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今も最高権力者のためだとし
展開される不法な工作政治
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2010年、キム・ジョンイク元KBハンマウム代表の暴露によって表面化した、国務総理室公職倫理支援官室による不法査察は、権力の卑劣さをそっくり見せつける事件だった。権力は「親ノ・ムヒョン」の疑念があるとの理由でキム・ジョンイク氏の財産を奪い、社会的に抹殺しようとした。彼を査察した事実が明らかになると権力はその証拠をなくしてしまい、この過程で犯罪組織が使う方法まで駆使した。
キム氏らを査察した容疑(強要など)によってイ・インギュ前・公職倫理支援官とキム・チュンゴン前・点検第1チーム長は2010年4月、ソウル高裁で懲役10カ月を宣告された。同じ容疑で起訴されたウォン・チュンヨン前・調査官は懲役8カ月、キム・ファギ前・調査官は懲役6カ月、執行猶予2年を宣告された。キム・ファギ前・調査官を除き、拘束起訴された3人はみな刑期が終わった。証拠隠滅の容疑を受けたチン・ギョンナク前・企画総括課長は2審で懲役10カ月、執行猶予2年を宣告され、チャン・ジンス主務官とクォン・ジュンギ調査官は懲役8カ月、執行猶予2年を宣告された。この人々はいずれも大法院(最高裁)の判決を待っている。
けれども捜査と裁判が2年近く進められた今日までも、事件の「首魁」または「上のライン」の疑惑を受けたパク・ヨンジュン前・国務総理国務次長とイ・ヨンホ前・青瓦台雇用労使秘書官らに関連した内容は1つも確認できなかった。捜査自体をしなかったからだ。司法機関が乗り出す意志を見せないのならば、誰かが真実を探し出さなくてはならない。〈ハンギョレ21〉は当時の支援官室の状況に明るい政府関係者に2月29日に会うなど、何度も接触した。また1万ページに及ぶ捜査・裁判記録を入手し、検討した。関係者たちの陳述や証拠資料から、少しでも真実に迫ることのできる手がかりを求めようとした。裁判中の人々と「上のライン」を結びつける環は明らかに存在した。また検察捜査がどれほど不実なものであったかの状況も探し出した。支援官室が全方位的に不法査察を展開したかを考えさせる資料も発見した。このように多くのパズルの1片1片を合わせられないように妨害したのは誰だったのだろうか。(「ハンギョレ21」第901号、12年3月12日付、特集記事『青瓦台が民間人不法査察への介入を解明する番だ』のリードより)
すべての大統領批判派を査察
総理室の民間人査察の件をめぐる疑惑が次第に広がっている。最も問題になったキム・ジョンイク氏事件を見ると、彼はKBハンマウムという国民銀行子会社の社長だったが、キャンドル・デモの動映像を自身のブログに載せた後、それが問題になって結局、自身の所有会社の株式をすべて放棄し、会社から退くことになった。彼を査察した主体は総理室の公職倫理支援官室(以下、支援官室)であって、彼を査察し、また国民銀行に圧力をかけて退かせた事実が明らかになった。
2010年、ソウル中央地検・不法査察特別捜査チームは、この査察の実務を担当した支援官室ウォン・チュンヨン事務官の「ポケット手帳」を確保した経過がある。手帳には与党の有力政治人や民主労総、YTNなど政界、官界、労働界、言論界全般を相手に広範な査察を繰り広げた状況が書かれている。健康保険徴収公団の統合案を立法発議したハンナラ党(現セヌリ党)イ・ヘフン議員、ウォン・フィリョン、コン・ソンジン議員も査察の対象となった。ハンナラ党のナム・ギョンピル、チョン・ドゥオン議員、オ・セフン前ソウル市長、親パク(ユネ)連帯、パク・クネ議員まで査察した、という話もある。査察の対象は、いずれもイ・ミョンバク大統領を批判したり、彼と政治的に対立していたり、不都合な関係にあった人々だ。
最高実力者の介入なしには
最近、この事実を暴露したチャン・ジンス前・支援官室主務官の録取録によれば、チャン前事務官は支援官室で勤務し始めた2009年8月から、民間人不法査察事件が表ざたになる前の2010年7月まで特殊活動費のうち280万ウォンをイ・ヨンホ前・青瓦台(大統領府)雇用労使秘書官らに毎月、渡した。青瓦台・民政首席室でチャン前・主務官に口止め用として5千万ウォンをやったという証言が出てきた。この査察をずっと報告されていた青瓦台・雇用労使秘書官室のイ・ヨンホ前・秘書官は、自身が証拠隠滅を指示したと主張したりもした。
支援官室は総理室所属だけれども、業務ラインを無視して青瓦台の直接指示を受けて、公職者はもちろんのこと政治圏など各界の人々を査察するという秘密査察機関の役割をしてきたことが確認された。執権党の次期大統領候補までが査察の対象に含まれ当初、検察が事実上、捜査を放棄したり事件の隠ぺいを共謀したかのような状況を見る時、青瓦台や現政府の最高実力者が介入することなしには、これほどの脱法的政治査察が公々然とはなされえなかっただろう。
キム・デジュン、ノ・ムヒョン政権を除けば、韓国の歴代政権はいつも対共(共産主義に対する)査察との名目で政治的反対勢力を査察し、その情報によって弱点を握った後、それを武器にして相手方を無力化しようとしてきた。最高権力者はいつでも権力の強化や反対勢力の除去のために査察組織を利用しようとする誘惑から離れることができず、これらの諸組織もまた影響力拡大の利害関係のゆえに絶えず不法に活動領域を拡大しようとしてきた。
韓国の操作情報機関である軍の機務司令部(過去の防諜隊、特務隊、保安司令部)、国家情報院(中央情報部、国家安全企画部)、警察の保安課(過去の査察課、情報課)などは今日までさまざまな不法で不道徳な方法によって国内で野党、社会運動家、反政府の人士に対して査察活動を行った。彼らを逮捕して拷問し、漁夫をスパイにでっちあげ、彼らの人生を根こそぎ破壊するなどの行為をしでかした。
すべての国家は法の上で隠密に動く捜査情報機関をおいているが、それは20世紀の初めから現在まで活発に活動している。英国の諜報機関MI6、かつての東ドイツの秘密警察(シュタージ)や日本の特別高等警察(特高)、憲兵隊、ソ連の国家保安委員会(KGB)、米国の中央情報局(CIA)、米軍の防諜隊(CIC)などがある。これらは政治的性格の捜査査察、防諜、国家機密の収集活動などをしてきた。その活動において盗聴、監聴、ウソ、事件のでっちあげ、暴力と拷問、脅迫、否認など通常の犯罪組織に類似したことをやってきた。冷戦時代のこの諸機関の活動は、いずれも「国家安保」の名の下に正当化された。そしてこれらの機関は、国家安保の先鋒大将だと考えていたために、安保のためには適当なウソや適切な違法行為は避けられないと考えた。
出発はイ・スンマンの私的組織
解放直後の韓国の捜査情報機関の母胎は警察の査察課だった。1948年11月、警察の捜査課に属していた査察業務が分離されて査察課が作られ、地方にも査察課、査察隊が新設された。その頃の査察課は別個の事務所、つまり査察分室を設置した。警察は国民報道連盟などの業務が多くなると、分室の下にさらに分室を置き、東大門市場、ソウル駅、南大門など、人々が多く集まる所に事務所を置き、個人会社の看板を掲げて偽装した。
この査察分室はイ・ジュハ、キム・サムニョンの検挙、国会フラクチ(権力側のスパイ要員配置やその活動)事件など、主要事件を担当した。韓国(朝鮮)戦争前後、思想検事オ・ジェドは当時、査察分室にやってきて生き生きとしながら事件を指揮した。以降、拷問や虐殺などはほとんど査察係が主導した。当時の警察、査察係は何者をも恐れることのない権力機関だった。
1945年の解放直後に進駐した米軍防諜隊は、大韓民国政府が樹立される以前から日帝時代の憲兵や警察出身者を訓練して将来、韓国軍の秘密情報要員として育成しようとした。イ・スンマンは政府樹立の前後に、米防諜隊の後身として大韓観察部を作ろうとした。大韓観察部の責任者は「モンタナ・チャン」として知られていたイ・スンマンの熱烈な追従者チャン・ソギュンだった。だが大韓観察部は、いかなる法的根拠もない不法組織だったために野党の反対に遭って解散され、陸軍情報局(G2)傘下にあった後、結局は韓国戦争中に防諜隊(以降、特務隊)として分離され、復活した。政府樹立直後から、この組織は国家転覆勢力を探し出すという美名の下、実際にはイ・スンマンの政敵を監視し、制御することを行った。米防諜隊、米空軍情報機関、米CIAなど多くの情報機関が韓国の特務隊と緊密な協調関係にあった。
当時の特務隊はイ・スンマンの私的組織のように動いた。この組織は軍隊、あるいは官僚組織特有の指揮・命令系統を無視し、イ・スンマンにすべての活動を直接報告する特権を享受した。特務隊長キム・チャンニョンは事実上、イ・スンマンに次ぐナンバー2として振る舞った。彼にとっては功を前にしては戦友もあってなきがごとくで、利害が相反する人物を容共として仕立てる癖があるとの批判も受けた。彼が検挙したという事件の9割は虚偽・でっち上げであり、残る1割も針小棒大なものだとの話があるほどだった。結局、イ・スンマンとキム・チャンニョンの個人組織も同然だった特務隊の越権に対し、さらにそれ以下の部下ホ・テヨンが救国の情からキム・チャンニョンを狙撃し、撃った本人も結局は処刑された。
キム・ジョンピルをはじめとする5・16軍部クーデター勢力は、クーデター直後に米国のCIAを真似た情報機関を作った。この時、設立された中央情報部の主軸は対共・捜査業務のベテランだった、かつての特務隊の要員たちだった。以降、軍・民間のこの2つの捜査情報組織は1990年代初めまで、政治過程の肝心な山場で、ほとんどすべての事案に介入し、大韓民国の今日をあらしめた。特務司や国情院の歴史が、取りも直さず大韓民国の歴史であり、キム・グ暗殺、チョ・ボンアムの死刑などで始まった大韓民国の歴史の陰謀政治において、すべての過程はこの2つの機関を除いては説明することはできない。
秘密の査察組織を作る
パク・チョンヒの時節、中央情報部は野党の政治人に対してはもちろんのこと与党の政治人までをも査察し、議会の活動にまで介入して議員らを萎縮させたり、議員の私生活を査察して弱点を握った後、必要な時に脅迫用のカードとして活用した。表面的には不正に対する情報収集だとしていたけれども、実際には女性関係を含むすべての私生活を査察した。
中央情報部は事実上、法の上に存在していたのであり、通常の指揮・命令系統は完全に無視した。例えば「シルミ島」事件として知られた特殊部隊は指揮系統上は空軍所属だったけれども、空軍2325部隊長と209派遣隊長は中央情報部に報告したし、実際に中央情報部所属の部隊のように運営された。
1973年に発生したキム・デジュン拉致および殺害未遂事件も、背後に中央情報部がいたことが明らかになった。最初、パク・チョンヒはキム・デジュン拉致事件を聞いて激怒したと報道されたけれども、国情院の過去史委員会が明らかにしたように、すべての状況を考慮するとパク・チョンヒの最側近である中央情報部長イ・フラクが、パク・チョンヒの最大の政敵であるキム・デジュンを拉致・殺害しようとした行動はパク・チョンヒの黙認あるいは同意なしに推進されたとは考えがたい。これは中央情報部という公的機関が最高権力者の指示、黙認あるいは命令の下、国家安保という本来の目的とは関係なく、実質的に政治工作を繰り広げたものであることを見せつける重要な事件だ。
1990年10月、ユン・ソギャン2等兵が、保安司が査察カードを作って民間人まで査察しているという事実を暴露した。1994年の警察庁国政監査では警察も民間人査察カードを管理しているという事実が確認された。その後、キム・ヨンサム政府は民間人査察を禁止すると約束し、政府の諸機関も査察カードを廃止し、今後は民間人査察をしないと言明した。だが、その約束が守られたのかは確認する方法がない。
キム・デジュン政府の時も、警察が安企部の指摘によって各界の人士や社会団体などの情報を収集し、人物資料や団体資料を作成・管理しているという事実が表ざたになった。警察が明らかな法的根拠もなしに警察の電算網を紹介できる端末機を機務司、安企部、青瓦台などに設置してやり、各種の身上情報を閲覧できるようにしたという事実も明らかになった。捜査情報機関は裁判所の令状なしに国情院の自主的承認下で監聴している例外条項がある。国情院は2003年の1年間に実に7281件の通話内容を照会したという事実が国政調査で明らかになった。この紹介がすべて対共査察のためのものだったのかは分かる手立てがない。
民主化されて以降、捜査情報諸機関の活動は、はるかに制限されたけれども、これらの機関は依然として、かつての「うまく行っていた」時期の慣性を捨てられずにいるということが明らかになった。機務司や国情院のさまざまな脱法の事実が、それを物語っている。イ・ミョンバク政府は、今や機務司や国情院が過去のように政治査察をすることができないということが分かり、支援官室のような秘密の査察組織を作って運営しようとしていたものと見られる。歴代政権において見たように、秘密の査察活動は通常、権力者の最側近が遂行する場合が多く、その際は指揮・決裁ラインを無視し、権力者の業務指示を直接に受ける。
今回の総理室と青瓦台の関連人事がほとんど「迎浦ライン」(イ大統領の故郷である迎日、浦項出身)だということが示唆する所は意味深長だ。かつての査察機関がスパイや左翼を捕らえるという名目の下、とんでもない人を「捕らえたように」、今回もキム・ジョンシク氏のような私企業の社長を犠牲の羊に仕立てた。かつての保安司(機務司)や中央情報部(安企部、国情院)の捜査、被疑者への不法拘禁・拷問など相当数の活動は不法の固まりだらけだった。特に機務司の民間人査察や国情院の政治人査察活動が職務範囲を逸脱した違法な行動であったように、今回の総理室の政治人や私企業社長の査察もまた、いかなる法的根拠もなく事件隠ぺいのために犯罪組織が用いる方法まで堂々と使った。それにもかかわらず不法な政治査察が数十年間も繰り返されてきた理由は、それらの機関が事実上、大統領つまり最高権力者の直接的庇護と統制下にあって、誰もそれらの活動をあえて批判することができなかったからだ。
MB政府最大の権力型ゲート
国民や国会の監視と統制外にいる捜査情報機関のこのような違法で不道徳な活動、決裁ラインの無視による公的紀綱の紊乱のために国民は権力に対して一層、不信を抱くようになった。すでに満身創痍となり、もはや捜査機関としての資格のない検察がどこまで明らかにすることができるのかは分かりようもないが、この事件はMB(イ・ミョンバク)政府の、最大の権力型ゲートとなるようだ。
(「ハンギョレ21」第904号、12年4月2日付、キム・ドンチュン/聖公会大学・社会科学部教授)
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