ギリシャ
革命的左翼は欧州連合とユーロにどう対すべきか
EU・ユーロ離脱は反資本主義闘争
の勝利的前進の結果としてのみ可能
コスタス・クシアンタス、パンテリス・アフチノス、ゼタ・メランピアナキ
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前号に掲載したサバドの問題提起の中では、ヨーロッパの反資本主義的展望に関して、ギリシャの革命的左翼が打ち出している観点、つまりユーロとEUからの離脱を反資本主義綱領の切り離せない一部とする観点をどのように考えるべきかとの問いかけがあった。ユーロとEUが現実に崩壊的危機にある中で、特にヨーロッパの同志にとってこの問題の重大性は差し迫ったものとして提起されているが、われわれにとっても無縁ではない。その観点から以下に、ギリシャの同志たちの考え方を紹介する。反資本主義的突破をどのような闘争の過程として展望するかを考える一助として活用していただきたい。(「かけはし」編集部)
欧州連合は支配階級向けの武器
ギリシャがグローバルな金融危機の竜巻に巻き込まれて以来、特にギリシャの財政危機が火を噴いて以降、この体制の危機に対応して急進的な政治と運動を作りあげようと試みている左翼勢力と労働者階級運動の間でもっとも重要な論争問題の一部として、欧州連合(EU)とユーロの問題が登場してきた。この論争は、社会の社会主義的変革を目指す明確な革命的政治的提案を望む政治的潮流と勢力の間では、さらに大きな重要性を持つに至っている。
これは非常に重要な討論である。EUとユーロ圏への加盟は、ギリシャの資本家の戦略的選択である。それは、ギリシャ資本主義がグローバルな帝国主義的くさりに統合される具体的な道である。それは、ギリシャ資本主義が国際的資本主義的競争に参加し、剰余価値と利潤のグローバルな分け前を取ろうとする具体的プロセスである。したがって、国際的資本主義的分業へのギリシャの参加と機能のこの特定の方法を分析することなしには、またこの参加を覆す要求を含めることなしには、現代の革命的綱領も現実的な革命的展望も存在し得ない。なぜなら、政権を取った政治的社会的ブロックが形成されたのはまさにこれらの戦略的選択に基づいてのことであり、彼らが労働者階級の忠誠と合意を獲得しようとしているいわゆる「国民的目的」とは、まさにこれらの選択だからである。
EUとユーロ圏への参加は、まぎれもなく、ギリシャ資本主義の新しい「偉大なる思想」となっている〔訳注〕。この名の下に、特に危機の真っ只中の今、彼らはメモランダムと安定化プログラムを通じて従属的階級に恐るべき犠牲を強いている。
このEUとの関係は、ギリシャ資本主義に、バルカンおよび東地中海地域における周辺的勢力、地方帝国主義の役割を演じる権限を与えた。EUへの参加によって、ギリシャ資本は、大欧州帝国主義勢力や米国がバルカンおよび東欧に介入するのに必要なパートナーとなった(コカコーラがギリシャ企業3Eを通じてこの地域に拡大したという事実は一例である)。危機の只中の今日でさえ、中国は欧州市場への入口としてギリシャを選択した。ユーロの導入によってギリシャ支配階級は、適切な資本基金を手に入れ東欧諸国の公共財産の盗みに参加するのに必要な交換可能通貨を必要な低金利で十分に手に入れられるようになり、このようにしてギリシャはこの一〇年間資本の輸出国になった。
EUとユーロ圏への加入がなければ、ギリシャはこの地域でこんな役割を演じることはできなかった。トルコ資本主義がEUから排除されているためにこのような役割を演じる上で直面している困難を見れば、ギリシャ支配階級がユーロ圏の中核国としての地位をいかなる犠牲を払っても維持することに固執する理由は明白である。ギリシャがユーロ離脱を余儀なくされれば、その結果はギリシャ支配階級にとって破滅的なものになるだろう。彼らは戦略的地政学的役割を失い、重要な資金へのアクセスを失い、トルコ資本主義と対抗する上での重要な優位性を失うことになるだろう。
さらに、プロレタリアートを従属させる彼らの努力において利用可能なもっとも重要な武器を失うことになる。EU制度は、全ヨーロッパ大陸にわたる新自由主義的攻撃の主要な組織者であり、全欧州支配階級の重みを結合した重みをそれぞれの支配階級の仕事において作用させる。オリンピック航空の民営化の例では、ギリシャ国家とギリシャ資本主義は彼らの政策を実施するために欧州委員会と欧州裁判所の圧力を系統的に使用したが、この例はこれらの制度の役割をよく物語っている。同じユーロが、労働者階級を統一通貨の「自由市場」の競争にさらすことを通じて、労働者階級を従属させ労働組合を解体するための道具になっている。ギリシャにおいて二〇〇一年(年金制度の新自由主義的改革に対する闘い)から現在までに記録された階級闘争における闘いは、同じ特徴を持っている。すなわち、交換可能通貨(すなわちユーロ)の費用を労働者階級の背中に負わせようという支配階級の試みである。おそらく、このもっとも良い例は、SEV(ギリシャ産業協会)の永久的要求である。これは、SSE(賃金を規定する労働組合と資本家間の年間契約)における賃金引上げは、はるかに高いギリシャのインフレ率によってではなく、ユーロ圏における平均インフレ率によって規定されるというものである。この要求は、GSEE(民間部門のギリシャ労働組合連合)の恥ずべき妥協によって二〇一〇年に最終的に実現した。
鍵はあくまで労働者の闘争
しかし、ギリシャ支配階級にとって最悪でもっとも恐るべきことは、考えられるギリシャのEUからの脱退が、ほかならぬEUそのものの解体の開始を意味する可能性があることである。このような状況の下では、ギリシャのEUからの脱退が、一連の不安定事象、ユーロからの離脱の傾向、そして非常にあり得ることであるが、EU崩壊の開始を誘発する可能性がある。
その結果、ギリシャ資本はこの地域における彼らの攻勢の努力において国際的帝国主義の支援を受けられなくなるであろう。隣国マケドニア共和国の国名問題および東地中海地域におけるイスラエル国家との新たな同盟国になろうとしていることに関する脅迫に始まって、同地域の石油資源をめぐるトルコ資本主義との新たな対立などである。
現在、ブルジョア・シンクタンクが危機管理に関して、ギリシャ資本主義が通貨政策を実施する手段を得るためにユーロからの離脱と国民通貨ドラクマへの復帰を含む代替戦略を作成しない理由がここにある。そのような戦略は、ギリシャの資本家から上記のすべての優位性を奪い去ることになる。ブルジョア・シンクタンクは、しぶしぶながら、ユーロの全面的崩壊またはギリシャ資本主義が銀行制度に対する制御を失うという考えられる事態の場合にのみ、ドラクマへの復帰が必須であると考えざるを得ない。
しかし、ギリシャ資本主義がユーロおよびEUからの離脱を強いられるのは、巨大な体制の危機、統治の避けがたい危機の結果としてであろう。
このEUからの離脱が労働者階級にとっての利益を意味するのは、それが完全な過渡的転覆を目指す、資本家の資産や経済の資本主義的管理へ挑戦を求める、労働者階級運動の行為の結果であるような条件下においてのみである。このような基盤の上では、政治的危機がつくり出されることを通じて力のバランスは労働者階級に有利な方向に決定的に変化するであろう。労働者の意識は解放に向かっていくつかの前進を遂げるであろう。なぜならブルジョアイデオロギー支配のもっとも基本的議論の一つである「ヨーロピアンパラダイス」の議論と手を切ることになるからである。ヨーロッパ労働者階級は「一方通行のヨーロッパ」の重荷を振り払うだろう。ギリシャはその希望を与える例となるだろう。 EUは反動的発展として存在
非常にしばしば、左翼のさまざまな潮流が、ユーロおよびEUからの離脱の要求を現代の過渡的プログラムに組み込むことの必要性に関して、一連の誤った反対意見を主張している。
(A) 最初の主要な反対意見は、EUの概念に関連するもので、超国家的制度としてのEUは、ある意味でブルジョア民族国家を乗り越えているので、客観的に進歩的役割を演じているというものである。
前置きとして言っておくべきことは、超国家主義的ブルジョア制度が民族国家のカウンターウェイトとなり得るという思想は、ブルジョア・コスモポリタニズムであって、プロレタリア国際主義ではないということである。プロレタリア国際主義の思想は、「万国の労働者、団結せよ」、「国民的統一は罠である、プロレタリアートは祖国を持たない」、「敵は国内にある」、「戦争においては『自国』政府の敗北はよりましな悪である」などのスローガンに凝縮されている。これらは、ブルジョア的国民的合意と手を切り、国際主義的労働者の連帯を推進するスローガンである。国際主義は、国連、ハーグ国際裁判所やその他のブルジョア的欧州機関の防衛とは何の関係もない。
EUの性格にたいするこの誤ったアプローチに対する答えは、第四インターナショナル第一四回大会(一九九五年)の重要な文書に示されている。この文書は次のように述べている。
「労働者、女性、青年および抑圧された国籍の人々の社会的および国際的希望にこたえるには程遠く、EUは地域的レベルにおいて世界経済のグローバリゼーションを反映している。EUは、帝国主義間競争のための、また欧州労働者階級と第三世界に対する全面的闘争のための、巨大資本の最強部門の道具である」。
この分析は、レーニンの、(彼の時代における)考えられる欧州連合の意味と役割に関するテーゼに基づいている。レーニンは一九一五年に「ヨーロッパ合衆国」のスローガンについて次のように書いた。
「資本の輸出と『進んだ』、『文明化された』植民地権力による世界の分割という帝国主義の経済的条件の観点から見れば、ヨーロッパ合衆国は、資本主義の下では、不可能であるか反動的である。」
「もちろん、資本家間および国家間の一時的合意はあり得る。この意味では、ヨーロッパの資本家間の合意としてのヨーロッパ合衆国は可能であるが、それは何の目的のための合意か。それは、ヨーロッパにおいて共同で社会主義を抑圧する目的、日本とアメリカに対して植民地の略奪品を共同で防衛する目的だけである。日本とアメリカは現在の植民地への参加による分け前から排除されひどい扱いを受けているが、過去五〇年間の彼らの分け前の増加は、過去の、もうろくしつつある君主制主義ヨーロッパに比べると、計り知れないほど急速に増加している。アメリカ合衆国に比べて、全体としてのヨーロッパは経済的停滞を示している。現在の経済的基礎、すなわち資本主義に基づくと、ヨーロッパ合衆国は、アメリカのより急速な発展を遅らせるための反動の組織を意味するであろう。民主主義と社会主義の大義がヨーロッパのみに関連付けられるような時代は、とっくに過ぎ去っているのである。」(レーニン、『ヨーロッパ合衆国のスローガンについて』)
EUがいかなる意味でも民族国家を乗り越えていないことを確認するには、そのEUの機能を一瞥するだけで十分である。実際、それは依然として独立国家のゆるい連合であり、そこではブルジョア政策実施の基本的道具(裁判所、軍隊、警察、国家官僚、予算)は依然として民族国家の手中にある。生産性、競争、そして危機の拡大のさまざまなレベルは依然として不均等であるので、共通の経済的サイクルを持った連合でさえない。そしてもちろん、民族国家(国民国家)の上に立つ欧州資本家階級はいまだ存在していない。
EUは、労働者階級に対する、国際的競争者に対する、および他の国の人々に対する、各国資本家階級の行動の調整者であるというのが真実である。共通の行動は民族国家(国民国家)レベルの基本的ブルジョア議会制民主主義さえ覆す並行プロセスをもたらし、またそのようなプロセスによってもたらされるが、各ブルジョア国家の重要な決定は別個にEU理事会の会議によって行われる。同時に、EU制度は、労働者の要求に対する障害として使用される。この意味で、EUおよびユーロへの参加は、資本家の民族国家的戦略であって、超国家的戦略ではない。それは民族国家レベルでの解決策に関する対立を前提としている。
EUは客観的に進歩的な発展ではなく、覆す必要がある反動的発展である。すなわち、EUは解体される必要がある。
すでに述べた理由から階級闘争は主として民族国家レベルで行われるという事実のゆえに、したがってまた、さまざまな運動やさまざまな国の不均等性のために、EUの解体は、EU全体の同時的プロセスではあり得ない。それは、民族国家レベルでの転覆を通じて、労働者階級の闘争が支配階級の政策を転覆し、ブルジョア民族国家の機能の基礎を掘り崩し、EUの機構の危機を引き起こすことができた国のEUからの離脱を通じて行われるだろう。 過渡的要求の組合わせは多元的 (B) もう一つの反対意見は、EU脱退の要求は、ブルジョア政治勢力も受入れることができるから過渡的な要求ではない、というものである。
理論的には、この立場は、過渡的要求はブルジョア政府が決して受入れることができない要求であるという誤った考え方を示している。これは真実ではない。過渡的プログラムには、統一され組み合わされた、複数のタイプの要求が含まれる。すなわち、富の資本家階級から労働者階級への真の移行を狙いとする要求、一般的観点から見れば資本主義に統合できるが、現実の文脈の中では資本家階級の戦略的選択と衝突し、体制の重要な亀裂と不安定化を引き起こす要求、資本家の財産と経済全体の管理に直接挑戦するような要求、ブルジョア国家の基礎を掘り崩す要求、などである。労働者階級運動からのこれらの要求の組み合わされた推進が、社会の二つの主要階級の対立を導く反資本主義的力学を作り出し、公然たる権力闘争をもたらすのである。
一般的観点からは資本主義に統合できるが、現実の文脈の中ではブルジョア階級の主要な選択に反し、体制の重要な亀裂と不安定化を引き起こすような要求が存在する。EUからの脱退の要求は、われわれが論じている時期の決定的に重要な過渡的要求である。もちろん、より大きな反資本主義的プログラムに組み込まれるという条件の下でのみそうである。われわれがEUからの反資本主義的離脱について論じる理由はここにある。
同じ要求を左翼愛国主義的勢力も改良主義的な意味で提起しているという事実は、国際主義者が提起すべきでないということを意味しない。同じように、NATOからの脱退は、国際主義者にとって国際主義的反帝国主義的次元のものであるが、ギリシャ共産党やシナスピスモス(左翼進歩連合)/SYRIZA(急進左翼連合)にとっては、主としてトルコに対してギリシャをより有効に防衛するための要求である。
もちろん、NATOからの脱退は、ギリシャの支配階級にとってもオプションの一つであり得る。一九七四年にK・カラマンリス(首相)が、ドゴールがフランス資本主義とともに同じことをやる八年も前に、ギリシャをNATOの軍事的翼から脱退させたことを思い起こせばよい。今日、ルペンはフランスのEUおよびNATOからの脱退を支持している。しかし、この事実は、フランスの革命的左翼が欧州憲法に対する「ノー」(極右の立場でもあった)やNATO脱退を支持する妨げにはならなかった。
闘争の前進が脱退を必然化
(C) 同じ論理で、EUおよびユーロからの離脱の要求は、社会主義に関する議論における中間的ブルジョア的段階の改良主義的理論への、革命的戦略の一種の従属である、という反対論も存在する。
上記で強調したように、過渡的プログラムは資本主義に統合できるような要素を含むことができる。すなわち、左翼改良主義的綱領の諸段階に存在し得るような要素を含むことができる。
違いは、過渡的綱領はこれらの要求を資本主義的財産と資本主義国家の基礎を掘り崩す要求、とりわけ、労働者管理のスローガンと組み合わせて闘うことである。
いかなる要求も、債務支払の一方的停止や債務帳消しのような要求でさえ、もちろんこの点についてはOKDEは一致しているが、それだけでは労働者階級人民の利益になるとは限らない。労働者管理をともなわなければ、誰がその処置を強制を管理するのか(プロレタリアート)および誰がそのようなオプションの代償をこうむるのか(資本家)が明らかでなければ、労働者階級人民の利益になるとは限らないのである。
われわれはEUからの離脱についてもまさに同じ論理で取り扱う。われわれはEUからの離脱を、反資本主義的行動綱領を目指しそれを資本家階級に対して強制する運動の結果としてのみ思い描くことができる。このように、われわれはそれを「反資本主義的断絶」、より全面的な反資本主義的闘争の結果として考えるのであって、労働者階級運動がより良い条件の下で闘うために実現する必要がある「必要な段階」として、あるいは労働者階級人民にとって「客観的により良い」状況として考えるのではない。
たとえば、EUからの離脱は反資本主義的闘争の結果でなければならないのであるから、ギリシャをEUからの離脱に導くからといって、同時に新自由主義的政策を遂行しこの選択の費用を労働者階級の背中に負わせようとするような政府を、われわれは決して支持しないであろう。
反対に、愛国主義的左翼は、彼らにとってはEUからの離脱は必要な戦略的段階であるが、このような政府を支持するかどうかについてはジレンマに陥るであろう。良い例は、愛国主義的左翼が、二〇〇四年に組織された国民投票においてアナン提案にパパドプロスが反対したという理由だけで、南キプロスのタソス・パパドプロス政権に対して支持を与えたことである。ギリシャ資本主義は帝国主義諸国に従属しており国民主権を喪失しているという理論に縛られて、愛国主義的左翼はギリシャのEU加盟をギリシャ資本家階級の一種の従属と見ており、この地域において攻勢的政策を遂行するためのギリシャ資本家にとっての道具であるという観点がない。愛国主義的左翼はEUからの離脱を労働者階級の闘争の成功のための前提条件とみなしており、闘争の結果と考えてはいない。したがって、この立場から見れば、EUからの離脱は、労働者階級に好ましい政策にとってより良い条件を作り出すことを目的とする改良主義的提案を現実に意味する。
しかし、事態は変化している。われわれは銀行の無償社会化と労働者管理の闘いを進めながら同時にEUに留まることはできない。金融信用システムに対する労働者管理を進めながら同時に欧州中央銀行による通貨フローや為替レート政策や金利の規制を受けることは不可能である。通貨に対する労働者管理とユーロ圏に留まることは両立し得ない。反資本主義的綱領を実現する労働者党の政府にとって、労働者評議会の革命的政府にとって、安定化プログラムに留まることや、マーストリヒト条約やリスボン条約の枠組みの中に留まることはあり得ない。そして当然ながら、EUの基本条約と手を切ることは、この連合からの離脱を意味する。
上述のすべてのことから、資本家階級に対する没収の綱領および労働者管理の綱領は、EUおよびユーロ圏の枠内では不可能である。そのような綱領の前進は、それらの制度からの離脱の条件を作り出すであろう。この理由から、現代の反資本主義的綱領は、経済の労働者管理と結びついた要求として、明確にユーロ圏からの離脱を含む必要がある。
(D) それでもなお反対意見を維持する人々は、そのような場合でも、脱退のスローガンを推進するのではなくEUにその国を除名させる方が良いと主張する。
しかし、反資本主義的綱領を実施する労働者党の政府あるいは労働者評議会の革命的政府が、なぜ帝国主義者による排除の屈辱を我慢しなければならないのか。
一つの場合が考えられる。自らのイニシアティブによるEUからの脱退は、ヨーロッパの残りの部分の労働者階級の前にその政府をさらし者にすることになるのではないか。
しかし、これは当てはまらない。EUはヨーロッパの労働者の目から見て急速に正統性を失いつつある。ユーロおよびEUへの支持は着実に低下しており、EUの処置が命ずる政策に対する闘いは着実に拡大している。
このような状況の下で、労働者政府が自らのイニシアティブによる脱退を求めないことはEUの制度としての正統性を認めることであり(実際、資本家たちがこの政府を追い出したいと思っているときに、EUに留まることを求めることになる)、ヨーロッパの労働運動に対する取り返しのつかない打撃となるだろう。 EUの解体こそわれわれの目標
ヨーロッパおよびギリシャの労働者政府の目標は、EUの解体でなければならない。資本主義の深い構造的危機が、資本主義にはヨーロッパの人々を統一する能力がないことを明らかにし、ヨーロッパ資本主義が競争を克服しヨーロッパ大陸を平和的に統一することができるという改良主義的幻想を打ち砕いた。これは、ヨーロッパの統一は、EUを打ち砕きブルジョア国家を解体することができる社会主義革命を通じてのみ起こりうるという革命的マルクス主義の立場を確認するものである。
ヨーロッパに対する戦略的スローガンは、「資本、戦争、人種主義、抑圧のヨーロッパにノー、労働者階級と社会的運動のヨーロッパにイエス」でなければならない。それは、「ヨーロッパ社会主義合衆国」のスローガンである。
このスローガンの実現は、EUの改良によっては可能ではない。EUの解体と新しい連合の構築を通じてのみ、EUとユーロ圏が推進している新自由主義的プログラムに対する闘いの中で出現し得る直接民主主義の制度に基づいてのみ可能である。
ヨーロッパの労働者運動および社会的運動の間の密接で有機的な結びつきを発展させることの戦略的必要性を断固として主張する。新自由主義の転覆は、EU外部の諸国においてさえ、ヨーロッパの残りの部分におけるそのような転覆の拡大なしには生き延びることができないからである。大陸の残りの部分への拡大なしには、いかなる革命も長くは続かないことをわれわれは承知している。
しかし、いずれにせよ、EU解体に至るステップを明確化する必要がある。
労働者階級に対する攻撃を実施するための資本家の主要な武器が民族国家であり、階級闘争は主として民族国家レベルで不均等に発展するものであるから、反資本主義的プログラムは、民族国家レベルでこの解体のきっかけとなる要求を明確化する必要がある。
また、EUは単一国家ではなく国家の連合であるから、EUを解体できる方法は、その加盟国の脱退によることになる。
EUに対する不服従、手を切れという要求、反資本主義的脱退の要求、EU解体を目指す欧州運動の共同行動への同時的呼びかけが、現在のギリシャの政治的状況における方針の明細である。
それにもかかわらず、現在は、ギリシャ左翼にとって、この政治的問題を正しく位置づけるときである。「従属」から抜け出すためにギリシャ人民にとって必要な段階としてではなく、また労働者階級の運動のためにより良い条件に導く新しい資本主義的生産の発展のための手段でもなく、経済と社会の反資本主義的転覆と労働者管理のための闘いの論理的結果として位置づけなければならない。 〔訳注〕「偉大なる思想(メガリ・イデア)」。初代ギリシャ国王オソン一世が唱えたもので、ギリシャ王国内の住民だけがギリシャ人ではなく、ギリシャの歴史、ギリシャ民族と関連する国の住民はすべてギリシャ人であり、アテネとコンスタンティノープルがその中心である、というもの。東ローマ帝国再建の夢を意味し、ギリシャ民族主義思想となった。
コスタス・クシアンタスは、OKDE、第四インターナショナル・ギリシャ支部のメンバーである。
パンテリス・アフチノスは、OKDE―スパルタコス、第四インターナショナル・ギリシャ支部のメンバーである。
ゼタ・メランピアナキは、OKDE、第四インターナショナル・ギリシャ支部のメンバーである。
コラム
「敗者復活」の闘い
脱原発社会を求める声が澎湃としてまき起こっているいま、一九八〇年代に反原発運動に取り組み始めたときに『技術と人間』などで接した高木仁三郎さんの主張を想い起すことが多い。
高木さんは、技術が極端に営利の道具になっている現状のもとで、技術論から原発の危険性を語るだけでは、安全な原発が可能かどうかという技術論に絡め取られる危うさをはらんでいる、と繰り返していた。そのうえで、社会のあり様との関連で原発をとらえる必要性を強調していた。
実際、今回の惨事は、六〇年代後半以降おおむね次のような経過をたどった反原発運動の敗北と真摯に向き合うことを突きつけている。
まず、原発立地に対して、賛成派・反対派の「まちを二分する」闘いがあった。そこで反対派は、札びら攻撃や地縁・血縁という「絆」を引き裂く徹底した切り崩しにあう。そして、七九年のスリーマイル島原発事故以来始まった「公開ヒアリング」は、佐賀県で発覚したヤラセ・メールとは比べようのないほど悪辣な策謀によって、完全に形式的なセレモニーに変えられてしまった。会場周辺で地区労の労働者などが抗議の声をあげたが、その声は機動隊の厚い壁に押し返された。
さらに加えて、各地で原発の建設・運転を止めるための裁判闘争が取り組まれた。だが、勝訴したのは皆無。ちなみに、七三年から始まった伊方訴訟では、すでに「放射線の許容量は辛抱量にすぎない」と主張していた。
このような、あらゆる権力装置を動員した重圧のなか、共産党は闘いの場にはいなかった。その背景に、「科学信仰」にもとづく「原子力平和利用論」があったことは確かだが、それだけではない。かれらの大衆運動に対するセクト主義と議会主義が、反原発運動への合流を抑え込んだのである。
では当時の社会党(現在、多くは民主党の一部で、組織の継承者は社民党)は、どうだろう。かれらは、条件反射的に共産党に反発するが、原発や巨大開発では資本に対してより融和的だ。ただし、総評労働運動の社会党系指導部(「民同」)には「マッチ・ポンプ」という得意技があった。マッチは擦るが、火がつく(大衆運動が盛りあがる)と、こんどはポンプをもってきて火を消してまわるというものだ。この「マッチ」が、地区労の労働者が反原発運動に参加する余地になっていた。とはいえ、八〇年代の原水禁運動のなかで、「八・六ヒロシマ集会」以外に明確に反原発の立場に立つ運動は存在しなかった。社民党が反原発派になった経緯は明瞭ではないが、かつての地区労の闘いが基盤になっていることは想像に難くない。
紙幅が尽きつつあるので結論を急ごう。脱原発社会への道は、これまでの反原発運動の「敗者復活」の闘いのなかから拓かれていくだろう。放射能の脅威を実感する立地地域周辺で、原発で働く労働者を置き去りにすることなく、反失業・反貧困の闘いとつながることのできる新たな社会運動を、どのように生き生きと築くことができるのか。そうした運動を支援し、政策転換カンパニアを超える力をもった都市における運動を、どこまで広範に形成できるのか。
この険しい道を意識的に進むのかどうか、いま、鋭く問われているのではないだろうか。 (岩)
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