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    かけはし2012.年5月28日号

平和と暮らしに、被災地に
今こそ憲法を生かす時だ

5.3東京・日比谷で憲法集会

 五月三日、東京の日比谷公会堂で「輝け9条 生かそう憲法 平和と暮らしに被災地に 2012年5・3憲法集会」が開催された。同集会は超党派的な憲法集会として二〇〇一年から毎年開催され、今年で一二回目となる。集会とデモには降りしきる雨をついて二六〇〇人が参加した。
 主催者あいさつをした西田美樹さん(女性の憲法年連絡会)は「自民党やみんなの党が改憲草案を出したが、いずれも憲法は私たちを縛るルールではなく権力を縛るルールなのだという前提を無視し、個人・人権の尊重をないがしろにしている」と批判した。
 スピーチの最初は「つながろう!放射能から避難したママネット@東京」の松本徳子さん。松本さんは福島原発震災の被災者で首都圏に避難し、同じように避難した人びとのネットワークを作って活動中だ。松本さんは「下請・孫請の労働者に被ばく労働を強制し、賠償問題も未解決なのに収束宣言をするなんて許せない」と語るとともに「広島・長崎の被爆経験にもかかわらず核エネルギーを利用して経済発展をしてきた結果が今日の事態を作りだした。『再稼働』を許さず、子ども、孫、ひ孫にまで重荷を背負わせる原発に頼らない社会を作ろう」と訴えた。
 沖縄からかけつけた伊波洋一さん(元宜野湾市長)は米軍政下で「平和憲法下の本土復帰」を目指した沖縄の闘いを振り返りながら、復帰後も憲法の空白地帯である米軍基地の現状を鋭く告発し、四月二七日の米軍再編見直しに関する日米安全保障協議委員会共同発表と四月三〇日の日米共同声明を批判した。「普天間基地返還合意を反故にし、日米による中国への戦争準備と、そのための沖縄・先島への基地強化を進める動きに反対しよう。今こそ日米安保そのものを清算すべき時だ」と伊波さんは訴えた。
 次に脚本家の小山内美江子さんは、湾岸戦争の後ヨルダンを訪問し、現地の人から憲法九条の素晴らしさについて話しかけられた経験を語り、「憲法九条を変えることは徴兵制を導入することにつながる。九条を守れ」と語った。

橋下・維新の会
の動きを止めろ
 中川美保さんのサックス演奏をはさんで社民党党首の福島みずほさんと共産党委員長の志位和夫さんが発言した。
 福島さんは昨年設置された衆参両院での憲法審査会が、衆参でそれぞれ四回行われ「押しつけ憲法は無効」「憲法に緊急事態条項を入れるべき」など福島原発震災を口実にして「憲法の不備」をいいつのり、憲法改悪案を作る作業が現に行われていることを批判した。福島さんは原発事故で侵害されているのは憲法二五条の「生存権」と一三条の「幸福追求権」だと強調し、「五月五日に原発が動かない日が実現する。野田政権が脱原発を宣言するようにさせるために政治を動かそう」と語った。
 志位さんは「原発と憲法」「日米安保と憲法」「橋下・大阪維新の会の動き」の三点について訴えた。「原発立地の双葉町長は、自分たちが憲法の埒外に置かれていると野田首相に訴えている。生命を奪い続ける原発事故は社会的犯罪以外のなにものでもない。多くの子どもたちが家族と一緒に暮らせなくなっている現実を見る時、日本国憲法と原発は両立しない」。
 「四月二七日の日米共同発表、四月三〇日の日米共同声明は沖縄での米軍駐留の長期的継続を確認するものだった。琉球新報の四月二八日社説は『いつまで沖縄を日米安保の踏み台にするのか』と批判している。憲法と安保は両立しない」。
 志位さんは最後に橋下大阪市長と「維新の会」の主張する「九条改憲国民投票」や「一院制国会」論を批判するとともに、教育基本条例や職員基本条例に関して「人権と民主主義を窒息させる政策を現に行っている事実を見過ごすことはできない」と声を大にして語った。
 集会後、集会参加者たちは日比谷公園から東京駅までデモ行進を行った。資本主義の危機と政治の機能不全の中で、「強い国家・強い政治」を訴えて再び改憲ムードがかきたてられている。自民党、みんなの党、たちあがれ日本などの右派政党は改憲草案を提示し、天皇の元首化、「国旗・国歌」の尊重義務、自衛隊の国防軍化や、改憲のハードルを引き下げる改悪案が提示されている。
 こうした動きに対する反撃を掘り起こしていくことが急務である。  (K)

5.3 九条の会・おおさかが憲法集会

原発災害と改憲状況の中で
どのように行動するべきか


 【大阪】憲法記念日の五月三日、エルおおさかホールで九条の会・おおさか主催のつどいが開かれ、九五〇人の市民が参加した。
 九条の会・おおさかの呼びかけ人の一人である森南海子さん(服飾デザイナー)が開会あいさつをし、本人が中学校一年生の時に新憲法をペン習字で書いたときの感動を語った。日下部吉彦さん(音楽評論家・「音楽九条の会」代表)が来賓としてあいさつした。
 日下部さんは地球物理学者から聞いた話として、四〇億年前小惑星が地球に衝突して月が生まれた話をした。衝突ではじけ飛んだ地球の破片が月になり、そして地球の自転が緩やかになり、風が止み、自転軸が二三・四度傾き、四季が生まれ、そのことで芸術が生まれた。その後地球には幾たびか危機があったが、自然の摂理の下である限り人類は生き抜いてきた。原子力(核兵器や原発)は自然の摂理ではなく人間の傲慢だから、人類を滅ぼす原因になるかもしれない。夜、月を見るときは、この話を思い出してみてほしい、と語った。
参加者はこの後しばし、大阪女子高等学校軽音楽部によるミニコンサートで、ハナミズキ(一青窈)などの曲に聴き入った。
続いて講演に移り、「大震災の現場から」と題して森住卓さん(写真家)が講演し、「いのちをめぐる憲法の要請」と題した講演を木下智史さん(関西大学法科大学院教授)が行った。

被災直後原発
立地に入って
森住さんは世界の核被害を長年取材してきたが、福島原発事故では、今までの経験が役に立たなかったと語った。三・一一が起きたとき、森住さんもその一員である日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーがたまたま全員日本に帰ってきていたので、すぐ連絡を取りあって、五人が三月一二日に福島をめざして出発した。三月一三日朝には原発から三・五キロの双葉町に入った。町は封鎖されているだろうと思いながら行ったが、難なく入ることができた。町役場、厚生病院には誰もいなかった。全員が慌てて脱出したようで、いろいろな器具や機械なども散乱していた。
 線量計で測定すると、毎時一〇〇〇μシーベルト以上で、針が振り切れた。チェルノブイリ原発の近くの死の町より高く、私たちはみんなパニックになった。これは、一時避難などいうレベルではない。警察は一人もいなくて、住民たちは、避難先から衣類を取りに帰ってきたり、家畜に水をやりに帰ってきたりしていた。森住さんらは、「ここは危険だ」から出るようにといいながら、撤退した。
 南相馬から西の方に移動しているとき、放射線量の高い村があった。飯舘村だった。そこは毎時一〇〇μシーベルトだった。黒い雨が降っていた。長谷川さんが住民を集めて会議を開いていた。飯舘村は三月下旬からずーっと取材をした。四月中旬、三〇キロ付近の線量は二二μシーベルトで、雨どいの下などは一〇〇μシーベルトだった。このようなホットスポットが無数にできていた。
 田村市でのスクリーニングの写真、福島第一原発4号機の核燃料プールにガレキが落ちている写真、ハウス栽培されている小松菜が放射能に汚染され、出荷されないまま一面黄色い菜の花畑に変わっていた様子。トラックに乗って屠殺場に向かう牛に手を振るお母さん、「原発がなかったら」と壁に書き置きして自殺した酪農家、セシウムで内部被曝したウグイスの死体など、原発事故による被曝現場の写真は事実を雄弁に物語っている。森住さんは最後に、核汚染というのは人が土地を失うということだといった。それは人の生きる権利を奪う、生存そのものを否定する。まさに、核汚染は憲法と真っ向から対峙している、と語った。
 木下さんは、憲法記念日が決まったいきさつから話を始めた。吉田首相は憲法公布を八月一五日にしたかったという。そうなると、その半年後の施行日は二月一一日つまり紀元節、いまの建国記念日になる。しかし、憲法草案の論議が長引き、公布日は戦前の明治節である一一月三日となった。日本政府が憲法記念日を祝ったのは、サンフランシスコ講和条約が結ばれる一九五二年までだった。それ以降は連合国軍総司令部の監視がなくなったので、祝わなくなった。憲法記念日にはそういう特殊な歴史がある。私たちは、年に一回は憲法のことを考えてみよう。なぜ憲法ができたのかということ(歴史)と憲法の現状、つまり、憲法が守られているかどうか(点検)を考える。

第三次改憲ブー
ムが到来した
 一一年一〇月に憲法審査会が活動を開始した。その役割は、憲法改正原案と改正の発議そして国民投票に関する法律案を提出することだ。今までに改憲ブームが二度あった。第一次は一九五二年。第二次は一九九〇年代〜二〇〇〇年にかけて。そして、二〇一二年は三度目のブームになっている。改憲草案を見るときの観点は、その憲法草案の下で暮らしたいか、というとこだ。
 四月二七日に自民党が改憲草案を発表した。これは〇五年に出された新憲法草案をバージョンアップしたものだ。戦前のように天皇を元首とし、国旗国歌を尊重する義務を定める、国防軍を保持するなどが盛り込まれている。そして国民の権利義務では、公益・公の秩序を害することを目的とした活動を行い、それを目的として結社をすることは認められない、としている。まるで治安維持法のようだ。また、公務員の権利を制限できるとしている。これらは、改憲では老舗である自由民主党らしく、自主憲法制定の動きと似ていて古い感じの内容だ。しかし新しいものもある。それは緊急事態の宣言だ。東日本大震災のとき政府が的確に対処できなかったのは憲法に緊急事態の規定がなかったからだという。
 先ほどの森住さんの話でも明らかなように、住民はほったらかしにされていた。それは緊急事態条項がなかったからか、そうではない。改憲手続きで国民投票を省くことはできないから、憲法改正要件(憲法九六条)の緩和をしようとしている。各議院の総議員数の三分の二から二分の一の賛成で発議できるように変える。五月一日、中曽根康弘さん(新憲法制定議員連盟会長)がインタビューで発言していたが、内容は古い。
 それに比べると、維新の会は巧妙だ。九条のことは公約には入れない(橋下氏のツイッターではいろいろ言っているが)。主張は憲法改正要件の緩和で、実体的な憲法改正案の内容論議はそれからやればいいとする(まず憲法改正要件の変更のための憲法改正をするということか)。憲法九六条を改正した後の論議の中心は、首相公選制と国会の一院制(参議院の廃止)、憲法九四条(地方公共団体の権能(条例制定権)の改正、憲法九条についての国民投票としている。この四つがこれからの論議の柱になるだろう。

内部的に分裂
している改憲派
 みんなの党の改憲案は、憲法改正要件の緩和、首相公選制、国会一院制で、国民投票はなくすとしている。ついでに、立ち上がれ日本は、政教分離をなくすとしている。今日(五月三日)の社説を見ると、朝日・毎日は従来からの原則的立場で、日経・読売・サンケイは改憲派であり維新の会に近い。
 改憲派の共通点は、「人権」が嫌い、現行憲法が嫌い、だ。一九五〇年代の改憲の動きでは、主張の中心は天皇元首化と軍隊保持だった。当時は国民の憲法支持率は低かった。六〇年代は、六〇年安保闘争の影響もあり、憲法改正賛成を反対(八〇%)が大きく上回った。
 九〇年代は湾岸戦争の時期。国際人道支援と言う言葉がはやった。この時期、憲法改正賛成が反対を上回り、再び逆転した。この当時、改憲派が九条に絞ってやれば改憲できたかもしれないと言われている。ところが、憲法調査会では改憲内容が総花的で、九条を変えるだけをいうと意図が見え透いているので他のことにも触れる。例えば、一院制に触れると、参議院の人が反対する、といった具合で改憲派の内部が分裂した。

自分の言葉で
語りかける必要
 今国会でなかなか法案が決まらないのは、二院制の衆・参議院がねじれているからだと何となく思われているが、普天間問題、消費税、TPPなどで事態が進んでいないのは二院制のためではない。要するに、その問題について反対が強いからだ。それなら、一院制になっても事態はかわらない。首相公選制は松沢元神奈川県知事が以前から主張してきた。現在は首相の任期があまりにも短いのがその理由とされていた。でも、現在は議院内閣制で第一党から首相を出すから、首相公選制と極端に違うわけではない。公選首相になっても首相と議会との関係があるから、そう問題は単純にはいかない。憲法改正要件緩和についても、憲法に縛られている公務員の国会議員が改憲を主張できて、憲法に縛られていない国民(憲法は国家権力を縛るもの)が議員の動きに従属するというのはおかしいという論議がある。
 どうすればいいのか。木下さんは、憲法ができた歴史と憲法の現状を自分の言葉で周りの人々に話していくことが大切だと述べた。
 呼びかけ人のひとり松浦悟郎さん(日本カトリック正義と平和協議会会長)が、「国会の中では憲法を守る勢力は小さくなっているが、市民の間ではむしろ広がっている。憲法改正要件のみで改憲を迫ってくる可能性もあるが、われわれは憲法を生かしていく世界をつくっていかなければならない」とまとめをした。
     (T・T)

 


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