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    かけはし2011.11.14号

違法な情報収集・監視を繰り返す活動実態を分析

パキスタン

労働運動指導者に490年の投獄判決

ファルーク・タリク

 政治が極度に不安定化しているパキスタンでは、労働運動に対する弾圧も激しさを増し、多くの労働者が逮捕されたり起訴されたりしている。弾圧に反テロ法が使われる事例も出始めた。以下では、この法による不当な厳罰宣告に対する抗議を呼びかけている。(「かけはし」編集部)

反テロ法廷の裁
判官による弾圧


 一一月一日、ファイサラバードの六人の労働運動指導者に対する合計四九〇年の投獄判決に反対し、パキスタン労働党はラホールで抗議のデモと集会を行った。六人は平均すれば一人あたり八一年もの獄中生活を送ることになる。
 反テロ法廷の裁判官は、昨夜(一〇月三一日)、二〇一〇年七月に賃上げを要求してファイサラバードでストライキを指導した動力織機労働者の指導者たち(本紙昨年八月二日号参照)に長期刑を宣告した。一つの事件に対する最長の判決は一〇年である。すべての事件についての投獄期間は同時に始まるので一人一人の労働運動指導者は少なくとも一〇年の獄中生活を送ることになる(訳注:八つの事案でそれぞれ一〇年の判決が出れば刑期の合計は八〇年になるが、それぞれの刑期の執行は同時になされるので、実際に獄中にいる期間は一〇年ということになる)。
 反テロ法廷の裁判官ミアン・ムハンマド・アンワルナジルは、六人の労働者カウミ運動(LQM)の指導者(アクバル・アリ・カンボフ、ババル・シャフィク・ランダワ、ファザル・エラヒ、ラナ・リワズ・アフメド、ムハンマド・アスラム・マリク、アスガル・アリ)に判決を言い渡した。

警察、経営者結
託の暴力は容認


 彼らのうち四人は、動力織機労働者が政府の発表に従って一七%の賃上げを求めて呼びかけたストライキの後、ファイサラバード警察によって二〇一〇年七月二二日に逮捕された。他の二人の指導者は四カ月後に同一の容疑で逮捕された。
 彼らはストライキ中に工場に放火したと告訴されている。これは全くのでっち上げである。
 事実はこうだ。ストライキの当日である二〇一〇年七月二〇日、テクリ・ワラの工場主は、賃上げを求めて工場を離れた労働者たちに発砲を開始した。工場主のお雇いのゴロツキ暴力団が発砲した音を聞いた労働者の一部は、果敢にも工場内に入り暴力団が発砲するのを止めさせた。
 労働者たちが大集会に参加するために市内に出かけた後で、この工場主は古着の一部を燃やし、工場の一室に放火する陰謀を企て、労働者が工場に放火したと見せかけた。裁判の中で労働者たちの弁護士は、もし工場が放火されたのだとしたらなぜ二日後に工場機能が復活したのかという問題を提起した。
 ファイサラバード地方の一〇万人以上の動力織機労働者は、二〇一〇―一一年度予算の提示において政府が発表した賃上げ方針に基づく賃上げを求め、二〇一〇年七月二〇日にストライキを行った。政府は、民間部門の労働者の最低賃金を一七%引き上げると発表していたのである。ファイサラバード、ジャンなどの地域の動力織機労働者の組織である労働者カウミ運動(LQM)は賃上げを求めて動力織機工場主たちと三週間にわたる交渉を行った。
 地域の警察は、労働者の指導者たちに対し、ストライキの日の夕刻に交渉のため警察署に来るよう求めた。四人の指導者はテクリ・ワラの警察署に出向き、そこで逮捕された。当初彼らは、反テロ法がらみで告訴されていたわけではなかった。彼らに反テロ法が適用されたのは、数週間後に経営者たちが運動をつぶすために全面的な攻撃に打って出てからだった。
 ストライキの間、労働者たちは平和的だったが、工場主とその手下ども、そして警察はストライキ労働者たちに対して一貫して暴力的だったと報じられている。工場主とその手下は、労働者の平和的行進に対して一方の側から石やレンガを投げつけるという暴行を働き、警察は別の側から催涙ガス弾を使用した。重傷を負ったLQMファイサラバード委員長のタヒル・ラナをふくむ二五人の労働者が負傷した。
 その日、約一〇〇人の労働者が逮捕された。活字・電子メディアは、警察が大衆集会を禁止したにもかかわらずファイサラバードのさまざまな地区から集まった数千人の労働者がデモ行進を行ったと報じた。

狙いは高揚進む
労働運動の破壊


 労働者カウミ運動の指導者たちはパキスタン労働党(LPP)の党員である。二〇一〇年一月、同市で行われたLPP第五回大会の前夜、彼らはファイサラバードの著名なドーブ・ガットで大衆的な労働者農民集会を組織した。この大衆集会には一万人以上が参加した。
 この年の四月、LQM議長はパンジャブ州議会補欠選挙に立候補し、約九%を得票するというかなりの成績を収めた。これらすべてはPMLN(パキスタン・イスラム教徒連盟ナワズ・シャリフ派――最大の政権野党でパンジャブ州政府与党)やラナ・サナ・ウッラー・カーン法相には受け入れられることではなかった。彼らは運動の弾圧を先に進めることを決めた。
 スダールはファイサラバードの郊外に位置し、多くの動力織機工場がある。ここは多くの労働者の組織化が効果的に進んでいる地域であり、三年間にわたって労働者と工場主の間の闘争が繰り広げられてきた。
 昨年、州政府首相ミアン・シェフバズ・シャリフによってアフタブ・チーマとナシム・サディクがファイサラバードの情報顧問に任命されたことは、主要には高揚する労働者運動を統制するためだった。この二人の高官は的確な工作を行い、運動を鎮静化しようと試み、LQM指導部に逮捕された労働者の事件の再調査を約束した。しかしその約束は履行されなかった。彼らはそれどころか労働者に敵対する行為を行っている動力織機工場主たちを支持した。
 今やファイサラバードのPMLN指導部が、警察や司法とともに労働運動をつぶすために全力をあげていることは明らかだ。パキスタンの歴史において、労働運動の指導者が自ら関わっていない事件のために、これほど厳しい判決を受けたことはかつてなかった。ここパキスタンにおいて、労働運動経験者の誰もがこうした厳しい長期投獄判決に衝撃を受けている。
 パンジャブ州において反テロ法は、しばしば産業労働者の抗議行動に敵対して使われている。パンジャブ州では一三人以上の労働組合指導者がこうした告訴に直面している。彼らの本当の罪名は、よりよい生活のために闘い、賃金引き上げを求めたことにある。パンジャブ州政府は、工場において工場主の権威に挑戦しているあらゆる労働組合運動をつぶすために全力をあげている。こうした事件において警察がきわめて多くの場合に使われている。
 ファイサラバードの労働者たちはパンジャブ州政府によって選別的に弾圧されている。なぜならかれらが政治的であり、かれらがパキスタン労働党の党員だからである。われわれは屈しない。
 今日、私は最高裁弁護士協会前議長のアスマ・ジェハンギールと話をした。彼女はラホール高等裁判所で保釈をかちとるためにこの件を取り上げ、調査することを約束した。彼女は二〇一一年三月一日に行われた四人の労働運動指導者の釈放を求める抗議集会に参加した。彼女はこのニュースを聞いて衝撃を受けてもいた。
 われわれ四人はLQMの会合に参加し、将来の行動路線の骨子を決めるために明日ファイサラバードに向かう。
 皆さんのいる所で抗議を行ってほしい。皆さんの組織でこの件を取り上げ、この投獄判決を非難する決議を上げ、新聞にプレスリリースを行ってほしい。
二〇一一年一一月一日

▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党全国スポークスパーソン
(「インターナショナルビューポイント」二〇一一年一一月号)

バスク

ETAが決断した武装闘争
の最終的中止に関する声明


反資本主義左翼(IA)


 ETA(バスク祖国と自由)の武装活動中止声明は、バスク国の正当な民族的諸権利のための闘いが新しい段階を切り開く支えとなる、まさしく吉報である。
 メデイアその他が何を言おうとも、この決定によってETAは、アレテで開催された最近の国際会議の焦点となったように、バスクとスペイン社会全体に広がった暴力の終焉を求める怒号に、明瞭な形で応えたのである。
 この決定をもたらしたさまざまな要因の解釈について現在起きているメディアの対立以上に重要なことは、バスク紛争の対話による非暴力的な解決を軸にして中心的討論が展開されるべき新たな時代を、それがスタートさせたということなのだ。長い歴史を持つこの紛争は、神話化されたスペインの政治的移行期の中では民主的に解決されなかったが、いまや言い訳することなく、バスク民衆が自らの将来を決定する権利を承認する協定にすべての政党が合意に達するという政治的意思をもって取り扱われなければならない。
 このプロセスの中で、バスクの囚人のバスク国への帰還、「パロ・ドクトリン」(訳注:二〇〇六年にETAの政治囚アンリ・ぺロに適用された、再犯者に法律で定められたよりも長期刑を科す判例)の撤回、あるいは無制限の恩赦の適用とともに、現在憲法裁判所によってペンディングになっているバスクの新しい左翼政党Sortuの合法化などの要求を認めるよう回答することも必要である。
 さらに非常事態法廷である中央刑事裁判所の裁量による独断的判決は、バスク民族主義左翼の別の組織につながっている人々が、そのためにETAに属しているとの虚偽の告発を受けた例が多くあることを意味している。「エクンカリア」(バスク語の日刊紙、二〇〇三年ETAとの関連を理由に発禁処分)「ウダルビッツァ」(ETAとの関連を疑われた協会)などの免訴となったケースをも考慮に入れた判決の変更が行われるべきである。最も基本的な法的保障をも侵害した「反テロ」政策の見直しは、ETAに暴力を放棄する圧力をかける上で中心的役割を果たしたものの現在もなお獄中にいるオテギやディエス・ウサビアガといった人々への赦免など、国家による寛大な行為につながるべきである。
 この新しい政治的局面は、バスクのラディカル左派のすべての構成要素と、排他的なスペイン民族主義や深い危機に陥っている体制に対してラディカルな民主主義的構想や多国籍的で反資本主義的な戦線を提起するための共通の闘いの中で、スペイン国家全体の規模で再建を進めている左翼との、新しい連携を確立する新たな局面をも切り開いている。
 社会的動員、現に機能する制度的アクションを通じた行動のより大きな統一は、バスク国のみならずスペイン国家全体のレベルでも、過渡的局面を突破する新しい希望の生成への支えとなるだろう。

二〇一一年一〇月二一日

▼反資本主義左翼(IA)はスペインの第四インター支持者が参加するラディカル左翼組織
(「インターナショナルビューポイント」一一年一〇月号)

コラム

夢の南極

 三年ほど前になるだろうか。仕事の都合で都内の有明にある国際展示場に行くことになり、その帰りの足で海の科学館に停泊している南極観測船「宗谷」を見に行くことにした。宗谷は並列する青函連絡船「羊蹄丸」と比較しても、予想していた以上に小さい船だった。
 平日だったということもあって、訪れる人はほとんどなく、入場料を払って船内をゆっくりと見学することができた。小さな食堂に小さな部屋。それはいま、テレビドラマで放映されている「南極大陸」で描かれている空間よりもはるかに狭い。この狭くて小さい船に大量の物資と五三人の隊員、七七人の乗組員、そして一五頭のカラフト犬を乗せて八〇余日も航海をしたのだ。それがどれほどの苦痛をともなうものだったのか想像がつく。
 時折、船は波止場に打ち寄せる波でゆるやかに揺れる。船内には映像が見られるコーナーも設けられており、第一次隊の様子なども知ることができる。南極観測隊員になりたかった私の少年時代の夢を懐かしみながらの宗谷訪問だった。
 私は中学二年の時に、ノルウェーのアムンゼン隊とイギリスのスコット隊による南極点到達をかけた探検物語を読んだ。犬ゾリを使ったノルウェー隊に敗れたスコット隊は帰路で遭難し、極点アタック部隊は全滅する。
 この探検物語は、当時の私を夢中にさせた。しかし田舎町の本屋や図書館には、南極関連の書籍は皆無であった。そんななか、本屋でどうにか見つけたのが岩波新書の『南極越冬記』だった。著者の西堀栄三郎は第一次越冬隊長であり、また登山家としても名の通った人物だ。その後、東京の出版社から何冊か南極本を取り寄せて読んだ。
 こうして中学二年の私は「南極観測隊員になる」という夢をもつことになった。できれば地球物理学の道に進み、悪くても調理人、それもだめなら基地の建設作業員としてでも隊にもぐり込みたいとも考えた。この私の夢は、あるテレビ番組を見てしまう高校二年の時まで続いた。
 当時、日曜日の昼前にパンアメリカン航空の提供で放送されていた「兼高かおる世界の旅」という番組を覚えているだろうか。そこでアルゼンチンかチリの軍の輸送機を使った南極観光の現実を眼にしてしまったのだ。南氷洋の荒波にもまれて、何日もかけての南極旅行ならまだしも、飛行機でひとっ飛びというのはいただけない。おまけに、観光客が出したゴミの後始末が問題になっているというのだ。
 テレビの映像のなかには、もうアムンゼンやスコットの南極も、西堀栄三郎の南極もなかった。少年が心のなかで描いた夢の南極は、こうしてあっけなく崩れ去っていった。
(星)


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