子どもと教科書全国ネット21が総会
育鵬社版教科書採択が拡大
地域の運動ではねかえそう |
事態を分析し
共有化が必要
九月一八日、子どもと教科書全国ネット21は、東京大学農学部で第一四総会を行った。
ネットは、総会で昨年六月からの活動の集約と今後の方針にむけて@教科書制度の改善に向けた活動A新しい歴史教科書をつくる会、日本教育再生機構、日本会議などの歴史のわい曲を許さない取組みB教育・教科書攻撃に対する活動C改定教育基本法・学校教育法を具体化する新学習指導要領・新検定制度に対する活動などについて集中した討論を行った。
とりわけ二〇一一年度中学校教科書の採択で「再生機構」=「教科書改善の会」の育鵬社版歴史・公民教科書、「つくる会」の自由社版歴史・公民教科書がいくつかの地区・中高一貫校、私学などで採択されてしまった。育鵬社版歴史教科書の採択数は三・七%、公民は四・一%。全国五八二地区のうち歴史・公民共が一一地区。自由社版教科書は、歴史が私学六校。公民は公立二〇校、私立一校だった。この事態を分析し、反対運動で共有化し、広げていくことを確認した。
八重山での攻防
について提起
総会の第T部は記念講演。高嶋伸欣さん(ネット共同代表、琉球大学名誉教授)は、「中学教科書採択・私の総括―『つくる会』系を中心に」というテーマで提起した。
「六月にネットは、つくる会が編集した自由社の中学歴史教科書二〇一二年度版の年表が東京書籍の〇二年版とほぼ一致していたことを明らかにした。この盗用問題で、各地区の教科書採択において自由社版の採択に慎重にならざをえなくなったし、文科省が自由社版教科書を真剣に検定していなかったことが同時に明らかになった。反対運動によって自由社を大敗北に追い込んだといえる。だが逆に育鵬社の教科書が四%も採択されてしまった。これをどう評価するのか。自民党、日本会議、幸福の科学、統一教会などの右派勢力は、育鵬社や自由社の教科書を採択させるために総力で動いていた。その手法は、首長や教育長、有力な教育委員に裏から働きかけるやり方を用意周到に進めていた。メディアも教科書採択問題についてほとんど報道しなかった。採択を阻止した地区の取組みを教訓化していくことが重要だ」と強調した。
さらに沖縄・八重山地区(石垣市・竹富町・与那国町)教科書問題を取り上げ、「八月二三日に採択協議会が育鵬社公民を選定したが、八重山をはじめ沖縄県民や全国の取組みによって九月八日の教育委員協会総会で育鵬社を不採択し、東京書籍の採択を決めた。採択協議会の玉津会長は、『育鵬社ありき』で独善的に采配してきたが、沖縄戦記述の問題点などが大きくメディアに取り上げられ、八重山住民の強い反対で公民だけの採択を強行せざるをえなかった。この過程において自民党の義家弘介参院議員が政治介入し、『協議会の結論にのっとった採択が前提だ』などと圧力をかけていた」ことを明らかにした。
さらに「文科省は、自民党政権下で地方教育行政法『教育委員会の職務権限』を根拠に『教科書の採択は学校毎にはない』と解釈し押し切ってきた。『義務教育諸学校の教科書図書の無償措置法』では複数の教委による協議で同一教科書を採択する広域採択制に変更した。それでも学校現場の意向は尊重すべきだとして最も希望の多い教科書が採択されるシステムを教委が採用してきた。しかし右派勢力の圧力によって文科省は各教委独自の判断で採択を強行することができるようにした。つまり、八重山地区は育鵬社版に反対する竹富町教委がこの文科省の通知を根拠に採択権限を主張したため文科省は目下立ち往生中。育鵬社不採択にむけて冷静な協議を再度行っていく必要がある」と提起した。
NHK番組改変
とメディア動向
永田浩三さん(武蔵大学教授・元NHKプロデューサー)は、「ETV2001改変事件・担当プロデューサーが体験したこと、考えること」を講演。
ETV2001改変事件とは、シリーズ『戦争をどう裁くか 第2回 問われる戦時性暴力』(2001年1月30日放送)の女性国際戦犯法廷が放送直前、NHK幹部が自民党右派の安倍晋三、中川昭一国会議員に呼び出され改変の圧力をかけられた事件だ。幹部は永田さんに@慰安婦、慰安所の存在を極力消すA日本軍・日本政府の組織的関与のニュアンスを消すB海外メディアが「昭和天皇の責任」について触れた部分を消すC女性法廷の歴史的意義を消すD判決・日本政府と昭和天皇の責任について触れた部分を削除E中国、東チモールの元慰安婦の証言、加害兵士二人の証言の削除を指示。
その後、バウネット・ジャパンが「期待と信頼が損なわれた」としてNHK等を提訴した。最高裁は番組がいろいろ変わることは当然だとしてNHKが勝訴(2008年6月)。
永田さんは、これらの経過等を昨年七月『NHK、鉄の沈黙はだれのために』(柏書房)、『暴かれた真実』(共著・現代書館)でまとめたことを紹介し、「最高裁は政治家の介入はあったとも、なかったとも判断していない。しかし、NHKを含むメディアでは、安倍・中川氏の『政治介入はなかった』というコメントを一方的に垂れ流した。自己防衛のプロパガンダを国民のNHKニュースへの信頼を悪用するかたちで行った。極めて悪質な、放送史上まれにみる。汚点をつくった」と批判した。
そして、「この事件以来、NHKのみならず、新聞も含めて慰安婦問題は一切紹介されなくなった。タブーとなっている。ETV2001改変事件は、教科書問題とリンクしており、戦争、暴力などのテーマと合わせて極めて重要な課題だ」と訴えた。
4年後に向けて
日常的な連携を
第U部、ネットの総会が開催され、各議案を提起。
活動のまとめでは「中学教科書採択に関する活動」の中で「採択された地域の共通の特徴」について「一部地域・学校で『つくる会』系教科書が採択されたのは、『つくる会』系教科書を支持する首長がいる地域、その首長によって任命された『つくる会』系教科書を支持する教育委員がいる地域、しかも横浜の今田忠彦委員長のような市民の意見など完全に無視する『強引なリーダーシップ』をもった委員のいる地域で、水面下で採択工作が行われていたことが共通しています。さらに、どこでも学校現場や市民の意見を無視・排除して教育委員の政治的・独断的な判断で投票に決めています。右派勢力は、これらの地域でいわばピンポイントで採択獲得をめざし、それがいくつかの地域で『成功』したということです」と分析した。
「なぜこれらの地域で育鵬社が採択されたのか」の分析項では「つくる会」系教科書採択の採択の社会的背景として、「戦争をする国」をめざす政財界のねらい/日本社会の保守化の影響/教科書問題をほとんど報道しないメディアの状況について掘り下げた。
さらにネットは「つくる会」、「再生機構」、日本会議の巧妙な戦術について、「関東のある市の場合、彼らは、〇一年、〇五年には集会などをやり、教育委員会の傍聴なども熱心にやっていましたが、今年の採択に向けては、集会も企画せず、教育委員会の傍聴も一切していません。中心人物が、市長と教育長にしばしば会って、圧力をかけ続けていました……。このように、『産経』以外のメディアは教科書採択問題をほとんど報道しないで、表向きには『静かな』状況で採択が行われる方が好都合だった」ことを浮き彫りにした。
主体的な反省点としては「自由社版教科書に比べて、育鵬社版教科書に対する批判をもっと強める必要がありましたがそれが不十分でした。また、歴史教科書に比べて公民教科書の問題点の宣伝をあまり浸透させることができなかった」と対象化し、四年後にむけて全国の各地域に「地域ネット」をつくり日常的な連携を強化していこうとまとめた。
(Y)
郵政ユニオンが5支店で指名スト
期間雇用社員の65歳
雇い止めを許さない! 九月一六日、郵政労働者ユニオンは、日本郵政が九月末で六五歳を超えたことを理由に全国で一万三六九四人も及ぶ期間雇用社員に対して一斉雇用打ち切りを策していることに反対し、希望者全員の雇用継続、リストラ計画撤回を求めて指名ストを含む行動に立ち上がった。
改正雇用対策法は第四条の七項において「高年齢者の職業の安定化を図るため、定年の引き上げ、継続雇用制度の導入等の円滑な実施の促進、多様な就業機会の確保その他の高年齢者がその年齢にかかわりなくその意欲及び能力に応じて就業することができるようにするために必要な施策を充実すること」と明記している。また厚労省の事業主向けパンフレットには「雇用対策法が改正され、労働者の募集および採用にあたっては、年齢の制限を設けることができなくなりました」と指導しているのだ。したがって六五歳以上の無条件雇い止めという郵政会社の対応は不当・違法なものなのである。
非正規社員に雇用上限年齢を定める郵政会社の強硬な姿勢は、高齢者が働く場所を奪い、わずかな年金では生活できない多くの高齢者にとって許しがたい残忍な仕打ちである。しかも非正規社員が一五万人、正社員の一・五倍に達する。その中で非正規社員の一〇%以上を一斉解雇することで現場の業務に支障をきたすことは避けられない。
この日、郵政労働者ユニオンは栃木県の佐野支店、千葉県の千葉、船橋、佐倉の各支店、そして大阪・豊中支店で雇い止め通告対象者の全一日の指名ストを決行した。早朝、千葉支店でストライキ集会を行ったのに続き、一二時からは霞が関の日本郵政本社前で六〇人の結集で集会を行った。
郵政労働者ユニオンの松岡委員長が交渉経過を報告した。そして野田首相が高齢者の就労拡大をうたっているにもかかわらず国が一〇〇%の株を保有している日本郵政が高齢者切り捨ての先頭にたっているのは許されるものではないと強く批判し、「六五歳以上の期間雇用社員の一律解雇」撤回に向けて闘いを強化する、とアピールした。
続いて支援にかけつけた全労協の中岡事務局長、全国一般全国協の平賀さん、郵産労の日巻書記長が連帯のあいさつ。午後からは船橋、佐倉、佐野支店前での行動も行われた。 (K)
コラム
父の死 七月下旬に父が死んだ。病院から連絡を受けてかけつけた母と兄が、父の最期を見とった。母によると手首の脈が少しずつ弱くなり遅くなり、ほとんど眠るように死んだという。死因は呼吸器不全で、享年八七歳の大往生だった。
父は旧帝大の医学部を出て、亡くなる五年ほど前まで町医者をしていた。父は学徒出陣の世代だった。大学や専門学校の学生は在学中は徴兵を猶予されていたが、戦局が悪化した一九四三年一〇月に文科系の学生から次々と戦場に動員された。
私は以前、父から大学の卒業者名簿を見せてもらったことがあった。法・経・文などの文科系の学生は、その九五%以上が戦死している。生き残った者のほとんどは、体調や病気を理由に入隊検査で落とされた者たちだった。理工系の学生は約半数が戦死。直接戦場に動員されずに、企業や研究機関に徴用された学生も多かったようだ。
そして五〇〜六〇人ほどの医学部生は、そのほとんどが生き残った。「本土決戦」にそなえて、医者の卵は戦場に動員されることはなかった。それでも二人の戦死者が出ている。ひとりは実家が軍属で、戦場に行かなければならなかったようだ。もうひとりは、志願兵として戦場に向かった。
父は軍馬舎で敗戦をむかえる。毎日これといってやることもなく、軍担当者にうっぷんはらしで殴られながら、馬のフンの始末などしていたようだ。当時の医学部生のなかには、「こんな戦争で犬死にしてたまるか」という思いの自由主義者や、「わが子を戦争で死なせたくない」と思う親の意志で入学した学生も少なくないと聞いた。
若くして夫を亡くした祖母は、医者の家系にあったということもあるのだろうが、大切なひとり息子を医学部に進めたと聞いたことがある。それでも同期の学友たちが、これほどまでに戦死を強制されるとは思っていなかったであろう。
生き残った者たちも、殺され死んで行った多くの学友たちの無念の思いを背負いながら、また生き残った者としての後ろめたさのような気持ちを感じながら、戦後を生き続けなければならなかったのであろう。
父は家の中では、軍国主義的で絶対主義的な独裁者だった。少しでも気に入らないことがあると、妻や子どもたちに容赦なく殴る蹴るの暴力をふるった。人の命を守る医者としての仕事をしながら、一方では家族を死なない程度に傷つける。学校の身体検査のときに、全身アザだらけの体をさらさなければならない少年の気持ちがわかるだろうか。
結局のところ父は、出口を見いだせないまま、学徒出陣の「亡霊」を墓場までもって行くことになった。それは死ぬまで軍国主義の思想から自由になれなかった者の、ひとつの生きざまだったのかもしれない。 (星)
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