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政権にもたれ「ヤクザ権力」を
振り回した韓国警察の帰結
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3月11日に双竜自動車の解雇労働者たちが篭城中の「希望のテント」を訪問した米国ハーバード大の学生たちは、催涙液を降り注ぎ続ける警察のヘリコプター、警察がデモ隊を鎮圧する過程で無差別に殴りつける場面が出てくる動映像を見た。彼らは「ショッキング」だと言って嘆声をはり上げた。米国にも労使の葛藤はあるけれども、このように無差別な暴力が動員されはしない、と語った。彼らがソウル・龍山の惨事の鎮圧過程を撮った動映像を見たならば、おそらく韓国は依然として戦争中だと語ったことだろう。実際に鎮圧の過程で撤去民(強制立ち退きを求められている賃借者)5人と警官1人が死亡したからだ。
警察のいいかげんさが白日に
数日前、京畿道・水原で1人の20代女性が拉致され殺害されたが、この事件を処理する過程で警察は「度しがたい警察」の真骨頂を余すところなくさらけ出して見せた。警察庁長が認めたように、今回の警察の対処には無誠意、「無能」、状況判断の誤り、いいかげんな対処、真剣さのない捜索など、考え得るありとあらゆる失策が含まれている。国民を怒らせたのは、警察がほとんど10回にわたって事件を縮小・隠ぺいし、ウソの釈明を事とした、ということだ。
結局4月9日、チョ・ヒョノ警察庁長が辞職の意思を明らかにした。映画評論家イ・アンは「被害者は3回、殺された」と語る。まず警察への申告電話(日本の場合の110番通報)を通じて生々しく伝えられている悲鳴を聞いても、夫婦げんかがどうだこうだと言って死に至るまで放っておいた警察によって、その次は犯して殺した後に遺体さえメチャメチャにした拉致犯によって、そして再びその凄惨な遺体を見ながらもデタラメの発表によって故人を冒涜した警察によって…。
2008年3月26日にも、これと似たようなことがあった。当時、京畿道・一山の小学生暴行および拉致未遂事件の容疑者が数日後につかまった。事件発生の初期、警察は犯行の場面が閉鎖回路テレビ(CCTV)に録画されていたにもかかわらず、この事件を「単純暴行」として処理して捜査をキチンとしなかった。耐えられなかった被害児童の父母が直接に乗り出し、このような内容が放送を通じて知られるようになり国民の怒りを買った。この事件によって警官6人が懲戒処分を受けた。
今回の水原の女性殺害事件について〈朝鮮日報〉は凶悪犯よりも「『無能』な警察」を叱咤しつつ、警察の勤務紀綱を正し112番(日本の110番)申告を受けたら、当事者の同意がなくとも位置追跡をすることができるように法律を改めるべきだとの声を高めた。一山小学校の時も主流メディアは全く同じやり方で警察の「無能」を叱咤した。 専制君主なのか、保護者なのか
双竜社のデモ隊鎮圧現場にいた警察と水原のバラバラ殺人現場の警察は所属が異なり、2つの事件の性格も全く異なる。ところで2つの事件はいずれもチョ・ヒョノ前警察庁長の指揮下で起きたのであり、1つの事件は他の事件と連関している。
イ・ミョンバク政府、特にチョ・ヒョノ前警察庁長指揮下の警察は「時局治安」において労働者・撤去民・デモの学生らに無慈悲な姿を見せつけたし、「民生治安」では極度の「無能」・隠ぺいで一貫する姿を見せつけたが、前の事件が後の事件と連関していた。そしてデモの現場で警察が無慈悲な暴力を行使し、市民の日常では想像できない無誠意と「無能」のゆえに、国民の生命と安全を保護してくれる「警察」が存在しなかったという点において、結果は同一だ。
つまり背景と条件は異なるけれども2つの事件において大きく負傷したり亡くなった人は、わが社会の下層弱者、当然のことながら国家の保護を受けて然るべき人々だ。チョ・ヒョノ前警察庁長は「112申告センターのように重要な部署に「無能」な人物を発令したのは全面的に私の責任」だと自責した。事実上、民政治安を等閑視した点を認めたのだ。
もちろん、警察が時局治安と民政治安のいずれもをしっかりやればいいだろう。ところが、それがそうではない。制限された人的、物的資源を必要とする所に集中投下しなければならない現実的困難さもあるだろうが、もっと重要なのは一線警察の行動を左右している警察庁長、そしてそれを任命し、自身が望んでいる任務を任せる最高権力者の意中がどこにあるのかによって、組織のすべての行動が1つの方向に傾き得るということだ。
イ・ミョンバク大統領が反対をもものともせずに、偽装転入などの個人の不正疑惑や各種の反人権的発言、陽川署拷問事件など無理な捜査によって指弾を受けていたチョ・ヒョノ前警察庁長の任命を強行したのは、彼が京畿警察庁長として双竜社のデモ隊鎮圧を成功的にまとめあげ、ソウル地方警察庁長在職時に時局治安に強硬な姿勢を示した点を高く買ったからだろう。
それでチョ前庁長は任命直後から民生治安よりは時局治安に重きを置けという大統領の方針を確実に履行する姿を示した。イ・ミョンバク政府は初めから「法秩序」を強調し、「逮捕専担チームの新設」をはじめとして集会・デモに対する強硬対応を指示した。このような雰囲気の中で警察は、授業料の暴騰を解決してくれという大学生らの平和的集会に警官1万4千人余を動員した。国家情報院と協力して大運河(4大河川事業)に反対している教授たちを「査察」し、野党政治家の選挙遊説の現場を追いかけ回したりもした。キャンドル・デモ以降、曹渓寺で篭城中の手配者を逮捕しようとして1日平均50人の警察と数百人の機動隊を動員した。
時局治安のために莫大な人的・物的資源を投入するものだから、民生治安は当然にもなおざりにならざるをえなかった。「失われた10年」の間、権力の甘い汁にありつけなかった各警察署の保安・警備担当者たちは、今や再び戦いに勝った余勢を駆って出世のできる時代を迎え、逆に民生治安において卓越した能力を示した警察の面々は後陣に追いやられた。士気が低下した本物の「民衆の杖」たちは今や警察内の「実績主義」や「政治」に追いまくられて、ささいな事件1つも処理できない見当はずれの対応が続いた。
普通の市民らにとって警察は国家そのものだ。最も身近で日常的に人々と接触し、国家が国民にどう対応しているのかを警察を通じて感じとる。カナダの法学専門家マリアナ・バルベルデは「警察は武力を用いて人々を拘束し、逮捕することのできる唯一の集団」だと語った。警察の武力が正しく使われるならば、その国家は国民の生命・財産の保護を最高の課題だと承知している国家であり、そうでないならば暴力組織のようになってしまう。
警察権力が特別な理由はドイツの評論家バルター・ベヤミンが語ったように、専制君主の姿を帯びて、立法的全権と行政的全権を同時に行使するためだ。つまり事件の現場で警察力は単純な法執行者ではなく、現地の立法者の役割まで行う場合がある。しかも戦争などの非常の時期に直面した国家や、極めて後進的な国家において、警察は「即決」の名において司法権さえ行使する。従って警察は時には専制君主の姿を示すけれども、民主国家においては慈愛に満ちた国民の保護者の姿を帯びもする。現場の専制君主としての警察は、ひたすら政権の執行者であり、慈愛に満ちた保護者としての警察は弱者のボディ・ガードだ。 解放後警察国家として再出発 ところで、かつて韓国警察は政府に抗議する市民たちには残忍で険悪な表情をした虎だったけれども、生業に従事している普通の市民たちにとっては「無能」で腐敗し、不法を事とする集団だった。これは日帝の時期以降、今日までほとんど変わりがなかった。
日帝の植民地支配は警察を全面に押し出した。「巡査」は誰にとっても恐ろしさの代名詞だった。解放直後に進駐した米軍は日本の警察が朝鮮で持っていた役割は余りにも広範囲で、世界のどの国においても同じような例は見いだしがたいと診断した。天皇と総督府の忠実な支配道具たる警察は、政治学者丸山真男が描写した軍国主義下の日本支配層の姿そのものだった。
「支配層の日常的モラルを規定しているのは抽象的な法意識でも、内面的な罪の意識でも、民衆の公僕としての観念でもない。…自身の利益を天皇と同一視し、自身の反対者をそのまま天皇に対する侵害者とみなす傾向が胚胎するのは当然のことだ。政府の民権運動に対する憎悪ないし恐怖感には確実にこのような意識が潜在している」。
日帝植民地の警察出身の韓国人らは日帝治下で天皇の忠僕の役割を担い、同胞らをひどく苦しめて良くないことをたくさんやったために、解放直後には息をひそめて平伏していた。そうしている中で大邱10・1事件以後、左翼勢力鎮圧の名分を得て、かつての植民地の時期のありようを再び求めた。初期に韓国に進駐した米軍政は当時の朝鮮警察について「朝鮮警察は徹底して日本化されていて暴動の道具として能率的に使われた。それで植民地の警察という者たちが同胞らの憎しみを買ったのであり、脅威を受けた」と語った。
当時、ありとあらゆる苦しみを味わったある人は「あの時節に警察を嫌がらない人がいたとするなら、それは彼らの家族たちだけだっただろう」と語るほどだった。だが米軍政は日帝警察の忠誠心と効率性を積極的に活用した。弁護士ロジャー・ボールドウィンは「日本では民主化という名の改革を通じて進歩がなし遂げられたが、南朝鮮は警察国家として再組織化された。…能率と便宜のために民主主義が犠牲にされた」と診断した。
解放の政局は右翼暴力組織が公権力を代行・補助したり、暴力組織が事実上、公権力と共助関係を維持したファシズムの状況だった。そうして米軍政の警察と初期大韓民国の警察は「パルゲンイ(赤)狩り」の名分の下、拷問やテロをほしいままにし、権力の庇護を受ける私設テロ組織と暴力請負業者たちの面倒を見てやることまで、ためらうことなく行った。
米軍政の管理人リチャード・ロビンスンは「警察の越権行為、腐敗そして法を執行するに際しての偏向性を黙認してやったという事実だけでも、彼らに残っていたいささかの名声さえも破壊してしまった」と慨嘆した。1947年のヨ・ウニョン暗殺事件の背後にも警察がいるとのウワサが広がった。ソン・ナモンは「この事件の背後勢力は首都庁長チャン・テッサンと日本の特高出身のイ・イックン、ノ・ドクスル、チェ・ウナらである可能性が高く、その行動計画は西北青年会(越南した人々による反共組織)の嫌疑が色濃い」と語った。
警察は地方では搾取組織でもあった。一部の警察署長は政府の要員を背景にして赴任した者で、自己の治下に私設団体、例えば救国同盟などの右翼組織を動員して農民を搾取した。仁実や高敞など全羅道では数十世帯の農民らが警察署長に牛を奪われたりもした。これらの地域において警察署長の権力や影響力がどれほど強いものであったが、およそ手を付けることはできなかった。従って国会で警察出身のチャン・テッサン自身も「全羅道一帯は、これがはたして法治国なのか、大韓民国の領土なのか疑わしいあり様だ。…警察が人を殺すのを、まるでハエでも叩き殺すようにやっている」と慨嘆したほどだった。
「民主警察の消されない過去」
この時節、警察は力のない国民、左翼に同調していると疑われている国民には恐さそのものだった。討伐を名分にして住民たちをとらえては殴り拷問し、集落に入り込んでは牛、豚を捕らえて食ってしまうということなどは全国至る所で起きている現象だった。それで住民らは彼らを指して「サンゴル(山里)の大統領」と呼んだ。サンゴルで警察は立法、司法、行政権を持った専制君主だった。彼らにこのような莫大な権力を付与してくれたのは、まさにイ・スンマン(李承晩)政府だった。植民地時代よりももっと多くの市民たちが、警察に暴行され暴言を浴びせられたし、より多くの人々が裁判を受けないまま警察の銃に撃たれて亡くなった。今日の「民主警察」がどんなに消したくとも消されない、かつての自身の姿だ。(「ハンギョレ21」第907号、12年4月23日付、キム・ドンチュン/聖公会大・社会科学部教授)
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