欧州が見る日本
2011年5月末―原発危機の転換点
権威への信頼崩壊の中、対決の分岐線と政治的焦点が浮上
ピエール・ルッセ |
以下は、ピエール・ルッセ同志が、東電福島原発大事故以後に発展し始めた日本の政治・社会情勢について、その歴史的な意味を日本人以外の読者に向け解説したものである。かなりよくまとめられている上に、日本のわれわれにとっても参照すべき観点がある。(「かけはし」編集部)
民衆の怒りと譲
歩しない支配層
福島第一原子力発電所における原発事故の重大性、原発推進関係者の様態を覆い隠してきた欺瞞的政策、原子力を選択することによって一般住民に押し付けられてきたリスクの大きさ、そして民主主義の蹂躙を曝露する事実が毎日のように明らかにされている。このスキャンダルによる衝撃は日本列島を越えて広がっている。日本の原発危機は転換点に到達しているといえるだろう。
当初、政府の社会・エネルギー政策に反対したのは少数の人々にすぎなかった。国民的一致団結が絶え間なく叫ばれる状況のもとで、当初、一般の人々は地震と津波と原発惨事という三重の災害のすさまじい破壊と猛威に圧倒されていた。つづいて、原発推進政府機関・企業の「いかさま」専門家による虚言に愚弄されていたのだということになり、人々の怒りが爆発した。原発推進政府機関・企業は、高まる反対に直面して、陳謝するのではなく、一歩も譲らない構えをとっている。対決の分岐線がひかれつつあり、政治的焦点が浮かび上がりつつある。
福島 にまつわ
る現在の虚言
福島第一原発のオペレーターである東京電力と日本政府原発当局は、(一)六つの原子炉のうち三つの炉心が原発事故の当初の時点で溶融していたこと、(二)前言と異なり、原発建造物が地震によって被害を受け、その破損が津波だけによるものでないこと、(三)核分裂物質を冷却するための注水によって新しい難題がつくりだされ、大量の放射能汚染水が原発施設にひろがり、原発現場における作業を不可能にしたこと、(四)そして、このような事故についてまったく想定していなかったことを認めなければならなかった。電力業界と政府組織はまた、この原発惨事への対応を効果的に連携することもできなかった。
この原発事故をまったく想定していなかったのは、日本だけではない。福島原発で生起したのは津波をともなう地震による四つの原子炉における同時発生事故であり、このようなシナリオは全世界の原発当局組織にとって想定外のことだったのである。「あらゆることが想定され」ていて、「あらゆることが制御可能である」という神話が崩れさった。真実が明らかになり、学術団体(物理学者)、原発専門家、そして報道メディアがこの犯罪的虚言でつるんでいたことが暴露された。事実、とりわけ地震が猛威をふるう日本において、原子力産業に対する一般の人々の支持は「原発専門家」に対する信頼にもとづいていたのである。そして、この信頼がこなごなに砕け散ったのである。 原子力 をおお
う昨日の大嘘
時の勢いであり、いささか遅れて、非常におずおずながらであるが、日本の報道メディアも現下の原発惨事について批判的情報を流しはじめている(注)。日本列島における原発虚言の歴史についても、それを覆い隠していた幕がすこしずつ上がりつつあり、パンドラの箱が開きはじめている。
原子力発電は、持続的経済発展と社会進歩の前提としての安価で安全かつ無限のエネルギーの開発という悪辣な欺瞞にもとづいて人々に押しつけられたものである。しかし、このことを日本で実現するためには、広島および長崎という深い傷を残した衝撃と日本列島が地震の脅威に不断に脅かされているということについての当然の懸念をのりこえねばならなかった。
アメリカは、一九五〇年代に原子力発電を持ち込み、この原子力利用が広島および長崎の巨大戦争犯罪と同根であることを隠すために、「戦争のための核利用」と「平和のための核利用」という対置的図式を押しだした。そして、この場合、戦争目的のための原爆と電力のための原発が核エネルギーの利用という点でまさに同根であるという有機的関連が曖昧にされたのである。敗戦直後期日本の占領者としてのアメリカはこのような原発持ち込みで日本政府の積極的支持を獲得し、さらに日本における原爆反対運動の代表者たちが核エネルギーの平和利用の熱心な擁護者になり、一定の成功を収めることができた。
もう一つの途方もない欺瞞は、「あらゆることが想定されていて」「あらゆることが制御可能である」と主張する虚言である。核エネルギー利用に必然的にともなうリスクは数百年から数千年、さらに長期にわたるものであり、その間に幾多の自然災害、産業惨事、政府危機、経済破綻、戦争、革命と反革命などが生起することはあまりにも明白である。にもかかわらず、電気のような具合に中断できない核分裂と破壊不可能な放射線放出を恒久的に制御できるという虚言を一蹴するようなジャーナリストや科学技術専門家はほとんどいなかったのである。物理学および専門技術者の団体によって原発推進企業に与えられた支持と世論形成のメディアが紛れもなくはたした犯罪的役割によって、ごく少数の反対の声はかき消されてしまった。現在、アカデミーと学者の間で亀裂が見えはじめ、原発専門家は疑惑の目で見られている。日本における原発虚言の歴史の大筋は、他の国々、とくにフランスにおける原発欺瞞の現実と驚くべきほど酷似している。 さらに驚くべ
き異常な事態 三月一一日の惨事の結果についてさらに驚くべきことは、日本の政府諸機関が生起する事態へ対応する準備を欠いていたのは原発危機についてだけではなかったということである。
大地震とその余震、津波、そして原発事故の並行的発生によってインフラストラクチャの「多面」的破壊が発生したが、このようなことは一般に「低開発」諸国で認められる事態とされている。また被災者のための生活用水、食料、避難所の確保は速やかに進行しなかったし、被災地における交通・通信と電気・水道・ガス等の復旧も遅々としていた。日本における地震に対する備えによって多くの生命が救われたことはたしかだが、日本の行政当局は“ありそうもない”災害に備える投資について消極的だったのである。
この種の状況の異常性を明示する数字がある ― すなわち、五月中旬時点において、日本の各種募金組織を通じて集約された寄金のうち被災者のもとに届いたのは三〇パーセントにすぎず、このことは深刻な組織の欠如と混乱を示している。
民衆に向け戦闘
態勢をとる企業
日本の惨事は例外をつくりだすようなことはない。惨事において、階級支配は「国民的一致団結」という名のもとにさらに強まる。原発エネルギー政策の堅持をその立場とする企業経営者層は、東京電力や原発産業には責任はなく、犠牲者への賠償は税金や電気料金引上げでまかなわれるべきだと主張し、利益は私有の対象であり、損失は社会化されるべきであるという資本主義の論理を押しだすのである。
日本経済は動揺し、この四月の貿易収支は一九八〇年以来初めて赤字になった。企業経営者は、社会福祉関連支出の削減、住民負担による増税、そして雇用保護政策の縮小を主張し、原発問題と社会的権利の問題で攻勢のかまえをとる。彼等と対抗する側も、やはり二つの問題を結びつける。 社会各層に広が
る抵抗の高まり
原発分野において「専門家」は信用を喪失した。また政府は放射線被曝問題について冷笑的に対応し、放射線被曝量の法的上限を福島第一原発の作業要員だけでなく学童についても引き上げ、人々をあきれさせた。「子どもの健康について政府を信用できるだろうか」と親たちは不信をいだいている。
フランスと同じで、日本の原発企業は、原発建設地域において反対の声を押しつぶすために金銭上の脅しに訴え、税制や補助金を利用する。にもかかわらず、政府は地震に対してとりわけ脆弱な浜岡原発の一時的停止を余儀なくされた。敦賀湾の「もんじゅ」ナトリウム冷却高速増殖炉で見られたようなスキャンダルが明らかになりつつある。「もんじゅ」増殖炉は非常に危険な活断層上にあり、一九九五年に重大なナトリウム漏出のために停止された。「もんじゅ」は二〇一〇年五月に再開されたが、その三カ月後に重量三・三トンの炉内中継装置が落下した。これにともない現場責任者の一人が自殺し、その遺言は秘密にされている。
現在、反原発運動が離陸している。東京で非常に大衆的な反原発デモンストレーションがあり、つづいて六月一一日の脱原発の全国行動と国際行動の呼びかけがなされている。
地方的・地域的行動から全国的動員への移行は社会的領域においても実現されねばならない。また放射線被曝にさらされている原発現場労働者を守るための運動もはじまりつつある。農漁村住民が異議を示しつつある。避難民はその生活状況について非難の声をあげている。積極的な労働組合活動家は社会的権利の防衛のために闘っている。とはいえ、現実点では、このようなもろもろの抗議や抵抗、闘争を融合しようとする動きは始まっていない。
しかし、意欲的な活動家たちは種々の社会的闘争と反原発運動を結び付けようとしているし、また東京電力本社前の座り込み行動のような運動も見られる。 政治情勢転換
と政治的課題
政治グループ、社会運動、労働組合運動などの活動家が反核運動に積極的に参加している。だが反核運動の大衆的広がりを担っているのは、相互連絡の手段として社会的ネットワークを利用する青年たちである。子供たちの将来について憂慮する子持ちの親たちが反原発運動に加わりつつある。独自の政治的伝統・背景をもたない人々が大衆運動の世界に踏み込みつつあり、このことが新しい抵抗運動に力と活力をあたえる。このようなことは日本列島においてこの四〇年にわたって見られなかったことであり、このことは日本の政治情勢における転換がはじまっていることを示しているようである。
日本における危機は特定の分野に限定されたものではない。この危機は原発危機に限定されるものではないし、また社会的問題だけに限定されるものでもない。それは信頼の危機であり、民主主義をめぐる危機であり、政府の正当性の危機であり、国のあり方にかかわる危機である。その克服は、この国のエリートにとって容易ではないだろう。だがまた、この危機はすでに予備的に用意された対抗的展望を欠如する危機であり、現在の運動に積極的に参加する人々にとって真に対抗的な展望を構築することも容易なことではないのである。
原発を終わらせることが、たしかに初めて現実の問題になりつつある。しかし、政府がこの分野から撤退することを余儀なくされるようなことになったとしても(政府は現に原発への依存を増大させる政策の修正を余儀なくされている)、利潤増殖にとって有利な
― すなわち社会的・生態的合理性に欠ける ― 生産性指向の方策が電力企業によって追求されるだろう。既存の原子力発電所を閉鎖するだけでは不十分である。エネルギーの取出しとその利用の全体系を転換しなければならないし、そのためには、それを支配している資本主義の経済的論理を廃絶し、既存の権力機構を解体しなければならない。
福島原発の惨状がさらに悪化しないように望まれる。しかし、極度に楽観的に想定してみても、この原発はきわめて長期にわたって放射線を放出しつづけるだろう。社会的対立については、それはまだ端緒にすぎず、地震/津波後の全時期にわたって展開するだろう。したがって、連帯の課題も長期的なものになる。 国際的次元の波
及が求める連帯
福島原発惨事の衝撃は、日本列島をこえ、国際的に広がっている。福島原発の事態によって、インドにおけるジャイタプールの巨大原発建設に反対する運動がいっそう大きくなった。また、福島の結果、原子力発電に対する一般の反対が強まり、このことはドイツにおいて明白であり、フランスにおいても原子力発電に対する一般的支持は弱まっている。
福島原発事故による大きな状況の変化が認められる。世界の電力企業にとっても、チェルノブイリにつづく福島原発惨事によって安全対策の要求が強まり、そのコスト増のために原子力発電の資本主義的採算性が危うくなりつつある。この点で、ドイツの大手企業であるジーメンスがこの分野から撤退すると決めたことは非常に象徴的であり、またスイスは原発の廃止を明らかにし、多くの国々の政府が動揺している。そして、わがフランス政府は原子力発電路線にあからさまにしがみついている。
残念なことに過度の犠牲を払ってのことであるが、三月一一日の福島原発惨事は原発推進グループが築いていた壁に重大な亀裂をつくりだした。日本の人々は地震と津波と原発惨事という三重の事態の結果に直面しており、この困難な時期にわれわれは連帯の努力を継続しなければならない。(二〇一一年五月二八日)
注:このことは、われわれのESSFウェブサイト上で詳細に紹介している日本の報道メディアによる英文記事を通じて確認することができる(ESSFウェブサイト
― http://www.europe-solidaire.org/)。日本の大手報道メディアはすべて原発支持の立場をとっている。『朝日』は中道的日刊紙であり、英字週間紙を発行し、インターネット上で英文ニュース・サービスを行っている。『毎日』も『朝日』と似たようなもので、やはり英文ウェブサイトを開設している。『Japan
Times』は日本で唯一の英字だけの日刊紙であり、『朝日』よりもわずかに左に位置しているようである。『読売』は非常に右翼的で、積極的原発推進派であり、英字日刊紙を発行している。『日本経済新聞』はイギリスの『ファイナンシャル・タイムズ』やアメリカの『ウォールストリート・ジャーナル』の日本版のようなものであり、英字週刊紙を刊行し、英文ウェブ・ニュースサイトをもっている。
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