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権力・資本家よりも正規職を
憎悪するファシズムのパトス |
昨年11月に執り行われた大阪府知事と大阪市長選挙において、「予想通り」地域政党である「大阪維新の会」が圧勝を収めた。勝利を予想した人は少なくなかったけれども、圧勝までは予測できなかった。圧勝に導いたのは大阪府知事を辞めて大阪市長選挙に出馬した42歳の橋下徹だ。橋下は早稲田大・政経学部を出て弁護士として活動するとともに、法律関連の番組や芸能番組で人気を集め、TVなどで積み上げられた大衆的人気を基盤にして2008年1月、大阪府知事選挙で当選した人物だ。
選挙の争点は明らかだった。橋下は大阪府と大阪市を統合して行政を効率化し、高速道路・高速鉄道を建設してカジノなどの賭博施設を誘致して大阪の地域振興を図るという、いわゆる「大阪都」構想を明らかにした。そして教育基本条例案や職員基本条例案を制定すると語った。
橋下の得票数は75万票、得票率は59・98%だった。対抗候補の平松国夫の得票数52万票に23万票もの差をつけた。大阪市長選挙の得票率は実に60・92%。2007年の投票率が43・61%だった点を考慮すれば4年前に比べて実に20%近く上昇した計算だ。大阪市長選挙で投票率が60%を超えたのは1971年以来、40年ぶりのことだ。高い投票率が橋下圧勝の背景となったことだけは明らかだ。
橋下の圧勝は2009年9月に政権を握った民主党の相次ぐ失政に有権者が背を向けたからだ。民主党の公約は空約となった。ところが選挙もなしに総理だけ3回も代えながら、酸素呼吸によって延命してからもう2年6カ月が経ったのだから有権者が地方選挙で、与党たる民主党を下ろしたのは当然の流れだ。従って橋下の圧勝は民主党の立場をそのままに見せつける。地方の反乱が民主党政権の没落と自民党の再執権という中央政治の激変へと結びつくことができるのだろうか。現在のところは難しい。民主党の人気の下落が第1野党・自民党の人気上昇へとそのまま結びつくわけではないからだ。
1人の人気に既存政党は秋風落葉 橋下の競争候補である平松は民主党と第1野党・自民党の公認候補だった。共産党も橋下の勝利を阻止するために独自候補を出さず平松候補を支持した。常々、独自候補論にこだわっていた共産党としては異例の選択だったけれども、橋下旋風を防ぐことができなかった。
「大阪維新の会」という地域政党が橋下個人の政党の性格が強い点を考慮すれば、橋下1人の人気に民主党、自民党、共産党が秋風落葉のように勢いを失って倒れたのだ。そうであれば橋下の勝利は既成政党に対する反乱の性格を帯びる。実際に橋下は選挙運動期間の11月26日、街頭演説で「皆さんの1票が自民党・民主党・共産党・市役所、そして市役所にからんでいる団体をうち破ることのできる力となる」と語った。
橋下の圧勝は新たなメディア世代の出現を意味することでもある。鹿児島大学の平井一臣教授が語ったように、新聞や雑誌のような活字メディアに代わってツイッター、インターネット、ブログ、TVなどのメディアを積極的に活用する新しいスタイルの政治家が出現したのだ。
脱政党化と新しいメディアの活用という点のゆえに、韓国のメディアでは橋下の勝利を韓国のアン・チョルス現象やパク・ウォンスン・ソウル市長の勝利に比肩したりもする。表面的には、そうだ。けれどもパク・ウォンスン・ソウル市長とは違って、橋下の勝利は政治的に見れば「右向け右」だ。もちろん橋下の政治理念は1つのカラーで定義するのは難しい。
しかも地方選挙であるがゆえに外交安保路線が明らかになるというのも大変だ。けれども部分的に表れている彼の言説を集めてみれば、彼が新自由主義的極右改革路線の信奉者であることを見抜くことは難しくはない。彼は在日朝鮮人の地方参政権に反対し、憲法改正や核武装に賛成すると語ってもいる。在日朝鮮人や労働組合の建物などに対する固定資産税の減税措置の廃止も主張する。大阪府知事だった2011年6月には「君が代」斉唱時の市立学校教職員の起立を義務化する条例を成立させた前歴がある。
橋下の行動力と政治哲学は日本の代表的極右派政治家である東京都の石原慎太郎知事にひけをとらない。人によっては彼をヒトラーに比喩したりもする。彼を批判する人々が使う「ハシズム」という言葉は「ハシモトイズム」を縮めたものだけれども、ファシズムの同義語だ。それで彼に反対する人々は選挙戦で橋下を独裁者でありファシストだとして非難した。おそらく有権者が橋下の本質を知らずにいるので彼の政治的本質を暴露すれば大衆が彼に背を向けるだろう、と判断したのだろう。
けれども結果は違った。なぜなのだろうか。有権者は橋下が独裁者でありファシストだということを分かっていたからだ。むしろ独裁者でありファシストであるがゆえに彼に票を投じた可能性さえある。ファシストや独裁者も「改革的」であり得るからだ。だとすれば、彼の改革対象が何であるがゆえに有権者が熱狂したというのだろうか。
失うもののない弱者たち 彼は職員服務条例と教育基本条例の制定を主張する。職員服務条例は地方自治体の幹部公募制を導入し、職員に対する相対評価を実施し、評価の低い職員に懲戒ならびに免職を下すことのできる内容を盛り込んでいる。教育基本条例は校長の公募制を導入し、教職員に対して相対評価を実施して評価の低い教職員に懲戒および免職処分を下すことのできる内容を盛り込んでいる。
ひとことで言えば、民間企業が実施している成果主義的人事政策の導入を骨子とする。彼は「大阪市役所をぶっ壊す」と語っていたが、これは「聖域なき構造改革」を叫びながら自らの所属政党である「自民党をぶっ壊す」と公言していた小泉純一郎元総理と似ている。橋下が壊したいのは大阪市の公務員であり教師だ。それならば有権者は、なぜ巨大な国家権力や資本家に敵対せず、いわゆる中間層の公務員や教師に敵対的態度を取っている橋下に共感したのだろうか。
このような心情を代表している「失ってしまった世代」(韓国の「88万ウォン世代=月収約6万円余り」に比肩できる)の1人が1975年生まれの赤木智弘だ。赤木は東京の専門学校を卒業し、アルバイトで生計を維持している代表的な88万ウォン世代だ。彼が有名になったのは2007年に、ある雑誌に載せた「丸山真男を殴ってやりたい。31歳のアルバイト生。戦争を希望する」という刺激的な文章のせいだ。アルバイト生が、日本の最高の知性と呼ばれる丸山真男を殴ってやりたいと言ったのは、なぜなのだろうか。赤木は何の希望もなく1日1日を延命する。それにもかかわらず日本は平和で、安定している。希望のない彼にとっての希望というのは日本の安全と平和をぶち壊す戦争以外にはない。戦争は悲惨だ。けれども悲惨さは「持てる者が何かを失うから」だ。何にも持っていない弱者には失うものがない。「持てる者と持たざる者が確実に分けられ、その間に流動性が存在していない社会にあっては戦争はもはやタブーではない」。戦争に反対するのは「我々を一生、貧困の中に囲い込んでおこうとする、持てる者たちの傲慢さ」だ。
この刺激的な破壊本能の文章は大きな反響を呼びおこした。日本版88万ウォン世代に対する幅広い共感も生んだ。けれども彼が批判したのは国家権力でも資本家でもなかった。彼は語る。「権力者が戦争でキリキリ舞いするのを望む」。なぜならば「裕福な家庭だとか後ろ盾だとかを持っていない安定労働者は、我々のような貧困労働者との交換の可能性が大きいから」だ。
赤木が攻撃しているのは国家権力や資本家ではなく、正規職の労働者だ。けれども彼が語っているように、正規職の破壊が非正規職の正規職化へとつらなるものではない。従って赤木の主張は既存の秩序の破壊自体にのみある。そうであるならば橋下の人気の秘密は、地方公務員や教師のような安定的正規職労働者に対する攻撃に有権者が共感したからだろう。
「引きずり下ろしの民主主義」
思想史学者内田樹は、橋下に熱狂する有権者の心情を「加虐的快楽」と呼ぶ。自らにいかなる利得も入ってこないが、誰かの利得が減ることに快楽を感じる心理を言う。
「引きずり下ろしの民主主義」という言葉もある。日本の政治学者・丸山真男が考案した言葉だ。彼は「民衆は偉大だ、民衆の力を信じろ、と言うような日本の知識人のポピュリズムほど笑わせるものはない」とし、ひたすら他人を引きずり下ろすことによって自身の満足を満たそうとする傾向を「引きずり下ろしの平等主義」「引きずり下ろしの民主主義」と定義する。知識人らの的外れの庶民主義と反知性主義の危険性を警告する言葉だ。
この言葉が有名になったのは2010年7月のことだ。当時、民主党の官房長官だった仙谷由人議員は、国会議員をあまりに優遇しているという世論に対して「(国会議員の)給与水準が余りにも高いから平均値に下げるべきだという論議には問題がある」とし「『引きずり下ろしの民主主義』のような点に注意しなければならない」と語り、物議をかもした。
政治学者平井一臣は橋下現象を「妬み嫉みから生じた憎悪(jealousy)の政治」と語りつつ、「他者に対する攻撃や排除に同調しやすい社会へと日本が変容しているのであれば、憎悪の政治はどこからでも作動し得る」と警告する。
なぜファシストを支持するのか
「加虐的快楽」であれ「引きずり下ろしの民主主義」であれ「憎悪の政治」であれ、これらの人々の言説の共通点は、橋下圧勝の原因を有権者の的外れの心情のせいに帰する、という点にある。とは言うものの、これらの言説の裏面には一種の大衆蔑視とエリート主義が位置している点も見逃してはならない。非正規職など社会的弱者の不満が、なぜ国家権力や資本家に対する攻撃ではなく、正規職など社会的中間層に対する憎悪として現れるのか、そしてこのような心情が「白馬に乗って来た超人」のようなファシストに対する熱烈な支持へとつながるのかを考えなければならない。(「ハンギョレ21」第896号、12年2月6日付、クォン・ヒョッテ聖公会大・日本学科教授)
夜明けが近づいている
「著作権侵害禁止法案」と
「知的財産権保護法案」
土地は生産することができない。冷蔵庫のように工場で作ることはできないし、稲のように田んぼで育てることもできない。商品一般と本質的に異なる。土地のこのような本性は、すべてのものを商品に転換させる資本主義に相反する。ヘリー・ジョージら多くの人が土地公概念を提起した理由だ。
情報は、土地と正反対の本性のゆえに商品一般と異なる。パンは半分に切れば半分に減り、スマートフォンは割れれば使えなくなるけれども、情報は分割しても損なわれず減りもしない。無限の複製が可能だ。望む誰もが分けて使い共有することができる「無限の公共財」だ。原本と複製本の区分も無意味だ。多くの人々が情報の独占に反対し情報共有運動を繰り広げる訳だ。
資本主義は私的所有制を必須の前提とする。すべてのもの、甚だしくは人間(労働力)さえ商品化し、私的所有制の網に囲おうとする。土地や情報も例外ではない。けれども土地や情報はその公共財的本性のゆえに、資本主義的私的所有制にくくられると複雑な問題が発生する。各国の経済や市民の暮らしが不動産投機のせいでふらつく根源には富者の貪欲ばかりではなく、土地の「増殖の不可能性」が横たわっている。
情報の場合には「自由な共有」を追求する勢力と「私的財産権保護」という美名の下、絶対的私的所有権を追求する勢力間の闘争が熾烈だ。米国で「オンライン著作権侵害禁止法案」(SOPA)と「知的財産権保護法案」(PIPA)を巡って展開された力比べが最近の代表的ケースだ。2つの法案は「コンテンツ海賊行為」を阻むという名文の下、特定ウェブサイトを遮断したりリンクを削除せよとの命令を下すことができるように規定している。不法複製の最大の被害者を自称しているハリウッドなどの映画・音楽業界が支持している反面、グーグル、フェイスブック、ウィキペディアなどのプラットホームの提供者たちは、表現の自由を侵害する「インターネット検閲」だとして反対してきた。
韓国のインターネット検閲問題
この渦中に米議会が立法を強行しようとすると、ウィキペディアなどが1月18日、「ブラックアウト」(サービスの中止)という極端なオンライン・デモを展開した。「自由な知識のない世の中を想像することができますか」として市民の反撃を「煽動」したが、その反応は爆発的だった。24時間閉鎖されたウィキペディアの英語版ページに1億6200万人余りが訪問し、法案賛成議員らの事務所は押しよせる抗議文によって相次いでダウンした。突然のことに驚いた議員らの法案支持撤回が相次ぐと、ヘリー・リード民主党上院院内代表は1月24日に行うとしていた法案の票決を延期した。
「インターネット検閲」は韓国では既に日常だ。北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)関連のサイトは接続自体が不可能であり、知的財産権保護などを理由にウェブサイトやリンクが遮断・削除されることも少なくない。ミネルバ事件、パク・チョングン氏の拘束などは氷山の一角だ。すべて国家保安法など「法の名」によってほしいままになされている暴挙だ。
ウィキペディアなどは「ブラックアウト」に踏み出さざるをえなかった理由として「誰であれ、どこであれ、自由に接近することのできる開かれたインターネット」を維持しようとするならば、それを裏支えする法的基盤が欠かせないという点を強調した。経済が社会を取って食うことができないように防波堤の役割をする適切な法的基盤があらねばならない、との指摘だ。著名な経済史家カール・ポランニー式に言えば、「悪魔のひきうす」となってしまった資本主義体制において、一切を支配する経済を今こそ再び「社会の中に取戻す」パラダイムの転換と人間の意識的な努力が切実だ、ということだ。
民主主義社会においてすべての葛藤は法と制度に収れんされる。同時に法と制度の解釈や執行が重要であることは改めて言うまでもない。映画〈折れた矢〉に対する大衆の熱い反応は「司法不信」の反射鏡だ。3角おむすびやスンデ(腸づめ)、パンなどの販売にまで手を伸ばした財閥の際限のないどん欲は「経済が社会を取って食った」韓国社会の自画像だ。夜が深まれば深まるほど夜明けが近いと言うのではないか。黎明とともに、市民たちが眠りから醒める時が近づいている。(「ハンギョレ21」第896号、12年2月6日付、イ・ジェフン/編集長) |