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    かけはし2012.年2月6日号

戦略としての永続革命論とヘゲ
モニー論の密接な連関をさぐる

学習 

ヘゲモニーと永続革命――トロツキーとグラムシ (1)

西島 栄(トロツキー研究所)


 本号から西島栄さんの論文「ヘゲモニーと永続革命――トロツキーとグラムシ」を連載する。グローバル資本主義の歴史的危機の深化の中で二一世紀の革命を構想しようとする時、二〇世紀初頭の傑出した革命家たちが取り上げた戦略的課題をいまどのように学び取るのかというテーマが浮上する。ぜひ検討してほしい。(編集部)

はじめに

 本稿は、『トロツキー研究』第五八・五九合併号に掲載された論文に一部加筆し、一部短縮したものである。
 本稿の課題は、トロツキーの永続革命論の確立と発展においてヘゲモニー論が決定的な役割を果たしたことを明らかにし、またそれが、レーニンの党実践としての陣地戦的ヘゲモニー論とあいまって、陣地戦と機動戦との独特の結合である十月革命の成功へといたることを明らかにすることである。一般に、グラムシの名前と結びついている「ヘゲモニー論」は、西方、陣地戦、先進国革命と結びつけられ、一般にトロツキーの名前と結びついている「永続革命論」は、東方、機動戦、後進国革命と結びつけられている。このような機械的対置から、トロツキーの永続革命論はヘゲモニー論とは無縁で、東方の遅れた国家に特有の機動戦の一種であるとする神話が一般的となっている。しかし、これは永続革命論とヘゲモニー論の密接不可分な関係を看過するとともに、それぞれの理論をも著しく貧困化するものである。

1、ヘゲモニー論の起源としてのプレハーノフ


 プレハーノフは、一方では、ロシア・マルクス主義者の中ではじめて(おそらくはヨーロッパ・マルクス主義者の中でもはじめて)「ヘゲモニー」という言葉を一個の政治的用語として自覚的に用いた(ただし、プレハーノフ以前にナロードニキがこの用語を使っていた可能性もある)。他方では、プレハーノフは、ロシアの地理的・歴史的特殊性から、ロシアにおける発展がヨーロッパの発展の単なる繰り返しではないことを力説し、段階発展論の枠内とはいえ、民主主義革命と社会主義革命との接近という観点を打ち出した。
 まずもってプレハーノフにおけるヘゲモニーの使用例を見ておこう。私が確認しえたかぎりで最初に登場する文献は、一八八五年に出版された『われわれの意見の相違』(ロシア・ナロードニキに対する全面的な批判を行なっている有名な文献)の「序文」に入れられている「ラブロフへの手紙」(一八八四年七月二二日)である。その中でプレハーノフは「革命運動の特定の時期におけるヘゲモニーを主張しているグループ〔ナロードニキのこと〕」とか「そのヘゲモニーが、遠い『おそらくどこか疑わしい未来』の問題であるとみなされている『非協調主義的な』グループ〔労働解放団のこと〕」という形でヘゲモニーを用いている。
 次にプレハーノフの文献の中で「ヘゲモニー」という用語が登場するのは、『われわれの意見の相違』の一〇年後に出版されたプレハーノフの主著の一つと言って間違いのない『史的一元論』(一八九五年)においてである。これは史的唯物論の正当性をさまざまな思想潮流に対する批判を通じて明らかにした古典であり、ロシア・マルクス主義者全員にとって必読の文献となった。その中で、プレハーノフは、社会のさまざまな「審級」(アルチュセールの用語を用いるなら)がその社会構造の中で有している支配的地位ないし位置の意味で「ヘゲモニー」という用語を用いている。
 以上の二つの用例からわかるように、ヘゲモニーにはおおむね二つのタイプが存在することがわかる。まず一つ目は、プロレタリアートの階級的ヘゲモニーとか、社会民主党のヘゲモニーとか、ブルジョアジーのヘゲモニーとか言う場合の、主体的な勢力ないし組織によるヘゲモニー=「主体的ヘゲモニー」あるいは「ヘゲモニック・プロジェクトとしてのヘゲモニー」論である。先のプレハーノフの用例の第一のものがこの系譜に属するだろう。もう一つは、客体的な関係や地位や制度のうちに表現されているヘゲモニー的な支配―従属関係であり、これを「客体的ヘゲモニー」と呼ぼう。このような客体的ヘゲモニーが、市民社会内部のさまざまな諸制度(議会、政党、教育制度、工場、行政管理機関、等々)や法律、人々の習慣や常識などの客観的な諸構造・諸契機のうちに深く埋め込まれている場合には、「構造的ヘゲモニー」と呼ぶことができるだろう。このようなヘゲモニーの客体的関係は、国家間関係にも当てはまる。世界市場におけるイギリスの産業的ヘゲモニーとか、ヨーロッパにおけるパリの知的ヘゲモニーなどの場合である。先のプレハーノフの用例の第二のものはこの系譜に属するだろう。

2、一九〇五年革命とトロツキー永続革命論


 さて、以上の二つのヘゲモニー概念を踏まえて、トロツキーの永続革命論がこうしたヘゲモニー概念と不可分であることを以下に明らかにしていこう。
 トロツキーの永続革命論はまずもって、第一の系譜のヘゲモニー論を、ロシアの社会的・経済的特殊性を踏まえて発展させたものに他ならない。ヘゲモニーとしての革命論をもっぱら先進国革命や「西方」の成熟した市民社会に限定する見方はまったく一面的である。むしろ、西方と東方との相違は、後で見るように、第二の系譜におけるヘゲモニーの強固さの差異に起因している。ブルジョアジーのヘゲモニーがより市民社会の構造のうちに固定化され、人々の内面と行動を拘束している西側先進資本主義国と、その固定性が弱いロシアなどの後発資本主義諸国における差である。後に見るように、ブルジョアジーのこの「構造的ヘゲモニー」の弱さゆえにプロレタリアートの「主体的ヘゲモニー」の強さが可能となったのである。
 以上の点を踏まえて、ヘゲモニー論に即して、一九〇五年の前後におけるロシア・マルクス主義の理論的地平とトロツキー永続革命論への発展の主要な諸契機を以下に列挙していこう。
 1、ロシア・マルクス主義のアポリア……まず、ロシア・マルクス主義者のあいだで(ボリシェヴィキ、メンシェヴィキ問わず)暗黙の共通了解として、「二段階革命論」という一般的展望と「プロレタリアートの革命的ヘゲモニー論」というロシアの特殊性論とが並列して存在していた。この二つの矛盾する諸要素の両立こそ、実のところ、ロシア・マルクス主義の最大のアポリアであり、その真の分解要因であった。一方では、二段階革命論にもとづけばブルジョア民主主義革命を経ていない半封建的な後進国ロシアにおいて当面する革命はブルジョア民主主義革命であり、そこにおいて革命を主導するのはブルジョアジーか小ブルジョアジーである。他方で、不均等複合発展の結果としてロシアではすでに社会主義革命を目指す組織が存在し、それはすでに革命勢力の中でヘゲモニー獲得のための闘争を開始している。革命闘争の中でプロレタリアートとその党がヘゲモニーを獲得することと、革命後の国家権力が一義的にブルジョアジーとその党に属することとは、明らかに矛盾する。このアポリアを進歩的方向で打開したものがトロツキーの永続革命論に他ならない。他のすべての理論は後で見るように、そこに至るまでの中間項をなしている。その意味で、この矛盾は、単にロシア・マルクス主義の分解要因であっただけでなく、ロシア・マルクス主義が発展していく内的推進力でもあり、したがってまたロシア革命そのものの内的発展の推進力を表現するものであった。
 2、日露戦争とパルヴスの「戦争と革命」……一九〇三年にはロシア各地での革命運動の盛り上がりが見られたが、一九〇四年の日露戦争で一時的に愛国主義が全土を覆って、革命運動は停滞する。しかし、そうした中で、『イスクラ』に連載されたパルヴスの「戦争と革命」は、世界資本主義の歴史的・地理的ダイナミズムの中にロシア帝政を位置づけて日露戦争を論じており、ロシアがこの戦争の結果として、ヨーロッパ革命の前衛になる可能性を指摘するものだった。当時、亡命マルクス主義者のあいだではまだ、レーニンの組織論をめぐって激しい党内論争が繰り広げられており(トロツキーの『われわれの政治的課題』が出版されたのも一九〇四年)、そのような中でパルヴスのこの大論文は亡命マルクス主義者の視野を一気に拡大し、当面する大事件の歴史的意味へと目を開かせるものだった。トロツキーもこの大論文に深い感銘を受けるとともに、そこで展開された議論は永続革命論の基本的バックボーンの一つにもなる。さて、このパルヴスの予想通り、戦争の数ヵ月後には革命運動は再び活性化しだし、これがついに一九〇五年一月九日の「血の日曜日」事件へとつながるのである。
 3、「血の日曜日」事件の実践的衝撃……「血の日曜日」事件は、司祭によって率いられたという性格を持つにもかかわらず、都市労働者を主要な参加者とし、かつその諸要求の中では憲法制定議会の制定など高度な政治的要求が取り入れられており、階級的・政治的デモンストレーションでもあった。それに対する帝政側の銃弾による回答は、慈愛深いツァーリという幻想を打ちくだき、その後の革命運動の急激な盛り上がりをもたらした。そしてその闘争の主要な武器として労働者による政治的ストライキが登場する。労働組合の結成、要求の提出、経済スト、といった諸段階を飛び越えて、ロシアのプロレタリアートは労働者の闘争の最も高度な形態である政治的大衆ストライキへと突き進んだ(ちなみにトロツキーはすでに『一月九日以前』においてこのような闘争形態の出現を予測していた)。
 以上の事態は、亡命していたロシア・マルクス主義者に大きな実践的衝撃を与え、一方では、「革命」というものを抽象的な理論的ないし綱領的目標から目の前の差し迫ったものへと急転換するとともに、他方では「プロレタリアートのヘゲモニー」という観念をも実体的で現実的なものにした。組織論争に代わって、当面する革命はいかなる性格のもので、社会民主党はどのようにそれに関与すべきなのかという「革命の展望」論争が亡命マルクス主義者のあいだで支配的なものとなる。単純で機械的な二段階革命が試練にさらされ、ロシア・マルクス主義そのものが試練にさらされた。
 4、パルヴスの「『1月9日以前』序文」の理論的衝撃……パルヴスは、トロツキーが一月九日以前に書いた一連の論文をまとめた著作『一月九日以前』に序文を寄せ、その中で、ロシアの歴史的・地理的発展の特殊性――マニュファクチュア段階の飛び越しによる都市小ブルジョアジーの弱さ、上からの資本主義化による大ブルジョアジーの反動性と臆病さ、大工場にただちに集中されヨーロッパの最新思想に影響されたプロレタリアートの戦闘性、等々(これらの指摘は、グラムシが指摘したロシアにおける市民社会の脆弱さ、すなわちブルジョアジーの「客体的ないし構造的ヘゲモニー」の脆弱さをも表現している)――から、ロシアの社会民主党がこの革命において政権に就くことができると予言した。つまり、パルヴスの議論をヘゲモニー論で言いかえれば、ロシアにおけるブルジョアジーの「構造的ヘゲモニー」の弱さゆえに、プロレタリアートの「主体的ヘゲモニー」の可能性が生じているということになる。ただし、パルヴスの主張は、ブルジョア民主主義革命の枠内での「労働者政府」という展望(=労働者民主主義論)であり、「プロレタリアートの独裁」の確立でも社会主義革命の開始でもないことに注意する必要がある。パルヴスが展望したのはあくまでも専制の打倒と社会民主党の「政権獲得」だけであって、労働者の権力の確立ではない。
 こうしてパルヴスは、当面する革命がブルジョア民主主義革命であるという一般的枠組みと、ロシアにおいては革命の主導勢力がプロレタリアートであるというロシアの特殊性とのアポリアに対する一定の解法を最初に示した。すなわち、一方では、プロレタリア党が主導的勢力として政権に入ることを承認することによって、ブルジョア主導の民主主義革命政権という図式を否定し、政権主体のこうした特殊性ゆえに、それが単なる革命的民主主義政権を超えて「労働者民主主義」政権になることを展望し、他方では、それでもなおこの「労働者民主主義」政権は、ブルジョア民主主義の枠を労働者的に広げつつも(たとえば八時間労働制の実現)、民主主義革命の限界にとどまるとすることによってである。この序文は、これまでの単純な二段階革命論を無意識のうちに受容していたすべての亡命マルクス主義者たちに理論的衝撃を与えるものだった。
 5、レーニンの労農民主独裁論……レーニンも、パルヴスの序文を読んで衝撃を受け、自分なりにロシア革命のアポリアに対する解法を提示しようとした。それが有名な「プロレタリアートと農民の民主主義独裁」論である。これは主として次の三つの要素によって成り立っている。@労働者と農民との階級的共同権力、Aそれがあくまでも単なる政権獲得ではなく階級独裁であることの強調、B民主主義革命の枠内でのその課題の徹底遂行(上からと下からとの同時遂行論)。
 以上の議論は、一方では、パルヴスと同じく、プロレタリアートのヘゲモニーを単に革命の過程において承認するだけでなく、その権力主体においても承認し、かつその革命主体の特殊性を「階級独裁」という強い性格規定のうちに表現しているが、他方では、ロシアの後進性を反映してプロレタリアートと並んで農民が共同で権力に参加するとみなし、この農民的制約からして、革命は――それがいかに徹底されたとしても――民主主義革命の枠内にとどまるとした。
 さらにその後、レーニンは、革命運動の発展の中で自己の主張をより急進化させ、特殊な「二段階連続革命論」を主張する。すなわち、ロシアの民主主義革命がヨーロッパの社会主義革命に飛び火し、ヨーロッパの社会主義革命を受けて、今度はそれがロシアに跳ね返ってきて、ロシアでも連続して社会主義革命に移行する、というものである。レーニンはこの主張の中で一度だけ「永続革命」という言葉を用いている。
 6、メンシェヴィキの修正「二段階革命論」と「永続革命論」……こうした急進的な革命論の提出を受けて、より慎重派であったメンシェヴィキも従来の二段階革命論をそのままでは維持できなくなり、その修正を試みはじめる。その過程で、奇妙なことに、「永続革命」という用語が頻繁に用いられるようになる。つまり、この時期にこの用語を当面するロシア革命との関連で最初に用いたのは、レーニンでもトロツキーでもなく、マルトフとプレハーノフだったということである。
 まずマルトフの「永続革命」論は、「不幸としての永続革命」論である。つまり基本的展望としては、二段階革命論の枠をパルブスやボリシェヴィキよりも堅持し、プロレタリアートの革命的ヘゲモニーは、政権に入ることによって発揮されるのではなく、革命的野党として下から政権を突き上げ、ブルジョアジーがより徹底した民主主義革命の諸政策を実行するのを余儀なくさせることによって発揮されるだろうとみなした(最左翼の革命的野党論)。しかしこの基本的展望に対する留保ないし補完として、「永続革命」論的展望も語られる。すなわち、もしブルジョアジーがプロレタリアートの突き上げにもかかわらず臆病すぎてその本来の主導的役割を果たさなかったとしたら、もし事態の客観的流れに押されてプロレタリアートの党が政権をとらざるをえなくなったら、そのときには、党はその階級的・急進的性格からして民主主義革命の枠内にとどまれず、やむなく「永続革命」の路線をとらざるをえなくなるだろうが、それは党にとっても革命にとっても致命的であろう、と。しかし、ロシアには広範な小ブルジョアジー的基盤が存在するので、革命の盛り上がりとともに必ずやこれらの層は革命の表舞台に登場するから、プロレタリア党は史的唯物論の図式に反するような羽目に陥る心配はないだろうとの結論を下した(メンシェヴィキのマルトゥイノフも基本的に同じ立場を表明)。
 他方、プレハーノフは、彼がマルクス主義者になった当初からロシアにおける歴史的・地理的特殊性からロシアでは民主主義革命と社会主義革命は西欧よりも接近したものになるだろうと予測していた。彼はこの近接した「二段階革命論」を、マルクスの一八五〇年の「回状」に依拠してさらに発展させ、単線的な「二段階連続革命」としての「永続革命」論を定式化した。まずプロレタリアートが革命運動の中心を担って革命を発展させるが、ブルジョアジーに対する批判を自制し、ブルジョアジーを積極的に同盟者とし(一種の統一戦線論)、そうした同盟関係を通じて、革命的ブルジョアジーないし小ブルジョアジーに権力を取らせる。いったんブルジョアジーが権力を取れば、同盟関係は解消され、プロレタリア党はブルジョアジーに対する容赦のない批判者となり、最左翼の野党として民主主義革命を下から突き上げて徹底させる。やがてブルジョアジーにその歴史的使命を遂行させた後は、ブルジョアジーを打倒して、プロレタリア党が政権をとって社会主義革命を行なう、という展望である。
 7、トロツキーの永続革命論……さていよいよトロツキーの永続革命論だが、実を言うとトロツキー自身がはっきりと「永続革命」という言葉を自己の理論に関して用いるのは一九〇六年になってからであり、むしろ当初は「連続革命(中断されざる革命)」という用語を使用している。トロツキーもその理論的飛躍のきっかけとなったのは、パルヴスの「序文」であった。
 まずトロツキーは、パルヴスと同じく、プロレタリアートの革命的ヘゲモニーを単に革命の過程に限定するのではなく、革命の勝利後の政権の性格にも反映させ、ロシア社会民主労働党が革命権力を取ることができるということを一九〇五年の三月というかなり早い段階から主張した。しかし、その後、トロツキーは自己の理論をいっそう発展させ、一九〇五年の夏のあいだ、一時的にフィンランドに亡命している時に、永続革命の基本的着想を獲得し、パルヴスの限界を超えていくことになる。その時期に書かれたラサール『陪審裁判演説』への序文の中で、単なる社会民主党の政権という水準を越えて、ロシアはヨーロッパに先駆けて「農民に依拠したプロレタリアートの独裁」を実現することができるという定式を明らかにする。これはさらに、一九〇五年の一〇月以降のソヴィエト結成とストライキ闘争の中で、勝利したプロレタリアートの独裁はただちに社会主義革命に連続していく措置をとらざるをえないという定式へと発展する。つまり、トロツキーの永続革命論は、「社会民主党の政権獲得」論(三月)→「農民に依拠したプロレタリアートの独裁」論(七〜八月)→「社会主義革命への連続性」論(一〇〜一一月)へと順を追って発展していったことになる。
 そして、この各段階においてトロツキーは実際に「ヘゲモニー」という言葉を用いて自己の主張を展開している(引用はトロツキー研究所発行の『ニューズレター』最新号を参照せよ)。さらに、トロツキーは自己の永続革命論を最も総括的に論じている有名な「総括と展望」(一九〇六年)の中でもはっきりとヘゲモニーという用語を用いて自己の理論を明示している。

 もちろん、この政府を、プロレタリアートと農民の独裁だとか、あるいはプロレタリアートと農民とインテリゲンツィアの独裁だとか、あるいはまた労働者階級と小ブルジョアジーの連立政府などと呼ぶことも可能である。しかしそれでも、当の政府内のヘゲモニー、およびそれを通じての国内のヘゲモニーは誰に属するのか、という問題は依然として残る。そしてわれわれは、労働者政府について語るとき、ヘゲモニーは労働者階級に属するだろうと答える。(前掲『わが第一革命』、三二六頁)

 ここではヘゲモニーは、プロレタリアートが人口的に多数かどうかという機械的な数的多数性という議論を超えて、政治的に有機的な組織的・思想的・指導的影響力として理解されている。レーニンがあくまでもプロレタリアートの人口が数的に少数であるということにこだわって革命権力がプロレタリアートと農民の共同権力になると考えたのに対して(ヘゲモニー論の不徹底)、トロツキーは「ヘゲモニー」の思想を発展させて、それを貫徹させているのである。後年、スターリニストは、「ヘゲモニーとしてのプロレタリア独裁」という発想をレーニンに帰し、それとトロツキーの「機械的プロレタリア独裁論」(プロレタリアート単独の独裁論とされている)に対置させたが、実際には、トロツキーこそが最初に「ヘゲモニーとしてのプロレタリア独裁」という思想を明確に定式化したのである。 (つづく)


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