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    かけはし2011.7.18号

脱原発の闘いと被曝労働

寄稿

仏ドービルG8対抗アクション分科会

フランスの仲間の関心に応えるために

あらためてヒロ
シマ・ナガサキ


 フランスのル・アーブルで五月二一・二二日に開かれたG8対抗アクションについては本紙で簡単に報告したが(六月二〇日号)、今回は五月二二日に行われた脱原発分科会について報告する。原発労働者も討論に加わる形で、脱原発の中での原発労働問題が一つの大きなテーマとなっていたことが特徴だったが、それは日本における今後の運動にも重要な課題を提起しているのではないだろうか。
 さてこの日は、七つのセミナーが開かれた。原発、金融、移住労働者、農業とG20、途上国の不公正債務、環境、そしてアラブ革命など現在の情勢の中で主要なテーマを網羅していると思う。私は、原発問題の分科会に参加した。このセミナーは「原発問題とエネルギーの選択について、共に語ろう」という名称である。参加者は一五〇人ほど。ロシアとフランスの原発労働者、フランスの反原発活動家からそれぞれ問題提起があった。
 日本から参加した私は現在の福島原発事故の状況と、そのような事態をもたらした背景について報告した。私の提起は「広島、長崎が世界に発信し問うていたこと」を歴史から解き明かしフクシマにつなげることを考え報告したが時間的制約の中ででうまくまとめられなかったのは、残念だった。「福島原発事故は地震・津波という天災によるもの」と言う財閥、政治、官僚、学者などの推進派の主張は「原発事故は不可抗力」であり「安全は揺るぎない」と言う論理に世論を導くものだ。広島、長崎、そして第五福竜丸による悲劇をヨーロッパの皆さんに伝えつつ「原発の存在そのものを疑う」そして問い返すことから見えてくるフクシマを訴えようとした。会場では丸木美術館から送ってもらったパンフレットを配布した。「原爆の図」画集も「回覧」し、多くの人たちが見入っていた。多分初めて目にする「原爆の図」でありそこには「核エネルギー」の圧倒的破壊力と殺傷力が生み出す「地獄絵図」と「生」が描かれている。
 戦争と原発。それぞれの背景がある。その教訓の上で、現在生きている人々が、人類に対してますます高まる将来へのリスクを取り除くために行動すること。それは、実は、日本の「ヒロシマ、ナガサキ、ヒバクシャ」が世界に発信し続けてきたことではないのだろうか!
 地震・大津波が数百年単位で断続的に日本列島を襲い、壊滅的被害を何度となくもたらしていた。「備えが必要だ」と、いまではどの新聞も書いている。当然だ。しかし、広島、長崎、福島はこの一〇〇年以内に日本で起きたことだ。日本の三つの都市が、それぞれの背景のもとに、核被害の犠牲となった。そのことを「途上国」を含めた各国の仲間たちとどのように共有していくか、今あらためて大きな課題だと感じている。

福島の原発労
働者への思い


分科会にはチェルノブイリの労働者チャチコアさんも参加した。エネルギー供給のためには原発は必要と宣伝されており、またチェルノブイリ事故の真相は一部の研究者のみに握られ、調査結果の多くは隠蔽されており民主主義的な情報公開はないと報告した。同時にロシアの原発産業について「安全が放置され、企業利益は安全に投資されていないし原子炉の長寿命化が図られてきており人間的問題(ヒューマンエラー)が当然の影響として表れてくる」と報告した。日本においても全く同様の事態が拡がっており福島原発事故の発生要因の大きな位置を占めているのは疑いはないだろう。フランスの原発労働者との交流もあった。それらを通して感じたことは、原発労働者の役割、労働条件について、社会的な関心が高いということだ。これは日本とは大きく異なる。
 原発大国のフランスでも、原発労働者は日本と同様に差別的な雇用体系のもとにあるという。下請け、孫請けの「下層連鎖」の下に存在している。しかし、日本と違うのは、まず、原発労働者の諸権利の承認・拡大を求めるのは当然だという要求があり、労働運動のテーマとなっていること。そして、原発労働者たちと反・脱原発運動との共闘を進めることが大きなテーマになっている、ということだろう。それぞれの報告後、参加者も含めたディスカッションになった。
 会場からの質問は「反原発運動の中で今後原発労働者をどのような仕事につけて行くのか?」「下請け労働の中でリスクもまた下請け労働者に回ってくる。どうしていくのか?」「新しいエネルギーへの転換」「古い原発の廃炉」など多岐に渡った意見がだされた。これらの問題は原発保有国が抱える根本的な問題であり社会的問題なのだ。
 「原発事故の早期収束」を求める声は日々強まり政府・東電に大きな圧力をかけていることは確かだ。事故現場で働く労働者の問題が徐々に明らかになるにつれその過酷な労働の実態が明らかになっている。でたらめな労務管理、安全衛生管理等、最低限の基準すら無視した労働実態、そして起こるべきして起きた労働者被曝等の常態化によって支えられてきた日本の原発産業の姿である。
 「生命の犠牲を強いる労働」の存在は、階層化した労働市場の存在とそのうえに成り立つ労働需給関係と企業支配が幾重にも絡み合って作られている。「原発を止めろ」という市民・住民の闘いが発展している。一方、原発労働者はどのような労働条件で働いているのか。両者の関係は日本ではどうなっているのか。
 原発労働者がいなければ「収束」はできない。確かに彼らなしには、廃炉後の施設の管理と廃却、そしてできてしまった大量の放射性廃棄物の安全な管理は不可能だ。今となってはそれは、誰かがどうしてもやらなければならないことなのだ。だからまたフランスをはじめ欧州では、日本の労働者と労働組合の状況が否定的に(当然だが)とらえられているが、今回、具体的に福島の原発労働に関する危惧を抱いているように強く感じた。
 日本の原発労働者は無権利だ。東電と経産省がようやく福島原発の実態の一部を公表したが、それは「氷山の一角」にすぎないと原発労働者は口を揃える。原発労働者の実態が内部告発されてから長い時間が経つ。堀江さんの『原発ジプシー』は一九七九年だった。何も改善されなかった。雇用主の雇用責任を文字通り消してしまった労働者派遣法が、原発労働の非人間性と無法さを合法化したとも言える。セミナー討論のなかでも「脱原発運動と原発労働者の共闘」が提起されている。

原発管理のた
めの監視対象


 一方で、フランスでは原発労働者への監視が強まっている、との指摘もあった。それは、治安対象としての原発の国家管理という、もう一つの問題を提起していた。おそらくその性格と思われるが、米国は原発防衛を強化せよと日本政府に要求していた。テロへの備えだといわれている。日本政府の正式コメントはないが、日本へのいらだちが伝わってくる。原子力発電所は核爆弾保有に関する特異な国際関係の監視の下にあるが、日本は非核爆弾保有国の中で例外的な位置を認められてきた。核燃サイクルもそうだ。
 米国等が日本の原発管理に疑いをもっていることも明らかになった。
 どこから考えても、日本の原発政策は破綻した。福島の悲劇を背負いながら、私たちは日本での脱原発運動を発展させ、政官財そして学とマスメディアの原発政策を転覆させていかねばならない。そのように考えさせられた訪仏だった。
(高橋喜一・宮城全労協/電通労組)

読書案内

安 克昌 著/作品社刊 1995円

『心の傷を癒すということ』

大災害精神医療の臨床報告

中井久夫 著/みすず書房刊 1260円

『災害がほんとうに襲った時』

阪神淡路大震災50日の記録

被災者を追い詰める「がんばれ」と救援者に残る心の傷

 この二冊を、今回の東日本大震災で被災された、被災されても自らも救援に携わっている、そして労働組合や様々なルートで被災現地のボランティアに参加された、しようと考えている仲間の皆さんに、ぜひ読んでいただきたい。共に精神科医であり、阪神大震災当時、安は神戸大学精神科医局長、そして中井は教授だった。災害支援の精神的問題なんて専門的すぎてと思われるかもしれない。先日、日本うつ病学会が、「がんばれ」の弊害について警鐘を鳴らしたが、「がんばれ東北」などの喧噪の中、腰を据えて被災者と関わろうとするとき、安と中井の考察は様々な有効なアドバイスを私たちに与えてくれる。
 大災害に直面しそしてその後人はどうなるのか。3・11から四カ月、『心の傷を癒すということ』の安に習えば、「やがて被災地は『ハネムーン期』を終えて、幻滅期に入っていく」。つまりは、当初見られた被災地ならではの一体感が、経過と共に崩れていくということである。これは、『災害がほんとうに襲った時』で中井が言うように、持つものと持たざるもの差が経過にともなって鋏状に拡大していく時期でもある。
 例えば幸運だったはずの仮設住宅の当選が、「喪失」に直面する機会になり、国中にあふれる「がんばれ」という励ましが、災害によって傷ついた被災者には孤立感を増すことになる。両書には、そのような被災者の心の動きがわかりやすく書かれている。
 また、心の傷を負うのは災害被災者だけではなく、救援者も心の傷を負うという指摘は重要である。今回の震災では、自らも被災しながら救援者になることを強制された自治体労働者等と、過酷な環境下で多数の無残な遺体と直面させられた自衛隊員の多くが「心の傷」を負うことになったはずである。後日、被災自治体労働者と災害派遣された自衛隊員の「心の傷」が、DVやアルコール依存などの問題を引き起こさないためにも、細やかな配慮(任務終了後、安心した雰囲気の中で体験を語り合うなど)を政府・自治体は責任を持って行うべきである。また、自発的ボランティアでも圧倒的な被災地の現実に直面した時には「心の傷」を負うことがあることを知っておくことは重要である。     (矢野薫)


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