底深い不確実性からの脱出は社会的動員だけが可能にする
|
世界経済―終わりのない危機(下)
ミシェル・ユソン
|
社会民主主義、資本に全面屈服
この危機は少なくとも当初、社会民主主義的テーマに新しい若者たちを差し向けた。つまり、ケインズ主義、投資会社や銀行や資本主義一般の規制、国家介入の回復、不況の吸収における社会的国家の役割、所得配分と課税におけるより大きな公正さに対する訴え、その他というテーマだ。危機は、社会民主主義に向け小道をこじ開けたように見えた。それゆえ、危機が縮小しなかったときにその政治空間が広がらなかった理由を、よく考えることが重要だ。
欧州社会民主主義もまたストレステストにさらされた。そしてそれはテストに通らなかった。その典型こそ、ギリシャの社会主義者の首相であるパパンドレウであり、彼はまったくもって嘆かわしいやり方で危機と対面してきた。「ギリシャは返済不可能だ。そうであれば話し合うしかない」、こう語ることで彼は、力比べを始めることも可能なはずだった。そしてそれは、二〇〇一年に債務返済を凍結し、その再交渉を勝ち取ることで、アルゼンチンが行ったことなのだ。しかしパパンドレウは屈服し、議論もなく「トロイカ」(ECB、IMF、EU)の全要求を受け容れた。
パパンドレウはそれに限られた事例ではない。さらにサパテロ(スペインの社会民主主義者の首相)が、またたとえば、フランスの社会党議員ペルベンシュ・ベレの報告を緑の党や自由主義者と共にまさに是認したようなEU議会議員もいる。
先の報告が行っている諸勧告の中にわれわれは、以下のような方策に向けた要求を求める報告を見出す。すなわち、「適切な構造改革を通した競争力の現在の欠如を克服する諸方策に向け」(……)「経済政策の協調を内容とするEU議会の六カ月会期原則を歓迎する」と。そしてフランス版においては、貿易障壁の解体、並びに透明性と互恵性を基礎とした公的契約の解放が要求されている。
その一方この報告は、「税制競争は、公正に期待されている歳入を確保するメンバー諸国の能力が危険にさらされない限りは容認できる」とし、かつ「有害な税制競争に取り組む努力という点でEU委員会を支持」している。有害な税制競争というこの新しい概念は、疑いなく重要なものとなるだろう。
特に女性に影響を及ぼしている貧困化の危険は、確かに言及されている。しかし奇妙なことにその結論は、今活動しているNGOへの訴えだ。社会予算の削減を前にしつつも報告は、国家財政の統合が必要だとしても、公共部門のサービス並びに社会的保護の現存水準を保護することもまた望ましい「可能性があると思われる」、と書くことに自身を限定している。条件付き語法の使用は多くのことを物語っている。ここにはいくつかの興味深い痕跡がある。しかしそれらはいじらしい小心さで進められている。こうして報告は、「ユーロ債券の発行」を熟考するよう求めることで、EU委員会にへたなやり方で圧力をかけている。
新自由主義論理との差は縮小
フランスでは、社会党の二人の主要な大統領候補が緊縮政策に同意している。フランソワ・オーランドはそれを極めてはっきりと打ち出している。つまり、「われわれの国家財政は二〇一三年以降均衡させられなければならない。……私がそう言うのは、私にはよく分からない市場や格付け機関からの圧力に妥協するためではなく、それがわれわれの国にとって、自分自身で信頼を再発見する条件であるからだ」と。
マルチネ・オブリもまた歩をそろえ、「それが今の取り決めである以上は、二〇一三年における三%」(ユーロの公式加入条件、国家予算赤字の上限をGDPの三%と定めている――訳者)への責任を引き受けた。ここに出てくる恐るべき決まり文句は多くのことを語っているが、社会民主主義がはまり込んでいる袋小路に関して鍵となるものを差し出している。それは以下のように概括可能だ。つまり、真性の社会民主主義綱領はいかなるものもブルジョアジーとの高度の衝突を暗に意味しているが、しかし社会民主主義にはその衝突を引き受ける準備がないと。
今回の危機を前にいわゆるポスト・ケインジアン学派は、より引き下げられた株主権力と組み合わされた賃金労働者により有利な所得配分は、成長と雇用に肯定的な効果をもたらすだろう、と強調した。現在の危機の原因を正確に示す点でこれらの議論が有益であるとしても、それらの議論は危機の体系的な性格を過小評価している。特にそれらは、投資会社問題を外しても残る資本主義の基準と社会的必要の間の広がる一方の溝、という問題を回避しているのだ。
危機に対する進歩的な結論はいかなるものであれ、資本の論理との直接的な衝突、それゆえ高度な水準の対立を想定するものとなる。これが現在の現実だ。社会民主主義は、彼らが越えることを拒絶している急進主義の最低限の閾値どころか、基本的に、極めて周辺的な点でだけ新自由主義の論理から自身を区別するにすぎない。われわれがここで触れてきた諸事例はそのことを示している。
時代の核心は資本主義の袋小路
不況は何であれ、成長の刷新を追求する経済政策の推進から現れる緊張と諸対立を生み出す。これは特に最新の「大不況」の場合に真実であり、しかし、後者はまたある種体系的な危機の兆候でもある。つまり資本主義はもはや以前のようには機能できないのだ。「いつものような仕事」への復帰、あるいは戦後期の規制された資本主義は不可能である。危機が幕を開けた時期はこうして底深い不確実性によって特徴づけられている。ここから浮上するための計画においては、資本主義は以下のような障害、「ジレンマ」に突き当たる。
1.配分のジレンマ
利潤の再確立は成長の回復に反し、平等主義に反する富の配分と結びつきがちである。そしてその配分のあり方が、危機の底深い原因の一つだ。
2.予算のジレンマ
国家財政赤字の解消は、公共支出の削減を暗に意味している。それは、社会的効果については言わないとしても、経済下押し傾向をさらに悪化させるだけの可能性がある。「予算の緊縮化は回復をさらに遅らせると思われる」、国連の最新報告はこのように述べている。
3.欧州のジレンマ
三重の拒絶――公的債務のある種の共同化、銀行による実質的負担、投資会社に対する懲戒、この三つに対する――は、除外が不可能な一連のデフォルトに続く、ユーロ圏の解体を意味している。
4.グローバリゼーションのジレンマ
不均衡の除去は、ただ世界的な成長減速を対価としてのみ可能である。先に引用した国連報告はすでに「世界的な景気回復は先進経済によって押さえ込まれてきた」と述べ、また「世界経済の協調を欠いた均衡回復」がもつ危険を強調している。
これら四つのジレンマは密接に編み合わされている。それらは、深く対立し合った利害と一体となった危機からどう脱け出るかの軌跡を見出すことがいつまでも不可能な、資本主義のある種「混乱した規制」を示している。社会的動員のみが、資本主義が社会的退化をさらに深め、諸国間の緊張を極限まで高めることでこの袋小路からの脱出を追求することを、阻止できる。しかしそれはまた、これらの動員が代わりとなる展望に依拠していることをも想定するものだ。後者がより高度の衝突を暗に意味している以上、歴史的任務は今日、緊縮政策に対する抵抗と今や漂流しているシステムの論理との断絶という目標との間に橋を架ける綱領、これを軸とする急進左翼勢力の統一を実体化することにある。
▼筆者はエコノミストであり、パリの社会・経済調査研究所(IRES)で雇用を受け持っている。左翼のシンクタンクであるコペルニクス協会の、またATTAC科学評議会のメンバーでもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一一年八月号)
訳注)原文には引用出典を示す注が多数付されているが割愛した。 (了)
|