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    かけはし2012.年3月5日号

「軍事拒否国家」コスタリカ
を発見した日本の市民社会

軍隊のない国家・日本というウソ

 2000年代に入って日本でコスタリカ・シンドロームが静かに吹いたことがある。中米に位置する人口約450万人、国土面積が日本の半分にもならない「小国」コスタリカ。太平洋を挟んで地球の反対側に互いに位置するコスタリカと日本の接点は、すぐに思いうかべるのは難しい。ところでコスタリカについての本や評論などが一斉に出回った。〈軍隊のない国コスタリカ〉〈平和を作る教育―軍隊を捨てたコスタリカの子どもたち〉〈憲法を生かす時代―コスタリカから憲法9条へ〉〈平和憲法を持った3つの国〉〈非武装平和憲法と国際政治―コスタリカの事例〉〈平和とは何か―軍隊を捨てたコスタリカで考える〉〈非武装国家―軍隊を捨てたコスタリカの平和戦略〉など数多くの本が書店に並べられ、読者に少なからぬ反響を呼び起こした。

コスタリカ旋風の隠された理由

 理由は本の題名さえ見ればすぐにも分かるように、コスタリカには軍隊がなく、武装を禁止した地球上に幾つもない国家だという点にあった。コスタリカには実際に軍隊が存在しない。コスタリカ憲法第12条には「軍隊は永久に廃止する。公共秩序の監視と維持のために警察力を維持する」となっている。さらに31条には「コスタリカの領土は政治的理由によって迫害を受けているすべての人々の避難所だ」となっているのだから驚異的でさえある。もちろん但し書き条項で「国防のためには軍隊を組織することができる」となっているから非常時に徴兵制を発動できる根拠は用意してあるけれども、このような但し書き条項が非武装平和国家の位置を脅かすほどではない。コスタリカ観光広報局の事務所がコスタリカを「世界で1つだけの非武装永世中立国」と紹介しているほどだ。日本の著名な作家・小田実がコスタリカを「良心的軍事拒否国家」と呼んだのも、このためだ。もちろん非武装国家コスタリカが作られるまでにさまざまの困難な歴史があり、今も現在進行形だけれども、これは省略しよう。この文章で扱おうとするのは、なぜ2000年代になって日本社会がコスタリカを非武装平和国家の名称として「発見」したのかだ。
 今は多少、下火になったけれども2000年代に入って自民党政府が憲法を「本当に」改定しようとしたことがある。2007年、憲法改正の手続きに関する法律(国民投票法)が国会で通過したのだから、憲法改正の最初のステップまで進入したわけだ。1950年代に大きく燃えあがった改憲の嵐に続き、2度目のことだ。1950年代には社会党などの護憲政党が主導して広範な護憲組織を結成し、改憲の動きを阻止しぬいた。だが2000年代は代表的護憲政党だった社民党(旧・社会党)が少数政党として辛うじて命脈を保っている程度で、今は執権党となった民主党も憲法改正自体に反対したことはなかったのだから、憲法改正の雰囲気が次第に熟していった時期だった。政党が憲法を守ることができないものだから、政党の外にいる市民たちが立ち上がった。憲法改正に反対するさまざまな市民団体が作られ、そこかしこで集会・声明・講演が燎原の火のように燃えあがった。書店には憲法改正を主張する右派たちの刺激的な題名の本と共に、反対に現行憲法がいかに立派なものであるかを説く数々の本が一緒に並べられた。憲法に対する態度が日本の保守と進歩を測る尺度の1つだということを改めて確認する場だった。
 右派は現行憲法が米軍政期に米軍が強要して作ったのに加え、国民投票を経ていないのだから日本国民の意思がキチンと反映されてはいないと言う。その上、「軍隊のない国家」というのは非正常な国家なのだから、日本を国家らしい国家として作ろうとするならば軍隊は必要であり、従って武装を禁止している憲法条項は廃止しなければならない、と主張する。憲法改正に反対している進歩陣営は現行憲法を米軍が主導して作ったことは事実だけれども19世紀以来の平和のための内在的運動と思想の延長線上に現行憲法が位置づいているのであり、国民投票を経てはいないものの今日まで憲法を改正せず、これを守ってきた歴史の中に日本国民の平和の意志が込められている、と主張する。この憲法論争の核心に、武装を禁止した憲法第9条が位置している。

解釈改憲で米軍、自衛隊を合理化


 第9条(戦争放棄、軍備と交戦権の否認)

1、 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、これを永久にこれを放棄する。
2、 前項の目的を達成するために陸海空軍とその他の戦力も保有しない。国家の交戦権もまた認めない。

 日本の現行憲法を論じる時、2つの流れがある。1つは平和の規範として現行憲法を見るものだ。憲法を国家の規範として見れば、日本は明らかにコスタリカと同様に「良心的軍事拒否国家」だ。「武力による威嚇や武力行使を永久に放棄」し、「陸海空軍とその他のいかなる戦力(軍事力)も保有することはできず」、「国家の交戦権も認めない」からだ。このために憲法改正に反対する日本の進歩陣営は現行憲法を「人類の共有財産」「世界文化遺産」だと言う。世界各国が日本憲法を導入し、実行に移すならば戦争や紛争を阻むことができると信じているからだ。従って「日本憲法を輸出しよう」という言葉も出てくる。この内容がそのまま実践に移されたならば文字通り世界平和の規範となることができただろう。
 けれども日本憲法の現実を見ることになれば話はいささか違ってくる。実際に現行憲法の条文通りに日本が非武装国家になったことは1回もないからだ。憲法が作られたのは1946年で、施行されたのは1947年だ。旧日本軍は解体されたのだから、この時点で日本国籍の軍隊はなかった。けれども当時は強大な米軍が日本列島に駐屯していたので、日本列島内に軍事力がなかったと言うことはできない。その上、1950年の韓国(朝鮮)戦争を前後に警察予備隊として出発し1954年に名前を変えた、強大な軍事力を誇る自衛隊は軍事力でなくて何だと言うのだろうか。そして米日安保条約に基づいて日本に駐屯している米軍は憲法が禁止した軍事力でなくて何だと言うのだろうか。
 それで日本政府は「駐日米軍」と「自衛隊」という強大な軍事力と憲法9条の矛盾を、いわゆる「解釈改憲」を通じて突破してきた。解釈改憲というのは憲法の条文を変える明文改憲とは違って、憲法条文の解釈を変えるやり方を言う。駐日米軍は日本国籍の軍隊ではないので9条が禁止している軍事力には該当しないし、自衛隊は憲法9条が禁止している「国際紛争を解決する手段としての武力行使」に該当しない、と解釈するのだ。このようにして「専守防衛」と「集団的自衛権の禁止」という原則が解釈改憲を通じて位置づくこととなった。

50年代の護憲と00年代の反改憲


 ところで1990年代に状況が変わる。冷戦体制・構造の解体後に登場した、いわゆる「国際貢献論」だ。日本も経済大国の地位にふさわしく国際社会に軍事力で貢献すべきだ、という内容だ。以降、日本政府は世界の紛争地域に自衛隊を派遣する。米国の要求や日本社会の軍事大国への欲望があいまったわけだ。だが自衛隊の海外派兵が増えれば増えるほど専守防衛の原則や集団的自衛権禁止という解釈改憲との矛盾が明白にあらわになる。この時に登場したのが、いわゆる「解釈改憲最悪論」だ。憲法9条通りならば自衛隊を解体し駐日米軍を撤収させなければならないが、現実的に存在し機能している自衛隊や駐日米軍を否定することはできないので、いかがわしい解釈改憲をやめにして明文改憲によって軍事力の保有を規定し、自衛隊や駐日米軍に合法的地位を付与しよう、という内容だ。2000年代に入って明文改憲の動きが本格化する。だがよく考えてみれば、軍事力の保有を禁止した現行憲法下でも解釈改憲を通じて世界的軍事大国の地位に上った日本が「解釈改憲最悪論」に立脚して明文改憲を断行すれば軍備拡張に対する最小限の制御装置がなくなるので「解釈改憲最悪論」は「明文改憲最悪論」の隠されたもう1つの名称だ。そこで政党の外にいた市民らが立ちあがり、憲法改正反対運動を繰り広げたのだ。
 2000年代の憲法改正反対運動を見ていると、1950年代の運動とは異なった幾つかの特徴がかいま見える。まずは明文改憲に反対するために憲法9条の普遍化を図る動きだ。実際に2008年に改憲反対運動団体が開催した「9条世界大会」は憲法9条を普遍化しようとする試みだった。「外」からの力を通じて一国平和主義が持っている限界を抜け出そうとした。コスタリカは現行憲法の普遍的可能性を確認する1つの「発見」だった。武装を禁止した憲法を持った所は日本だけではないという発見を通じて現行憲法の普遍的意義を求めたのだ。2番目には、かつて用いられていた「護憲」という言葉に代わって「改憲反対」「憲法改正反対」「反改憲」という表現が多数、使用されているという点だ。ここには訳がある。1950年代から使用されてきた護憲という言葉の辞典的意味は「憲法を守ろう」ということだけれども、その内容には解釈改憲にも反対するという意味が込められている。解釈改憲に反対するのだから、当然にも自衛隊を解体し駐日米軍を撤退させ非武装国家を目指すという意味が込められている。自衛隊と憲法9条の関係を現実と理想の関係で表現するならば、護憲は理想に合わせて現実を変えるという意味になる。

沖縄の米軍を容認する本土


 最近、使用される「改憲反対」「憲法改正反対」「反改憲」という言葉は明文改憲に反対するという意味が強い。明文改憲という最悪を阻もうとして解釈改憲という次悪を容認するという訳だ。このようにして最悪を阻むことができるかは分からない。けれども解釈改憲という次悪の中で苦しめられている人々に最悪を阻むことは何の意味があるだろうか。
 2010年、日本で開かれた国際会議で沖縄のある人が言った言葉が記憶に残っている。日本の本土の人々は憲法改正に反対する。ところで米軍も必要だと言う。だが米軍基地が自身が暮らしている町内、つまり本土に来るのは反対する。だから沖縄に米軍が駐屯し続けるべきだ、と語る。今さらながらに確認するのは、日本はコスタリカではないという事実だ。(「ハンギョレ21」第893号、12年1月9日付、クォン・ヒョッテ聖公会大教授・日本学)

コラム

続・薪割り隊

 「もう薪がほとんどないよ」「割りに行こうか!」「あ〜来てくれよ」……。
 二月の上旬に八ヶ岳山麓の別荘住人とそのようなやりとりをしていて、「ヤバイかも!」と思った。
 いくら一〜二月の厳冬期といえども、一日さほどやることもない住人が薪のひとつも割れないはずはないだろうと思ったからだ。「アル中か!」。
 実はこの住人、人様を心配させることでは「超一流」の人物なのである。
 ほとんどが酒絡みの事故なのだが、職場最寄りの駅のホームで線路に転落すること三度。一度は頭部出血で救急車のお世話に。また駅の階段から転落して顔面裂傷、トレイで転倒して顔面打撲、酔っ払い運転で駐車中の車に追突して検挙されるなどあげればきりがない。圧巻だったのは断裁機での親指先の切断と入院だった。この時は救急車にとどまらず、警察の現場検証官らもやってきた。
 そういうことで、金曜日に有給をとり、早朝の特急あずさに飛び乗り別荘に向かった。
 案の定、別荘住人の体調も生活ぶりも最悪であった。「調子が悪い」と寝込んでしまうし、酒臭いし、何日も風呂につかっていないようでもあった。
 薪置き場には薪がまったくなくなっている。到着早々、薪割りを開始するしかなかった。昼食も私が作り、三時ころ小雪が舞い始めるなかを犬の散歩も私が……。これではまったく「薪割りのできる家政夫」ではないか。
 「こいつが居たから……」と住人が口にする犬も、昨年末には真っ白だった毛がすっかり薄汚れてしまっていて、長く伸びた冬毛のしっぽの先は花が咲いてしまっている。雪も本降りになり、タップリと雪を被って帰宅すると、ベッドに横たわる住人が力無く声を上げた。
 「救急車を呼んでくれ!」。乗り慣れている住人はともかくも、私の運転で大丈夫だと判断して、隣町の総合病院に向かった。採血、エコーなどの検査を受けて、ブドウ糖を点滴してからの遅い帰宅となった。
 検査結果は「脱水」だった。その最大の原因は昼間からの飲酒である。それによって、持病の肝臓とすい臓の疾患が悪化して、腸機能が著しく低下し、脱水とそれに伴った血圧の降下がもたらされたと思われる。
 いいかげんな食生活、寒さにかまけての運動不足。また湿った薪から出る一酸化炭素対策としての換気などの生活の改善点はある。しかし「改善」の前に、「死活」の問題がある。昼間から酒を飲まないということだ。
 翌日の夕方、近所の温泉に二人でつかる。さっぱりとしたようで、その日の夕食(石狩鍋)は、ようやく住人の喉を通った。少しは元気が出てきているようだった。
 三日目の明け方は放射冷却のために、気温マイナス一七度。結局、午後三時まで薪割りをしてからの帰京となった。特急あずさの自由席にへたれこむように座ったとたん、三日間の疲れがドーッと出てきた。
 初越冬に敗北しても、人生に敗北することなかれ……。      (星)


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