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    かけはし2011.10.17号

新政府は支持、政策の支持は別だ

デンマーク

総選挙の結果―赤緑連合にとっての新時代
右派が始めた民衆攻撃を完全に
逆転させるための闘いが始まる

トマス・アイスラー

 赤緑連合の総選挙における大躍進については本紙上ですでに報じたが、その勝利は同時に、新政権に対してどのように臨むか、という新しく政治的に難しい問題を同党に提起することとなる。そしてその問題は、今第四インターの同志たちがいくつかの国で直面する問題でもある。以下は、その問題へのデンマークの同志による具体的な模索をも伝えている。(「かけはし」編集部)
 九月一五日に行われたデンマーク総選挙は、排外主義ポピュリズム右翼のデンマーク国民党(DPP)の支持に支えられた自由党――保守党政府の一〇年の終わりを印した。この政権は、赤緑連合(RGA)が支持する、社会主義人民党(SPP)、社会民主党(SD)、社会自由党(SLP)からなる中道左派政府で置き換えられることとなる。今回の選挙における最大の勝者は、SLPとRGAであり、後者はその支持を三倍化した。主な敗者は保守党とSPPだった。

社会政策縮小と
移民攻撃の年月


 自由党――保守党政府がDPPを伴う形で多数派を得たときそれは、SLPのような中道諸政党の支持や参加に支えられた政権の何十年もの年月を断ち切るものとなった。DPPは、労働者と年金生活者の保護者としての外観を今も維持している。とはいえこの党は、移民に対する攻撃がその対価となりさえすれば、政権による人びとへの攻撃に支持票を与えることをいとわなかった。自由党――保守党政府の期間、労働者の権利の防衛を追及し、社会政策の縮小とイラク戦争に反対する動員は、もう一つの政府という展望に密接に結びついてきた。

一貫した早期退
職制度への攻撃


 過去一五年、デンマークの政治論争における中心的な問題の一つは、六〇歳での早期退職権の問題だった。九〇年代の中道左派政権期、時の首相は早期退職制度に変化はないと保証した。一九九九年に中道左派政府がこの早期退職制度を一つの一般的な権利から失業対策システムに結びついた保険システムに変えたとき、政権は労働者階級からの信頼を大きく失い、その結果右翼のために道を清めた。社会民主党と社会自由主義派は、民衆が早期退職と年金の権利を与えられる年齢を五年間時間をかけて引き上げる政治協定にも加わった。二〇一一年一月一日、時の首相は新年演説で、早期退職制度を完全に廃止する提案を持ち出した。これは、早期退職制度の防衛に向けた労働組合によるキャンペーンの引き金となり、世論調査において左派を、社会自由主義派を欠いたとしても多数派となる瀬戸際にまで近づけた。そして自由党――保守党政府は社会自由主義派およびDPPとの間で、早期退職制度の縮小を進める協定に何とかたどり着いた。

中道左派の「オ
ルタナティブ」


 総選挙を前にした、またその運動期間中の政治論争の中心論点は、二〇二〇年における国家予算をいかにして均衡させるかだった。いくつかの経済予測にしたがえば、二〇二〇年には国家財政は四七〇億クローネの赤字となり、一定の労働力不足が生じていることとなる。SDとSPPは経済仮定と人口統計上の仮定について、基本的に右派と同じものを受け容れている。「公正な解決」と称されている彼らの代わりとなる計画は、労働組合と雇用主との協定を通した、一日一二分の労働時間延長を支えとしている。早期退職制度を維持し公的福祉の削減を避けるためにはこれが必要な手段だ、彼らはこのように主張する。二〇万人の失業者がいるのにこれはあまりにおかしいとの批判に直面し、彼らは譲歩を示した。完全雇用が実現するまでは労働時間延長を実施すべきではない、というものだ。しかし右派の経済計画もまた、長期的に見れば完全雇用になる、との仮定を基礎としているのだ。

中道へ傾くSP
P、SD指導部


 労働組合並びにSDとSPPの選挙基盤のほとんどは、労働者階級の利益を守ると思われる新たな左派政権に希望をかけてきた。それにもかかわらずSDとSPPの指導者たちは、さらにあいまいとなった。その一方である者たちは、RGAとDPPを意味する過激な諸政党を排除した上で、中道勢力全体の合意を形成する協調的な議会を再建することの重要性を述べてきた。これは同時に、社会自由主義派に向けた明らかな呼び込みだった。そして選挙後、SD――SPP連合はSLPとの間で、連立政権形成の合意に達した。この政権の政綱には、早期退職制度に対する攻撃での合意が含まれている。この攻撃に合意した諸政党を合わせれば議会多数となる。SD――SPPがもし社会自由主義派を政府に入れなかったならば、彼らは問題の攻撃に責任を負うことを回避できたかもしれない。デンマークの政治システムにおいては、政府は議会多数派の決定に従う義務があるが、それでも総辞職せずに少数政権としてとどまることが可能だからだ。

右転換したSP
Pの上昇と転落

 SPPが政権に入ったのはこれが初めてのことだ。これはこの党にとっては長年の目標となってきた。そしてそのことが、この党が責任政党であることを証明することを目的とした、数多くの譲歩を行うよう導いてきた。その譲歩の最初の一つは、一九九三年のマーストリヒト条約の受容だった。この五年の間にこの党は、劇的な転換を成し遂げ、いわばより「国民的な」、社会主義色を薄めた党となった。ここには、移民問題に向けた極めてポピュリズム的な姿勢が含まれる。かれらは、移民と難民権の防衛を放棄したのだ。この党の議長は反動的なムスリムグループを非難したが、それはムスリムすべてに対して全体として敵対的であると理解され得るようなやり方でだった。この党の新しいポピュリズム的な外観は大きな成功となったように見えた。二〇〇五年から二〇〇七年の総選挙にかけて、彼らの得票率は六%から一三%へと上昇した。後者の際の世論調査支持率はこの党に約二〇%を与えたが、それは主要な左派政党という指定席にあったSDに迫るものだった。近年を通じてこの両党は、極めて親密な政治的連合を形成した。両者は共通の政治的諸提案を発展させただけではなく、広告掲示板に共同で広告を出すまでになった。
 二〇一〇年秋、自由党――保守党政府は、移民との間で家族を作ることに対して特別の基準を設ける計画を提出した。これは、非欧州出身の配偶者にとって、滞在許可証を得ることがはるかに困難になると思われることを意味する可能性をもつものだった。SDとSPPは、この提案を支持するか否かを熟慮するとして、いくらかの時間を取った。そして結局彼らは、右派が提案したものよりも穏健だとはいえ、今あるものよりも厳しい基準を含む対案提出を決定した。この決定は、持ちこたえる限界を突き破る最後の一押しだったように見える。そして彼らは支持を失い始めた。

SPPへの不満
とRGAの伸長


 RGAは、SPPがマーストリヒト条約を受容した後の一九九四年、議会に代表権を得るために必要とされる閾(しきい)値の二%を初めて超えた。RGAはその後、二〇〇七年の総選挙で少し伸びた。一方でRGAは、内部的不一致、並びにヘジャブをかぶったムスリムの女性を候補者として選んだことに対する外部からの攻撃、これらを要因として難しい状況にあった。他方SPPは、この党を特に若者の間で極めて人気ある党とした全体としての「クールな要素」から得点を稼ぎつつあった。この中でSPPのポピュリズムに対する不満は、RGAに可能性をもたらす主な理由だ。しかし、SD――SPP連合による自由主義的な経済政策への全般的な適応も、またその可能性をもたらす理由だ。世論調査によれば、RGA支持率の上昇は二〇一〇年秋に始まった。新たな党員も多く加入した。八月二六日に総選挙が告示されたとき、支持率は約四・五%だった。三週間の選挙運動期間中に、SD――SPP連合は、右派に対する明確なオルタナティブを代表できないほどに支持を失い続け、彼らの信頼性を掘り崩すこともあり得そうな状況を作り出した。こうして、新政権支持四党が得た反右派票の五〇・二%という多数は、右派に対しほんのわずかの差しかないものとなった。

幅広い層に向け
「福祉は可能だ」


 RGAの選挙運動は、この党がかつて行ったことのあるすべてをしのぐものだった。選挙宣伝物の配布やポスター貼りには、これまでなかったほど多くの活動家が参加した。およそ一五〇万部のリーフレットとパンフレットが配布された。その上RGAは、新しい聴衆に働きかけを伸ばし、「奇妙な」党であるという隔離壁を突破し、住民の幅広い層によって真剣に受け取られた。若者の間でRGAは、カリスマ的なスポークスパーソンであるヨハンネ・シュミット・ニールセンを前線に立てることで、「クールな」党となった。「福祉は可能だ」、これが運動のスローガンだった。それは、支配的な経済計画を断絶させるためであり、富裕層、多国籍企業、投機にいそしむ者たち、また原油資源への課税に向きを定めていた。RGAは、公共サービスにおいて一〇万人の職を創出し、温室効果ガス排出を削減するという計画を提起した。失業者および難民と移民の防衛は、もう一つの中心的課題だった。

めざすは右派の
政策の断ち切り


 右派政権を打倒し、ポピュリズム右翼から移民政策に関する彼らの絶対的影響力をはぎ取る闘いは、この政権が一〇年前DPPを加えて多数派を取って以降、RGAの一つの目標であり続けた。RGAは、今回の選挙で生まれる新しい政府に無条件の支持を与える。RGAは政権の構成は支持する。しかし、政府から持ち出される諸提案を支持するという約束は一切しない。諸決定は、課題毎という原則の下に行われるだろう。さらにRGAは、あるものに対する攻撃を他のものの改善とひとまとめに組み合わせるパッケージを受け容れることもない。しかしこうしたとしても、RGAが中道左派政府からの圧力にさらされることから守られることはないだろう。その政府は、彼らが右派との取引を強要される場合、その責任をRGAに押しつけようと試みるだろう。結論的な圧力は、予算の承認に関するものとなるだろう。というのも政府は、予算の国会通過を果たすことができなければ総辞職せざるを得ないからだ。そして予算は本性上、軍事予算を含んであらゆる種類のものを入れ込んだ一括パッケージだ。一九九二――二〇〇一年のSD主導政権の時代、RGAは、ただ一回の棄権を除いて予算案を支持したことは一度もない。
 RGAはこの状況に準備する目的で、新政権下の状況にどう取り組むべきかに関する討論を何回か行ってきた。二〇一〇年のRGA大会は以下を結論とした。
 すなわち「RGAは、前政権の諸政策を、社会的平等と連帯、そして持続可能性を基礎とする政策で置き換えるといういわば切断を行うよう、新しい政府を力づける。そのような断絶となる予算であれば、それはわれわれの支持を受けることになるだろう。しかしわれわれは、以下のような予算であればどんなことがあろうと支持しないだろう。その予算とは、
▼これまでのような諸攻撃を含むもの
▼意味のある改善諸策を含まないもの
▼右派諸党が行ってきたこの一年の緊縮策の要約であるもの
だ」。
 この定式は、RGA指導部から出された元々の提案を強める目的で、二人のSAPメンバーによって提案された。
 RGAは、政府に対して諸要求を前進させるだろう。また、政府に対する圧力を可能な限り最大限かけるために、諸要求に対する支持を構築するよう運動内部で努力するだろう。こうしてRGA執行委員会はすでに、諸支部、諸委員会、またRGAの候補者たちに向け、新政権に対する諸要求と期待を討論するために、労働組合への招待を伴った公開集会を組織するよう、一つの呼びかけを発した。

▼筆者はRGAの全国指導部メンバーであると共に、第四インターナショナルデンマーク支部であるSAPの指導部メンバー。
 

 


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