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    かけはし2011.8.15号

レイシズムは過去の遺物ではない

欧州のレイシズムと排外主義

憎しみを生産する構造を
解体しなければならない

エンツォ・トラベルソ

 欧州全域を貫いて極右の精力拡大が伝えられる中、ノルウェーで惨劇が起きた。この欧州極右の活発化は何を表現し、われわれにどのような対応を要請しているのか。以下はこの問題に応えるものとして、人種主義と排外主義の機能的性格と政治表現についての分析を提供している。(「かけはし」編集部)

象徴的な敵を構築する手続き


 人種主義と排外主義は、「消え去ろうとしない過去」の残存物でもなければ、それを生み出した条件が消滅した後も生き残っている古い習慣でもない。烙印を押すことへの誘惑、排除の行為や、ときには多様性を憎むことの快楽に対して、二〇世紀の激動はわれわれにワクチンを与えたわけではなかった。この観点から見れば、現代の排外主義は、人種主義の歴史、近代の基層と深く結びついている。その形は変化しているが機能は不変だ。したがって、他者の人種主義的でっち上げを歴史的文脈の中に位置づけ、それが今日も存在し続けている理由を理解することが必要である。
 あまりにもしばしば、人種主義は一種の病理とみなされ、近代の規範の一つとはみなされていない。人種主義と闘うには、変形やひずみの一つとしてでなく、社会的秩序や文明のモデルそのものを問題にする必要があることを理解しなければならない。したがって、人種主義や排外主義の成功の理由は、現実の客観的描写の真実性や描写能力ではなく(その現実に対して民族的観点から見れば誤った、あるいは受け入れ難い答えを、古い常識からもたらすことができるような)、その有効性や機能的性格にあるという現実から出発する必要がある。
 人種主義と排外主義は、象徴的な敵を構築するプロセスである。それは好ましくない姿にでっち上げられ、狙いはアイデンティティの探求、帰属意識の欲求、安全と保護の必要を満たすことである。そのメカニズムを明らかにし、うそを糾弾することは、確かに必要ではあるが十分ではない(多くの場合無益である)。なぜなら、その影響力は、「客観的」議論の形で示されている場合でさえ、知的な善良さや合理的議論に基づいたものではなく、別の方法、いけにえの羊をさがすことに基づいているからである。
 人種主義は、一八世紀の終わり頃に出現し、近代植民地主義およびナショナリズムとの共生関係に入り、二〇世紀に頂点に達し、ファシズムと反ユダヤ主義の出会いがナチス・ドイツに至り、絶滅の終章に導いた。かつてピエールアンドレ・タキエフによって定式化された洞察によれば(彼は今ではこれを超えて、すっかり新保守主義右翼になっているが)、現代の人種主義的議論は真の変態を経験し、(ゴビノー、チェンバレン、バチェドゥラプジュやロンブロゾによる)階層的あるいは「人種主義的」方向性を放棄して、差別主義と文化主義になっている。言い換えると、「人種の科学」から自民族中心主義に変わっている。しかし、このような変化は、アービング・ゴフマンが「烙印」の概念によって要約したような社会的拒否や道徳的排除の古いメカニズムを変化させるものではない。

非ファシズム化した人種主義


 一九九〇年代に、ヨーロッパで強力な人種主義がふたたび出現した。それは政治的宗教的権威や「記憶の義務」に関する儀式を行う尼僧を儀式的にもたらす公式の典礼の普及によって抑制されるものではなく、一〇代の大学生をナチス強制収容所現地訪問させることによって抑制されるものではなかった。人種主義が中央舞台に戻ってきたとすれば、それはよく知られた「移民のせい」ではなく、アルベルト・バージオが書いたように、「近代欧州の遺伝子」によるものである。
 しかし、新しい衣を着け、また排除と憎しみの尽きることのない「ファイル」に新しい章を追加することにより、人種主義は自己を永続化する。二〇世紀前半のヨーロッパに出現した人種主義とファシズム、ナショナリズムと反ユダヤ主義の絡み合いは、もはや存在しない。ナショナリズムと反ユダヤ主義は、欧州連合の新規加盟国の間でいまなお増殖している。そこでは一九四五年に中断した歴史が更新され、「現存社会主義」の四〇年間に蓄積された憤懣が強まっている。欧州大陸のこの部分では、一九三〇年代の独裁の血統が主張されている。たとえば、ハンガリーのジョビクは「矢の十字」の遺産を引き継ぎ、マーシャル・ホーシーの記憶を保ち、失地回復主義的、拡張主義的神話を復活させている。大ルーマニア党やクロアチア右翼党(HSP)は、アンテ・パベリッチのウスタシ運動の継承者である。
 しかし西ヨーロッパでは、ファシズム発祥の地であった諸国においては、ファシズムは組織された勢力としては事実上存在していない。ドイツでは、世論に対するネオナチ運動の影響力はほとんどゼロである。スペインでは、フランコ主義の遺産はカトリック保守派の国民党に引き継がれ、ファランヘ党は絶滅危惧種になっている。イタリアでは、逆説的な現象が目撃されている。公共的な議論および人口の重要な部分の歴史認識におけるファシズムの復帰は、ムッソリーニの後継者たちの主要な変態と符合する。反ファシズムは「第一共和制」の遺伝子であり、ベルルスコーニのイタリアの遺伝子ではない。ジャンフランコ・フィーニをリーダーとする党「未来と自由」は、リベラルな改良主義的「進歩的」右翼を標榜し、ベルルスコーニの政治的保守主義と北部同盟の文化的反啓蒙主義を批判している。
 フランスの政治的スペクトルの中で右翼として自己を位置づけている国民戦線は、マリーヌ・ルペンを党首として、国民革命の支持者、カトリック原理主義者、フランスのアルジェリアを懐かしむ人々で構成される極右の伝統的イメージから自己を解放しようと試みている。ファシスト的要素が残ってはいるが、今では覇権主義的ではない。国民戦線は前回大会において、言葉づかいを一新し、彼らの伝統にはなかった共和主義的言葉づかいを採用した。父と交代したマリーヌ・ルペンが、王朝の継承の形をとって継続性の希望を表明したとしても、改革の希望を紛れもなく表明している。古典的ファシスト運動は、女性に指導部をゆだねたことはなかった。

新極右―移民の暴力的拒否


 しかし、ファシスト的伝統の衰退は、新しい種類の極右の登場に道をゆずることである。そのイデオロギーは二一世紀の変化をわきまえている。政治経済学者ジャン―イブ・カミュは、極右の新しい特徴を最初に把握したひとりであった。すなわち、国家の個人崇拝の放棄、福祉国家の批判に重点を置いた新自由主義的世界ビジョン支持、納税者反乱支持、経済規制緩和、個人的自由の重視と公的干渉反対などである。民主主義の拒否は、ナショナリズムが必ずともなうとは限らない。場合によっては、イタリアの北部同盟やフラマン極右派が示すように、国民国家のモデルに疑問を呈する自民族中心主義の要求によって置き換えられる場合がある。
 ほかの場所では、ナショナリズムは、グローバリゼーションや文明化のショックに脅かされている西欧の防衛の形をとっている。二〇〇二年のオランダにおいては、ピム・フォルタインが調合した、排外主義、個人主義、婦人の権利や公然たる同性愛の防衛の特異なカクテルが、長続きする議席獲得開始の鍵となった。北部欧州の他の政治的運動も同様の特徴を持っている。たとえばベルギーのフラームス・ブラング、デンマーク国民党や最近ストックホルムで議席を獲得したスウェーデンの極右派である。オーストリア自由党(カリスマ的指導者イエルグ・ヘイダー)も、より伝統的なステロタイプと混合しているが類似の特徴を持ち、昨年一〇月の選挙ではウィーンで第二党(得票率二七%)となった。
 この新しい極右の共通の特徴は、移民の暴力的拒否として表現される排外主義である。今日の移民は、一九世紀の「危険な階級」の後継者である。「危険な階級」は、当時の実証主義的社会科学によって、アルコール依存症から犯罪や売春に至る、コレラのような伝染病さえ含む、あらゆる社会的病理の容器として描かれた。これらのステロタイプは、多くの場合、詳細に定義された精神的肉体的特徴を持つ外国人の表現の形に濃縮された。それは東洋的植民地的な心的傾向に由来し、「侵入者」や「敵」として受け取られる「他者」に対する恐怖に基づいた、消極的な不確かな脆弱なアイデンティティーを守ることを可能にするものであった。

反イスラムと反ユダヤの相似


 今日のヨーロッパにおいては、移民は主としてイスラム教徒の特徴を持っている。今日の新しい人種主義にとってのイスラム恐怖症は、第二次世界戦争前のナショナリズムとファシズムにおいて反ユダヤ主義が演じた役割を演じている。大虐殺の記憶(集団虐殺の結果に至る反ユダヤ主義の歴史的受容)は、これらの類似点をあいまいにする傾向があるが、類似は明白である。現代の排外主義が描くアラブ系イスラム教徒の横顔は、二〇世紀初めに反ユダヤ主義が描いたユダヤ人像とあまり違わない。かつての中東欧の移民ユダヤ人のあごひげ、テフィリン(聖句箱)、カフタン(長袖の衣服)は、今日のイスラム教徒のあごひげやベールに対応している。
 どちらの場合も、少数民族の宗教的・文化的習慣や衣服・食物の習慣が、国民共同体にとって吸収できない外国人のいやなステロタイプを構築するために動員された。ユダヤ教およびイスラム教は、このようにして他者の否定的な隠喩として機能する。一世紀前には、流行画像によって描かれたユダヤ人は、必ず鉤鼻と尖った耳を持っていた。同じように今日のイスラム教徒は、欧州で生活するイスラム教徒女性の九九・九九%は体全体を覆うことはしていないにもかかわらず、ブルカによって識別される。政治的レベルにおいては、イスラム・テロリズムがユダヤ・ボルシェビズムに置き換わっている。
 今日、反ユダヤ主義は依然として中欧におけるナショナリズムの際立った特徴だ。そこではイスラム教徒はほとんど存在せず、一九八九年の転換点が古い悪霊を復活させた(もはやユダヤ人がいなくなっても存在している)。しかし、西欧の極右の主張からは反ユダヤ主義はほとんど姿を消した。オランダでは、ゲルト・ビルダーが「イスラム・ファシズム」に対する闘いを中心テーマに取り上げた。二〇一〇年一一月二八日に投票された国民投票によれば、スイスの有権者の五七%がミナレット(イスラム寺院の尖塔)の禁止に賛成した。今のところ、スイス連邦国内の一五〇のモスクのうちの四つしかミナレットを持っていない。この敷居はまだ乗り越えられそうではない。
 イタリアおよびフランスでは、同様の処置を提案する複数の声が上がっており、スイスの排外主義的、ポピュリスト的右翼の気まぐれからはるか遠くにあっても、イスラムに烙印を押したいという感情が欧州全体をとらえていることを示している。シュロモ・サンドが、イスラム恐怖症が今日欧州の結合剤になっていることを強調したのは正しい。反ユダヤ主義が一九世紀に国民国家の建設の過程で基本的役割を演じたように、欧州の「ユダヤ―キリスト教」マトリックスのことも忘れてはならない。

民主主義の脅威が問題ではない


 したがって、この新しい「脱ファシズム」化された極右はポピュリストの形態をとる。誰にも分かるように、この概念はあいまいで、弾力性があって、紛らわしく、人々の排他的なさげすみを確認するために使用される場合には憎しみさえこもっている。それにもかかわらず、この新しい極右の選挙における頻繁な躍進は、労働者階級や社会のもっとも貧しい層の間の多数意見を見つけ出す彼らの能力を実証している。右翼のポピュリズムは、エルネスト・ラクラウが明確に示しているが、左翼が見捨てた人々の苦悩を餌にしている。左翼の任務は、彼らを組織化し代表することだったはずである。ポピュリズムは、最終的には、右翼と極右の間の隙間のある境界を示す横断的カテゴリーである。
 この問題に関して誰かが疑念を持った場合、サルコジは選挙以降、最初は移民・国家アイデンティティー省を創設することによって、次に、ロマの人々に対するキャンペーンを開始することによって疑問を消滅させる処置をとった。ロマの人々は襲撃され、民族・人種調査に基づいて排除され、欧州右翼の多くの国会議員の熱い支持を生み出した。最初に支持を表明したのはイタリアであった。実際には、平等の権利のための闘いが、共和主義的ナショナリズムと共同体主義的複数文化主義の間の不毛な対立を避けるために、この二一世紀の初めに議題の中に戻ってきた。それは一九世紀に、登場してきたリベラルな中間階級が階級、性別、人種の強力な障壁によって選挙権を制限することにより民主主義に反対したときと同様である。
 今日、複数の国で公布されている法律にもかかわらず、体制の中で依然として女性は低い代表権しか得ていない。民衆階級は投票箱を放棄し、政治的制度に対してますます無関心になり、政治制度は無縁の、敵対的なものとさえ感じている。移民たちは、最終的にはあらゆる権利から排除されたままである。これがわれわれの「幸福なグローバリゼーション」の際立った特徴である。
 人種主義と排外主義の変態は、いつまでも政治的結論なしではあり得ない。欧州連合の新しい加盟国においては、反ユダヤ的でファシスト的な極右ナショナリストの台頭が見られ、明らかに反ファシズムが今日の闘争課題であるとしても、西欧においては情勢はまったく異なっている。確かに、ムッソリーニ、ヒトラー、フランコを経験した大陸において、反ファシズムは、歴史意識の構成要素として、民主主義の遺伝子の一部を占めていなければならないはずである。しかし、反ファシズムの名の下に新しい形態の人種主義および排外主義に対して闘うことは、後衛戦のように見える可能性がある。
 反ファシズムは、一九八〇年代および一九九〇年代に組織された政治運動として役割を果たした。特にフランスにおいては、ファシスト的基盤(全般的情勢は一九三〇年代とは異なっていたが)を持った右翼の登場に対して対決した。しかし、今日では、脅かされている民主主義を守ることが問題ではない。人種主義と排外主義は、完全に補完的な二つの顔を持っている。すなわち、一方では新しい「共和主義的」極右組織(民族的、国民的、宗教的基盤に基づいて区切られた「権利」の保護)の顔であり、他方では政府の政策(非合法移民の仮収容所、計画的追放、民族的または宗教的少数派に烙印を押し差別することを意図した法律)の顔である。
 この新しい人種主義は、代議制民主主義を包容し、それを内部から改変する。したがって、反人種主義に新たな鼓動を与えるために、民主主義自体が、平等な権利や市民権の概念とともに、再定義されなければならない。
▼ エンツォ・トラベルソは、パリ社会科学高等研究所の前ユダヤ研究担当教員で、現在はアミアンのジュール・ベルヌ大学で政治科学を教えている。以下の三つの著作が英語で出版されている。『マルクス主義とユダヤ人問題』(一九九四年)、『ユダヤ人とドイツ』(一九九五年)、『ナチス大虐殺の理解、アウシュビッツ後のマルクス主義』(一九九九年)。
(『インターナショナル・ビューポイント』二〇一一年七月号)
(訳注)出典を示す原注は省略した。


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