寄稿 南アジア社会フォーラムに参加して A
ダッカと大阪をつなぐ企画
寺本 勉(ATTAC関西グループ) |
SASFが
めざすもの
今回の南アジア社会フォーラム(SASF)が掲げているテーマは、「南アジアにおける社会的変革のための民主主義・参加、平等、公正、平和」である。そのメインテーマのもとに、以下のサブテーマが示されている。参加型民主主義、責任のある政治、ジェンダーとセクシュアリティー、原理主義と紛争と社会的平和、食糧主権と生命の安全、公共サービス、グローバリゼーション・公正・発展、地域の問題と国際的な問題、メディアと文化的ヘゲモニーの九つである。
そして、一一月一八日にオープニングマーチと開会セレモニー(前号既報)、一九日から二二日までの四日間、午前一〇時から午後五時までを三つのスロットに分け、それぞれの時間帯でカンファレンス、セミナー、ワークショップなどが開かれる。組織委員会が主催するプレナリー・セッション(全体会)も一二のテーマで行われた。二二日には閉会セレモニーも開かれた。
これ以外にも、各団体のブース展示、文化フェスティバル、青年フォーラム、映画上映、エクステンディッド企画など多彩なメニューが用意されている。私がSASFに参加した目的の一つは、エクステンディッド企画として、大阪―ダッカをインターネットで結んだセッションを準備・進行させることだった。
参加団体を見てみると、圧倒的に地元バングラデシュのNGOが多いが、インド、ネパールからの参加も目立つ。ネパールからは二〇〇人以上が来ているとのことだった。パキスタンからは、本紙でもおなじみのファルーク・タリクも参加していた。その他、ヨーロッパ、中東、アフリカ、フィリピンなどからも参加者があった。東アジアからの参加は、香港のAMRCくらいで、あとはインド在住の台湾出身者を数人見かけただけだった。
2日目のダッ
カあれこれ
ダッカ二日目、飛行機の中で眠れなかった反動か、朝までぐっすりだった。寝るときに、密かに持ち込んだ黒糖焼酎を、部屋の冷蔵庫のコーラで割って飲んだのが効いたのかもしれない。ちなみに、バングラデシュはムスリムが九割を占め、酒は売られていない。ただ、高級ホテルや外国人向けのレストランなどでは飲酒可能で、ビールも国内で製造されているとのことだが、私は見かけなかった。
八時過ぎに、遅い朝食をホテルのレストランで食べた。バイキング形式で、トーストや果物、飲み物以外は、焼き飯、八宝菜(夕食の時よりスパイスが効いていたが)、カレー、ナンから選ぶ。朝食のメニューは、日によって違っていたが、カレーとナンだけは必ずあって、カレーも種類が違うものが供される。このあたりは、さすが結構な宿泊料金を払っているだけあって、以前パキスタン・カラチの安宿が朝食はカレーオンリー、遅く行くと残っていないこともあったのとは違っていた。
プレフォーラムに向けて必要な連絡をすませた後(こういう時は本当に、現地の携帯は必需品である)、CNGでダッカ大学TSCに向かう。テント張りの登録センターには、沢山の人々が詰めかけ、登録カードの記入、登録料の支払いをしていた。日本からの参加ということで、登録料は七〇〇タカ(一〇ドル)だった。その領収書を渡すと、SASFのバッグがもらえる。しかし、プログラムは配布されず、受付のところに張られた当日の、しかもスロット1(一〇時から午後一時までの時間帯)のイベントだけが記載されたペーパーを見るしかない。
あらかじめネットで出ていたプログラムには、イベントの会場は記載されていなかったので、とりあえずはこれが会場を探す唯一の手がかりということになる。あとで気がついたのだが、さすがに一九日にはウエブサイトでは情報が更新されていて、各イベントの会場が示されていた。また、翌日にはスケジュールを詳しく記してあるリーフレットも配布されていた。
私たちのエクステンディッド企画は、スロット3(午後三時から五時)に行われるため、これでは場所がわからないので、ラフールさんに電話して、リキシャーの運転手に指示してもらう。リキシャーには初めて乗ったが、運転手は常にペダルを漕いでいる訳ではなく、時には慣性で走ったりしていた。
ダッカ大学の
キャンパスで
エクステンディッド企画の会場は、ダッカ大学農学部の構内にあった。構内に入ると、実験用植物の栽培園や図書館もある。入り口近くの校舎の一階が用意された会場だった。四〇脚くらいのイスが並んだ教室に、スクリーンが張られ、ノートパソコンが何台か置かれている。インターネットへの接続は、高速のWI―FI環境が整っていて、私のパソコンでも快適に接続できた。ピエールさんら現地のスタッフによって準備が進められていたが、テクニカルな問題で何回か大阪のスタッフと連絡をとる必要が生じたりして、この種のイベントの難しさを痛感した。
バングラデシュ側の発言者が来るまでに少し時間があったので、大学周辺を歩いてみる。ダッカ大学はダッカ市内の中心からやや西側に位置していて、広大なキャンパスが拡がっている。ただ、大学のキャンパスが一つにつながっている訳ではなく、各学部のキャンパスの間を道路が走っていて、それぞれが独立した形になっている。農学部キャンパスの向かいは物理や化学系統の学部のキャンパスで、植民地時代に建てられたカーゾンホールという重厚な西洋様式の建物が教室に使われていた。道路を隔てた別のキャンパスには、サッカーグランドと飛び込み台付きのプールがあり、プールでは学生が遊泳していた。
学生たちの服装を見ると、男子学生はほとんどがシャツにズボン、女子学生はほとんどがサロワ・カミューズ(サロワがゆったりとしたズボン、カミューズが膝下のワンピースのようなもの、オロナと呼ばれる布で胸を隠し、背中に垂らす)を着ている人が多く、Gパン姿の学生はほとんど見かけなかった。しかし、ベールを着けている人は少なく、ラフールさんに尋ねると、イスラムの規律がそれほど厳格でなく、それぞれ好みの服を着ている。
SASFは、このダッカ大学のいくつかのキャンパスが会場になっていて、移動が結構大変だった。結局はリキシャーに乗って移動することになる。今回はダッカ大学が共同主催者として、施設を提供していたようだ。
物売りの姿が
少ないわけは
近くの交差点は、バングラデシュでは「サークル」と呼ばれるロータリー形式になっている。かつてイギリスの植民地だった地域では一般的に見られる交差点だが、交通量が多いととたんに渋滞の原因になってしまう。この交差点の一角では、アクセサリー、花などを売っている店が軒を並べていた。
アジアの街角では、交差点には何やかやと物売りが集まってきて、停車中の車に売りつけようとするのだが、ダッカではそういう物売りの姿が最初のうちは目立たなかった。その原因は、交差点に信号がほとんどないため、ラッシュ時には警官が交通整理していても、無秩序に車やCNG、バスなどが突っ込んでくるからだと思う。つまり、物売りなどしようものなら、轢かれてしまうか、罵声とクラクションを浴びせられるかのどちらかになるからだろう。それでは、物売りがいないのかというと、そんなことはなく、信号のあるグルシャン1サークルの手前では、やはり風船を売っている少女やCDを売り歩く少年、子どもを連れて物乞いする老人の姿が見られた。
大学の周辺には、リキシャーがやたらと多い。オートバイが何十台と歩道に停められている場所もあった。屋台の店が集中している一角もある。屋台では、チャイやバナナ(一本から購入可能)、パンなどを売っていて、学生や近くの労働者の昼食場所になっているようだった。私もそこでミネラルウオーターを買う。スモールサイズが一本一五タカだった。
労働組合リー
ダーとの討論
午後一時頃に、会場に発言者が集まってきた。この日は四人の衣料労働組合リーダーに発言をお願いしていた。それ以外にも、労働組合やNGOのメンバー、通訳してくれるボランティアも来てくれている。
午後三時からのインターネットでつなぐ交流まで時間があったので、ピエールさんの発案でオープントークを行うことにした。まず、自己紹介からはじめ、発言者のナズマ・アクテルさん(Awaj財団代表、統一衣料労働者連盟委員長)、シラジュル・イスラム・ロニーさん(バングラデシュ全国労働者従業員同盟委員長)、シャラウディン・シャポンさん(バングラデシュ革命的衣料労働者連盟委員長)、デロワール・フセインさん(全国衣料労働者・従業員連盟委員長、バングラデシュ衣料労働者統一評議会委員長)が自分の活動歴などを話した。
私からは、日本の繊維産業がかつて女性労働者を過酷な労働に就かせていたこと、第二次大戦後に女性繊維労働者の大きな闘いがあったこと、高度成長が終わってから日本国内の工場をアジア各国、はじめは韓国、そして中国、いまではベトナムやバングラデシュに移転させたこと、かつて日本の戦闘的労働運動は、日本企業の子会社が韓国の繊維労働者を解雇した際に親会社に対して、解雇撤回の戦いを展開したことなどを説明した。また、バングラデシュ労働者との連帯行動はまだ未経験であり、このセッションがその第一歩となることを願っていると話した。
バングラデシュの衣料労働者の組合は百数十あって、ゆるやかに連合体を作っているそうで、労働者に不利な労働法の規制のため、労働組合への組織化は容易ではないとのこと。
バングラデシュの企業に生産を委託している欧米や日本の企業は、製品を安く売るために、労働者の賃金を生活賃金以下に押さえ込んでいる。女性労働者の出産・育児を保障する制度や施設も設けられていない。労働災害に対する補償もほとんどない。
日本の労働者に望むこととしては、企業が適正な価格で衣料製品を買い取るように圧力をかけて欲しいこと、および現地の企業が生活賃金や適正な労働条件、厚生施設をきちんと保障するように、日本企業に監視させて欲しいことを挙げていた。
ネットで大阪と結ぶセッション
この後、いよいよ大阪とインターネットでつないだセッションの開始だ。しかし、直前まで、どのパソコンでスカイプ中継をおこない、どのパソコンでユーストリーム中継を行うのか、はっきりしていなかったため、こちら側の準備がバタバタしてしまった。
結局、一台しかないウエブカメラはユーストリーム中継に使うことになったため、スカイプでのやり取りはパソコンの内蔵カメラと内蔵マイクで行うことになった。最初は、私が前日のオープニングマーチで撮影した画像(一部動画あり)を私のパソコンでスライドショーにして、それをスカイプ中継しているパソコンの内蔵カメラにかざして見せるという「離れ業(?)」で、現地のデモの様子を伝えた。時間が足りず、途中でカットせざるを得なかった。
その後、参加者を紹介し、ナズマさんのお話、日本、バングラデシュ双方からの質問に対する質疑応答、最後にバングラデシュの参加者からのコメントをもらい、何とか予定通りにセッションを終えることができた。プレフォーラムの様子は、「かけはし」紙上で紹介されるようなので、そちらに譲りたい(別掲)。
終わってからピエールさんから、次のおおさか社会フォーラムではもっと充実したエクステンディド企画を考えて欲しいとの注文を受けた。今回のセッションでは、スカイプのチャットルームをつかって、ボランティアがベンガル語で通訳していたそうで、そういう工夫をして欲しいとのことだった。
セッションの進行役という役割をいつの間にか振られていたので、進行に気を使ったのはもちろんのこと、スカイプ接続しているパソコンを発言者の前に運んだりして、ちょっと疲れてしまった。夜には文化イベントも用意されていて、興味はあったのだが、ホテルに帰ってゆっくりしようという誘惑には勝てなかった。 (つづく)
おおさか社会フォーラム2012に向けて
バングラデシュ現地の声と
結んでプレフォーラム開催
【大阪】二〇一二年九月一五〜一六日に予定されているおおさか社会フォーラム2012のプレフォーラムの第一回目が、一一月一九日エルおおさかで開かれた。
第一部は映画「ガーメント・ガールズ」の上映と小吹岳志さんの話。
衣料工場の
女子労働者
映画『バングラデシュの衣料工場で働く女子工員たち』は、〇七年にバングラデシュを代表する映画監督ダンビール・モカメルによるドキュメンタリーである。
一七、八世紀にベンガルでは衣料産業が盛んだった。バングラデシュはGパンやTシャツでは世界に名だたる輸出国であり、輸出所得の八割近くを衣料産業が占める。現在二五〇から三〇〇万人を雇用し、その八五%が女性だ。
田舎では仕事がないのでダッカに出てきて、衣料工場で働く少女たち。彼女たちが学校に通ったのは小学校六年までだ。一カ月の賃金は二五ドルで、労働時間は一日一二時間から一六時間にもなるという。
彼女たちは二から三カ月に一度一五ドルぐらいの仕送りをする。三年から四年、長いときは七年ぐらい働いて田舎に帰っていく。年金や退職金はない。
ある少女は機械に挟まれる事故で手の指を二本なくしたと、一見屈託なく笑った。この国では児童労働が公然と行われていたが、九五年に法律上は禁止された。でも今もなくなったわけではない。
生産されたGパンやTシャツの五四%がヨーロッパに輸出されている。バングラデシュ製のTシャツが、ニューヨークやロンドンで一着一〇〇ドル、一五ポンドで売られている。それをきている若者はそのシャツがまさか一ドルで生産者から買い上げられているとは知らない。生産者は大量発注を受けて二週間で短期納品しなければならない。工場法や労働法は存在するが、それはなかなか守られていない。だから、女子工員たちは非常に厳しい労働環境の中に置かれていて、飲料水もきちんと飲んでいないものが多く、結核や血尿症に罹るものも少なくない。
最低価格保障と
労働条件遵守を
賃金や保健・安全面での労働者の不満は絶えず、暴動となって爆発したこともあった。最近は、衣料工場で発生した火災や建物の崩壊事故でたくさんの死者がでた。その数は三〇〇〇人にのぼっている。
一〇年一二月にもダッカ近郊の一二階建ての衣料工場で火災が発生し、二五人の死者が出た。小売り大手のウォルマート(米)やアパレルブランド・H&M(スウェーデン)、米のジーンズメーカー・リーバイストラウス向けの下請け工場が四五〇〇もあるといわれる。ここで働く労働者が、一〇年一二月最低賃金さえ守られないと大規模な抗議デモを行った。数千人が暴徒化し工場を襲撃、警察が発砲するなどの弾圧をした。政府は最低賃金を月給で二〇〇〇円から三六〇〇円(円換算)に引き上げたが、この決定を雇用主が守らないとして行われた抗議行動であったという。
外国のバイヤーたちが工場に来るときは、雇用者は労働者にきれいな恰好をさせるが、帰ってしまうと元に戻す。バイヤーたちは、下請け工場が法律を守っていると「思って」いる。でも、実態はまったく違う。バングラデシュで衣料産業が将来に向けて持続可能な産業として、国際貿易の新しい規範に耐えうる産業として発展していくためには、企業が社会的遵守の規定を守ること、そのためにバイヤーが社会的な責任を果たすこと、小売業者には倫理的貿易の実践が求められている。
映画の後、小吹岳志さん(フェアトレード・サマサマ、オイコクレジット・ジャパン事務局長)が関連する話をした。
フェアトレード
拡大をめざして
フェアトレードには、@商品の個別認定をしているフェアトレード・ラベル A事業全体を認定している世界フェアトレード機構 BNGOの三つの形態がある。フェアトレードは援助ではなくビジネスだ。フェアトレード・ラベルでコーヒーを例にとっていうと、価格は先物市場で決められる。一キロ当たり二六ドル一四セントで、生産者に払われるのは一四セント。一%にも満たない。フェアトレードでは、消費者にわたるまでの中間の過程をできるだけ少なくし、生産者にできるだけ多く、一〇から一五%ぐらい還元する。
残念ながら、児童労働はなくなっていない。児童労働の六四%は一四歳以下の子どもだ。世界ではさまざまな形の児童労働がある。人口にして二億一五〇〇万人だ。フェアトレードでは児童労働廃止が契約の条件になっている。
フェアトレードは、英国やドイツなど西欧ではかなり広がっている。日本では、イオングループや無印などが始めているが、フェアトレードのコーヒーが陳列されていても、どれがそうなのかよく見ないとわからない。商品は、カカオ、バナナ、アイスクリーム、ジャム、大豆、切り花、衣料などがあるが、日本では認知されていない。欧米の一四%ぐらいだ。今年六月日本で初めて熊本市がフェアトレードシティになった。
ファーストフッション界では、発注が膨大で、納期が短いから、コスト削減のため賃金が安い。ユニクロなどは、自身の現地工場に飛び入り調査をして、ネットでその結果を公表しているが、契約条件(労働条件を含む)を守っていないところが多い。ネスレ、ウォルマート、GAP、リーバイスなどの大規模バイヤーが、きちんと最低価格保障をし、労働者の権利保障をきちんとすることが必要だ。
インターネット
で同時討論成功
南アジア社会フォーラム(ダッカ)と大阪の会場との間で、テレビ討論が行われた。
ダッカ側参加者は、寺本さん(ATTAC関西)、ナズマ・アクテルさん(統一衣料労働者連盟委員長)、シラジュル・イスラム・ロニーさん(バングラディシュ全国労働者従業員同盟委員長)、シャラウディン・シャポンさん(バングラディシュ革命的衣料労働者連合委員長)、デロワール・フセインさん(全国衣料労働者・従業員連合委員長)。
最初、ナズマさんが、映画に出てきたような女子工員の状況を報告し、企業は儲けているが労働者は貧しく、抵抗すると弾圧される、進出企業が現地労働者の権利を守るようにしてほしいと要望した。
大阪からの質問に応え、@六人以上でないと組合結成できず、結成時に当局に名簿提出の義務があり、切り崩しに遭うA正規・非正規を問わず、仕事がないときは賃金はないB労働法は守られない、等の回答があった。日本の労働者はどのような支援をしてくれるのかとの問いに対し、フェアトレードのことや現地工場が労働条件等の契約を守るように日本企業に要求していく等の答えがあった。
(T・T)
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