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野田政権の「再稼働」を阻止し「原発運転ゼロ」を実現しよう
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遅れる復旧・復興事業
東日本大震災と史上最悪の原発事故である福島原発災害が起きた「二〇一一年三月一一日」から間もなく一年になろうとしている。二万人近い死者と行方不明者を出した災害による避難民は三四万人を超えている。
津波・地震によって家族の生命、住宅、職場、あらゆる生活の場を奪われた人びとの悲惨に加えて、福島原発事故は、放射能汚染によって事実上永久に故郷への帰還の可能性を失った多くの難民を作りだした。福島第一原発事故によって地域ぐるみの避難を余儀なくされた住民は双葉郡の七万二〇〇〇人を中心に放射線量の高い飯舘村、川内村など約一〇万人に達している。勝手に線引きされた「避難対象外」の地域からも、幼い子どもたちや妊婦を放射能の被害から守るために避難した住民も多い。原発事故によって撒き散らされた放射能は住民たちが築き上げてきた地域社会をまるごと破壊し、分断してしまったのだ。
岩手、宮城、福島などの被災地では「復興」の名の下に、財界直属の研究機関の指導で被災住民の意向、自主的取り組みを無視した新自由主義的「実験」が計画されている。それは労働者の雇用、農漁民・地場の中小企業を切り捨て、大企業の新たな投資と利潤のための地域経済・社会の大規模再編を強行しようとするものであり、住民を「モルモット」にする「ショック・ドクトリン」の実践にほかならない。
住民の生活再建に必要な生活道路、堤防、下水道などの予算執行率は自治体の人手不足のためにわずか三・八%にとどまっている。病院や社会福祉施設再建のための予算執行も五・二%、雇用調整助成金の上積み分七二六九億円についても被災三県(岩手、宮城、福島)で使われたのは二九四億円に過ぎない。会社再建のメドがたたないために申請もできないというのが現実だ(朝日新聞、二月二三日)。
「先の国会で成立した三次補正予算と関連法によって、復興庁、復興交付金、復興特区制度など、復興を力強く進めていく道具立てなどが揃いました」「被災者の方々が生活の再建を進める上で、最大の不安は、働く場の確保です。復興特区制度などを活用して、内外から投資を呼び込むとともに、被災した企業の復旧を加速させ、被災地の産業復興と雇用確保を進めます」(施政方針演説、一月二四日)。
野田首相は、「住民自治に基づく、開かれた復興」とか「地域のことは地域で決める、という地域主権の理念」という言葉も付け加えている。しかし現実に進行しているのは被災者住民自身の要求に基づく復旧・復興」ではなく、「内外からの新たな投資を呼び込む」ための新自由主義的開発モデルのための条件整備に他ならない。「がんばろう、日本」や「絆」という言葉を乱発しながら進行しているのはまさにTPPに表現される地域の農漁業の破壊であり、貧困・格差・競争・分断・差別の棄民政策なのである。
現実を無視した収束宣言
そしてそもそも「復興」を不可能にしているのが福島第一原発事故である。野田首相は昨年一二月、福島第一原発の「冷温停止状態」と「事故事態の収束」、「工程表ステップ2の完了」を宣言した。しかしこの「宣言」は、事故から一年たった現在においても原子炉の水漏れ、放射能の大地・空・海への拡散、正常な冷温停止機能が喪失している現実を無視したものとして内外の研究者から多くの批判を浴びているしろものだ。一年経とうとしている今もなお事故は続いている。メルトダウンした燃料棒の位置も現状も不明で、処分の方法も全く不明なままに、住民の健康と生命を日々おかし続けている現状で、なにゆえ「収束」を語ることができるのか。この「収束」という仮象を綱渡り的に維持する犠牲になっているのが、周囲から隔絶されたまま過酷な被曝労働を強制されている現場の下請労働者たちなのである。なによりも国も東電も、この国家・企業犯罪に対して、被害者への責任ある謝罪や補償を行っていない。
そして「事故収束」宣言を理由に、避難した人びとの「除染」による帰還への期待をあおり、補償責任を回避しようとしているのだ。原発の延命と東電の救済こそが、「収束宣言」の真の動機である。
二月二〇日、関西電力高浜3号機が定期検査のために発電を停止した。西日本での原発の運転は完全に停止した。全五四基の原発中、運転を続けているのは東京電力柏崎刈羽6号機、北海道電力泊3号機の二基のみとなった。柏崎刈羽6号機は三月二六日に、泊3号機も四月末には運転停止となる。ついに運転原発ゼロ状況が達成されることになる。
野田政権、東電をはじめとした電力企業、そして財界は、この現実を巻き返すために「原発再稼働」に血道をあげている。その突破口として福井県の関西電力大飯原発3・4号機の再稼働について原子力安全・保安院はストレステスト結果を「妥当」と判断し、再稼働への道を開いた。
菅政権末期の「脱原発」への傾斜を逆転し、「電力の安定供給」や原発輸出への大資本の要求に応えるために再稼働と「原発推進」へと再び舵を切ることを使命としているのが野田政権である。野田政権の下での民主党エネルギープロジェクトチーム(PT)の座長は、日立製作所の原発プラント設計者でもあった電機連合出身の大畠章宏元経産相であり、PTを主導しているのは電力業界お抱えの議員たちである。原発延命のためにフル動員されているのが「エネルギーコスト上昇」や「電力不足」というキャンペーンである。しかし「原子力は安価」、「原子力が運転できなければ停電」という宣伝のウソは、マスメディア報道でさえもすでに明らかになっているではないか。
したがって福島原発事故一周年は、一九五四年三月の初の「原子力予算」とともに始まった原発推進「国策」の歴史(核武装能力の構築を包み込んだ)に終止符を打って「脱原発の道に向かう舵を切るのか、それとも政・官・財・学・メディア一体となった原発推進政策という「破滅への行進」を続けるのか、という未来をかけた決定的な対決がかかった闘いとなるだろう。
その当面する焦点が「再稼働」阻止であり、四月末に現実のものとなる「原発運転ゼロ」状況を永続化し、廃炉=原発のない社会を実現することである。莫大な原子力開発予算のすべてを被害者への補償、原発のない社会のための地域と生活の再建に充てることは完全に可能である。
全世界で「ノー・モア・フクシマ」
昨年の「三・一一」の福島第一原発事故の衝撃は、世論を急激に変化させた。共産党は「原発ゼロ」方針への転換を行った。「ノー・モア・フクシマ」の声は国際的にも絶大な反響を呼び、ドイツ、イタリアは脱原発に踏み込んだ。
政府や東電の無責任、虚偽と隠ぺいへの憤激、放射能汚染への不安と恐怖、原発災害にさらされ避難を余儀なくされた福島の人びとの苦しみ・悲しみ・怒りへの共感が、人びとの間に浸透していった。原発ノーを訴えるデモは、これまで社会的な自己表現に参加することから距離を置いてきた人びとを日増しに結集させていった。ツィッターやフェイスブックといった社会的ネットワークを通じた自主的なデモへの参加も拡大した。経産省前に設置された「テント広場」は、始めた人たちの予測を超えてすでに半年を超えて、人びとの交流と対話の場として広がっている。それは「アラブの春」やスペインの「怒れる者たち」、米国の「オキュパイ」運動との世界的共通性を表現するものともなっている。その一端は、九月一九日の東京・明治公園からあふれかえる六万人集会・デモにも表現された。
反・脱原発の立場をとってきたわれわれを含む左翼や社会運動の中でも、福島第一原発事故への取り組みは、これまで見過ごしてきた問題点、誤りを改めて発見し、新しい認識を共有し、それを基盤に運動に踏み出していこうとする契機となっている。「原子力平和利用」論がどのように作り出され、左翼や平和運動が批判できなかったのはなぜかの解明、原発推進国策と「日米安保」政策の構造的一体性、被曝労働と差別の構造(戦後の資本主義的成長の基盤の重要な部分を形成していた労働と地域の重層的差別関係)、などなどである。
「三・一一」一周年の「原発いらない! 福島県民集会」をはじめ全国各地で取り組まれる闘いは、こうした一年間の「脱原発」運動の蓄積を「再稼働阻止・原発運転ゼロ」の実現を通じて、政府にあらゆる原発推進政策を断念させ、被災者への謝罪に基づく公正かつ無条件の補償を決断させる新しいスタートラインである。福島県民集会をともに成功させよう。東京でのデモと国会包囲アクション・首相官邸前行動を成功させよう。
この行動から、「さようなら原発 一〇〇〇万人署名」の達成と七月一六日に予定されている代々木公園一〇万人集会へ攻めのぼろう。
(二月二三日 平井純一)
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