野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ
竪川河川敷公園テントへの
行政代執行攻撃はねかえせ |
6年間にわたる
強制排除との闘い
一月二二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきたことに対し急きょ呼びかけられたもの。
あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二〇〇人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。
山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、一一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間にわたって追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきたこと、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。
多目的広場に
テントを移動
公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年一〇月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区でテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められたこと、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していたこと。
それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。
一二月二二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、一二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二〇日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。
そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。
パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たち二〇人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限はない、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。
すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三〇回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた。見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこれが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗ることはなく一切の介入をさせなかった。
江東区が「野宿
者ゼロ」を公言
結局、なす術をなくした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四人のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。
「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一所懸命に言っているが、近づくと酒臭い。おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場によこされたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」。すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。
「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ」。結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。
基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の一人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」。一人一人がその思いを表明する。
続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年一二月一一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が増えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年一一月に起こっている。
区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。
次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。
さらに多くの
注目と支援を
太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。
竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。
解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。
多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。
さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。 (板)
竪川河川敷公園強制排除 続報
緊急避難した多目的広場にも
行政代執行攻撃が迫っている
竪川河川敷公園の行政代執行による野宿者のテント強制排除の動きは緊迫した状況が未だ続いている。
一月二一日夜に行政代執行攻撃をかけられてきた五の橋のたもとからの移動を仲間たちは行った。二二日の「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」の報告でも簡単に書いたが、これは工事のすでに終わったA工区と、間もなく工事の終するB工区をつなぐ場所である五の橋のたもとに対してかけられてきた「行政代執行」の手続きが進行する中で、強制的な、そして暴力的な排除から逃れるために、その範囲から出て行かざるを得なかったということである。
仲間たちにとってはこれは全く不本意で納得のいかないものであった。五の橋のたもとに十数軒のテントが集められたのは江東区の指示であったからである。江東区土木部水辺と緑の課はそのために川を埋め立てて移転地を造成したのであった。しかし、今回の行政代執行にあたって区は「許可なく占有している」などと言っているのである。しかも「話し合いを行う」「強制的な手段は取らない」と言っていたのは区の方なのである。
しかし、このままでは強制的に排除されてしまうという中で、仲間たちは工事の支障となっている五の橋のたもとから出て行く決断をしたのであった。区がこのことによって今一度、約束通り、話し合いでの解決の道に立ち戻ると信じて。
しかし、その期待は見事に裏切られた。仲間たちが避難したA工区の「多目的広場」には翌日から水辺と緑の課が、A 課長に率いられて登場し、「お前たちとは何も話すことがない!」と威圧し、恫喝をしている。警察権力も同行し、仲間たちが少しでも挑発に乗れば介入する構えである。
そして、二七日には公園を分断するフェンスを張り巡らしたのである。その理由を「公園利用者の安全」などとするデタラメぶり。この時の混乱では社名などをテープで隠したガードマン(警備業法違反では?)や作業員の暴力で数人がけがをさせられている。そして「二月三日までに撤去しろ」と「指示書」をテントに張り、新たにここでも行政代執行の動きに出てきているのである。
五の橋での「行政代執行」の「除去命令」に不本意ながらも従った仲間たちがどこかに「避難」しなければならないのは当たり前ではないか。
そして、公園を歩いて見れば分かるが、仲間たちが避難出来る場所は公園の中で「多目的広場」以外にはないのである。区はC工区ヘ移れと言うがB工区の工事が終わればC工区の工事が始まるのであり、そもそもC工区には元々住む仲間、B工区から移転させられた仲間たちが住んでおり、五の橋の仲間たちが移転出来る場所的な余裕はないのである。
人を人とも思わない江東区のやり方に怒りや疑問の声がわき上がり、連日、たくさんの人々が支援に訪れている。
江東区へ抗議の声をぶつけるために緊急にデモが計画されている。平日ではあるが多くの仲間の参加を。そして江東区に抗議の声を!。 (板)
|