アラブの春の先頭を切ったチュニジアでは制憲議会選挙が大衆的な参加の下に成功し、新しい政治的局面が始まった。穏健イスラム政党が第一党となったことを含め、マスメディアはもっぱら、「イスラム化」の行方に神経をとがらせている。しかし、チュニジア社会で現実に進行しているものは、社会的公正と人間の尊厳をめぐる厳しい階級闘争の進行である。以下はそれを生々しく伝えている。(「かけはし」編集部)
労働者左翼同盟は革命の進行の中で形成されたチュニジアの反資本主義組織である。以下に紹介するものは、二〇一一年七月二二日にイタリアの反資本主義組織であるシニストラ・クリティカによってジェノバで組織された公開集会において、労働者左翼同盟の代表が行った報告。この集会は、二〇〇一年当市で行われたG8サミットに反対する大デモの一〇周年を記念して行われた。(『インターナショナルビューポイント』編集部)
闘いの対象は抽
象的ではない自由
二〇一一年七月一五日チュニスで、「カスバ3」におけるある企画が警察と軍によって暴力的に中止させられた(注一)。しかし、これらすべての若者たち、女性、失業者、労働者、不安定労働者は何を望んだのだろうか。「民主主義? かれらはそれをもっていた。独裁者は倒れ、裁判にすらかけられている。今彼らが望むものは何か」。これは、シジブジドにおける一人の青年の死の後で、その週の初めに、全国テレビでチュニジア首相が持ち出した疑問だ。この青年は、デモの後に警察によって殺害された。
彼は極めて高齢だとはいえ、彼が理解していないとは思えない――私はむしろ、彼は理解したくないのだと考えている。これと同種の主張は移民に関連してここヨーロッパでも聞こえる。「ここイタリアやフランスで彼らは何を望むのか。彼らには今や自由がある」と。このように地中海両岸のブルジョアジーは、社会的公正のない自由は自由ではない、そして、社会階級が存在する限り彼らの民主主義は住民の大多数にとっては常に観念的でしかない、という現実を理解することを望んでいない。まったくのところ、シジブジドでの最初のデモの日である昨年の一二月一七日以来、そして今日まで、デモに立ち上がった民衆の唇には常に一つのスローガンがあった――「仕事、自由、そして尊厳」と。
チュニジアにおける革命の歩みを理解するためには、現に進行中のすべての社会闘争を振り返ることが必要だ。一月以来毎日、いくつものストライキ、決起、座り込み、農地の再収用がある。毎日、諸個人からなるグループが政府の一つの省、市庁舎、企業の前で、あるいは村の広場や都市の街路その他でデモをしている。勝利と前線が明確となる限り、要求と主張が積み上げられ続けている。人はそのように言うことができるだろう。
チュニジアで革命的であるものは、ベンアリの打倒や二、三の個人の自由が獲得されたということではなく、むしろ力関係の変化ということだ。今日、チュニジアのブルジョアジーは、譲歩することを、そしてそうすればするほど労働者階級がより多くを彼らに要求することを恐れている。首長に対する全般的な反乱の時代以来過去一六三年、生産関係における彼らの地位に一度として疑問をもったことのないチュニジア人口の諸階層が蜂起した。そして彼らが正当だと考えるものを獲得した。チュニジアのもっとも遠くにある大草原の小農民、ゴミ収集人、主婦、建設労働者、卸売市場の荷物運び、銀行従業員、さらに下級警官にいたるまで、すべてが組織し続けている。
資本主義の危機という現在の背景の中で、チュニジアの労働者はこれまで、雇用の権利、賃上げ、郵便と給水事業における私有化進行の停止、過去に犠牲になった労組活動家の再雇用、建設部門における団体協約の創出……を獲得した。勝利の目録は長い。しかしながら闘いは加速し続けている。この過程で賭けられているものは、対価がどうであれ一つの仕事を何とか努力して得たという事実だけではなく、仕事があること、くらしの尊厳ある条件の下でそうであること、そのために権力を得ることでもある。ここでの憤りは、まさに抽象的観念や形而上的概念ではなく、富のよりよい配分を求める社会のまた労働組合の要求を表すものだ。 何を基礎に宗教
的要素と闘うか
これらの要求に向き合うことに無能な政権とその母体であるブルジョアジーは、論争を政治――メディアの分野にずらした。こうしてテレビはもっぱら、選挙、憲法制定議会、国際経済危機(まさにチュニジア経済のことではなく)、連合や政党についてだけ語っている。
その間この政権は、極左諸党に加えて諸労組とその連合体であるUGTT(チュニジア労組総連合)双方を、国民経済を故意に破壊しているとして、また無責任であるとして非難している。その報道機関を通して政権が流し始めた後者の流言は、左翼が権力を握れば、食品雑貨商や小規模職人すべてはその商売を失うだろう、と主張するものだった。同時にこれらの同じ報道機関は、イスラム勢力の危険を誇張し、この国を中世に投げ入れるとして、宗教的原理主義の脅威を振りかざしている。
このイスラムの問題はまさに実体のあるものだ。しかしそれは複雑である。今日左翼の側では、その問題をめぐって二つの陣営への分極化がある。第一のものは自身を穏健派と呼び、現在の経済的、社会的選択への挑戦を犠牲にした原理主義に反対する闘争に向けその主張を築き上げ、社会民主主義の枠組みの中に自身を位置づけている。
他方の側、極左――先の脅威を否定しているわけではなく、それとは逆に労働組合や大学の中で闘っている――は、その問題を今日の闘争の最優先課題とは考えていない。この左翼にとって宗教的要素との闘いは、以下のものを手段としてのみはじめて可能となる。その手段とは、富のよりよい配分、堅実な社会保障、そして何よりも、警察や裁判制度、また閣僚、メディア、文化などそれが何であれ、旧体制勢力の一掃だ。私企業部門、公共部門、あるいは芸術や経済部門における労働者と不安定就労労働者の提携の拡大に、また労働組合組織に、労働者左翼同盟が固く信を寄せる理由がそこにある。 今こそ南北を貫
く共通の戦線を チュニジアの政権は昨日と同じく今日も、西側の大国の後援と協力がなければ、存続できず抑圧も不可能だ。ここで私は、南北関係の二つの基本要素に触れたいと思う。
▼第一は経済的取引。ベンアリが国を去ってから三日後にベネトンは、チュニジアにある彼らの工場を閉鎖することになるだろうと公表した。次いで、ベンアリやトラベルシの一族との深く入り組んだ結びつきで知られた他の大資本グループがそれに追随した。ベネトンがなくなることで気を落とす者はチュニジアのブルジョアジーではなく、サヘルにあるその工場に雇用されていた三〇〇〇人の人びとと、独裁下と同じ労働条件を受け容れ続けさせるため彼らが怯えさせようとしている他の労働者だ。というのも近年、政権との共謀――特別の課税取り決め、特権を供与される分野、集団的労働協約の免除、またどのような決起をも弾圧可能な彼らの言いなりになる警察力など、これらに関する共謀――のおかげで、数多くの多国籍企業が彼らの事業をチュニジアに興してきたからだ。
グローバリゼーションと呼ばれるものがそれだ! そしてこのグローバリゼーションは、外国の諸政権、特にフランスとイタリアの政府の共謀があってこそ唯一可能となってきた。実際、フランスの諸声明と過去二〇年のイタリアの諸政策はそれをわれわれに十分語っている。そしてそれは、たとえばイタリア外相が進行中の投資計画について、完了段階にある計画についてすら止めるとの脅迫を実行している今日でもなお明白だ。それはまるで、聞きわけのない生徒に罰を与えているかのようだ。
▼しかし、地中海の二つの銀行間の関係は、商品交易と経済関係で終わるわけではない。そこには、より弱体な諸国を奴隷化し、支配し、植民地化するためにグローバル資本が常に使ってきた一つの道具が、すなわち債務という道具がある。首長が支配した時代から今日までチュニジアが支払ってきたこの不正な債務は一つの役に立つ道具だ。フランスが一八八一年にチュニジアを占領することでイタリアを出し抜いたのだとすれば、その理由は、時の首長がフランスの銀行にイタリアの銀行に対してよりももっと多くの借金をしていたということだ。独立後にフランスがチュニジアの債務の一部を帳消しにしたとすればそれは、占領され保護領の期間に搾取を受けた土地を若いチュニジア共和国が買い取ることができるように、再度カネを貸したからだ。
今日チュニジア政府がそれを国民の誇りの問題とすらする点まで大急ぎで払っているこの同じ債務は、グローバル資本主義の問題に他ならない。そしてそれこそ、彼らが取引している相手が反民主的かつ反人道的なマフィアであると正しく分かっているときですら、ブレトンウッズの諸機構が、グローバル化した資本主義的発展のモデルとして建設したものだった。
われわれの若い組織は今日、債務支払いに反対する運動の中心にいる。そしてわれわれがジェノバ(二〇〇一年のG8サミットに対して三〇万人が結集する大対抗行動が展開された――訳者)から一〇年後にあなた方と共にここにいるとすれば、それは、この資本とこのブルジョアジー、そして反動的な諸政権に対決する共通の戦線の必要性を確認するためだ。地中海周辺で何カ月もわれわれが経験してきた革命的な展開は、北であろうと南であろうと、あらゆる人々の努力があってこそ完結にいたることができる。「革命は可能だ」と声を大にし説明することは今日、かつて言われた以上にわれわれにかかっている。そして、革命は過去のものであり、われわれが勝つことなど不可能だ、とわれわれに告げる人たちに対しては、答えは「どけ」という一つしかない。
注一)首相官邸であるダル・エル・ベイ宮殿前のカスバ広場における最初の決起は、「暫定政府」の再編を迫るために二〇一一年一月に、そして二回目はガンヌーシ首相の辞任を迫るために二月に行われた。(『インターナショナルビューポイント』九月号)
コラム
来月から辞めてもらう マンションの清掃や管理のアルバイトをしている友人の話だ。八月末に突然、解雇予告が言い渡された。
「マンションのオーナーが代わり、それに従って管理会社も代えられた。会社の持っている物件も空きがないので来月で辞めてもらう。自社の上の○○管理会社に仕事先があるか頼んでみるが期待はしないで欲しい」というものだった。建って三年ぐらいの一五階建ての賃貸マンションだが、ファンドオーナーの場合、もうからないと簡単に手放してしまうらしい。そうするとそれにつれて管理会社が全部変えられてしまう。マンション業界も厳しい競争にさらされ、管理運営会社も突然の契約打ち切りにあう。管理会社も賃貸契約などの運営会社と管理会社があり、その管理会社も管理を下請けに出すという構造になっている。
昨年三年半程勤めていた渋谷区のマンション管理契約が突然に打ち切りになった。新しい職場を探してほしいと会社に要求して、ねばりにねばって新しい職場が確保され移ってきたばかりだ。
この新しい物件に移ってきた時、会社は「今回の物件は安くとったので、それまでの時給一〇〇〇円のところを八五〇円に切り下げてほしい、契約も一年間更新」というのだ。「自分の責任で契約切れになったわけではないので、時給の切り下げや契約更新について、期限なしの今までのようにして欲しい」と手紙で要求した。
そうすると会社は、「契約についてはそもそも初めの契約書の期限のない雇用契約書は会社のミスで、他のアルバイトも一年契約になっている。一年契約といっても形式的なもので雇用は継続する。時給は下げない」と部長が来て友人に謝った。そんないきさつもあり、友人はまさか一年で首を言い渡されるなんて考えていなかった。
一年間ではあったが、仕事はまじめにやっていたので、マンションを去る時は、何人かの住居者から「ありがとう」と声をかけられたり、隣の和菓子屋さんにせん別にとお赤飯をもらったというきまじめな友人だ。
一年前のように会社に新しい働き場所を求めても無理だろうとインターネットで職を探した。ところが午前中四時間の清掃のバイトはなかなか見つからなかった。ようやく見つけて、電話をしてみると女性に限るというのだ。それは女子トイレの掃除があり、女性でないと困るという。ではなぜ、そう募集要項に書いてないのかと聞くと、それは男女雇用平等法があってできない、との答えだった。募集の内容をよく見ると、女性の絵が描かれていたりして、それとなくにおわせていた。四時間の清掃バイトはないですかと聞くと、女性ならあるが男性は難しいという話だった。その後、その友人はなんとか別の仕事先を見つけ、元気に働いている。
リーマンショック、東日本大震災など雇用問題は改善されることなく、悪化の一途をたどっている。簡単に首を切れる企業社会、究極の不安定雇用を強制されている官製ワーキングプアの現状を変える運動をつくりだそう。
(滝)
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