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    かけはし2012.年4月9日号

首切り自由社会許さない
全労働者の闘争で反撃を


3.29-30JAL不当解雇裁判に不当判決



全労働者への
露骨な攻撃だ
 日本航空経営が強行した不当解雇の撤回を求めた、乗務員、客室乗務員各原告団の提訴に対し東京地裁は、三月二九日(乗務員原告団、民事三六部)、同三〇日(客室乗務員原告団、民事一一部)、両原告団の訴えを退ける極めて不当な判決を下した。
 日航経営が公然としかも自覚的に犯した不法行為、整理解雇四要件のあからさまな無視と不当労働行為は、事実と証拠に照らしてまじめに検討されることなく、いとも安易かつ狡猾に是認された(解説参照)。それは、労働者の権利が資本の利潤獲得に対するじゃまものだとする近年の新自由主義経営観、その観点からする日本支配層の要求に全面的に寄り添う、むしろそれを後押しする判断に他ならない。
 まさに全労働者へのあからさまな攻撃である。しかしそれだけではなく全社会への恥知らずな攻撃でもあり、それは、バブル崩壊以降の長期不況を背景に横行してきた労働者の権利に対する乱暴な攻撃と破壊が、結局のところ、数多くの産業災害を伴いつつ社会のすさまじい貧困化に帰着してきたことに、端的に示されている。
 日本支配層はそれでもなお、そのような帰結は労働者の抵抗、「既得権」が原因であるなどと、まさに白を黒と言いくるめる詭弁を弄しながら、なお一層の労働者攻撃に臨もうとしている。労働者派遣法の抜本改正要求はほとんど意味をなさないほどにねじ曲げられた。有期雇用に対する規制も実効性のまるでないものに骨抜きされようとしている。サービス残業の横行が表すように殺人的長時間労働が続く一方で、賃金切り下げが強要されようとしている。橋下大阪市長の暴挙は、職場の門をくぐれば憲法はない、を全社会化しようとする目論見の一端を明らかにした。経営の都合のみを言いつのり解雇自由に事実上扉を開く今回の判決は、そのような支配層の意図にまさに率先迎合するものでしかない。
 このような判決を容認するわけにいないことは明白だ。このような司法判断に対しては、全労働者の闘争としての何十倍にもふくれあがる闘いのエネルギーで応えなければならない。両原告団はまさにその意志を込めて声明を発し、直ちに控訴を決定すると共に連続的な諸行動に立ち上がり、広範な人々に闘いを呼びかけた。

更生計画を絶対
的基準にして
 まさにその手始めとして、三月二九、三〇日午後遅く、会場に入りきれない労働者、市民の結集の下、怒りと熱気に溢れる判決報告集会が行われた。集会を準備した両原告団の表情は驚くほど明るく元気だ。詰めても詰めても押しかける参加者を整理する原告たち、集会を仕切る司会者、そして発言者、すべてが怒りを押し殺しテキパキと、あるいは会場の爆笑を誘うユーモアをそこここに交えて、むしろ会場に勇気を送った。そこには、覚悟を決めて全労働者の闘いの先頭に立つという、ある種のすがすがしさが匂い立っていた。集会参加者は、二九日三六五人、三〇日四四〇人と発表された。
 集会ではまず船尾徹弁護士から、判決の不当性が総括的に解説された。船尾弁護士は、あらゆる点で不当だと断じ、特に解雇の必要性の判断について、事実に具体的に踏み込むことなく、ただただ更生計画を守るという基準からのみ行われていることを指摘し厳しく断罪した。まさに更生計画が絶対化され、裁判官はそこで思考停止しているのだ。そしてこの点に関わって、更生計画が民事八部が関与して作成されていることが指摘された。判決の直後であり深く吟味したものではないとしても、その不当性は随所であばかれた。
 会場からの質問、発言も活発に行われた。その中では、特にCCUの場合監視ファイル事件で排除対象者が特定されていることや、一昨年六月時点で人選が確定していたことなどを指摘した上で、不当労働行為の問題をもっと前面に出して取り組もうとの積極的な訴えも行われた。
 山口宏弥乗員原告団長は、あまりに分かりやすい不当性のために団結しやすくなった、しかし一方で職場で会社とグルになっている連中が喜ぶのが悔しいと会場を笑わせながら、この怒りを会社と司法へ叩き付ける、そこに向け力一杯闘うと、闘志をみなぎらせて決意表明した。
 内田妙子客乗原告団長からも、三〇日の判決は前日の判決よりも悪い、会社の主張の丸呑みだ、女性の定年まで働く権利を根こそぎにした今回の司法判断に対しては闘いのエネルギーを一〇倍、二〇倍にして返す、現職復帰まで闘いを止めない、との力強い決意が述べられた。二人の決意表明は、会場から割れんばかりの大拍手で応えられた。
 国民支援共闘からは、井上久全労連事務局次長、糸谷欽一郎全国港湾委員長が発言、雇用確保という本来司法が果たすべき責任が投げ捨てられた、全労働者に対してけんかが仕掛けられた、闘わずにはいられない、受けて立とうと闘いが呼びかけられた。政治の場からも日本共産党の志位和夫委員長、穀田恵二衆院議員、山下芳生参院議員が参加、各々発言した。
 全社会的闘争へ、課題はまさに明確だ。そこに向け行動はすでに矢継ぎ早に始まっている。二九日は、前記報告集会に引き続いて有楽町マリオン前で宣伝行動、三一日にも同所で宣伝行動が行われた。四月二日から六日にかけては日航本社前での座り込みが予定されている。そして四月五日には、四谷区民ホールを会場に国民支援共闘総決起集会が設定されている。
 これらの行動を大結集で成功させることはもちろん、「支える会」の会員拡大など長期争議体制の支援も欠かせない。JALの不当解雇を撤回させるためさらに力を尽くそう。その中で、あらゆる社会的責任を投げ捨てひたすら自己の利益の囲い込みのみを追い求める支配層の意図を打ち砕こう。      (神谷)

解説

不当労働行為の正当化

整理解雇4要件を
裏口から空洞化

権利破壊は安
全破壊に直結

 日本の労働法制においては、労働者に責任のない整理解雇を厳格に規制する規範が確立している。労働者の長く血のにじむような闘いを刻み込んだ判例法理だ。いわゆる整理解雇四要件と呼ばれるものであり、@解雇の必要性の厳密な証明、A解雇の回避努力、B解雇対象者の合理的かつ公平な選定基準、C手続きの妥当性が求められ、これらに一つでも不十分なものがあればその解雇は無効とされる。その規範は、更生手続き中の再建会社であっても守られるべきものとされてきた。
 しかし今回問題となった日航の整理解雇は、この四要件をことごとく逸脱するものだった。たとえば@に関するだけでも、整理解雇が発令された一昨年末日航が、史上最高の営業利益を、当然更生計画をはるかに上回る利益を予定していたことが指摘できる。そして確定利益は更に膨らんでいる。今では再上場時期すら前倒しされると観測されるほどだ。解雇がなければ事業の継続が不可能、というような状況はまったくなかったのだ。「被解雇者を残すことは不可能ではなかった」との、各方面に波紋を投げた稲盛会長の公言には何の不思議もなかった。
 しかもBに関わっては、長らく労働者の権利を守る闘いの先頭に立ち、またその闘いを通して、日航経営の問題点を率直に指摘しその改善を求めると同時に、航空輸送の安全確保を現場の闘いとして追求してきた、各労組の中心的労働者の狙い撃ち的排除に帰結する選定基準が作られていた。資本から自立した労働者と労働組合活動に対する敵視、並びにそのような労働組合を破壊しようとする狙いは明確であり、露骨な不当労働行為だ。
 このような人選基準が航空輸送の安全を著しく脅かすことも歴然としている。労働者がものも言えなくなることは、現場をろくに知らず、また現場を見下す経営の不適切な指示を正す機会が失われることを意味するのであり、安全はまさにその瞬間から崩壊するのだ。労働者の権利無視の横行と昨今の大規模な産業災害の頻発には、明確な因果関係を指摘できる。
 日航経営は、見てきたような四要件逸脱を明確に自覚していた。だから彼らは裁判において、四要件を満たしているとの事実に基づく立証に始めから力が入らず、むしろ、更生手続き会社には四要件を適用すべきでない、と主張した。確立している判例の変更に期待しそれを要求したのだ。

正面から主張せ
ず逃げ腰に終始


 ところが判決は、立証にはほど遠い会社の強弁を丸呑みし、四要件は満たされていると強引に判断した。そこで徹底的に依拠したものが「更生計画」だ。
 その論理はまったく狡猾なものだった。整理解雇四要件は「更生会社であっても当然にも適用される」と前置きし、あたかもその四要件に沿って検討を加えたごとくに装いながら、その実検討の基準は、労働者のあずかり知らない更生計画を一ミリも動かさない限りで、というところに徹頭徹尾置かれた。要するに更生計画が絶対なのであり、四要件は実際上、あくまでその下位にあるものにすぎないとされた。これでは、更生会社では四要件は適用されないと言うに等しい。四要件はまさに裏口から否定されたのだ。
 しかも、更生計画がなぜそれほど絶対的なのか、その肝心な点を判決は明確にしない。ただ、債権者(要するに金融機関)の債権放棄や株券の無価値化などをあげつらい、「利害関係者の損失分担の上に成立した更生計画の要請」などという論理関係のあいまいな、むしろ情緒的と言ってよい言及で代用されているだけだ。あたかも、損失をかぶった者たち(実は、何十年にもわたってJALから多大な利益を吸い取り、その間JALの経営に発言権を持ち、したがってJALの経営破綻にもなにがしかの責任を負っている者たち)の顔を立てなければならないと言わんばかりだ。しかしそれは匂わされているだけであり論理としてはっきり明示されているわけでもない。その意味でもまさに狡猾なのだ。しかもその結論が、経営破綻には何の責任もない労働者にそのツケを払え、となるのでは、まさに公正のかけらもない。
 このような論理の下で、不当労働行為の指摘も、安全に対する脅威の指摘も、何らまじめな検討もなく無視された。安全が脅かされるという指摘に対しては、「にわかには想定し難い」とあっさりとやり過ごされたが、それこそまさに「にわかには想定し難い」感性と言わなければならない。そこには、原発裁判でくり返された判断を思い起こさせるものがある。
 判決は、「利害関係人」、要するに資本の出し手にへつらっただけの判決と言う以外にない。しかし裁判官はそれを正面から堂々と主張しない。まさに自信のなさの表れであり、広く社会にも、また上級審が確立した判例にも、自己をかけて挑む気概も勇気もないのだ。
 このようなへっぴり腰判決を社会に通用させてはならない。まさに広範な社会の怒りの噴出で応えることが決定的に求められている。       (神谷)


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