以下の緊急アピールは、マレーシア社会主義党に対して六月二五日に行われた大弾圧(「王制との闘い、共産主義イデオロギーの復活」を禁じた刑法一二二条違反)に抗議して発せられたものである。マレーシア社会主義党は、この間大きく成長してきた戦闘的で国際主義的な社会主義政党であり、前回の国会議員選挙では二人の当選を勝ち取った。マレーシア社会主義党への弾圧に対して、香港、フィリピン、インドネシア、パキスタン、スリランカなどアジアの同志たちとともに、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)と国際主義労働者全国協議会(NCIW)もこの弾圧に抗議する声明を連名で送った。フランスNPA(反資本主義新党)からも抗議声明が出されている。(「かけはし」編集部)
弾圧は笑うべ
きものである
未成年者二人をふくむマレーシア社会主義党(PSM)の活動家三〇人が、刑法一二二条(王制との戦争、共産主義イデオロギー再生の試み)によって検挙され、表現の自由を行使したという理由で七日間の勾留延長を受けた。この条項によって起訴されればかれらは保釈を認められない。
PSMのグループは六月二五日にペナン島のケパラ・バタスで逮捕された。かれらはPSMが六月二四日から二六日まで行っている「ウダッラー・ベルサララー」(もうたくさんだ、退陣の時だ)国民覚せいキャンペーンを知らせるために人びとにチラシを配っていたところだった。
PSMが共産主義を復活させようとしているというニュースは、PSMの活動家を乗せていたバスの中で左翼指導者に共通のTシャツが見つかったということに基づいている。PSMが共産主義を復活させようとしているというニュースは、地域すべての主流派メディアが語る物語であり、想像上の敵への恐怖感を作り出すことを意味している。それは活動家弾圧のためにかつて共通に使われた戦術だった。
逮捕された人びとの中にはPSM全国議長M・サラスワシやPSMの国会議員ジェイアクマル・デバライもふくまれている。(以下逮捕された三〇人の名が記されているが省略――編集部)
PSMは、われわれの活動を国王への戦争や、旧マラヤ共産党の復活と結び付けようとしている政府の告訴を非難する。この見え透いたウソが、六月二四日から二六日まで行われたPSMの「もうたくさんだ、退陣の時だ」全国覚せいキャンペーンに対して使われている。無条件に釈放されると考えられていた活動家たちは、「国王への戦争」にかかわる刑法一二二条の下で七日間の勾留延長を受けた。
警察の声明と現政権によるPSM活動家への告発は、根拠がなく、矛盾に満ち、政治的な動機に発するものである。したがってPSMは政府に対し、このナンセンスな行為をやめ、勾留された活動家を釈放し、この無根拠な告訴に対して謝罪するよう要求する。
PSMは、共産主義の指導者をイメージさせるTシャツを発見したというだけの理由でPSMを「共産主義者」と結び付けようとする政府を、むしろ笑うべき存在だと感じている。こうしたTシャツはきわめて公然と売られており、いかなる問題もなく誰もが買うことができるのだ。さらにマレーシア政府は、中国、キューバ、ベトナムや他の多くの諸国の共産党と政治的・外交的関係を結んでいる。
さらに、マレーシア政府は一九八九年にMCP(マラヤ共産党)と平和協定を結び、ラシド・マイディン、スリアニ・ダン・アブドゥラなどの古参の共産党指導者は、「マレー国王陛下」スルタン・アスラン・シャーへの忠誠を誓って謁見を許されたのである。かくしてポスト冷戦期において共産主義の妖怪を連れ戻すことは、民衆の間に恐怖を引きこんで権力にしがみつき、厳罰主義的な国内治安法の適用を正当化しようとするUMNO―BN(統一マレー国民組織―国民戦線)体制の絶望的な動きである。 公正選挙要求の
民衆運動を敵視
PSMは、合法的活動を行い、よく知られた、人気のある公認政党である。PSMはつねにPKMM、API、AWAS、そしてMCP(マラヤ共産党)などの左翼政党が独立闘争において果たした貢献を認識してきた。PSMがこうした左翼諸政党を認めてきたことは、わが党がMCPの復活を試みているという狭い解釈にとどまることを許すものではない。
UMNO―BN体制によるメディア支配は、この告訴を七月九日に予定されているベルシフ2・0集会(訳注:民主主義、自由で公正な選挙を求めてクワラルンプールで呼びかけられているNGOの行進)から人びとを遠ざけるためものとして浮かび上がらせている。「もうたくさんだ、退陣の時だ」BN(国民戦線)運動は、ベルシフ2・0集会とは関係ないが、PSMはベルシフ2・0集会を支持している。しかし警察はベルシフ2・0集会をやめさせるために両者につながりがあるかのように見せつけている。
PSMは、PSMに敵対する行為が、警察によって系統的に計画されたものであることを知っている。それは大きなはずみをつけ、民衆からの大衆的支持を得ているベルシフ2・0集会を阻止するための大規模な弾圧を行い、政府が国内治安法の発動を正当化するために「敵対的」環境を作り出す意図をもってなされている。
PSMに対する警察の行為は、労働者と民衆の権利のためにわれわれが闘い続けることを阻止できない。
われわれは地域的・国際的連帯を求めている。現在PSMは国内で唯一の社会主義大衆運動であり、われわれはこの大きな闘いを継続するだろう。
社会主義万歳!
PSM万歳!
S・アルチェブラン(PSM全国書記長)
二〇一一年六月二八日
反原発闘争ヨーロッパで拡大
ドイツ、イタリアに続いて
フランスに強烈な規制力を
ダミアン・ジョリトン 以下は、日本と同様に原子力マフィアが社会を牛耳っている国であるフランスから、東電福島原発の大事故がヨーロッパに与えた衝撃を伝えている。脱原発への流れを確かなものとする上でフランスの動向は重要であり、日本からの発信も必要性を増している。(「かけはし」編集部) 六月一一日土曜日、福島事故三カ月を追悼した。ちょうど三つの原子炉で、津波直後、すでに核融合が生じていたというニュースを知ったばかりだった。数カ月にもわたり、この事実が、日本の人民および全世界から隠蔽されていたのである。これは、東電や日本政府の危機管理がいかに崩壊的であるかということを示す例だろう。
偶然にも、六月一一日・一二日には、イタリアで、三つの国民投票が行われることになっていた。そのうちの一つは、原発の再開を問うものである。イタリアでは、チェルノブイリ後、一九八七年、国民投票によって原発全廃を決定してる。国民は、それを危険すぎると判断したのだ。しかしベルルスコーニは、何年も前から、原発再開を政治目標として掲げてきた。そこで、この計画に反対する人々は、反原発アソシエーションを中心として、この問題を国民投票にもちこむことに成功した。結果は、圧倒的だった。九〇パーセント以上が、反対したのである。原子力産業即時廃止の勝利は、イタリア人民にとって、大きな意味がある。原発産業が再び巻き起こしをかけようとすることもありえるが、福島事故の後では、人々は警戒心を強めており、強烈な反対運動に対峙せざるをえなくなるなるだろう。希望を与えるような出来事が次々と起きている。スイスとドイツでは原発の廃止が宣言され、イタリアでは、国民投票によって勝利を得た。しかし、原子力産業は、敗北を認めようとはしない。その例が、インドのジャイタプールにおける計画や、フランスにおける原発建設の再開であるだろう。
福島から三カ月後の六月一一日に、原子力エネルギー利用に対する抗議デモが、世界各国、特に日本とフランスで組織された。フランスでは、パリ、マルセイユ、トゥールーズ、ボルドーなどで、「脱原発」のスローガンのもと、数千人がデモに参加した(パリではおよそ五〇〇〇人)。フランスの反原発運動は、非常に特殊である。というのも、フランスは、世界的に見ても、原発先進国であり、政権多数派がどのような政党であろうとも、国家の装置と電力・原子力産業部門は、何十年にもわたって密接に結びついてきた。フランスでは、原子力産業を推進し、それが十分に発展するために、定期的に、国家資源を投入している。
そのためフランスでは、原発闘争は独特の様相を示している。この闘争に勝利を収めるためには、強烈な力関係を作り上げる必要がある。二〇一二年の大統領選は、反原発論争にとって非常に重要であり、その主張を具体化していく機会となるだろうが、それ以上に忘れてはならないのは、選挙結果にかかわらず、強力な反対運動を組織し、早急な脱原発(例えば六年)を課していかなければならないということだ。このような見通しにおいて、三月一一日以来の反原発運動の動員や、六月一一日のデモは、多数の参加にはいたらなかったものの、原子力社会への抗議を拡大するための第一歩であるのだ。これらは、今後、反原発運動の一環となっていくだろう。
(フランスNPA機関紙「トゥテタ・ヌー」二〇一一年六月二三日号)
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