕を覚悟してのことだ。警官隊は五〜六人が一人に対してあたり、力づくでごぼう抜き排除した。その時、容赦なく暴行のしほうだいだ。排除、座り込みの繰り返しだ。台風が来たのでなくなく封鎖を解いた。一〇月一日、車を入れて閉鎖した。警察は新たな部隊を投入してやってくる。人手が足りない。現場に足を運んで闘ってほしい」。
叩き出すまで
手を緩めない
午後七時に首相宛の抗議文を読み上げ、内閣府に手渡した。この後も集会は続いた。沖縄の安次富浩さんが電話を通してアピールした。
「県民大会後初めて、名護市で一〇〇〇人の市民集会を行った。森本防衛相が辺野古への移設を発言していることへの抗議集会だ。辺野古のテント村近くをオスプレイが二度にわたって試験飛行を行った。新基地建設に向けたデモンストレーションだ。普天間基地の野嵩、大山ゲート前で基地の機能を麻痺させる闘いを貫徹している。風船やアドバルーンを上げる闘いを行った。かつて毒ガス、B52撤去をさせる島ぐるみの闘いがあった。ひるむことのない闘いが沖縄にはある。日米両政府の沖縄差別、戦場としようとするたくらみを止めていこう。平和的生存権を自らのものとして取り戻す。政治的変革をめざす。沖縄・ヤマトで闘いをつくりあげよう」。
平和運動センターの山城さんが電話で、「野嵩ゲート前の抗議集会を今終えたところ。米軍の横暴、オスプレイの訓練をやめさせ、たたき出す。最後まで連帯して共に闘おう」と訴えた。神奈川県央共闘、東京東部労組、東京東部沖縄連帯実行委員会、立川自衛隊テント村など次々と参加した仲間たちがアピールした。
最後に、行動提起がされ、官邸に向けてひときわ大きなシュプレヒコールが行われた。ゆんたく高江の行動。一〇月九日(火曜日)、一五日、二二日、二九日、防衛省前行動。午後六時〜八時まで。オスプレイ配備反対行動。一〇月八日午後二時から、代々木公園並木通りから出発して渋谷の街で風船・たこあげアピール行動。一一月四日、芝公園で集会。一一月五日、防衛省行動。 (M)
10.6名古屋でオスプレイ反対集会
島ぐるみの闘いに学ぼう
繁華街で市民にアピール 【愛知】一〇月六日、愛知県名古屋市の中心街、栄の久屋大通りバス停前広場で、「がってんならん!オスプレイ配備10・6あいち行動」が、あいち沖縄会議の主催で行われ、約一〇〇人が参加した。
この間の普天間基地と高江での沖縄民衆の座り込みの闘いは、ネットを通じて全国に実況配信されており、実に五万人の民衆が、この闘いを目撃した。この集会は、沖縄の闘いに連帯する愛知の連帯行動として取り組まれた。
三連休の初日で翌日には脱原発集会も控えているということもあって参加者は少なかったが現地座り込みに参加した人の報告と現地からのメッセージを受け、基地撤去。安保反対の決意を新たに燃えたぎらせ、集会とデモ行進を貫徹した。
どこまで犠牲を
押しつけるのか
午後二時三〇分から同場所でビラまき情宣を行い、多くの市民にオスプレイの危険性と沖縄配備反対を訴えた。午後三時、あいち沖縄会議の山本さんが開会のあいさつを行い集会が始まった。
最初に愛知沖縄県県人会の比嘉さんが発言した。比嘉さんは「沖縄県民はオスプレイの配備に怒っている。沖縄の県議会と全県の市町村四一の自治体が反対決議を出しているのに、それを無視して配備を強行しようとする日本政府は許せない。どれだけの犠牲を押しつければ気がすむのか」と日本政府への怒りを表明し、沖縄差別の現実を明らかにした。さらに「日米安保条約によって沖縄の民意が軽くあしらわれている。こんな安保はいらない。オスプレイの配備を絶対に許してはならない」と決意を述べた。
武力で平和は
つくれない!
続いて、沖縄会議メンバーの唄の披露があり、現地の座り込みに参加した千葉さんが報告を行った。「九月二八日の昼には、一〇〇人くらいの人が座り込みをしていたが、その周りには、倍の数の機動隊がいてとても怖かった。台風がきて雨が降ってもビニールシートを貼り、オジー、オバー、も頑張って座り込んだ。県民大会で集まった一〇万人が座り込み参加すればと、思ったが参加者は少ない。しかし、少ない数でもこれだけの闘いができる」と、報告した。
続いて同時期に高江で座り込みに参加したメンバーからは「沖縄の人々は決してへこたれてはいない。島ぐるみの闘いが準備されている。たちあがる沖縄民衆と力強く連帯し沖縄の民意を実現しよう!」と決意を語った。
東京の「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」からのメッセージが紹介され、高江の「ヘリパットいらない住民の会」のメッセージが伊佐郁子さんの代読で紹介された。
「全国の人々が一つになって沖縄の基地を揺るがしている。本当にうれしく、大きな励ましになっています」。「高江は二度も配備反対を決議しました。しかし、それは無視されています。現場での直接行動しかありません。どんな訓練がされるのか説明もなく強行することは許さない。沖縄県民の声を全国に広げてください。次の未来を黒く塗りつぶさないためにも共にがんばりましょう」。
すべての発言が終わり、参加者は色とりどりの横断幕や七色の、のぼりやプラカードを持ち、ドラムをたたきながらにぎやかに栄の街を元気にデモ行進した。
市民に沖縄へのオスプレイ配備反対、普天間基地閉鎖、武力で平和は守れない、と訴えると多くの市民が共感の手を振り、注目をした。 (越中)
9.28品川駅でJAL解雇撤回訴え
労働者を犠牲にした
日航「再建」は不当だ
日本航空による不当解雇撤回を求める裁判の東京高裁での控訴審第一回は、パイロット一二月六日、客室乗務員同一四日と確定した。そこに向け一段の闘いの強化を図るべく、九月二八日夕刻JR品川駅港南口に、家路を急ぐ労働者、あるいは週末の夜に繰り出した若者たちに向けJAL不当解雇撤回への支援を訴える、今では毎月の恒例となった呼びかけが響いた。 JAL不当解雇撤回裁判闘争原告団と国民支援共闘に結集する労働者・市民共同の行動。行動参加者は広場のあちこちに広がり、宣伝カーからの訴えと平行して先を急ぐ人たちにチラシを手渡した。吸い込まれるようにとはいかないとしても、チラシは着実に渡ってゆく。足を止め、公正判決を求める署名に筆を走らせる人も。
やり放題の
再建ビジネス
この行動に先立つ九月一九日日本航空は、不当解雇を含む現在抱えている五つの争議への解決努力も放棄したまま、一切の犠牲を労働者に被せることで、破綻からわずか二年八カ月で再上場を果たした。この様な形の「再建」を主導した企業再生支援機構は、今回の再上場で出資額を無傷で回収したのみならず、約三〇〇〇億円の利益を懐に入れた。日本航空はまさに「再生ビジネス」の格好の栄養源となった。
これは本当に社会が必要とする再建なのか。この日の訴えはこの問題にも鋭くメスを入れ、たとえば全国港湾の糸谷欽一郎委員長は、モノ言う労働者を放り出し、好き放題の経営を許すことで企業が食い物にされることを許してはならない、労働者を犠牲にしてつくられる利益は本当の利益ではない、と迫力の訴え。
そしてキャビンクルーユニオン副委員長からは、表面上の「再生」の足下に広がる寒々しい実態の生々しい告発。「極度の要員不足の中で現場は疲れ果てている。乗務時間で見ればかつてより一カ月から二カ月よけいに働いている。年休も取れず結婚式の日程を変えざるを得なかった仲間も同僚の結婚式に出られない仲間もいる。要員のやり繰りは自転車操業、そのような中で安全に支障が出ることを恐れながら飛んでいる」等々。そして極めつけとして、このような現実を前に「将来に希望をもてず、若い人からどんどん辞めている」と。
控訴審で勝利
判決かちとろう
実際日航自らが、この告発を裏書きするかのように振る舞っている。七月の客室乗務員の五一〇人大量採用、一〇月にも一〇〇人、来春さらに二〇〇人と、泥縄のような採用計画がそれだ。そして、そのように慌てふためいて新人採用に追い込まれているのであれば、なぜ不当解雇された「即戦力」の八四人を戻さないのか、という現場にも広がる当然の疑問。その底にあるものが労働者の権利主張への徹底的敵対であることは明白、そしてそれが安全の破壊に直結することも。
臆せずモノを言う労働者の排除やそれによる好き勝手な経営の横行を許さないくさびとして、さらに首切り自由に道を開かせないために、何としても勝利判決を勝ち取らなければならない。JAL不当解雇撤回に向け、雇用責任に背を向ける経営に苦しむ多くの労働者と結びつき、人々からのより大きな圧力を生み出さなければならない。
なおこの日の宣伝行動は全国九カ所(東京六カ所、大阪一カ所、福岡二カ所)で一斉に行われた。(神谷) コラム
原子力半島下北
九月の初め、原発関連施設が林立する青森県六ヶ所村へ行く機会を得た。脱原発を掲げる市民団体が企画した「核燃料サイクル基地見学ツアー」に参加したのだ。六ヶ所村を訪れるのは、これが三回目。ボクの手帳によれば、「六ヶ所人間記」の上映会を経て、初めて六ヶ所村を訪ねたのが一九八六年六月のことであるから、間一回を挟んでもたぶん十数年ぶりの再訪だろう。
昨年、三月一一日に発生した東日本大震災と福島第一原発事故は、ボクにとって原子力発電所のありようを改めて考え直す契機となった。確かにこの十数年間、原発問題に対しあまりにも疎遠な立ち位置にいたことは否めない事実である。自分は原子力政策の横暴を黙認していたのか。そんな思いを胸に抱いた今回の下北行きだった。
参加者一行二三人を乗せた大型バスは、夜の東北道をひた走り、青森ICを下りたのが朝の五時。下北半島の付け根にあたる野辺地の街で、四十年にわたり反対運動を続けるSさんを乗せ、「核のゴミ捨て場」といわれる核燃料サイクル基地へ向う。車中で配られた地図には、同基地のほか、建設中の大間原発と東通原発、石油備蓄基地、そして米軍三沢基地、海上自衛隊大湊基地などが記され、下北はまさに核と軍が一体化した原子力半島の様相だった。
最初に立ち寄ったのは、『プロメテウスの罠』(朝日新聞出版)にも登場する菊川慶子さん経営の「花とハーブの里」。著書『六ヶ所村ふるさとを吹く風』(影書房)に記された略歴によれば、菊川さんは六ヶ所村に生まれ、一五歳の時に集団就職で上京し、結婚後、千葉県松戸市で暮らしていたが、チェルノブイリ事故に衝撃を受け、故郷が放射能で汚染されてしまうとの危機感から帰郷。以後、核燃サイクル基地の建設・稼働中止を求めて運動を続けている。
「ここに住む人たちは、豊かさを手放したくないんですよ。原子力産業しか仕事がないし、原発に反対する人は少ない。村議選に立候補しましたが、四三票で落選しました。選挙は利権がらみの金権選挙で、警察も入らない」「福島第一原発事故後も、村民の意識は変わっていない。六ヶ所村を変えるには、官邸デモのように都会から変えていくしかありません」と菊川さん。利益誘導によって村民の価値観を変節させた原子力政策の真骨頂を見たような気がした。まさしく「アメとムチ」である。
Sさんの案内で向かった核燃料サイクル基地は、二重、三重のフェンスと鉄条網に囲まれ、まるで要塞の観。六ヶ所原燃PRセンターは、美辞麗句で原子力の優位性と安全性を謳っていた。そしてボクが最も驚いたのは、尻屋崎の大自然を満喫した帰路、突如現れた東通村の近代的な公共施設群である。すべて補助金や東電の寄付金で造られたものだという。菊川さんが言った「豊かな暮らし」の象徴ともいえる光景だった。
原子力に頼ったアメニティーは、もういらない。都市生活者の利便性は、地方を翻弄し、その犠牲の上に成立していることを改めて認識した二日間だった。 (雨)
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