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    かけはし2012.年1月23日号

「最高司令官」の称号付与され
権力の正面に乗り出す金正恩

党中心の民生政治速度戦?

 「我々の最高司令官」。
 キム・ジョンイル朝鮮民主主義人民共和国(北韓)国防委員長が亡くなってから1週間ぶりの2011年12月24日、北韓朝鮮労働党中央委員会機関紙〈労働新聞〉の5面に掲載された「正論」(コラム)の見出しだ。2百字原稿用紙で27枚余りの長文だ。キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長を「白頭山が生んだ偉人」と表現した同コラムは、末尾で「万感の思いをもって宣言する」として、こう書いた。
 「我々はキム・ジョンウン同志、その方を我々の最高司令官として、また我々の将軍として声高らかに叫びつつ、先軍革命の偉業を最後まで完遂するであろう。…キム・ジョンウン同志よ、人民が捧げる『我々の革命司令官同志』の叫びを抱かれて、キム・イルソン朝鮮を永遠の勝利へと導かれんことを!」。
 よくよく注目すべきところは別にある。コラムが掲載された日付だ。キム・ジョンイル委員長を「最高司令官」に推戴した人民軍中隊政治指導員大会が開かれたのが、この日からちょうど20年前の1991年12月24日だ。当時の情勢は、〈労働新聞〉の表現のように「地球上初の社会主義国家が70余年の間、掲げてきた革命の赤い旗が下ろされ」たのであり、「世界最強を誇っていた軍隊が銃弾の一発も放つことができずに、あえなく瓦解している時」だった。北韓の堅固な「背後」だったソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が、それよりわずか半月あまり前に公式に解体された。その20年前の記憶を浮かび上がらせつつ、〈労働新聞〉はこの日、キム・ジョンウン副委員長に「最高司令官」という称号を付与したのだ。
 2011年12月19日正午にキム・ジョンイル委員長死亡の消息を発表して以降、12月28日に永訣式(葬儀)が行われるまでの10日間、〈労働新聞〉をはじめとする北側メディアの報道内容は緻密に組み立てられた一編の「連続劇」を思い浮かばせる。「3代世襲」という希代の脚本を組み合わせようとして動員した「シンボル操作」の緻密さは北韓社会の現実を今さらながら雄弁に示してくれた。まことに宣伝、煽動の極致だった。
 この期間のうちに変わったキム・ジョンウン副委員長への呼称から、まず見てみよう。「主体革命の偉業の偉大な継承者」という表現は、始まりにすぎなかった。「党中央委員会の首班」、「最高司令官」「わが革命武力の最高領導者」という表現が登場していたが「わが党とわが人民の最高領導者」呼称が出てきた。そして遂に「わが党と国家、軍隊の最高領導者」という修辞が登場するに至った。事実上、北側の一切の権力をそっくり与えられた形だ。イ・ギドン国家安保戦略研究所責任研究委員は12月28日、慶南大・極東問題研究所主催の討論会で「キム・ジョンウンへと権力が移り行く過程が余りにも速く進められているのではないのかという指摘があるが、北の状況にあってこのような現象は当然でもありごく自然なこと」だと語った。彼の説明をもう少し聞いてみよう。
 「(キム・イルソン―キム・ジョンイル世襲の時を見れば)北の権力世襲は3段階に分かれて移行する。『後継者の唯一指導体系』から出発して『後継者唯一領導体系』を確立していく。世襲の過程で権力の空白や漏れを最小化しようとする目的から作られた過程だ。最初の段階である『後継者指導体系』は首領が生きている間、後継者が彼の思想や領導を受け入れて党と国家の全般的諸事業を指導するシステムだ。『後継者領導体系』は首領が死亡した後、後継者が首領の領導体系を受け継がない状況にあって首領に代わって党と国家の全般的事業を率いていくシステムだ。最後に『首領領導体系』は後継者が首領の領導体系を受け継ぎ後代の首領として党と国家の全般的事業を率いることとなる。世襲の完成だ」。

労働党の役割が高まる

 振り返ってみよう。キム委員長が後継者として公式確定したのは1974年2月の労働党5期8次全員会議中央委員会でだった。「後継者指導体系」の始まりというわけだが、キム委員長死亡以後「37年の権力」という話が出てきているのは、この時点から事実上「共同執権」したものと考えた数え方だ。この頃、彼には「党中央」という呼称が付けられたけれども、権力世襲に対する批判を意識し、その「正体」をわざと公開しなかった。1994年7月、キム・イルソン主席の死亡以降、1997年の労働党総秘書就任を前後して「後継者領導体系」と「首領領導体系」の時期が分けられるというのが北韓専門家らの説明だ。
 北側の「3代世襲」は2008年8月、キム委員長の脳卒中発病以降に本格化したというのが定説だ。イ・ギドン研究委員は「(キム・ジョンウンの生誕日である)2009年1月8日、後継者指導体系が発足し、翌年の10年9月28日の第3次労働党代表者会を通じて後継者指導体系を、党中央軍事委を中心として確立した」「この時から実質的第2人者(ナンバー2)として活動し、キム委員長の死亡直後に彼を中心として党と国家の全般的事業を率いていく『後継者体系』が位置づいたのだ」と指摘した。彼は「あたかも国家の主要機関の建物が停電になれば、直ちに非常電力システムが稼働するのにも似た道理というわけだ」と比喩した。
 キム・ジョンイル委員長の時に比べて「超短期速成過程」で最高権力の世襲を得たキム・ジョンウン副委員長体制の「不安定性」を指摘する声がないわけではない。ただ、北側の権力エリート層の「既得権」維持や「共倒れ防止」の心理が、少なくとも短期的には新体制の安定化に主力をおく方向へと作用するだろうという点では大方一致する。できる限り速く「実質的リーダーシップ」を掌握しようとするキム副委員長の次の課題は何か。「制度的リーダーシップ」を安着させることだ。
 「わが党と国家、軍隊の最高領導者」という修辞が表れているように、キム副委員長は既に北側のすべての権力を掌握したかのように見える。けれども「後継者領導体系」を経過し、「首領領導体系」へと踏み込もうとするならば、越えなければならない山がまだたくさん残っている。北韓の権力は党中央委員会を中心とした、いわゆる「党領導体系」と国防委員会を中心とした「国家領導体系」に分かれている。この2つを法と制度によって公式的に承継する手続きを踏まなければならない。キム副委員長が労働党総秘書と国防委員長の職責をいつ背負いこむのかに北韓専門家らの関心が集まる理由だ。
 これに関連してチェ・ワンギュ北韓大学院大学副総長は「今回の北の権力承継過程において権力の中心軸が軍から党へと移動する可能性が高い」と見通した。チェ副総長は「キム・イルソン主席は軍権に比べて党権が相対的に脆弱だったために、権力承継の過程でキム・ジョンイル委員長に党権を握らせた」「ところがキム委員長が(キム主席の死亡後)強力な党権を基盤として軍権を掌握していく過程で、軍側に再び権力の中枢が渡っていった」と語った。「先軍政治」に代表される軍中心の権力が党側に起因するとすれば、北側がもう少し「普通の国家」に近づき得るだろうとの解釈が可能だ。これまた「3代世襲」という奇異な権力承継が生んだ「逆説」と言うに値する。

「銃も必要だがアメ玉も必要だ」


 「キム・ジョンウン体制への移行の過程で労働党が『キング・メーカー』の役割をすることになる可能性が高い」。北韓専門家ルディガー・フランク・オーストリア・ウィーン大学教授も最近、米国ジョンスホプキンス大学付属の「韓米研究所」に寄稿した文章で同様の展望を示した。フランク教授が1997年から2010年までキム・ジョンイル委員長について北側のメディアが使用した呼称を分析して出した資料を見ると、2000年代半ばまで最もよく登場したのは「指導者」(領導者)という表現だった。けれどもキム・ジョンウン世襲体制が稼働し始めた2008年を起点として「党秘書」という表現を使用する頻度が急激に増えるとともに、将軍、最高司令官、指導者などの表現がほとんど使われないことが明らかになった。これについてフランク教授は「今後、北の体制が党を中心に展開されていくことを示すものだ」と解釈した。
 権力の世襲が制度的にまとめあげられたとしても、「キム・ジョンウン体制」の安着のためには、もう1つ宿題が残っている。「首領の唯一領導体系」を完成しようとするならば、いわゆる「人格的リーダー・シップ」を確保しなければならない。その前提は「民心」を得ることだ。民心は強力な指導力をもとにして具体的な成果を出してこそ獲得できる。カリスマも業績もない20代の若き指導者には手に余る課題だ。どうすべきなのだろうか。
 キム・ジョンイル委員長は最近の数年間、いわゆる「人民の生活向上」を、つとめて強調してきた。2009年を前後して北側で「銃丸も重要だがアメ玉も重要だ」という表現が登場した背景だ。〈朝鮮中央通信〉が報道したキム・ジョンイル委員長の最後の現地指導は死亡2日前の12月15日に行われた。この日、キム委員長はキム・ジョンウン副委員長と共にピョンヤン・統一通りにあるハナ音楽情報センターと、開店を前にした光復地区商業センターを訪れた。特に関心を引いたのはピョンヤンの3大デパートに挙げられていた光復百貨店を拡張して、わが国の大型マートのように作られた光復地区への訪問だった。キム委員長の最後の対外活動もまた「人民生活の向上」のための行動だったのだ。
 これと関連して目を引くもう1つの「シンボル操作」がある。〈労働新聞〉12月25日付5面に載った長文の「正論」だ。このメディアによれば、2011年12月16日夜9時13分にキム・ジョンイル委員長が「署名」した1つの文書が下りてきた。「陽暦の正月を迎え、ピョンヤン市民たちにニシンとスケソウタラを供給する問題」についての指示事項だった。北側の公式発表を額面通りに受け入れるならば、キム委員長が息を引き取るわずか11時間前のことだ。ところが12月18日、全く同じ文献が再び下達された。今後はキム・ジョンウン副委員長の名義だった。そして翌日の12月19日、キム委員長死亡の事実が発表された。

「金正恩時代」の今後

 何を語ろうとしているのだろうか。キム委員長名義の最後の文献とキム副委員長名義の最初の文献が全く同様に「人民生活の向上」に関する内容であることを強調したかったのではないだろうか。実際、10日間の葬儀期間中に北側の各メディアは、いわゆる「温かいお湯の接待」をはじめ、厳しい寒気の中で弔問に訪れた住民たちのためのキム・ジョンウン副委員長の「温情あふれる措置」について大々的に宣伝した。熱い湯に溶かし入れて飲む砂糖、蜂蜜、豆乳粉、パン、お菓子などがキム副委員長の「直接指示」によって弔問の場に送られたという。これだけで「キム・ジョンウン時代」の今後を見通すのは余りにも性急だ。ただし、その方向性はいささかではあれ予想できかのようだ。確かにこれ以外に「民心」を得られる方法としては他に何があるのか。
(「ハンギョレ21」第893号、12年1月9日付、チョン・インファン記者)

波乱万丈の2012年

6者会談の当事国は権力再編が予定されている

韓国では総選挙
と大統領選が
 運命の年が明けた。2012年、波乱万丈であろう。6者会談の6つの当事国の権力再編が予定されているからだ。
 まずは韓(朝鮮)半島情勢の直接の当事者である韓国と北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)。韓国では2つの重大な選挙が予定されている。4月11日には総選挙が、12月19日には大統領選が執行される。1年中ずっと政治的激動が避けられない。
 北韓では2011年12月17日、キム・ジョンイル国防委員長の突然の死に次ぐキム・ジョンウン労働党中央軍事委副委員長の「3代世襲」と「最高指導者」への登極によって権力の交代が予想よりも繰り上げられた。キム委員長の死後、北側指導部のそれなりの秩序ある対応によって、外部の「急変の事態」への憂慮や期待はある程度、削がれることとなった。だがキム・ジョンウン体制がどれほど安定的なリーダーシップを示せるのかは、今なお見通しがたたない。1つの「不確実性」が持っていた位置にまた別の「不確実性」が入った形だ。
 次に、韓国(朝鮮)戦争の当事者であり世界の強者である米国と中国。米国では11月6日に大統領選と総選挙が行われる。バラク・オバマ大統領の再選の可能性が高いけれども、人気が低く予断はしがたい。ビル・クリントンとジョージ・ブッシュの食い違った対北政策が示していたように、民主党と共和党のうちどちらが大勢を握るのかが韓半島の情勢に直接的影響を及ぼさざるをえない。
 中国では10月の党大会の際、現在国家副主席であるシー・チンピンが国家主席の座に上るとともに、第5世代指導部の時代を開く見通しだ。中国共産党内部の予定された権力移譲であり、「韓半島の平和と安定」を最優先してきた中国の現状維持的韓半島政策が変わる可能性もない。
 ロシアでは3月4日行われる大統領選でウラジミール・プーチン3選成功の有無が、日本では野田佳彦内閣がいつまで持つのかが関心事だ。けれども両国が韓半島情勢に及ぼす影響は南、北、米、中に比べて制限的だ。

韓半島だけが
「冷戦の孤島」だ
 東北アジア6カ国の権力再編は韓半島情勢はもちろん5千万韓国民個々人の日常的暮らしにも重大な影響を及ぼす変数だ。地球的脱冷戦の流れが20年を超えた今も、韓半島だけが「冷戦の孤島」として残っているからだ。
 韓国民ができることは、韓国の権力再編の方向を決定することだけだ。だが韓国民の選挙は東北アジア情勢におけるカギとなる重要性を帯びている。「米中が重要なのであって、韓国などどうだか……」と問いたいのか。この4年間、イ・ミョンバク政権が韓半島の情勢をめちゃめちゃにする上でどれほど決定的役割を果たしたのかを振り返ってみよう。すぐさま、米、中、日と違って「北韓政権と住民を分離するという基本方針」を打ち出したイ・ミョンバク政権の「無定見、無教養」な弔問の対応は「リー・ミョンバク逆賊の輩とは永遠に交わらないだろう」という北韓国防委員会のこの上なく厳しい声明を聞くこととなった。結果的に、イ・ミョンバク政権はキム・ジョンイル委員長の死亡を南北関係改善のステップとする機会を自ら放棄してしまったわけだ。再び、南北関係は「時計ゼロ」だ。この4年間ずっとハラハラを味わった軍事的葛藤などを2012年にも繰り返さなければならないのか。
 だから4・11総選挙の意味が格別なのだ。総選挙の結果は12・19大統領選を規定するだろう。それだけではない。総選挙で韓半島の平和と南北和解・協力を重視する勢力が大勢を掌握するならば、レイムダックに陥ったイ・ミョンバク大統領の対策なき対北強硬策をある程度、制御できるだろう。何よりも総選挙、大統領選挙の結果は控え目に見積もっても今後10年間の韓国の運命を分かつだろう。選択は市民の領域だ。合理と理性、熱情と愛が化学的に結合した知恵ある参加と連帯が民主と平和の道を開くだろう。健闘を祈る。
(「ハンギョレ21」第893号、12年1月9日付、イ・ジェフン/編集長)

 


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