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原発・水の民営化・首相の起訴免除に対して国民はNO!
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イタリア国民投票
批判的左翼(SC)の声明
ベルルスコーニの時代に終止符
フラビア・ダンジェリ/エミリアーノ・ビティ |
イタリアの国民投票が成功し、脱原発へのイタリアの進路があらためて、国民の意志として確定された。ベルルスコーニはこの意志に従うことを表明する以外に道はなかった。この国民投票についての日本の報道は、もっぱら原発に焦点を当てていた。しかしそこには、水の民営化というもう一つの重要な争点があった。そしてその争点についてもイタリア国民は、水の民営化ノーとして、政府を明確に縛りあげた。イタリアの支配階級は、原発を含めた市場主義的路線全体で重大な敗北を喫したのだ。以下の批判的左翼の声明は、今回の国民投票について、先のような総路線的闘いという観点から、水の民営化をめぐる闘いに焦点を当て評価している。
(「かけはし」編集部)
イタリアで、六月一二日、一三日に水道サービスの民営化容認法案撤廃、原子力エネルギーへの回帰容認規定と刑事司法手続き(とりわけ首相の起訴免除条項)の撤回をめぐる国民投票が行われた。登録有権者の五五%が投票し、国民投票結果を有効なものとする五〇%規定に到達した。以前の六回の国民投票はこの五〇%に達しなかったのである。水道、原子力などの国民投票課題に九五%、すなわち約二六〇〇万人が賛成投票した。ベルルスコーニが支配するメディアの報道は故意に関心を向けさせず、政府与党は有効投票基準を満たさないようにするために、支持者に対して反対票を投じるのではなく棄権するよう促したのであった。(「インターナショナルビューポイント」編集部)
ラディカルな要求と闘い
国民投票の結果は、政治情勢の歴史的転換を示している。民衆の投票はベルルスコーニの時代に終止符を打った。彼は自由市場政策のチャンピオンである。したがってこの結果は、民営化政策と「共同の財貨(コモン・グッド)」に対する市場の優位の敗北でもある。「われわれの生は利潤よりも価値がある」というスローガンは、本日のイタリア国民投票の結果において意義深いものがある。一つの局面が終わった。ベルルスコーニは国民投票を通じた民主主義的動員によって打ち負かされた。これは国民投票が直接民主主義の枠組み以上のものを提供した典型的なケースである。
決定的な役割、そして幾つかの点で歴史的な役割を果たした、以前にはなかった政治的主体――公共水道委員会――の役割に焦点を当てることが重要である。かれらはメディアの注目からはずれたところで活動していたが、国民投票の引き金となるこれまでで最大の署名を集めた。この委員会は、水の配分を公共的に管理するための政治的要求に基づいたキャンペーンを専門的にかつ一貫して繰り広げた。
民主党(PD――主要な社会民主主義野党、旧イタリア共産党の後身である左翼民主党が中心になって作った政党)はかれらに反対した。民主党は、自分たちがすでに水道を民営化していた「赤い地域」(旧共産党の拠点だったボローニャなどを中心とした地方)の投票結果に示された鮮明なメッセージに耳を傾けなければならない。IDV(ディ・ピエトロが指導する「道徳的価値のイタリア党」)もまた公共水道委員会に反対した。
今日この二党は、投票結果に大喜びしている。しかし委員会を代表する者は誰もTV番組に招かれなかった。本日の勝利はかれら委員会の勝利である。TAV反対グループ(高速鉄道反対運動)のような、利潤とカネの圧倒的な力に反対してきた運動にとって、今日は偉大な日である。こうしたキャンペーンを統一した運動に結集させたあらゆるイニシアチブ――ゴミの廃棄・焼却、地方税、高速鉄道網に反対する運動――は喜んで受け入れられるべきであり、批判的左翼はその目標のために休むことなく活動するだろう。
この勝利は、伝統的、制度的諸政党の政治についてわれわれに教えてくれる。この闘いが勝利したのは民衆が大きく結集したためであり、そこには地域や職場で遂行された熱情的でラディカルな活動があり、そして活動家たちが特定の課題を取り上げ、戦略を打ち立てることができたためである。それはラディカルな要求が勝利しうることを立証した。エマ・マルセガグリア(イタリア産業連盟会長)や、原子力で大儲けし水道を民営化したいと願っていたすべての産業は、ベルルスコーニとともに敗北した。もちろんこの同じ連中が、今や再生可能エネルギー部門に参入しようとしている! 鮮明にラディカルで反資本主義的でエコロジカルな左翼は可能であり、その役割は民主党や中道左派勢力が描く軌道に従属したものであってはならない。
今やわれわれの戦略的な政治プロジェクトは大きな勢いを得ることになった。
(フラビア・ダンジェリはイタリア批判的左翼の指導部メンバーで全国スポークスパースンであり、第四インターナショナルの指導部メンバー。エミリアーノ・ビティはイタリア批判的左翼の指導部メンバー)
(「インターナショナルビューポイント」二〇一一年六月号)
中国
天安門事件22周年 拡がる労働争議とストライキ 恐怖心は去りつつある
許由
(香港・先駆社)
一九八九年六月四日の天安門虐殺事件から二二年が過ぎた。中国共産党は学生と労働者の抵抗を弾圧することで、その後の二二年の間に資本主義を完全に復活させ、人民の財産を私有化することができた。だが経済発展は政治的独裁と社会的腐敗にふたをすることはできなかった。その歴史的反動性は、そこそこの生活を望むだけの市民や政治に関する発言を避けてきた芸術家などを抵抗に立ち上がらせつつある。
「胡温の新政」は改良政策
近年とくに増加の一途をたどっている民衆の抗議や労働者のストライキなど、人民に渦巻く不満が、中国共産党に一定の改善政策の提起を迫っている。中国共産党の太鼓持ちの文化人たちは、「胡温の新政」(胡錦濤国家主席と温家宝首相による指導部体制:訳注)を大いに持ちあげ、人民は指導者みずからによる改良政策を座して待てと主張している。だが、大きな改良政策の望みがない国のひとつが今日の中国なのである。この「胡温の新政」におけるすべての改良政策がほとんど取るに足らないものなのである。最低賃金の引き上げ、農業補助、公共住宅の建設程度では、独裁支配の暴力性、官僚による公有資産の私有化の猛烈な勢い、官僚と資本による労働者農民に対する熾烈な搾取などの禍害の万分の一さえにも抗うことができない。
そればかりでなく、これらのほんの僅かばかりの改良政策でさえも実現することができず、各階層の官僚によって(関連する予算などが)食いつぶされてしまう。「新政」のすべては経済的権利に限定されており、出版、集会、結社、デモ行進や示威行動など、公民の政治的権利に関しては、緩和されていないどころか、逆にますますきつくネジが締められている。だが政治的権利の剥奪は、自衛する武器を奪われたに等しく、官僚や資本家による権利侵害に抵抗することができなくなる。つまり「新政」によって認められた経済的権利さえも絵に描いた餅でしかなくなってしまうのである。
もし仮に、中国共産党による資本主義復活に一点の歴史的合理性があるとすれば、それは急速な工業化をもたらしたことである。これは旧ソ連圏における資本主義復活には見られなかったことである。現在の中国では初めて都市人口が農村人口を上回り、二億人近い若年成人の農民たちが都市労働者階級に転身した。すべての雇用労働者を合わせると三億人を上回り、農民人口と同じほどになる。
新中国建国から最初の三〇年(一九四九〜一九七九年)は、中国の労働者階級の急速な発展がみられた。当時のいわゆる「社会主義」的制度によって、雇用は保障されており、不満はあったとしても革命を引き起こすまでには至らなかった。だが最近の三〇年においては、資本主義復活と急速な工業化が同じ速度で進んだ。それは労働者の数を急速に増加させる一方で、かれらを完全に二等公民と過酷な搾取の対象に陥れた。不満は高まり、自然発生的なストライキが絶えず発生することになった。 労働者階級と民主化闘争
中国共産党のトップ層には、資本主義の発展は必然的に自らの墓掘人を作り出すというマルクスの名言を記憶している人物が必ずいるだろう。今日の労働者の階級意識と民主主義意識が革命的な意識の高みには至っていないことは確かである。労働者階級の革命は破壊だけに止まらず、建設、つまり真の社会主義的民主主義を建設しなければならない。これについては中国の労働者階級はいまだ準備が整っていない。とはいえ、中国共産党はすでに新しい労働者階級を非常に恐れており、だからこそ新しい労働者階級の階級的覚悟を人一倍弾圧するのである。
過去二〇年間、中国共産党はうまくやってきた。それはこれまでのあらゆる政策だけでなく、一九八九年の民主化運動に対する弾圧によって長期的な恐怖心と消沈を人民の中に作り出したことにもよる。だが注目すべきことに、この恐怖心が少しずつ過ぎ去りつつある。二〇〇八年の通化鉄鋼労働者による民営化反対闘争の勝利や二〇一〇年のホンダ労働者のストライキは、労働条件の引き上げの実現に止まらず、(御用)労働組合の改選を大胆に要求した。国有企業労働者と民間部門の労働者の抵抗水準は明らかに高まりつつある。十数年来、労働者階級はずっと打ちのめされ、せいぜい同情の対象であり、社会的弱者とみられてきた。かれらの実力を認識するものはほとんどいなかった。だが通化鉄鋼労働者のこぶしとホンダ労働者の一七日間に渡るストライキは、労働者階級が無為無策の段階をすでに終えつつあることを象徴しているのである。
このような状況の転換が、中国共産党に「新政」の加速を促した。懐柔政策をもって階級矛盾を緩和しようとしているのである。これは、あれほど強大な中国共産党も、歴史の主宰者ではないということを物語っている。実際、労働者の自然発生的なストライキは共産党が禁止できないまでの広範囲にまで広がっている。共産党は硬軟織り交ぜた対応でストライキを純粋な経済闘争と企業内闘争に押しとどめることしかできない。しかるに、社会全体の腐敗の加速や官僚と資本家による民衆に対する収奪は激しさを増しており、それが労働者の抵抗を純粋な経済領域と個別の生産拠点から乗り越えさせつつある。つまり、中国共産党の独裁支配がますます多くの労働者をさらに広範な闘争に駆り立てつつある。
一九八九年前後には、企業家に中国民主化の希望を託す人々も数多くいた。二〇年が過ぎ去ったいま、ブルジョアジーは官僚独裁の反対者ではなく支持者であるという現実が証明された。中国民主化の前途はいまや新しい労働者階級に託された。労働者階級は最も抑圧されているというだけでなく、近代化された生産体制の決定的な位置を占めるという理由からも、独裁支配に抵抗する力をもっている。独裁政権は、民衆のデモを恐れる以上に労働者階級の政治ストライキを恐れるものである。
また労働者階級は民主化闘争の旗手になる条件も備えている。労働者は、人数が集中し、数千数万の人間が共同で労働し、身分や地位も比較的同等であることから、平等と民主主義的慣行を形成することが比較的容易になる。だが、独裁体制文化の影響のもと、権威主義的風習を脱しきれない労働争議があることも確かだ。だが多くの闘争において、その当初から民主的精神を有しており、労働者が本能的に民主的方法を用いて各部署の労働者による代表を推挙し、闘争を指導するケースが見られた。ホンダ労働者の闘争がまさにそうであった。労働解放と民主自由を求める崇高な任務こそ、労働者の賞賛すべき民主主義精神を存分に発揮させるのである。
だが六〇年に及ぶ独裁支配と一九八九年の残酷な弾圧が作り出した困難性――自主的組織の発展の極度の困難性、民主主義意識の衰え等――も軽視することはできない。民主主義の大業を志す友人たちは、最大限の根気をもって黎明を準備せざるを得ないだろう。
(香港・先駆社ウェブサイト「労働民主網」より)
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