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    かけはし2012.年4月16日号

岩の爆破を阻むために海に
飛び込み、鉄条網を越える

済州海軍基地建設を強行

 道は終わった。済州・江汀村の海沿いに7つの観光コースがある。3月7日、朝から江汀村の道路が封鎖された。市外バスは西帰浦ワールドカップ競技場の方へ迂回した。それでも観光客はやってきた。お天気がよかった。この日の昼の最高気温は14・6℃だった。「早く歩いて! デモの人らと誤解される」。ベージュ色の登山服を着た中年の男性がサングラスをかけた顔を回して一行に催促した。6、7人が、しきりに江汀川の橋の上の戦警(機動隊)と住民を見上げる。
 名所の7コースは見事な美しさによって口づてに広まった。気分のよい防音室のような静かな道を歩いていると、ある瞬間にクロムビ岩が眼前に現れる。眺望左手のポム島の近くに海霧がかかると陽の光がうっすらと波の上で広がる。その名所の道は今はない。「江汀川〜クロムビ岩〜江汀浦」と連なる約2qの海岸一帯に海軍基地が作られる予定だ。昨年9月のフェンス設置によってクロムビ岩一帯の道は断ち切られた。車道を歩かなければならない。3月7日午前11時頃、江汀川の前を通り過ぎた観光客たちのように。「警察が観光コースを阻んでいるとツイッターに上げて下さい!」。近くでデモをしていた住民の1人が旅行客らに叫んだ。

済州道知事の要請も黙殺

 西帰浦警察署は3月6日午後5時頃、海軍基地の施工業者であるテーリム産業とサムスン物産の関連会社にクロムビ岩爆破のための火薬類使用許可を下した。両施工社は、一時は絶対保全地域だった溶岩の団塊を破壊する爆薬560sと雷管122個を海岸の工事場に合法的に運べるようにした。この日の決定は政治的雷管となった。
 ウ・グンミン済州道知事とオ・チュンジン済州道議会議長らは前日の5日、記者会見を開いて工事保留の要請を行った。15万t級のクルーズが停泊できるのかを再検討しなければならないという理由だった。執権党であるセヌリ党(旧ハンナラ党)の済州道党も再検証を要求した。人口53万人を代表する道伯(昔の観察使、転じて現在の道知事を指す)の公式要請を政府が拒否するには1日あれば充分だった。キム・ファンシク国務総理は3月6日午前、工事を継続すると発表した。ウ・グンミン知事は公有水面の埋め立て許可を取り消すと語った。3月7日には工事中止の命令も下した。
 それゆえに3月7日午前11時20分頃に「ドーン!」と響きわたった爆破音は、工事場内外の抵抗と反対を告げる信号でもあった。「火薬類運搬申告手続き」とは違って、火薬は陸路ではなく船で運ばれた。工事場の周囲で住民らがデモをしているとの理由からだった。住民や活動家は3月6日の夜から動いた。イ・ガンソ天主教(カトリック)ソウル教区神父ら聖職者10人と活動家10人は3月7日未明、海軍が張りめぐらした鉄条網やフェンスを越えてクロムビ岩に突入した。英国の平和運動家エンジー・ジェルターら活動家6人はダイブシュート(潜水服)を着てカヤック(小型ボート)でクロムビ岩に上った。神父6人は午前中にフェンスの外に出たけれどもエンジー・ジェルターら活動家7人は発破を阻止するとして、岩から引き下がらなかった。
 3月7日昼12時頃、江汀港から海越しの工事場を見守っていた記者たちの視野に、ピンク色の2人用カヤックがとらえられた。クロムビ岩の上で旗を振っていた活動家7人の側に2人用カヤックが動いていた。岩の近くで高速機動の海上警察の巡察艇がカヤックの前から方向転換をした瞬間、高波が作られてカヤックを叩いた。カヤックはひっくり返った。肩まで伸びたレゲエ・ヘアの活動家ベンジャミン・モネ(32)と進歩新党党員チン・ミョンウォン氏(19、仮名)は海警特攻隊に捕らえられ江汀港に上がった。潜水服も整えられなかったチン氏はタバコを握った左手をぶるぶる震わせていた。「我々は人道的観点から(7人に)水と食糧を伝達するのだと理由を明確にしていたのに、ボート2台が波頭におされて転覆させられました」。自分を「26歳の、江汀を守る人」と語ったキム・ドンス氏(仮名)も続けざまに水に飛び込んだ。女性活動家2人を乗せたカヤックも江汀港に引っぱられてきた。まだ肌寒い3月中旬の海に、若い海警もカヤックをつかまえようとして相次いで飛び込んでいった。はるか江汀浦の右手から再び食糧と水を積んだ2人用のカヤック2隻がクロムビ岩を目指したがつかまった。

同じ日江汀で賛成・反対集会


 海軍は53万u規模の軍港埠頭1500mと、15万t規模のクルーズ船舶2隻が係留できる民間埠頭1110mを作る計画だ。埠頭に必要な土地20万uは海を埋め立てて作る。海軍は高さ3mの塀で48万4千u(埋め立て予定地20万uを含む)の工事場を張りめぐらした。3月7日、海岸はクロムビ岩西側200mの地点を皮切りに6次にわたって発破作業を行った。この日、発破を行った地点はテーリム産業が受け持った2工区の部分で、ケーソン(防波堤築造用の構造物)の造成地だ。
 海で抗議が行われている間、工事場の正門前でもデモが繰り広げられた。昼12時30分、チョン・ドンヨン民主統合党常任顧問とイ・ジョンヒ統合進歩党代表、ホン・ヒドク統合進歩党議員が工事場内に入り、事業団指揮部に工事を中断せよと要求した。その間にも外では闘いが続けられた。3月7日朝8時から日没時まで、住民と活動家何人かが負傷しながら連行された。この日の午後と夕刻、ハン・ミョンスク民主党代表、済州地域のカン・チャンイル、キム・ジェユン議員とチョン・チョンベ議員、チェ・ジェチョン前議員ら野党政治家何人かが訪れ、発破中断を要求した。ハン・ミョンスク代表の発言の際には、何人かの人々がヤジを飛ばした。ハン代表は参与政府の時期に、江汀海軍基地を建設すべきだと、国会で答弁した経緯がある。
 国防部の思いとは違って、発破は政治的論難の雷管となった。海岸基地建設についての賛成と反対の集会が3月8日、江汀で開かれた。この日も昼12時半頃から10分間隔で合計4回の発破が行われた。発破が終わる頃、江汀川体育公園で「済州海軍基地建設促進全国大会」が開かれた。済州キリスト教団協議会、愛国団体総連合会など極右保守団体の会員らが軍服を着て集まり、太極旗を振りかざした。国家安保が重要だ、と彼らは叫んだ。千人以上が参加した。ソ・ギョンソク朝鮮族教会牧師が集会を進めた。300〜400人がソウルからやってきて、残りは済州道民だった。

抗議する英国女性と韓国老神父


 80歳の済州の老人が太極旗を振っていた3月8日、ポム島の近くに巨大なコンクリートの固まりがニョキッと立った。この日未明5時頃、テーリム産業は和順港からバージ(運搬)船を利用してケーソン1基をクロムビ岩の海岸から100mほど離れた海上に移動させ、午後5時頃に投下作業を終えた。ケーソンは防波堤築造用の構造物で、長さ38m、幅25m、高さ20・5mの規模だ。総重量8800t余りに達する。ケーソンの投下は本格的な海の埋め立て工事の始まりだ。
 済州島は、いつも戦略の要衝地だった。(中国の)元は随時、耽羅(タムナ、済州島の古名)に船を送った。元が滅亡する時、王族らは耽羅に亡命する計画も立てた。島の人々は戦略の要衝地ではなく暮らしの根拠地で生き残るために、いつも闘わなければならなかった。
 1980年代後半にノ・テウ政府が「アルットゥル」に空軍の飛行場を建設しようとした。米国の戦略基地として使われるだろうとの心配が多かった。済州島民がみんな闘った。そして基地建設を阻止した。今度は海軍基地だ。闘いは一層、至難だ。済州道伯の抗議は無視された。3月9日未明にもサイレンが響きわたった。カン・ドンギュン江汀マウル会長のマウル放送だ。農業をやり、カラオケが好き、2006年にはキム・テファン前道知事の選挙運動をやっていた男は、今や闘士となった。海軍は済州道伯やカン・ドンギュン・マウル会長の反対を全く意に介していない。自信感にあふれている。
 このような自信感は今、江汀での破局へとつながっている。3月9日昼12時頃、カン・ヨンソク議員が約2〜3分間、基地建設賛成のプラカードを掲げた後、いつの間にかいなくなった行為も、破局を見守っている住民たちに笑いをさそうことはできなかった。10人余りの活動家はカッターと釘抜きでフェンスを破った。薄いフェンスに、すぐに3、4カ所の穴が開いた。テーリム産業の職員何人かが破られた穴の前に立ち、活動家たちを足蹴りにした。活動家らは体をねじ込んで入って行った。英国からやってきた白髪のオモニ(お母さん)もその中の1人だった。反戦反核活動家エンジー・ジェルターは1980年代「スノーボール・キャンペーン」で有名になった。英国内の米軍基地のフェンスを断ち切って進入し、平和を叫んだ。1999年には核潜水艦基地に潜入し、核武器反対の宣伝活動を繰り広げ、逮捕された。ノーベル平和賞の候補にも上がった。今回は韓国の海軍軍事基地予定地のフェンスだ。1951年生まれのこの英国人女性はこの日、ムン・ギュヒョン神父と共にフェンスの穴に入り、クロムビ岩に向かって海岸を走った。戦闘警察や記者たちも、昼の最高気温12・9℃の陽射しを受けて海べりを走った。

断たれた道の上で闘いは続く

 午前10時4分、鎮圧にけりがつけられた。警察はミランダの原則(弁護士の選任権や黙秘権など被疑者の権利を守ること)を固辞し、活動家らは横断幕を最後まで放棄せず、その場を守ろうとした。ある女性活動家は泣き叫び、ムン・ギュヒョン神父は大地にはいつくばって抵抗し、4人の機動隊によって4肢を持ちあげられ連行された。テーリム産業の職員らは記者たちに身分証を要求し、もみ合いを繰り広げた。20人余が連行され、西帰浦警察署や西部警察署などで取り調べを受けた。誰がフェンスを破ったのかに取り調べが集中したものと思われる。財物損壊罪の量刑は罰金刑から死刑まで多様だ。前科などさまざまな理由が総合的に検討される。破られた穴から単純に入り込んだ活動家は「無断出入」の軽犯罪が適用されるだけだ。これらの抗議によって、この日の発破は午後に延期された。
 海辺の7コースは美しいことで有名だった。そこを訪れた人々が、相変わらずのぞき込んで彼らは江汀川の前で道が断たれたのを目撃する。断たれた道の上で闘いが続けられているのも、彼らは目撃している。
(「ハンギョレ21」第902号、12年3月19日付、江汀(済州)=コ・ナム記者)

エンジー・ジェルター(ノーベル平和賞候補)にインタビュー

「江汀問題は国際的に
取り組むべき課題だ」


 100回以上、逮捕された女性。1999年、英国の海軍基地に潜入して核潜水艦トライデントに使用されるコンピュータや装備などを水に投げ込んだ。「トライデントを犂(すき)に」(Trident ploughshare)運動だ。ベルギー、カナダ、英国などで合わせて100回以上、逮捕された。ノーベル平和賞候補に挙がった。エンジー・ジェルター(61)は今、済州・江汀マウル(村)で闘っている。

――軍事問題の闘いに乗り出している理由は何か。

 我々は「本当の安保」(リアル・セキュリティ)に集中してはいない。本当の安保というのは水、食べ物、空気を守り、人々が適切に分かち合って生きる暮らしを言う。これは普通の人々が持続可能なやり方で暮らしていけることと関係する。軍国化は、それを保障できない。江汀マウルの人々は「持続可能な暮らし」のために闘っている。

――あなたは「スノー・ボール・キャンペーン」(英国内の米軍基地の鉄条網を断ち切る反核運動)によって知られ始めました。

 その運動は、同時に核兵器に対する闘いだった。核兵器は国際法に反する(1996年、国際司法裁判所の判決を意味している)。すべての核兵器は不法であり、世界のすべての国家は国際法を尊重しなければならない。第2次世界大戦以降に出てきた「ニュールンベルクの原則」は、人道主義的国際法は未来の世代を保護し戦争を阻むことに関するものだと明らかにした。

――国際紛争の問題があなたの最大の関心事になった理由は何か。

 21歳の時にアフリカに行った。人々を手助けできるだろうと考えた。カメルーン(西カメルーンは英国植民地、東カメルーンはフランス植民地だった)の人が私に、英国の植民地主義は残酷だった、私が本当に手助けしたいのであれば英国に戻って(植民)政策をやめさせろ、と語った。3年後、英国に戻った。冷戦の真っ最中だった。核兵器が重要なイシュー(問題点)だった。核兵器反対闘争を始めるとともに、森林破壊の阻止にも参加した。すべてのものはつながっている。だからそれ(私の闘争)は単純に米国や軍国化に反対する運動ではない。人間を脅かしているすべての国家に反対しているのだ。私も自己防御を理解する。だが江汀海岸基地は(韓国の)自己防御ではなく米国が、経済大国として浮上している中国をけん制しようとしていることと関連している。

――韓国政府と軍は、江汀住民以外の外部活動家は干渉をやめてマウルを離れるべきだと語る。あなたの答弁はどうか。

 それならば米国は?(笑い) 軍国化問題はすべて互いに結びついている。江汀の海軍基地は国際的イシューだ。(「ハンギョレ21」第902号、12年3月19日付)

 


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