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    かけはし2011.9.26号

ナショナリズムを離れヒューマニズムで踏み出している若者

民族を超え人間に出会う

 「自身が在日朝鮮人だという事実、まさにその疎外の状況を意識することこそが前進を可能にする。その前進とは、ほかならぬもどかしくて狭苦しい屈服した日常から広々とした普遍へと進み行くということだ」。徐京植(ソ・ギョンシク)教授(東京経済大学)が自伝的エッセイ〈少年の涙〉に書いたこの言葉は、ザイニチ(在日同胞)という特殊なアイデンティティを認識することが、より大きな普遍性へと進み行く端緒となるという本来の意味よりも、あたかも東北震災以降の在日同胞社会を端的に象徴しているかのようだ。
 地震を経験しつつ、在日同胞社会がさらに大きな「普遍の世界」へとつき進んでいるからだ。地震発生から半年を前にして、在日同胞たちは互いに助け、抱き合いながら大地震が残した苦難を克服している。そこには在日本大韓民国民団(民団)も、在日朝鮮大総連合会(総連)も関係なかった。日本人なのか、朝鮮人なのかも重要ではなかった。彼らは人間の名によって互いに面倒を見ているからだ。

韓国・日本人が一緒になって焼肉


 3月11日、米国地震調査局の地震規模の規準で、近代的な地震の震度観測が始まって以来4番目の規模にして日本の観測史上最大規模のマグニチュード9・0の大地震が宮城県仙台の海域を強打した。地震の余波によって巨大な津波が都市を呑み込んだ。付近のすべての道路や通信は途絶した。何もかもがお手あげだった。地震当日、自衛隊や警察部隊が被災地域に急派された。
 地震の知らせを伝え聞いた東京の在日同胞たちは急いで支援団を作り救援物資を取りまとめた。東京で自営業や事業をしている在日同胞たちが集まっている東京青年商工会と民族学校を支援しようとして設立された「NPO(非営利法人)ウリ・ハッキョ(我らの学校)」(別項、関連記事参照)が主軸だった。大災害を前にして彼らにとって誰彼の別はなかった。地震が起きてから5日ぶりの3月16日、彼らは飲料水とラーメン、毛布などの生活用品と救急薬などの救援物資を大きなトラック2台に積み込んで福島へと向かった。放射能も彼らを阻むことはできなかった。当時、救援活動を共にした「NPOウリ・ハッキョ」のキム・ヨンフン幹事(37)は「現地に入ってみると、軍人と警察に次いで我々が来た、ということだった」「民間人としては我々が最初だったというわけ」だと語った。
 戦時をほうふつとさせるようだった当時の状況にあっては救援物資を積み込んだからといって、被災地域まで行くことは容易なことではなかったはずだ。「道路が遮断され、現地警察の許可なしには行くことができなかったのです。そこで東北・福島の朝鮮学校の依頼を受けて行くということで現地警察の許可を得たのです。放射能のために、みんなが被害地から遠くへ遠くへと行こうとしているのに、我々は行くと言うものだから現地の警察も驚きの眼差しだったですねえ」。
 同胞たちが到着するまでの、福島の朝鮮学校に集まった罹災民たちの状況は劣悪この上ないものだった。キム幹事は「2〜3日分の応急食糧がほとんど底をつくころ、我々が到着した」「早く行くと言っていたのにもかかわらず、もう5日間が過ぎていたのだった」と語った。学校には在日同胞だけではなく、現地の日本人も多数、避難してきていた。彼らも同じく救護と支援の対象だった。逆差別はなかった。「同胞を助けようとして行ったけれども、区分はありませんでした。すべて同じ人間なのですから」。
 3月23日にも東京の在日同胞たちが宮城県の東北朝鮮学校を訪れた。東京で焼肉店を経営している小商工人たちが中軸だった。彼らは店で売る焼肉400人分余りを持ってきて現地でパーティーを開いた。日本人を含め600人余の被災者が肉と「情」とを分かち合って食べた。同胞たちと日本人たちは、本当にありがたいことだと言って行事が終わった後も席を立とうしなかった。
 5月17日には「パワーレンジャー」など子どもらが好きなキャラクターに扮装して公演を繰り広げた。地震と放射能の恐怖でふるえている現地の子どもたちのためのイベントだった。キム・ヨンフン幹事は「子どもたちが久しぶりに明るく笑った」と語った。現在、東京青年商工会と「NPOウリ・ハッキョ」は支援活動と共にツイッター、フェイスブック、インターネットなどを通じて、現地で行方不明になった人々の安否を見極める作業を進めている。100人余りを探したが、その中には死亡者もいる。

新たな流れと旧態依然の日本政府


 被災者支援は全国で続けられた。東北地方に1度も行ったことのない人が1人で救援物資を買い込みに行ったかと思えば、京都で暮らしている同胞はガソリンが無くなったというニュースに接しタンクローリーにガソリンをぎっしり積んで仙台まで行き、住民たちにそれを分けてやった。在日同胞が多く居住している大阪も援助のために奔走した。
 震災以降、民団でも総連でもない第3の在日同胞らが集まって作った大阪コリアン援助センターと在日コリアン青年連合(KEY)もあわただしく動いた。コリア援助センターのクワク・ジヌン代表理事(45)は「地震以降、直ちに地域の若い同胞たちと共にカンパや救援物資を集め福島や宮城県に送った」「同胞たちを助けるという思いと共に、被害に遭ったすべての人々を助けなければならないという気持ちで一生懸命に乗り出した」と語った。
 大阪在日コリアン青年連合支部の田中・チョ・ミナコ代表(30)は「同胞たちばかりではなく、被害に遭ったすべての人のためにカンパを集めたが、日本の主流メディアには同胞たちの被害がほとんど出てこないのを見ると、相も変らぬ壁を感じる」と語り、同胞に対する日本社会の無関心を思い浮かばせた。同胞たちは、より柔軟で広く変化しているのに、日本政府は相変わらずだ、ということだ。このほかにも日本政府の変わりのなさを見せつける事例は広がっている。
 福島朝鮮学校は放射能の平均数値が0・8〜0・9マイクロシーベルトに達しているが、放射能数値が1・0を超えなければ除去作業をしないとする日本政府の規程のために、公式の支援は全くない状態だ。7月24日、医師、教員、商工人などで構成された新潟の30〜40代の同胞80人余が福島朝鮮学校を訪れて直接、放射能除去作業の手助けをした。遅い日本政府の対応をただ待ってばかりはいられないということだった。
 支援活動に行った同胞たちに対して日本人たちは口をそろえて「NGOが最初に現れ、一番後で国家がやって来た」「このような国がどこにあるものか」と批判した。日本人ヨコガワ・ミノル氏(63)も、ひとことで言えば「素早いNGOと、まだるっこい政府」だとし、日本政府の遅れがちな対応を叱咤した。現地の同胞たちは「日本人に対しても対応が遅いけれども、同胞らに対しては輪をかけて遅い。それさえも、言わなければ、やってはくれない」と語り、低い対応の中にもさらに時間差があることを傍証した。
 地震に泣き、日本政府の差別にまた泣いている彼らに笑顔を与えるのは、日本国内ばかりではなく韓国や米国などから送ってきた数々の激励だった。8月24日、「NPOウリ・ハッキョ」を訪問した取材陣にキム・ヨンフン幹事は、京都にいる同胞が送ってきたという激励幕の1つを見せてくれた。そこには数多くの在米同胞たちが手書きで書いた激励の言葉があふれていた。世界から伝えられてきたその気持ちをありがたく受けとめつつ、「NPOウリ・ハッキョ」と青年商工会の人々は、かえって「我々も世界に出ていかなければならない」と感じた、と語った。生活の根拠地である日本を抜け出すことはできないけれども、思考と意識は世界に向かい、自分たちよりもさらに大変な人々を助け、彼らにとっての力とならなければならない、との思いだった。

他人の苦しみに共感する能力


 人間は、体験したからには感じるというものだ。他人の苦しみに敏感であるとすれならば、それは多くの場合、彼自身がその苦しみを味わったことがあるからだ。
 在日同胞らが東日本大地震の被災者たちの復旧や救援に積極的に乗り出したのは、民族主義の発露というよりは苦難と悲しみとによって綴られた在日同胞の歴史が彼らをして被災者の苦しみに共感せしめたためではなかっただろうか。日本政府が「ナショナリズム」という20世紀の遺産にとどまっている間に、彼らはいつの間にか「ザイニチ」という民族的特殊性から「人類愛」という地球的普遍性へと踏み出していた。(「ハンギョレ21」第877号、11年9月19日付、東京・大阪=オ・スンフン記者)

多様な活動展開している「NPOウリ・ハッキョ」

在日同胞弁護士育成奨学
制度を運営し弁護士誕生


 「NPOウリ・ハッキョ(我らの学校)」は在日同胞の学生らが通っている学校を後援しようとして08年7月に設立された。07年に開かれた青年商工会(青商会)「民族フォーラム」での、若い商工人たちが同胞社会に寄与しようという在日同胞キム・スンシク弁護士の提案」がきっかけとなった。「ウリ・ハッキョ」という名称は文字通り、我らの学校という意味だ。朝鮮学校、コングク学校(在日本大韓民国民団所属の学校)、日本学校の学生(生徒)の区別なしに、すべてが支援の対象に含まれる。財政は口座開設を通じて調達する。1口座(毎月千円)以上を後援すれば会員になることができる。現在、合計250口座が開設されている。
 「国籍を超えて団結しなければならない」という設立の趣旨は、さまざまな国籍の会員たちによって確認できる。韓国国籍の在日同胞が最も多く、日本国籍、朝鮮籍を有する会員もいる。良心的な日本人会員も参加している。「NPOウリ・ハッキョ」が当面する仕事は地震被害に遭った朝鮮学校を後援する事業だ。東北の朝鮮学校の再建募金事業も検討している。全壊した教室の建物の代わりに寄宿舎を改造して教室として使う方案などについて、予算の状況や日本政府の支援の有無などを考慮している。韓国で「モンタン(ちびた)鉛筆」(運動)を通じて集まった地震被害朝鮮学校後援金を該当学校に伝達する仕事も担っている。
 「NPOウリ学校」は4年前から在日同胞の弁護士育成事業に熱心だ。ロー・スクールに進学している貧しい学生たちに毎年、奨学金200〜300万円を支給するプログラムだ。弁護士の輩出を目的とした奨学事業は在日同胞社会で初めてのことだ。これには商工業を主としている在日同胞たちが味わった差別が背景ともなった。3年に1度受ける税務調査を毎年実施されるだとか、弁護士の助力を得られず損害を受けることが多かったせいだ。同胞社会に弁護士がほとんどいないということも、その理由の1つだった。
 キム・ヨンフン「NPOウリ・ハッキョ」幹事は「奨学金を受けたからといって、後で必ず同胞社会のために仕事をしなければならないと強要したりはしない」「ただ奨学金支給の面接の際、同胞たちが直面している現実を知らせて自発的な参加を呼びかける」と語った。今年、初めて弁護士が誕生し、すでに地域で活動を始めている。(「ハンギョレ21」第877号、11年9月19日付)

 


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