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    かけはし2012.年1月16日号

野宿者追い出し、炊き出し禁止の攻撃はね返し生きるための闘いを

2011〜12山谷越年越冬闘争


仲間の命は仲
間でまもろう
 一二月二九日から一月四日の早朝まで山谷越年越冬闘争が行われた。二八日には山谷労働者福祉会館で越年突入前夜集会が行われ、毎年山谷の越年のために多くのカンパを集めてくれるたんぽぽ舎の人々を始め多くの労働者、支援者が集まって、越年闘争についての最終的な打ち合わせを行い、その後浅草、上野、江東区竪川でのパトロールを行った。
 二九日正午に会館に集まった仲間たちは物資を城北労働福祉センターへと運び込み、三里塚から切り出してきた竹を使ってテントを設営、同時に夕食の準備を始め、越年闘争が始まった。
 実行委員会で決まった今越冬のスローガンは「仲間の命は仲間で守ろう!奪い返そう!生きるために!」この間、都内では野宿者のテントに対する排除が激しさを増していることから生きる権利を奪い返そうと考えられた。

堅川河川敷公園
行政代執行準備
 二〇〇九年に行われた渋谷・宮下公園の行政代執行に続いて年末に江東区が区内の竪川河川敷公園で行政代執行の手続に入った。首都高・小松川線の下二・五キロに渡って広がる竪川河川敷公園には二〇年ほど前からテントで野宿生活を送る仲間が多くいる場所であったが、六年ほど前から公園の改修工事が計画され、それに伴う野宿者のテントに対する排除が行われてきた。改修工事は公園の中にカヌー・カヤック場などの有料のスポーツ施設を作り民間委託するというもので、公共の物である公園を企業に売り飛ばすという意味では宮下公園のナイキ公園化とも通底する問題をはらむ。
 竪川の仲間たちは区・緑と水辺の課との交渉や、区役所前でのビラ撒き、地域デモなど様々な闘いを展開して来たが、〇九年より工事が始まった。
 工事は公園を三つに分けた工区のうち、A工区から始まり、そこに住んでいた仲間たちは代替地を要求、B工区かC工区へ移れという区に対し、あくまでA工区内での移転を求めた。その結果B工区と隣接するA工区の端、五の橋のたもとに二〇人ほどの人々が暮らすこととなった。
 工事は現在A工区が終了し、B工区へと移っている。区の用意した代替地だが、仲間たちがここから出て行かなければA工区とB工区がつながらない。工事の進展とともに区の追い出しが激しさを増してきた。当初は話し合いで、と区の側も言っていたはずなのにである。水辺と緑の課の課長が仲間たちのところへ来て、差別的な言辞を吐き、怒鳴り散らすということもあった。
 そしてそのような行政による排除の動きに伴って江東区周辺では少年たちの野宿者襲撃が頻発するようになっていった。竪川でも五の橋の上からテントに物が投げ落とされたり、テントが放火され全焼するといった一歩間違えれば命に関わるような事件も起きていた。
 仲間たちは江東区の土木部水辺と緑の課、教育委員会、人権推進課などと交渉を行ったが、警察沙汰になるとかケガ人が出るなどのはっきりした被害が出ないと動けないなどと、不真面目な対応であった。果ては「野宿者が通行人を襲ったという情報もある」などと根も葉もないことを言い出す始末。

野宿者襲撃で
仲間が重傷!
 そんな中、「はっきりとした被害」が出てしまう。一二月一一日深夜、都立大島小松川公園で野宿者の男性が小中学生と見られる五人の少年に襲撃され肋骨三本を骨折する重傷を負うという事件が発生したのだ。
 直ちに仲間たちは江東区宛の公開質問状を提出し、二一日には区の上記三部門との交渉を行った。
 この交渉の中で水辺と緑の課は強引な追い出しはしないと発言していたのだが、翌二二日には竪川A工区の仲間に対して一四日間の弁明機会を与えるという江東区長・山崎孝明名義の弁明機会付与通知書なる物が届けられた、これは行政代執行にあたって弁明機会を与えるというもので、この後、除却命令が出され、期間内に自主的に撤去がなされない場合、戒告書が出され、その後、代執行令通知書が出され、行政代執行が行われる。
 これまでの例から考えて一月末から二月の初旬が、代執行の山場と見られている。竪川の仲間たちはこのあまりにも誠意のないデタラメなやり方に憤慨し、断固として闘うことを決めている。何しろ、区が用意した移転地なのだ。話し合いで、と言っていたのは水辺と緑の課の方なのだ。
 越年期間中、一月二日には竪川で、フィールドワークと餅つき大会が行われ、多くの労働者や支援者が集まり、問題や怒りを共有するとともに交流を深めていった。

荒川河川敷で
もテント排除
 荒川堀切橋付近の河川敷でも国土交通省によるテント排除が行われている。ここは多いときでは約五〇軒のテントがあったところで古くからの山谷労働者が多く住む。隅田川など他のところで追い出されて移ってきた人も多い。昨年八月突然工事計画が発表され、一〇月までに出て行けと住んでいる仲間たちは迫られた。工事は河川敷にアシなどの植物を生やす自然再生工事だという。人工河川の荒川で自然再生とは片腹痛いが、情報公開で調べた工事計画の中で「満潮時にアシなどに水が浸るように掘り下げればホームレスが住めなくなる」などという記述があり、自然再生というのは口実で野宿の仲間の追い出しのための工事であったことが明らかとなった。
 昨年、河川事務所で行われた交渉でも国土交通省はアシについての説明に終始し、「アシのことは考えるけど住んでいる人間のことは考えないのか」という仲間の声に「そうです」と答えている。
 すでに工事が行われ、多くの仲間が施設に入ったり、他の地域へと移っていったが、数人の仲間が「最後までどかないよ!」とがんばっている。
 荒川では越年闘争に先立って一二月二四日に餅つき大会が行われ、多くの仲間の結集で団結を深めた。

「持たざる者」
の連帯を実感
 山谷争議団の分裂により現在「東京・山谷日雇労働組合」を名乗る人々の暴力で玉姫公園での越冬が困難になって以降、この一五年ほど越年の拠点となっている城北労働福祉センター前の路上は毎週の共同炊事の拠点でもあるが、ここも、都内各地の炊き出し現場と同様に中止を迫られている。日雇労働者の町、山谷も再開発の進展とともに野宿者や炊き出しへの圧力が強まっている。
 センター前での越年は 三里塚からの野菜や屠場労組からのカンパの肉をつかって朝夕の二食を作る他、隅田公園や上野公園そして東京都の山谷越年対策であるなぎさ寮での餅つきの他、夜には上野などでのパトロールを行った。
 また、毎年越年で公演を行ってくれる劇団「水族館劇場」ユニット「さすらい姉妹」もまた今年も三一日山谷センター前、三日上野公園と芝居を見せてくれた。そして三日夜には経済産業省前で座り込みを行っている人々がセンター前を訪れ、エールの交換を行うなど、野宿の仲間の生きるための闘いから持たざる者、排除されたものの連帯の広がりが感じられる越年でもあった。
 一週間の越年闘争を終え、四日の早朝に撤収した後は生活保護の集団申請を行った。越年期の闘いが終わっても上野での夜間パトロール越冬闘争は春まで続く。そして竪川の代執行など野宿者排除との闘いは正念場を迎えている。五日には弁明機会の期限を迎え竪川の仲間を中心に江東区役所への弁明書提出行動が行われた。この日を期限と指定してきた当人である区長が逃亡したために全く事情の分かっていない様子の総務課に手渡さざるをえなかったが、区役所前でのビラ配布なども含めて仲間たちはこの日の行動をやりきった。
 竪川と荒川の排除の情報は逐次山谷労働者福祉会館のブログにアップされる。 今後の闘いへの注目と支援を。        (板)

コラム

国籍問題とロンドン五輪

 私は今、虫歯治療のために近所の歯科医院に通っている。ここの医師を患者さんたちは、親しみを込めて「マラソン先生」と呼ぶ。今年も正月三日箱根駅伝の復路の走者が横浜駅付近を通過する時、交通整理をする彼の姿がテレビに映っていた。彼は毎朝ジョギングをし、各地のマラソンレースにも参加する。完走者の中に彼の名が載っている雑誌があるとコピーで拡大し、名前の下に赤ペンで線を引き、待合室に貼り出す。さらに診察室では患者に対し「走るのは健康にもいいし、リフレッシュにもなりますよ」とだれかれなく話しかける。
 このマラソン先生、去年一一月インドネシアで開催された東南アジア競技大会にカンボジア国籍を取得してマラソンでロンドン五輪出場を目指しているタレントの猫ひろしの応援に出掛け、その時の写真を待合室に貼り出した。
 猫ひろしは、このレースで自己記録を更新したが、カンボジア陸連が期待していた二時間三〇分前後の記録に届かなかったため、ロンドン五輪への出場は決定しなかったらしい。彼がかくも猫ひろしに肩入れするのは、初めて東京マラソンに参加した時、緊張している彼らに声をかけてくれたことがきっかけだという。「国籍を変えてまでの挑戦に、『お笑い芸人だからとやゆする人もいる』……走るのが好きなんですよ。本当に五輪に出たいと思っているんですよ」と力説する。
 考えてみるとサッカーやラクビーでも国籍を取得してW杯をめざす選手も多数いるし、甲子園のため「越境入学」する高校球児はめずらしいことではない。だが私はマラソン先生の思い入れは理解できても素直にうなずけないのは、猫ひろしが「お笑い芸人」だからではなく、五輪が商業主義に溢れ、開催地の決定さえカネで左右され、冬季五輪に至っては環境破壊が行われているからである。確かにカンボジアのマラソンは、インフラ整備とカネのかからないスポーツの振興のために有森裕子らがボランティアとして参加・育成し、アンコールワットの修復や地雷除去とともに復興政策の重要な一部であったことは事実であろう。
 だが現在、日本国籍の猫ひろしにカンボジア国籍を与えロンドン五輪への出場機会を提供する、またヤクルトや巨人で活躍した広沢克巳を野球普及のためにコーチとして、日本政府がカネを出して派遣するという動きをみるとカンボジア政府が日本のODAに期待し、日本もタイ・ベトナムに続くアジアでの生産拠点をカンボジアに求めていることが透けて見える。それは中国の圧力に抗するために日本の原発輸出政策を受け入れるベトナム政府の動きとも重なる。五輪の裏にあるのは政治とカネだ。
 一月七日、歯を抜く時に「痛いなら痛いと言ってください」と言うので、治療途中「痛い」と言ったが「痛いですか、麻酔が効いてないのかな」というだけで全く手を止めてくれなかった。「優しい言葉」を期待していた私の頭の中を悲しいかな一瞬、猫ひろしの件に同意しなかったからかなという思いが過った。(武)

 


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