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    かけはし2011.8.1号

右翼の敗北が刻印したのは新しい労働者運動の到来

イタリア 地方選―ベルルスコーニの敗北

サルバトーレ・カンナボ

 イタリアでは五月の地方選で北部同盟やベルルスコーニが率いる「自由な人民」などの右翼が敗北し、中道左派の民主党(PD)を中心に形成された連合が勝利した。ベルルスコーニが「彼の市」と豪語したミラノでもPDとの連合が市長に当選した。この勝利が六月の国民投票で水の管理の私有化を停止させ、原発建設を中止させる力となったことは明白である。(「かけはし」編集部)

 今年五月後半二週間、一三の大都市を含むイタリアの一三〇〇の自治体で、地方自治体選挙が行われた。投票率は一回目が六八・五八%、二回目が六〇・一二%だった。二〇一〇年地方選と比べると、右翼は全国総計でその得票を六%失ったが、北部での喪失は一三から一六%に達し、ベルルスコー二の党、「自由な人民」(PdL)は、ボッシの北部同盟以上に票を失った。中道左翼の民主党(PD)を中心に形成された連合は勝利した。しかしそれは何よりも、シニストラ・エ・リベルタ(SEL=自由左翼党、共産主義再建党の分裂組織)からの「急進的」候補者に負うものだった。コメディアンのベッペ・グリロが率いる反政党運動、「五つの星」は、九万三〇〇〇票を獲得した。さまざまな形態を取った左翼は、いくつかの重要な町と並んで四つの最大都市(ミラノ、ナポリ、トリノ、ボローニャ)で勝利した。

中道左派の勝利
と右翼の後退
 この選挙は右翼の、特にベルルスコー二と彼の情報操作戦略にとっての敗北を意味した。彼の伝統的な支持者すらもが、特に大都市で彼を見放した。彼は、現在の政治的な勢力均衡を変えなければ彼の政権の安定を図るのが難しいことを見出すだろう。実際、PdL内部並びにその連立相手である北部同盟間双方の緊張は明白だ。中道左翼はあらためて右翼に対する選挙上の「オルタナティブ」となり、信用を少しばかり回復した。

ミラノでは市長に
急進的候補者当選
 もっとも注目を集めた結果は、ミラノとナポリの結果だった。ミラノでは、予備選に勝利した(注一)ギュリアーノ・ピサピアが左翼連合(PDが最大政党)の候補者となった。彼はSELのメンバーであり、元極左活動家だった。そして彼が、活動家の支援委員会を基礎とする民衆的な運動に支えられ市長に選出された。PDとの連合に希望のすべてをかけることは確かに、SELの選択として最良のことではない。しかし、この都市の空気が変わったということ、そして「解放」感、右翼から自由だという感情が極めてはっきりしていること、これは鮮明だ。この都市をベルルスコー二が「彼の市」と見なしていたという事実にはあえて触れるまでもない。実際彼は、各選挙の日付けに全国的重要性に準ずる重みを与えながら、ここで三週間も選挙運動を展開した。そして、北部同盟が抑制のない人種主義的キャンペーンに取りかかったのは、ミラノにおいてだった。それは、聞くところによればとして、移民の、ジプシーの、不法占拠者の候補者であるとして、ピサピアに集中された。
 もう一つの際立つ勝利は、右翼とPD(注二)双方に対立する連合を基礎とした、またミラノの場合を特徴づけた民衆的な参加を欠いていたとしても、極左によって支援されたナポリにおけるルイジ・マジストリスの勝利だった。
 「左翼の人びと」は、伝統的な中道左翼との関係で何かしら新しいものを代表するあらゆる連合あるいは候補者から、信用と希望を取り戻しつつある、上記の二つの勝利はこのことを示している。

国民投票へキャ
ンペーンは続く
 これらの選挙によって復活した希望は、六月一一・一二日の国民投票で水の管理の私有化を停止させるための、また原発建設を阻止するための成功裏に進むキャンペーンをめぐる次第にふくれあがる熱気と混じり合っていた。これらのキャンペーンは、国中の何千という地方の委員会のエネルギーと創造性を動員し、左翼によって落胆させられ幻滅を味合わせられた何万という活動家の直接的参加という感覚を復活させた。非常な長期を経て初めて、一つの運動が曇りのない勝利を得る可能性をつかんでいる。そして作り出された委員会は、脅かされている部門(委員会は水問題から始まったとはいえ、関係する法律は、廃棄物収集や公共交通にも関わっている)の労働者と共に、イタリアが必要としている左翼の再建にとっては一つの基盤となり得ると思われる(注三)。

政治情勢の転換は
いまだ軽いそよ風
 イタリアで風向きが変化したと言うにはまだあまりに早すぎる。しかし、地方選挙キャンペーンと国民投票の数週間は、ベルルスコー二と右翼を打ちのめす可能性という形で希望を復活させた。しかしながらこの希望は、永続的な動員にいたっているわけではない。他の地中海地域諸国において既に知れ渡るほどに強い憤激は、イタリアでは現時点で、それを表現する選挙以外の道具あるいは空間を見出していない。
 シニストラ・クリティカ(批判的左翼)は、動員に基づいた運動を可能とする候補者を立てることができたところだけで闘った。そこではいくつか心地よい驚きがあったが、結果は限定されたものだった。われわれを待ち受ける主な仕事は、環境的に破局的な諸施策によって脅かされている何千という人びと、女性、学生、労働者と共に進むものであり、それははっきりしている。そしてそれらの人びとは、国民投票をめぐるキャンペーンを通して何年も闘ってきたのであり、そのようにして明らかになっていることは、この決起が政治的かつ社会的なものとなり、社会的変革の必要性という問題を提起しつつ、ベルルスコー二と右翼に圧力をかけ後ずさりさせる可能性を開いている、ということだ。
 ベルルスコーニはまだ彼の自由になる多くの手段をもっている。しかし彼の時代は終わっている。そしてこの敗北の象徴こそ、彼が近年における廃棄物処理の破局に対する責任をただ中道左翼にのみかぶせ、自身のイメージを行動の人としてねつ造した町、ナポリだ。そしてそこでこそ有権者は、彼に背を向け、彼にとってはもっと悪いことに、彼の訴えを拒絶し、斬新さ、正当性、道義的適性、また社会変革を代表するマジストリスに信頼を与える方を選んだ。
 これらの新市長が何をできるかはこれから分かることとして残っている。しかし選挙民のメッセージははっきりしている。つまり、腐敗状態にある政治を振り捨てるための変革に向けた願いがある。プロ政治家たちは既に、ポストベルルスコー二時代に向けいかに組織するかを論争している。PDはすでに、中道に開かれた「大連立」構築を試みようとしている。こうしてPDは、何よりも彼らが「緊急政府」提案を持ち出すならば、変革の精神に対してブレーキを代表することとなるだろう。必要とされているものが何よりももう一つの左翼、異なった左翼であることは、その時明白となる。
 しかしそれは別の論争点だ。何が起ころうとも、この国における一つの局面は終わり、われわれは、次を築く仕事へと進む必要がある。
▼筆者は、イタリアの批判的左翼の指導部メンバーであるとともに、第四インターナショナル執行ビューローメンバー。イタリア共産主義再建党の元下院議員。

注一)何人かの「急進派」候補者が、中道左翼の予備選で、PD官僚が支持する候補者と対抗して近年勝ちを得てきた。ニッチ・ベンドラが道を開き、その後プグリア知事となった。カグリアリ(サルディニア)では、SELの三四才のマッシモ・フェダイが、PD候補者を予備選で退け、五九%の得票率で市長に選出された。
注二)ナポリ地方の近年の歴史(一九九三〜二〇一〇年)は、PDのアントニオ・バッソリーノの腐敗した体制で特徴づけられた。彼はナポリ市長から地方の知事となり、彼の体制における、廃棄物収集の管理、政治的取引に対する見返りという形をとった取引的な経済的肩入れは、この地方の廃棄物に関する悲惨な状況に関わりがないわけがない。「価値あるイタリア」党(この党は、透明性と合法性を唱えた判事、ディ・ピエトロが創立した)のルイジ・マジストリスは、急進左翼の一部から支持され、六五%の得票率で勝利を得た。結果として市議会では、PDが四議席、再建党が六議席となるだろう。
注三)この記事は国民投票の勝利以前に書かれた。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一一年七月号)

タイ

総選挙でタクシン派野党が圧勝

軍部中心の寡頭支配体制を
民衆は圧倒的に拒否した!

 七月三日に投開票が行われたタイの総選挙で、軍事クーデターによって政権を追われたタクシン元首相を支持する「プエア・タイ(タイ貢献党)」が過半数を獲得し圧勝した。昨年、タクシン支持者からなる「赤シャツ」に血の弾圧を行った軍部・アシピット派は完敗を喫した。タクシンの妹インラックをトップとする連立政権が作られることになった。この結果は、タイ社会の伝統的支配層への民衆的不満と抵抗が不可逆的なものであることを示している。(「かけはし」編集部)


全く疑問の余地
もない投票結果
 七月三日に行われたタイの議会選挙は、この国の歴史において最も重要な出来事に名を連ねるものとなった。この選挙は、九三人の死者――そのほとんどがタクシン元首相支持の「赤シャツ」――をもたらした弾圧から一四カ月後に行われた。議会内の軍人が組織した連合によって支持され二〇〇八年一二月に首相となったアピシット・ベイジャジバは、以前に彼を拒否した投票での正統性を勝ち取るために選挙に打って出た。
 選挙結果は、いかなる疑問の余地もないものだった。有権者は、検閲、軍の宣伝、脅しにもかかわらず、中心的野党である「プエア・タイ(タイ貢献党)」に圧倒的に投票した。タイ貢献党は議会の五〇〇議席中二六五議席を獲得し、絶対多数を占めた。この党は実業家から政治家に転身し二〇〇六年九月の直近の軍事クーデターによって倒されたタクシン・シナワトラの党である「タイ・ラク・タイ(タイ愛国党)」の後継である。タクシンが亡命している中で、「プエア・タイ」は選挙戦をリードするために彼の妹であるインラックを党首に選んだ。その選挙メッセージは完全に明白なものであり、選挙はクーデター以来の出来事に対する国民投票としての性格を持つことになった。
 与党連合の駆動者であるアピシットの民主党は、一六五議席を獲得しただけだった。民主党は、国の富を横領し、実際の現代化と健全な経済成長にもかかわらず深刻な不平等を維持してきた軍、王制、高級官僚たちの近親者であったことのツケを支払う結果となった。民主党は、「赤シャツ」に対して行使した厳しい弾圧のツケをも支払うことになった。かれらが行った新聞、ラジオ、テレビ局への検閲、活動家への脅しと逮捕は、「プエア・タイ」の決意を失わせることはなかった。
 今回の選挙は、タイの政治・経済生活を幾十年にもわたって支配してきた寡頭体制への厳しい打撃である。寡頭体制は、立法と行政への直接支配を失った。二〇〇六年のクーデターと将軍たちの指示の下で行われた改憲にもかかわらず、支配階級は依然としてきわめて人気のあるタクシンを取り除くことに成功しなかった。インラックはタイの歴史上初めての女性首相になるだろう。「プエア・タイ」と五つの小政党で構成される二九九議席を持つ連合が彼女を支持するだろう。

軍事クーデター
の可能性は小さい
 新しい軍事クーデターという選択肢は、今日ではきわめてありそうにない。国際的レベルにおいて、選挙で民主的に選ばれた政府を新たに転覆することは、二〇〇六年当時とは違い、米国とその同盟国にとって受け入れられるものではない。しかし何よりもタイ社会内部の分岐がいっそう激化しているため、投票箱での評決への不承認は、疑いなくプエア・タイ、そして「赤シャツ」の一般メンバーによる真の民衆決起を引き起こすだろう。
 可能性がより高いのは、力に訴えることなく新政権を不安定化させるためにあらゆることがなされる、ということだ。政治的分極化がさらに大きくなる危険は、現実のものだ。議会内野党の弱さは、タクシンに反対する「黄シャツ」のウルトラ民族主義運動などの議会外反対派の発展に有利に作用する。あるいは軍と王宮による秘密の策略に頼る傾向も作り出される。
 軍部は、その利害がさして異なっているわけではない「プエア・タイ」に対して、より融和的な態度を取ることもありうる。「プエア・タイ」は矛盾がないわけではない。民衆的選挙基盤によって選出され、「赤シャツ」に支持されているとはいえ、この党は大産業家の利害を守る資本家政党である。その人気は、幾百万人の恵まれない人びとの生活を大きく改善したポピュリスト的政策を二〇〇〇年と二〇〇八年に実行したタクシンに依拠している。
 軍事クーデター以来の民衆的動員は、民主主義、社会的公正、政治的・社会的変革への真の大望を示すものとなった。新政権はこうした期待に応えるだろうか。この疑問への回答は、支配エリートに対抗する意思と能力に大きく依存している。軍部は、政治生活の大きな部分と、ある程度の範囲においてタイの経済生活を統制し、支配している。二〇〇六年のクーデターによって停止した民主主義的プロセスの復活は、軍の非政治化、文民政府への従属、その経済的基盤の浸食を前提にしている。政府は軍の資産、幾つかのテレビ局を含むその情報通信手段に攻撃をかけ、軍に与えられている予算を大幅に削減すべきである。

 年憲法復活
弾圧法規廃止
 新政権が制度的レベルで民主主義の強化を本当に望んでいるのならば、まずはじめに将軍たちが指示した二〇〇七年の新憲法によって置き換えられた一九九七憲法を復活させるべきである。一九九七年憲法は、これまでのところ一九三二年革命以後で最も民主主義的なものだった。また新政権は社会的公正のレベルで保障を与えるべきである。
 すべての政治犯、そしてタイ政治犯協会によれば三〇〇件以上に上る「大逆罪」によって起訴された人びとを、できるだけ速やかに釈放あるいは特赦すべきである。その一方で、多くの犯罪をおかし、とりわけ二〇〇八年一一月にバンコクの二つの国際空港を封鎖した「黄シャツ」の連中を起訴すべきである。
 二〇一〇年四月、五月にそのほとんどが「赤シャツ」である九三人の死をもたらした弾圧を明らかにするための独立調査委員会も設置すべきである。アピシット首相、ステプ・タウスバイ副首相、前最高司令官アヌポン・パオチンダ、彼の後任のプラヤト・チャンオカの責任を明確に特定すべきである。
 民主主義的プロセスは、カネ持ちに奉仕する司法制度の抜本的改革、検閲や、「大逆罪」、サイバー犯罪などすべての弾圧法の廃止なしでは復活できない。「プエア・タイ」は経済的レベルにおいて、その民衆的基盤にとって有利な多くの経済的提案を進めてきた。最低日給の三〇〇バーツへの引き上げなどである。それは地域によっては四〇%から一〇〇%の引き上げとなる。さらに借り手が借金の利払いを三年間猶予することの承認、コメ農家への固定価格保障計画の実施、国家が供与する学生ローンの利子支払いへの所得スライド制、包括的医療費の三〇バーツでの固定などである。こうした措置の実施は、タイ社会を分裂させてきた深刻な社会的不平等を削減させる手始めである。
 「赤シャツ」は民主主義と社会的公正の尊重を呼びかけて動員を行った。「プエア・タイ」の大量得票は、住民の多数が構造的変革を望んでいるもう一つの証である。「プエア・タイ」はタイの社会を貫く政治的・制度的・社会的諸問題に対処する政治的意思を持つのだろうか。この複合的危機に打ち勝つのに必要な改革の実施は、「赤シャツ」と市民社会がかれらにそれを強制する能力にいっそうかかっているのである。

(「インターナショナルビューポイント」二〇一一年七月号)


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