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    かけはし2012.年2月27日号

生殺与奪の権を握ってきた
反共イデオロギー(サン・ハナニム)

拷問・虐殺も容赦する神の上の「神」

 

 2011年12月30日未明、キム・グンテ民主統合党常任顧問が、この世を去った。彼は1970〜80年代、軍事独裁下で全身を投げうって抵抗していた民主化運動のアイコンだ。1985年、民主化運動青年連合(民青連)事件によって拘束され、ありとあらゆる種類の拷問を受け、その拷問の後遺症によってパーキンソン病を患ってきており、64歳という比較的若い年齢で逝ってしまったのだ。キム常任顧問はソウル・南営洞515号室で暴力革命主義者、共産主義者であることを自白せよ、という強要を受けた。結局、彼は公安当局が読みあげる小説もどきの容疑を示認せざるをえなかった。

愛国主義と韓国教会

 1986年に南営洞の対共分室で彼を拷問したイ・グナンは2008年5月に忠清南道泰安地域「第1期アボジ(父親)学校」の特別講師として講演し、自分はパルゲンイ(アカ)をつかまえていただけなのに、政権が代わったら逆賊になっていたとして恨みつらみの心境を吐露したりした。最近では「審問(拷問)は芸術だ」と語り自らの行為を正当化していた彼は、「いま直ちにあの時に戻ったとしても、私は同じことをするだろう。当時の独裁時代の状況では愛国だったのだから、愛国は他人に押しつけることのできるものではない」として自らの行為を美化した。
 韓国教会は、このようなイ・グナンを牧師に仕立ててやった。たとえ極悪な拷問犯罪をほしいままにした人間でもハナニム(キリスト教の神様)の前で悔い改めれば、ハナニムの御言葉を伝える牧師になることができる、ということだ。韓国キリスト教は、拷問した事実を否認し、公式的に過去のことに対して反省や謝罪をしたことがないばかりか、むしろそれが愛国行動だったと声を大にして語る人物を牧師としての礼遇までしてやり、泰安郡民らは彼を講師として招いた。釜山市民らはキム・グンテ常任顧問を拷問する時にその指揮ラインにいた安企部・対共捜査団長チョン・ヒョングンを3度も国会議員として当選させた。彼も国民健康保険公団の理事長を担うなど今なお健在だ。
 イ・グナンの言動は映画〈密陽〉(原作、イ・チョンジュンの『虫の物語』)でよく描かれている。主人公シネは誘拐犯によって子どもを失った後、その罪責感のゆえにキリスト教信仰への道に入るが、信仰を通じて治癒を経験したシネは、自分の子どもを誘拐して殺害した誘拐犯を許すことを決心して刑務所を訪ねる。だが自らが誘拐し殺害した子どものオンマ(母親)がやってきたというのに、その殺人犯は悔い改める気配などケシ粒ほどにも見せないまま、自分はハナニムの許しを受けて平安に暮らしている、と語る。
 この殺人犯は、まさに5・18光州虐殺を反省しない新軍部の姿そのままだ。彼らは1980年に光州で大量虐殺劇を繰り広げたことにも飽き足らず執権後、数多くの拷問を通じたスパイでっちあげ事件を指揮した。軍の元将軍たち、政府の元長官たち、元議員たち、国家機関の元「大人たち」として待遇され、彼らのうちの相当数は今日、マンモス教会の元老や長老・執事の礼遇を受けている。彼らの「ハナニム」がいかなる罪科をいかように許したのかは知りようがないが、彼らは過去の反人倫的犯罪に対する自らの責任に関しては一切、言及してはいない。
  イ・グナンのように「あの時はそれが愛国だった」と暗黙のうちにのみ語るのではなく、「今日から見てもそれは愛国だった」と語る。国際社会においてユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を否認することは犯罪だとみなされる。ところで虐殺と拷問を単に否認することにとどまらず、それを美化し正当化するこの国をどう見るべきなのか。
 結局、この人々にとっては彼らを受け入れてくれたハナニムのほかにも、称賛や激励まで与えてくれる「さらに高いハナニム(反共イデオロギー)」がある、ということだ。彼らを許し受け入れてくれたハナニムは、ただ精神的慰めを与えるだけだが、彼らの行為を正当化してくれ美化してくれるハナニムは政治的、身体的、制度的、物質的、社会的地位と安息さえも保障してくれる。この世俗政治を管轄しているハナニムはキム・グンテを拷問するように許容してくれたばかりではなく、今日まで韓国人たちの生殺与奪権を握ってきた。

パルゲンイによって虐殺を正当化

 韓国(朝鮮)戦争を前後して、このハナニムは「疑わしい」民間人を片っ端から殺すようにしてくれた。1949年12月24日、慶尚北道聞慶の深い山奥にあるソッタル村の住民86人が国軍によって無残に虐殺された。軍人らは民家に火を放ち、飛び出してくる住民を近づきしだい射殺し、村の裏山の岩かげに身をひそめていた青年たちや学校帰りの子どもらまで射殺した。犠牲者の70%は20歳以下の青少年や老人たちだった。10歳以下の子どもも22人(25%)にもなった。現場の生存者であるチェ・ウィジンによれば「おまえら、アカに食わせようとして豚を盗んだのか。我々は国軍だ」と語ったというのだ。
 このむごたらしい虐殺事件を調査した当時の米軍側は「軍人らが住民らに追及していた共産主義者たちとの内通の容疑は、軍人らがなすりつけた濡れ衣だったという確認の事実まであった」と記録した。この虐殺の真相は詳細に伝えられてはいないが、当時のあるメディアではこの事件を「共匪(共産党の遊撃隊を指す蔑称)の最後的蛮行として、国軍を装って部落に侵入し殺人・放火などを敢行した事件」だと報道した。この事件によって死亡した人々の戸籍には、これらの人々が共匪によって死亡した、と事実とは正反対のことが書かれている。
 2007年、真実和解委員会はこの事件の真相を究明し、ソッタル村の人々が軍によって虐殺された事実を明らかにしたが、真実和解委員会が同事件の真相を究明しなかったならば、彼らは今日に至るまで共匪によって亡くなった人として公式化され、国軍の犯罪は確認されなかっただろう。
 韓国戦争を前後して共匪討伐作戦に投入された軍人や警察は、左翼だと思えば裁判もなしに「即決処分(虐殺)」したという。ある軍人は、部落内部の住民たち間の故意の判断によって人々が「あいつはアカだ」とみなせば、直ちに即決処分されるケースが多かったと記憶している。
 「当時は無法状況なのでアカとみなされれば中隊長、小隊長のラインで即決処分しても問題にはならなかった。軍人たちも中隊長、小隊長の命令によって即決処分できると考えた。討伐作戦に支障があり、対象がパルゲンイだから即決処分したと後で報告すれば問題になりはしなかったがゆえに、それは連隊本部まで報告する事案ではなかった。現場で処分した後は書面報告もせず、口頭報告ぐらいやれば良いことだった」。
 韓国戦争当時、慶北・清道で警察と西北青年会(越南した人々で構成された右翼集団)出身の撹乱部隊などは、パルチザンと内通した疑いのある青年らを捕らえに向かい、その青年らが見つからないと父母など家族の一部を代わりにつかまえて殺したりもし、家を焼き払った後、残った家財道具を奪ったり、家族を袋叩きにしたりした。この極悪非道な虐殺や略奪が、すべて「パルゲンイ掃討」の名の下に正当化され、そのことに加担した人々が今日まで韓国において「愛国者」とされている。
 パク・ワンソが語ったように韓国戦争の時期は「パルゲンイと言えば赤子、乳のみ子に至るまでが、やみくもに気味悪がり、忌み嫌っていた時期」だった。従って「虫ケラのように扱われないために「我々の家族の物の考え方や振るまいは、ただただパルゲンイなのか、そうでないのかの問題によって支配されていた」(パク・ワンソ、「母の髪飾り2」)。
 パルゲンイとみなされるのは事実上の死刑宣告、つまり人間としての存在を否認されることを意味したし、他人をそうみなす人間や集団の背後にはハナニムの上の「サン(上)ハナニム」が支えていたからだ。この「サン・ハナニム」は、パルゲンイ捕捉に加わったことがあると主張すれば、虐殺犯、拷問犯、暴力犯などの反人倫的犯罪はもちろん、財産奪取犯、学園不正犯、詐欺犯、脱税犯、性暴力犯までをも愛国者だとして称賛してくれ、あらゆる地位や権力、富を抱かせてくれる。

「サン・ハナニム」の代行者


 俗世の審判者、裁判所が「サン・ハナニム」の代行者だ。キム・グンテの裁判を担当したソ・ソン判事は第1回の公判期日まで、単独決定によって家族との面会を禁止した。言葉では、キム・グンテが警察で黙秘権を行使したからだと言ったけれども、実際には拷問の証拠をいん滅する時間を稼ごうとすること以外にはありえなかった。
 その次に彼は第1回公判から傍聴券を発行し、家族や周りの民主化運動の人々の陳述の真偽を判断する核心的証拠となる拷問の事実を故意に避け、キム・グンテが書いた嘆願書を弁護士らが閲覧できないように締め出しさえした。ソ・ソン判事の原審裁判所は、公訴提起の手続きが法令に違反したので公訴棄却の判決を下すべきだとする弁護人らの主張を、その理由も明らかにしないまま排斥することによって、結局はキム・グンテが主張したように、その裁判は拷問した警察や彼らに命令を下した者たちを庇護したのであり、それ以降も拷問が継続され得るように保障してやった。拷問の事実が明々白々であったがゆえに裁判所や検察の基本的な良心を信じようとしていた「純真な」キム・グンテの期待は余すところなく崩れ去ってしまった。
 結局、彼は裁判とは要式行為にすぎないということを認識するに至り、あなた方がいかに賢かろうとも我々に勝つことはできないと声を荒げていた拷問警察官らの言葉を改めて思い浮かべざるをえなかった。拷問が罪ではなくパルゲンイであることが罪であり、政権やメディアが1度パルゲンイとみなせば2度と回復できない罪人になるという現実を凄絶に体験した。
 いかなる検証も抗弁もできない状態にあって政権、検察、警察、メディアが特定の人々や集団をパルゲンイとみなしさえすれば抜け出る余地がなくなるということを承知しているわが社会の腐敗・不正集団は、それを100%活用した。かつて文民政府(キム・ヨンサム政権)の査定第1号として目をつけられ、学校の公金横領と不正編入学の容疑で法廷に立ったソンジ大のキム・ムンギ理事長は、1986年7月に教授採用過程で金品を授受した事実が明らかになると、これの真相究明を要求して籠城している学生たちをパルゲンイと決めつけた。彼は自身に追従する学生たちや職員らに「行こう北へ、来たれ南へ」と書かれたビラを作らせ、学生らの籠城の場の周辺にこっそりばらまいて当局に申告した後、警察部隊の出動を要請して学生らを連行していくようにした。
 オッパ(兄)が左翼として追われ死ぬことになる状況の中でパク・ワンソは「オモニにとっては息子が生きているのか死んだのかが問題であって、アカなのかシロなのかは問題ではなかった」と語った。このように真実と愛の目で見れば「サン・ハナニム」はまさに人間を捕らえる怪物であることが、すぐにも分かる。理性を持った人間であれば、自身と家族とを踏みにじり、すべてを奪っていった恐ろしいハナニムは偶像にすぎず、実体のない幻影であることを悟ることができる。現在と過去に犯した罪が多い人間であればあるほど、さらに一層「サン・ハナニム」の力に寄りかかるという事実もたやすく理解できる。

「怪物が人間を捕らえる話」

 ところで今も一部の政治家やメディアは口を開きさえすれば、この「サン・ハナニム」にすがりつく。2011年7月20日付〈朝鮮日報〉は「海軍基地建設予定地が左派団体の解放区に」という見出しを付け、また別の日には「済州が左派従北勢力の闘争最前線になっている」と主張した。かつてはこのように声を上げれば彼らのハナニムは「彼らを殺してもよいし、拷問を行ってもよい」と語ったけれども、今はためらいながら警察力だけを出動させて捕らえよ、と言う。それが不安なので彼らはさらに一層「ハナニム、奴らは左派です。北に従うものです」と叫んでいる。我々の後の世代は「怪物が人を捕らえる話」を喜劇のジャンルで見い出すことができるだろう。(「ハンギョレ21」第895号、12年1月30日付、キム・ドンチュン/聖公会大・社会科学部教授)

 


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