かけはし重要記事

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                                  かけはし2002.12.2号より

権力の座への全面的復帰をねらうインドネシア国軍の暴虐

アチェ独立運動への恒久的戒厳令

 インドネシア・スマトラ島の最北部アチェ特別自治州で、独立を求めて闘ってきた自由アチェ運動と国軍との戦闘の中で、国軍による暴虐な弾圧により多くの一般市民が犠牲になってきた。十一月十九日にインドネシアのユドヨノ調整相は和平交渉が大筋合意に達したと発表したが、なお不透明な部分が多い。以下の文章はインドネシアの連帯ブレチン「タポル」02年9月号掲載のレポートより。


 七月以来、ジャカルタにおける政治的テーマの中で一貫して前面に登場しているのは、アチェでの文民的ないし軍事的な非常事態/戒厳令が宣言されそうだ、ということであった。しかし、アチェでの緊急事態宣言についてのあらゆる論議はポイントをはずれている。なぜなら、アチェの人びとは十年間にわたって非常事態の下で生活してきたからである。
 一九九九年と二〇〇〇年の相対的平和という短い休止期間を例外として、アチェの大部分の地域は交戦地帯として描きだすことができる。戦闘が始まってからの死者の数は一日あたり十五人に達し、そのほとんどは一般市民である。インドネシア国軍(TNI)、インドネシア国家警察(POLRI)と自由アチェ運動(GAM)との衝突は、事実上、日常茶飯事である。
 アチェでの緊急事態宣言という問題を取り上げようとする政府の動きは、むしろジャカルタでの政治状況と関連している。ジャカルタでは国軍の本部である「チランカップ」がますます物事を支配している。軍の指導者たちは、以前よりもむしろ多くの権力を握っている。
 八月初め、アチェのイスカンダル・ムダ軍管区司令官であるジャリ・ユスフ大将は、メガワティ大統領に対して一通の報告書を作成したが、その中で彼はアチェで続いている暴力について語り、ひどい残忍さのかどでGAMを非難している。彼はまた、暴動鎮圧と対ゲリラ作戦用に訓練され、そのための装備を備えた戦闘部隊である特殊部隊「サトガス・ラジャワリ」(ラジャワリ特殊部隊)の創設を発表した。ラジャワリ部隊は、陸軍、海軍、空軍と陸軍戦略部隊の「コストラド」からの部隊をふくんでいる。
 メガワティ大統領はそれに応え、暴力行為にかかわったすべての者に対して決定的な行動を取るようジャリ・ユスフ大将に指示した。その時以来、あらゆる注意がアチェでの非常事態宣言に注がれてきた。
 インドネシア共和国が一九四五年に誕生して以来、インドネシア軍による暴力の行使は通常の出来事だった。一九五〇年代におけるダルル・イスラムやRMS(東マルク共和国)といった反乱運動の決起は、ジャカルタの中央政府による、つねに非常な残虐さをともなう迅速な軍事行動に直面することになった。
 一九八〇年代後半のGAMの決起以後、独裁者スハルトはアチェを軍事作戦地帯(DOM)とした。それは、軍が適当と考えることなら何でもできる軍の自由行動地域である。それは実際には、特殊部隊、とりわけレッドベレーの戦闘部隊であるコパススが、自らの諜報部員を使って村民から情報を引き出すことを意味した。
 公式の数字によれば、軍事作戦地帯となっていた一九八九年から九八年の間に、死者の総数は少なくとも千人に達した。ほぼ同数が行方不明となり、数千人が身体に障害を負い、夫を亡くし、孤児になった。スハルト体制の崩壊後、軍事作戦地帯は撤廃されたが、二〇〇〇年になると軍隊は再び同様の暴力的手段を行使し始めた。軍事作戦地帯は、だれもそのように呼んではいないが、再び現実になった。
 ワヒド前大統領の時代、幾つかの新しい構造が着手された。アチェをNAD(ナングロエ・アチェ・ダルサラム)と改名した特別自治法が議会によって制定されたが、基本的なところではほとんど何も違いを生み出さなかった。二〇〇一年には、アチェの情勢を「包括的」に処理する二つの大統領指示が発せられたが、実際には国軍と国家警察によって規定された治安措置が実行されただけだった。
 メガワティが昨年七月に大統領になって以後、今年になって別の大統領指示が出された。それは前任者のものと同様に「包括的」解決を追求するとされたが、起こったことと言えば、今年初頭以来、暴力がきわだって増加したということだけである。この大統領指示は七月三十一日に期限切れということになっていたが、それは国軍がより強力な軍事的解決を強制することを正当化するために利用された。
 軍がたんなる大統領指示以上のなにものかを望んでいることは余りにも明らかである。第一に、彼らはアチェにもっと多くの軍を配備することを望んでおり、第二に、いまだに鮮烈に記憶に残っている東ティモールの経験にもとづいて、大規模な人権侵害や人道に対する罪で告訴されないように法的な保護が与えられることを望んでいる。
 アチェにおける最近の軍事作戦の成功にもかかわらず、GAMのゲリラ部隊は依然として農村地帯に多数存在している。治安部隊のメンバーは、GAMと地域の住民を区別するのは難しく、したがって住民の間でのGAMの人気に信頼性を与えるものになっているということを率直に認めている。部隊の数を増やせという要求は、この状況に対処する軍部のやりかたである。
 アチェでの非常事態の要求は、東ティモールについての特別法廷の開始と軌を一にしている。そこでは何人かの国軍の高級士官が裁判に直面している。インドネシアの人権活動家の中で、東ティモールでの暴行に責任ある将軍たちが正当に罰せられるだろうと確信している者はいない。しかし、裁判は軍にとって侮辱である。この特別法廷が強力な国際的圧力ぬきには実現されなかったたことをだれも否定できない。
 第一回公判が始まった日、最高位の将軍たちが傍聴席の最前列に示威的に着席し、被告として法廷に到着した同僚たちを抱擁した。自らの手が東ティモールの人びとの血で汚れているスポークスパースンのシアフリエ・シャムスディン大将が代表する国軍本部は、軍は現在の状況を受け入れないことを明確にした。国軍は基本的にアチェでは絶対に不処罰であることを求めており、それを軍事的非常事態と呼ぶか文民的非常事態と呼ぶかについては気にしていない。スハルト元大統領が一九八九年に導入したDOM(軍事作戦地帯)状況は、国軍がいま求めているような安全保障を彼らに与えたのであった。
 アチェに非常事態を宣言するというアイデアは、まさしくインドネシアの混乱を作りだした。歯に衣着せぬNGOが強くそれに反対し、最も知られた人びとや政治的コメンテーターもそれに反対した。一部の議員は、政府はアチェの状況を処理することに基本的に失敗したと正しくも語り、国軍と国家警察はアチェの人びとの安全保障に資する状況を作りだすことに失敗したと結論づけた。
 非常事態に関する肝心な事柄は、それが状況を悪化させるだけであり、また暴力を増幅させつつ、同時にGAMとインドネシア政府の間の交渉を危機に陥れることにになるだろう、ということである。政治治安担当調整相のスシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)は、事態を処理しようともくろんで、社会のさまざまな部門との相談のためにアチェを短期間訪れた。しかしこの訪問はほとんど不必要なものだった。ジャカルタ・エリートの傑出したメンバーとして知られるアブドラ・プテ知事をふくむアチェのすべての人びとが、非常事態が宣言されるべきだという提案を拒否したからである。
 ユドヨノのような政治的軍人とアチェ担当の軍高官との間には意見の相違が存在する。ユドヨノは、交渉戦略と軍事戦略との間のバランスを維持しようとしている。彼がアチェを短期間訪問した期間、現地の市民社会はその機会を非常事態を全面的に拒否するという意見表明のために活用した。バンダ・アチェでは毎日デモが行われ、NGO代表とのクローズドな会合では、紛争は軍事的アプローチを避けた公正で民主的な手段によって解決されるべき、との見解を表明したアチェ人NGOの声明書が手渡された。
 ユドヨノが成功したことといえば、それが意図的なものかそうではないかに関わらず、問題を主要な政治課題に投げ返したことである。軍事的非常事態を宣言するという構想そのものが、あらゆる政治的広がりをもったアチェ人の市民社会に、事態を進展させる最善の方法は対話であるということを表明する機会を提供した。メディアの論文やコメントは、この五月と六月にジュネーブで行われた最近の交渉で、「すべてを包含した対話」(AID)と名づけられた新しいアプローチが追求されるべきだという相互の合意が達成された事実に注目した。AIDの方式はまだ作動していないが、一般的な想定では、アチェ市民社会全体が参加するということになっている。それは、交渉の双方の側で複数的な代表が参加することを意味する。休戦が必要だという合意もなされている。
 アメリカやイギリスをふくむ西側諸国は、政府に対して交渉を進展させるはっきりとしたシグナルを送っている。
 国軍の将軍連中は、多くの声明の中で交渉を拒否する態度を鮮明にした。将軍たちは会談はなにも生み出さないと主張し、「分離主義者」との会談の席につくというジャカルタの政府の考えそのものに憤っていることを明確にしている。
 しかし、アチェについて国軍の頑迷分子が作り出した騒ぎのすべては、インドネシア政治の核心部分でより大きな役割を再度獲得しようとする、より広範な戦略の一部であることが示唆されている。軍事アナリストの一部は、アチェ紛争は国軍によって権力に舞い戻る踏み石として利用されている、と主張している。
 マルク紛争は一九九九年一月に勃発したが、その時国軍の評判は最低だった。国軍がこの紛争に関わり、それを培養したことは良く知られている。マルク紛争が長引けば長引くほど、世論の動向は、治安部隊が問題の一部を構成していると見るところから、解決策をもたらす者と見なすところへ変化していった。
 同様の流れをアチェでも見ることができる。今年二月、抗議の波にもかかわらず新たな軍司令部であるコダム・イスカンダル・ムダ軍管区がアチェで設立されたことは、国軍にとってもう一つの大勝利であった。しかし彼らの要求はさらに深まり、軍事作戦に対して絶対的不処罰を求めるところにまで進んだ。国軍は犯罪容疑者としてではなく、アチェにおける法と秩序の「守護者」として立ち現れ、将軍たちは国軍をNKRI(インドネシア共和国の国家としての統一性)の維持を保証しうる唯一の勢力として規定するようになった。
 経済的観点から言えば、マルクとアチェでの紛争は軍と警察にとって豊かな収穫を生み出した。政府は国軍と国家警察の予算を寛大にも増加させ、議会は速やかにそれを承認した。軍と警察はそれぞれ一兆ルピア(一億千五百万USドル)の追加資金を手に入れた。それは、巨額の国内債務など、インドネシア経済に依然としてつきまとっている経済問題を考えれば、まさに大成果と言うべきものだった。アチェとマルクの二つの地域司令部は、現在三つの機能を持っている。軍事的機能、経済的機能、そして最後に(重要性の度合いが最後というわけではないが)経済的機能である。
 軍の資金調達は二五%と七五%に分割される、と言われている。二五%は国家予算から軍が受け取る額であり、七五%は軍が他の財源から見つけ出さなければならない額である。マルクやアチェといった紛争地域では、この数字はより極端になり、前者が一〇%、後者が九〇%になる。マルクとアチェの戦争経済は、非合法課税、強奪、女性の売買、買売春、賭博など広範な非合法活動をふくむ経済のあらゆる部門に、治安部隊士官たちを実際上巻き込むものになっている。この両地方において軍と警察は、非合法の木材伐採、漁業、ぜいたく品の国内への密輸などに首まで漬かっている。
 国軍はアチェで多くの課題を持っている。ジャカルタの軍首脳がGAMを一掃することを繰り返し約束する一方で、治安部隊の多くの部門が戦争経済から多くの利益を得ており、紛争をそのまま続けるのが彼らにとって利益であることは明らかである。アチェ問題は、メガワティ大統領までをふくむジャカルタの政治的エリートへの脅しでもある。彼らは手に入れることが可能なあらゆる人員、装備、カネが必要だと強調しつつ、自らは不処罰を享受し、人権侵害のかどで告発されることなく残虐行為に踏み出すことを認められているのだ。
(「インターナショナルビューポイント」02年11月号)。

●バリ島の爆弾事件:彼らが作りだした世界

 以下に掲載するのは、オーストラリアのアジア太平洋連帯行動(ASAP)が十月十二日深夜(現地時間)に起こったバリ島爆弾事件に関して発した声明の抜粋である。

 アジア太平洋連帯行動(ASAP)は、十月十三日にバリ島で起こり、少なくとも二百人にのぼるバリ、インドネシア、オーストラリア、そして世界中の人びとの生命を奪った残忍な爆弾事件を率直に非難する。これは、無防備な人びとに対する大量殺人行為だった。ASAPは、すべての殺され、傷ついた人びとの家族に同情と連帯を差し伸べる。
 またASAPはこうした事件が再び起こらないことを願う。しかしこうした暴力を終わらせることは、基本的に治安問題ではなく、政治的・社会的問題である。その解決策は、国家的弾圧の拡大を正当化する恐怖の気運を促すことにあるのではなく、根本的原因を指し示すことにある。政治における暴力の行使は、全世界の政府機構やエリートたちによって担われてきたのである。
 スハルトの「新秩序」体制は、インドネシアと東ティモールを支配するために数十年にわたってテロを行使してきた。この数十年間にわたって、オーストラリア政府は、労働党と自由党の双方ともに、このテロリスト体制を全面的に支持した。スハルトは、インドネシア軍と警察、そして非公式武装集団を使って、民主化運動や独立運動に対する殺人とテロの秘密作戦を行ってきた。
 国家、ならびにもともと国家が創設した集団の双方が遂行したテロは、西側が支援するスハルト体制の下でのインドネシアの政治生活の日常茶飯事となった。スハルトが弾圧のためろにテロを行使するただなかで、かつてジョン・ハワード豪首相はスハルトを「思いやりのある繊細な」指導者と呼んだことがある。
 いまや、オーストラリア人と他の外国人は、スハルト時代にバリ人をふくむ数十万人のインドネシア人の生命を奪ったのと同じ暴力の犠牲となった。西側と地域のエリートたちの特権と利害を主張し、防衛するための手段として国家暴力が行使し続けられる中で、この地域でこうした暴力が増加しているのである。オーストラリアをふくむ西側の承認の下で、殺人と拷問がアチェ、パプア、西パプアで続いている。
 これまたオーストラリアの承認の下で、インドネシアの全域で労働者、農民、学生の平和的抗議を弾圧するために暴力が行使されている。国家的弾圧の結果として、インドネシアでは多くの活動家がいまだに牢獄に囚われている。その中でオーストラリア政府は、ジャカルタの抑圧的機構との軍事的結びつきの拡大を示唆している。
 インドネシア、アチェ、パプアの人びとに対する国家的テロと、こうした国家的テロへの西側の支援が、不処罰のまま継続する中で、あらゆる種類のグループと個人によってあらゆる種類の暴力がもくろまれているかもしれないのである。一九九七年に始まり、いまではIMFの監視の下でのインドネシア社会・経済の略奪の加速化によって悪化している経済危機の結果として、インドネシアの社会は分解の過程にある。貧困、苦悩、不安定が増大するとともに、絶望、不満、不合理性とならんでエリートの間の陰謀や密計も増大する。
 これこそ、スハルトの「新秩序」が作りだし、とりわけ偽善者のジョン・ハワードを先頭にする政府をふくむオーストラリア政府によって護られ、正当化され、支援された社会なのである。この状況が変化した時にのみ暴力は終わりをつげるだろう。
(「インターナショナルビューポイント」02年11月号)


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