大人も子供も区別なく県民すべてのいのちを守る施策が必要だ
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【いわき】八月二八日、福島県いわき市において「さよなら原発、子供たちと私たちの未来を守るパレード」が行われた。パレードはいわきアクション!ママの会、脱原発福島ネットワーク、
何とかしよういわきの医療・市民の会、の共催によって行われ福島県内外から二〇〇人が結集した。
パレードに出発する前午後三時から「いわき中央公園」で集会が開催された。集会は「アクションママの会」の司会によって実行され冒頭、共催のいわきアクションママの会、脱原発福島ネットワーク、からそれぞれあいさつが行われその後広島の大月さん、「子供たちを守る福島ネットワーク」の佐藤幸子さん、福島から駆けつけた郡山の庄司さん、福島の佐々木さんがあいさつをし、沖縄からのメッセージが代読された。
治療のない健康
調査はおかしい
「いわきアクションママの会」の鈴木さんは発言において、行政に対して積極的に放射能の低減施策等を実施し放射能から、大人も子供も守ることを求め、「脱原発福島ネットワーク」の佐藤和良さんは「双葉断層が動く可能性が出て来た。東京電力は福島第二原発の廃炉を明言していない。福島第二原発の廃炉は県民にとっては死活問題、声を大きくあげよう。県が実行している県民健康調査では調べはするが治療はしない。県民健康調査の基礎調査は、二〇〇万県民を対象に問診票を郵送し行うが、詳細調査は始めから一割二〇万人に限定した差別的行為だ。推進しているのは広島と長崎から来た山下さんと神谷さんだ。米軍が行った調査を被爆者が屈辱的体験の記憶としていることについて、被団協の坪井さんは『まだ子供だった時素っ裸にさせられて調べられ屈辱的思いをした』と話していた。現在はそのようなことはないと思うが、未来の子供たちを守るために声をあげよう」と訴えた。
広島の痛苦な経
験を繰り返すな
広島から参加した大月さんは「自分も母が被曝した被曝二世であり、子供の頃放射能の影響があるのでは、と命の不安を考えながら生きてきた」との体験を踏まえ、終戦直後米軍の軍医は被爆者をモルモットとして扱い、行った調査は資料集めのためのもので、資料がアメリカに提供され、米軍の核兵器開発ばかりではなく原子力開発にも利用されたことを指摘し、福島の方々が広島の被爆者が経験したことをしないように健康への不安を解消できるように力をつくしたい、と結んだ。「いわきアクションママの会」は九月一九日にバスをチャーターして上京することを予定している。 (海原洋志)
広島から五人で参加した。八月五日、六日に佐藤さんが広島に来て、福島の現状を話し、広島の医者が放射能の被害を隠すための健康調査を福島に来て行っている、広島から声をあげて欲しいと要請した。
広島と福島がつながって声をあげて行かなければならないと思って来ました。
六六年前の八月六日に一発の原子爆弾が広島に落とされ、六六年間広島の被爆者は放射能の影響に苦しめられて来た。自分も母親が被爆者で被曝二世。子供の頃放射能の影響があるのではないかと命の不安考えながら生きてきた。
こんな思いはもう他の誰にもさせたくない。過ちは繰り返したくいという思いで放射能の実態を伝える活動をしてきた。にもかかわらず今回の福島原発の事態を引き起こしてしまったことに広島の大きな責任を感じている。それは、アメリカは一九四五年八月すぐに調査団を送って調査を行った。陸軍と海軍の医者が調査を行いすべての資料をアメリカに提供した。九月六日には原爆を作った責任者が放射能の影響は広島、長崎にはもうないと宣言し放射能の影響を調べることなく調査を打ち切った。調査はするが治療はしなかった。自分達はモルモットにされているのではないかと感じた被爆者たちが子供たちを映さないように、とABCCに声をあげていたにもかかわらず、データがアメリカに送られアメリカの核開発、兵器だけではなく原子力開発にも利用されていた。福島の事故にもつながっている。広島の責任を感じている。福島の方々が広島の被爆者が経験したことをしないように健康に対する不安を解消するための調査に変えるようにつながって声をあげて行きたいと思っている。
週末の新宿で脱原発デモ
人出でにぎあう繁華街を原発止めろの声席巻
八月二七日、「原発とめよう! 東京ネットワーク」と「再処理とめたい! 首都圏市民のつどい」が毎月行っているデモが「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」新宿デモとして、新宿中央公園「水の広場」を出発点にして行われた。
最初に主催団体を代表してふぇみん婦人民主クラブの山口さんがあいさつ。山口さんは「事故から半年を迎えようとしている現在でも福島の状況は変わっていない。先日、子どもたちを放射能からまもる福島ネットのお母さんや子どもたちが上京し、経産省との話し合いを持った。子どもたちは『私たちはこれから一〇年先も大丈夫なのでしょうか』と真剣な面持ちで訴えたが、経産省側の回答は子どもたちをがっかりさせるものでしかなかった。汚染は首都圏の水や泥にまで及んでいる。子どもたちのためにも脱原発社会をつくろう」と語った。
続いて「プルトニウムなんていらないよ!東京」の高木章次さんが、現在二基動いている東電柏崎刈羽を止めよう、と提起。WORLD PEACE NOWの中尾こずえさんは、この日、新宿駅西口で行われた一〇〇〇万人署名運動について報告した。さらに反原発自治体議員・市民連盟共同代表の布施哲也さんのあいさつ、九・一一〜一九アクションウィークの行動提起を受けて午後六時半から、週末の人出でにぎあう新宿の繁華街で「原発とめろ」の声を響かせながらデモ行進した。解散地の公園ではたんぽぽ舎の柳田真さんや、東電前アクションの園良太さんなどから行動提起も行われた。
九月の行動を控えてデモの人数は一〇〇人ほどだったが、道行く人々に向けて元気よくアピールすることができた。 (K)
投書 本当に恐ろしい時代
SM 福島第一原発事故は、いくつかのことを明らかにした。第一。「原発は、安全だ」というのは、ウソだった。原発推進派は、ウソツキだった。マスコミは、ウソツキだった。そのことを明らかにした。第二。原発反対派が言ってきたことは、本当だった。原発推進派よりも原発反対派の方が信頼出来る。そのことを明らかにした。第三。カタストロフィは、本当に起こりうる。そのことを明らかにした。核は、危険だ。核戦争だって、実際に起こらないとは限らないのではないか。「福島第一原発事故と同じかそれ以上の事故」だって、今後充分起こりうるのではないか。スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマ。二度あることは三度ある。それに、日本は地震大国なのだ。日本の滅亡だって、ありえないことではないのではないか。人類の滅亡だって、ありえないことではないのではないか。私は、そう思っている。
だが、どれだけの日本人がこれらのことを認識しているだろうか。私は、疑問を覚える。人間は、なんて愚かなんだろう。マスコミは、なんて反動的なんだろう。私たちは、本当に恐ろしい時代に生きているのではないか。福島第一原発事故だって、いまだに収束していないのだ。
私たちは、何をするべきか。反原発のデモに参加する。反原発派に投票する。反原発の投書をする。出来ることは、いろいろある。行動しながら考えよう。 (8月28日)
コラム
再会と和解
八月の土曜日の夜。高校時代の同窓会があった。卒業後初、実に三十数年ぶりである。
「宛名不在」で洋封筒に入れられ、再投函された往復はがきには、「S駅前の居酒屋、会費五千円」、「とにかくみんなに会いたい」と明快なフレーズが並んでいた。数度の留守録音の末に、当日の早朝ようやく固定電話のベルが鳴った。
「電話くれた、ごめん。今週は夜勤の当番でさ」。懐かしい声は謝罪から始まった。「今も大蔵省勤務か。このご時世、羨ましい限りだのう」と皮肉ると「あんたも変わらないね、あはは」。貴重な睡眠を切り上げた幹事の応対。母校の近くでの開催。揺れ続けた心が決まった。
古書街をブラブラと歩きながら、定刻に店に入った。座敷の上がり口で受付役に会費を払う間、先着の一同の熱い視線を浴びる。普通科でも、商工業科でもない公立校。担任も生徒も三年間変わらない。
中央の座布団は指定席。どうりで周辺が空いている。仕方なくその対面に、親友とともに陣取った。
私が最後まで忌避した問答無用型担任は、風貌こそ当時のままだが、大病を患いすっかり弱気になっていた。誰も聞き取れないような長い近況報告を終えた彼は、意外にも乾杯の発声を固辞した。そして、たまたま目の前にいた私を指名したのである。私は最低限の言葉で音頭を取り、ジョッキをかかげた。遅れて駆けつけた者も、あの頃とまったく変わらない。五〇歳を過ぎてなお、みな若い。
在学中まったく付き合いがなかった級友が、少なくない。集団や組織の常であろう。気の合う者同士の少数のグループが自然に発生し、派閥を形成するのだ。この傾向は宴席にも名残を見せていた。
「ノーサイドにしましょう」――民主党代表選で野田佳彦財務相が本命と見られた海江田万里経産相に勝利したのは、同窓会の夜の二日後。だが、積年の怨念が、新リーダーの一言で和解するはずもない。それは権力維持のため、烏合の衆と化す挙党一致の無責任宣言でもあり、温厚で冷静な仮面の裏では、さらなる大増税すなわち大衆収奪計画と、戦犯擁護の保守思想が牙をむいている。福島の大惨事に照らせば、野田自身は「再稼働」を公言している。ブレながらも「脱原発」に踏み込んだ菅直人の方針からの、大きな後退である。推進派はますます勢いづくに違いない。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。私は不本意ではあるが、後期高齢者制度への不満をぶちまける担任の聞き役になっていた。別れ際彼は、母校の卒業生の採用について密かに、だが真剣に懇願した。両者の力関係は、ここに逆転した。
もう一度会いたい。人生の折り返し点を過ぎた私たちが、「ノーサイド」を求めるのは、あの日青春の街に集まった、愛すべき仲間たちに対してなのである。 (隆)
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