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アメリカや欧州は大きな困難を抱え、日本は回復にはほど遠い
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世界経済―終わりのない危機(上)
ミシェル・ユソン |
この論文を仕上げようとしていたとき、二つの大きな危機が資本主義を揺さぶり、株式市場を急落させた。つまり、ヨーロッパの国家債務危機、そしてアメリカの債務上限をめぐる先の読めない紛争だ。関係する諸政権が惨劇の瀬戸際でこれらの危機を解決する、それはあり得ることだ。しかしながら、危機勃発から三年後のこれらの深刻な緊張が示すことは以下のことだ。つまり、危機は解決からはほど遠く、その勘定書は、国家財政に向け発行された後に、今や民衆に差し向けられようとしている。この論文の目標は、資本主義の近年の軌跡を調べ、危機が扉を開いた時代に対してそれが意味することを吟味することにある。
高い失業率が続き
賃金は下落・凍結
さて危機とは言っても、資本主義のバロメーターとして利潤を取り上げれば、すべてはうまくいっているように見える。剰余価値率、言葉を換えれば付加価値における利潤の取り分は、回復途上にある。その急落がもっとも急速であったアメリカでは、今やその率は危機前水準にほとんど回復した。ユーロ圏では、下落はもっと遅れており、その巻き返しも速度が遅くなっている。そこでは、剰余価値率は一〇年前の水準に戻ったが、少なくとも今のところ、過去一〇年にわたる上昇分は失われている(図1参照)。そうであっても、利潤は上昇基調にある。
もっと言えば、このことが今回の危機のもっとも著しい特徴の一つだ。つまり、緊縮経済が自由に振る舞っている一方で、高い失業は続き、賃金は凍結あるいは実際は下落し、大企業グループと銀行の第一の関心は配当とボーナス配分の再開となった。
しかしながらこの成長は、まったく違った諸兆候を伝えている。GDPは、それが資本主義の健康度(幸福度とは完全に別物だが)を評価するものとなる場合、それもまた有益な指標だ。評価の最終結論としての真の基準は利潤率だとはいえ、市場の販路がもしないのであれば、危機後の利潤率再確立が長期的、安定的に持続する可能性はない。この観点から見たとき、大きな問題は、不況という落ち込みが克服されるかどうか、ということとなる。誰もが先験的に、以下の三つのシナリオを思い浮かべることができる。つまり、危機前の傾向への復帰、長期に続く低落、あるいは低落のさらなる拡大だ。
利用可能な最新のデータは、多くの諸国は長期に続く低落というシナリオの状態にある、ということを示している。二〇一一年第一四半期、いくつかの諸国は危機以前に達したGDP水準にはまだ戻っていなかった。これに当たる例は、日本、イギリス、スペイン、イタリアである。アメリカ、ドイツ、スウェーデンはちょうど回復したところであり、フランスはそのわずか手前にある。しかし、GDPの危機前水準回復は、今後の低落が消え去ったということを意味しているわけではない。一連の絡み合いに対するこの読み方は、そこに含まれた以下のような幅広い諸動向を明らかにすることをわれわれに可能とする。
引き裂かれる
欧州の諸国
フランス、スウェーデン、ドイツが落ち込みから抜け出たとしても、これは数多くの他の諸国には当てはまらない。スペイン、ギリシャ、アイルランド、アイスランド、イタリア、ポルトガル、イギリス、これらの諸国は、経済活動の永続的な低落に苦しんできたか、あるいは勢いの再獲得に関する困難を抱えている。
後れを取る古
い資本主義国
今のところアメリカは、成長の危機以前のペースを取り戻している。EUは全体としてみたとき、より大きな困難を抱えたまま歩み、穴をまだ埋めていない。残る日本は、回復からはほど遠く、核惨事以降、GDPは再度下降へと向きを変えた。他方、二つの大新興市場国(中国とインド)の成長は続き、危機はそれらの国には実際上影響を及ぼさなかった。他の国(ブラジル、韓国、ロシア)は、経済活動のもっと厳しい下落に苦しめられた。
同じ姿の欧州
とアメリカ
アメリカと欧州は同じ姿を明らかにしてる。成長が再開するとしても、失業率は、危機が引き起こしたその急上昇から下がりつつあるわけではない(図2)。
勘定書の支払い
は済んでいない
それゆえ経済成長の低落は回復不可能と見える。それは、アメリカおよび欧州経済が以前の標準的なペースをたとえ取り戻したとしても、「所得の低落」の回復はないと思われる、ということを示している。われわれはその額を、観測されたGDPと危機以前の動向を延長することで得ることのできるそれとの間の落差として、見積もることが可能だ。こうして計算される差は、ユーロ圏では八%、アメリカでは六%として現れる。アメリカのGDPはおよそ一五兆ドル、ユーロ圏のそれは約九兆四〇〇〇億ユーロ(一二兆ドル)だ。つまりこの二つの例では、所得の低落はおよそ九〇〇〇億ドル(七五〇〇億ユーロ)となる。
GDPのこの損失は公的債務の拡大という形に反映されている。ユーロ圏で後者は二〇〇八年から二〇一〇年の間に、九八〇〇億ユーロ増大した。同じ時期アメリカでは、この債務がもっと急速に、三兆二〇〇〇億ドル増大した。
この「GDPの落ち込み」は、債務の山の崩落を引き起こす危険がある。その打撃を限られたものとするために、この失われた所得に対し国家が責任を負った。彼らの問題は今やこの債務を管理することだ。そしてその手段こそ、勘定書を広範な彼らの市民多数につけ回すことのあからさまな追求だ。
しかしこの計画はあらゆる種類の障害にぶつかっている。そしてこの不確かな情勢が、昨日の成長への回帰をさらにもっとありそうもなくするだろう。債務にけりを付けるために何もなされなければ、吹きだまったその山を吸収するためには、それが積み上がるに要したと同じほどの長い時間がかかるだろう。そして成長は、危機以前にそれが人為的に押しあげられたと同じ比率で抑えられるだろう。しかし、資本主義経済の二大極における永続的な成長減速という仮説に賭けるに当たっては、もっと本質的な理由がある。要するにアメリカモデルはもはや以前のようには機能せず、ユーロ圏は長く続く構造的な危機の中に突き落とされてしまったのだ。
アメリカモデル
の全論理と限界
アメリカモデルの全論理は、それがいかにしてその限界に突き当たっているかを示す図3に概括されている。このグラフは二つの曲線を比較したものだ。第一のものは家計の貯蓄率(可処分所得に対する比率)だ。そしてそれは、一九八〇年代初め以来、危機勃発に至るまで傾向的に低落してきた。それは、この時期を通じて(四分の一世紀)家計(平均を取った場合)が所得のますます多くの部分を消費に回してきた、ということを意味している。この極めて特徴的な発展には、アメリカを除いて他に真に匹敵するものがまったくない。そしてそこには、異なった社会的な階層が異なった比率で使っている二つのメカニズムが含まれている。
第一のものは資産効果だ。つまり、私の金融資産や実物資産が価値を高めている場合、私は貯蓄の必要がより少なくなり、それゆえ所得の内のより大きな部分を消費できる、ということだ。第二のものは過剰借り入れだ。私の所得が停滞したとしても、しかし私は消費を続けるために、もっと借金へと歩を進めるのだ。そしていくらかの富裕な家計も、株式市場での勝負のために一層借り入れを進める可能性がある! この現象が、消費の過剰成長から引き出されたGDP成長にはっきりと貢献してきた。
しかしこのモデルは、貿易収支の低落へと導いている。そしてそれが第二の曲線だ。家計消費に押しあげられ、内需は国内生産以上に早く上昇する傾向がある。そしてその差は、貿易赤字を増大させる輸入の過剰によって埋め合わされる。このモデルが機能可能なのは、この赤字に対する資金手当を世界の残りに強要できる限りのことにすぎない。それこそが、このグラフの二つの曲線が一九八〇―二〇〇六年の時期全体を通じて足並みをそろえている理由だ。
この相互関係は偶然ではなく、「収支釣り合い法則」と呼ぶことができ、民間部門の貯蓄+国家財政収支=貿易収支としてまとめることができる、基本的な会計上の釣り合いから来る結論だ。
民間部門の貯蓄は企業部門と家計部門を合計した貯蓄を表している。第一のものは一般的にマイナスであり(企業は借り入れを進める)、第二のものはプラスだ(世界的には、家計は自分自身で借金する以上に貯蓄する)が、その合計はプラスにもマイナスにもなり得る。国家財政収支に関しては、一般には赤字だ。先の等式が表すものは、貿易収支が私有部門の貯蓄と国家財政収支の合計に等しいと言うことだ。
それがマイナスであるということが意味するのは、支払いの収支バランスは資本流入によって確保されている、ということだ。言葉を変えれば、考えている国の貯蓄の必要は世界の残りの貯蓄によって埋め合わされているのだ。貿易黒字の場合はそれが逆になる。その国(国家+家計+企業)は、その時輸出可能なプラスとなっている貯蓄を、貿易黒字の相対物である資本流出という形で処理する。
こうして、アメリカにおける家計部門の貯蓄率下落には当然のように貿易赤字の上昇が伴っている。考慮されるべき他の要素(企業負債と国家財政赤字の関係)が演じる役割は相対的に二義的である。しかしわれわれは、グラフ3にそれらの痕跡を見つけることも可能だ。一九九〇年代にわれわれは、家計の貯蓄率が下落し続け、しかし貿易赤字が安定する傾向にある、ということを見ることができる。この理由は単純だ。この時期の進展においては、国家財政収支は相当に改善されていた。それは、一九九二年のGDPの五%赤字から、インターネットバブルの破裂、ブッシュによる減税と軍事支出、これらを契機とした再度の急落に先立つ二〇〇〇年の、二・六%黒字へと進んだ。危機と通貨膨張計画によって国家財政赤字は、今やそれがGDPの一〇%内外となるほどまで、深い穴の中に突き落とされた。
上で使用された会計の関係は今も実証されているが、それは、その現実化の条件に関しては何も語るわけではない。そこには、一つが他に合わせるというような要素はまったくない。各々が背後で相互に関係している。しかし最も重要なことは、調整はかつてのいかなる成長率とも両立できない、ということである。アメリカの場合、この均衡の現実化は、その危機以前の水準より低い成長率の下でしか起きる可能性がない。
しかしながら、われわれは(やはりグラフ3上に)最近の時期を通じたいわば高潔な循環のある動きの開始を確認できる。危機への突入以来家計の貯蓄率は、下落を止めたのだ。それは、GDPの四%分の上昇すら記録した。貿易収支へのその効果は即時的であり、実際にも同じ比率の改善となった。それはアメリカ経済にとって、外国資本への依存がより小さくなることを意味している以上、一見よいことだ。しかしその時矛盾は以下のことだ。つまり、アメリカの成長率を押し上げたモーターの一つが貯蓄率の下落にあった以上、それが上昇に転じたという事実は、成長はもはやこの押し上げに依拠できない、ということを意味するのだ。
それゆえ、国家財政赤字の成長を考慮に入れることが必要となる。その大きさ(GDPのおよそ一〇%)は、過去半世紀匹敵するものがない。したがって、財政赤字が今日民主党と共和党間の主な政治的対立点であることは、驚くことではない。われわれはここに新しい矛盾を見出す。貯蓄率の下落は、それが私的部門から発生しようが公的赤字から発生しようがそれに関わりなく、これからも、ますます困難さを増す資本流入で埋め合わされることとなるのだ。
ここで均衡点はあらためて、特に歴史的な高水準での、また緩やかな下降の途上にあるにすぎない失業率の埋め込みと結びついた、一団の政治的かつ社会的諸問題を伴って、減速された成長の水準で見出される。しかもその失業率は、三月の八・八%から六月の九・二%へと動き、上昇し始めてさえいる。実際はあきらめてしまっている求職者やフルタイムの仕事を探しているパートタイムの被雇用者を含めれば、失業は今や六人に一人の労働者を苦しめている。
この束縛の多いシステムからの解放を可能とすると思われる道は二つしかない。第一の道は、貿易赤字を増やさずに成長上昇を可能とするよう、アメリカ産品輸出の増大に対する積極策を含むと思われる。この目的は投資と技術革新に対する努力によって得られる可能性があるだろう。しかし、現在の危機の中では、投資は非常に活発というわけではなく(企業が使わずに確保している手元資金は史上最高水準にある――訳者)、多国籍企業は海外への投資に優先性を与えている。ドル為替レートの絶え間ない下落だけが、アメリカ産品の競争力をより高めるにすぎない。しかしこの動きは、ドル為替レートに関する疑念を高め、赤字を埋め合わせるために必要な外国からの資金手当の枯渇に導き、こうしてその限界に達する可能性がある。それ故この道は本質的な不確実性に結びつく。
他の解決策は、所得分割の実質的な変更を含む可能性だ。一九八〇年代始め以来、成長から得られた極端な所得が、人口の極めて狭い部分によって事実上独り占めされてきた。こうして一九八二年から二〇〇七年の間に、平均所得を見れば一万八九〇〇ドル増大したが、しかし最富裕層一〇%がこの追加所得の八一%を手にしたのだ!
所得の配分がもしもっとよいものであれば、より低い成長であっても許される可能性があり、そうすることで賃金は、労働の生産性同様徐々に改善することとなると思われる。即効的には抜本的な税制改革が、不平等に彩られたこの四半世紀の受益者により多く貢献させることによって、赤字削減を可能にさせるだろう。明らかに、社会的な力関係はそのような解決を強いるには不十分だ。これらの諸条件においてありそうなことは、アメリカが彼らの繁栄の継続のために世界の残りに責任を負わせようとすることだ。しかしこれは再度不可能な仕事となる。なぜならばそれは、アメリカの貿易赤字に資金を融通するつもりのある国の成長減速にぶつかるにすぎない可能性があるからだ。中国並びに新興市場諸国の多くはそれ以上に、彼らの経済が国内市場に再び中心を移し、さらにそれらの国同士の交易が強化されるほどにまで、彼らの黒字が引き下げられることを知るだろう。 (つづく)
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