ギリシャ
「広場の運動」、そしてそれが生み出す展望
債務帳消し、政府打倒要求を
軸に労働者と統一した闘いへ
ニコス・シメニデス |
ギリシャが世界の金融市場に緊張を高めている。一年前、EUとIMFが策定した資金援助と財政再建の枠組みは事実上破綻し、ギリシャが再度の世界的金融危機の発火点となる可能性が生まれている。支配階級は再度の資金つぎ込みと一層過酷な緊縮政策の強制を模索している。この支配階級の策動に、ギリシャの民衆が怒りを爆発させた。そしてその怒りは、昨年五月の労働者のゼネストが効果を上げることができなかった事実を受け、アラブ革命の息吹に明確に刺激を受けた形で運動化された。本紙が前々号、前号で伝えたスペインの闘いと極めて近い性格の闘いが、まさにほぼ同時にギリシャでも展開されている。アラブ革命は軽々と海を渡りヨーロッパへと進入した。それはどこに向かうのか、ギリシャの同志が第四インターギリシャ支部の対応も含め伝えている。(「かけはし」編集部)
「(資金援助)覚え書き」の義務づけ並びにそれに沿うものとしてそれがもたらした反労働者的かつ反社会的な諸方策から一年後、元々資本主義的基準以下であったギリシャ経済の状況は、改善するどころかはっきりと悪化した。俸給は下落し、市場の全般的な危機を引き起こした。
同時に、先の諸方策をとる上での口実の役を果たした公的債務は増大し、一方国家歳入は、捕らぬ狸の皮算用的な期待をはるかに下回っている。
階級闘争に新しい展望が出現 二〇一〇年五月五日以来、労働者の闘争がいくつか起きたが、語るに足る成果を得ることはなかった。これらに平行して、非常に数多くの社会運動が発展した。たとえば、合法化を求める三〇〇人の移民労働者のハンガーストライキ、自身の居住地へのゴミ埋め立て施設建設に反対するケラテア地区住民の闘争があった。それらは、他の闘い、たとえば「私は払わない」運動と並んで一定の勝利を達成した。そして「私は払わない」運動は、実際上の全社会的サービス価格の上昇に反対して、今も発展中だ。
暴力的な緊縮政策の一年後に政府が姿を見せ、恥知らずにも、以前の政策は期待された結果を残さなかった、新たな政策をとる必要がある、と宣言したとき、社会的憤怒が爆発した。何千という民衆が、一方では彼らを待ち受けつつあったものを、しかしまたそれらの諸方策を止める上での労働組合指導部の無能力(むしろその意志のなさ)を見つめつつ、アテネの中央広場、シンタグマ広場を自発的に占拠した。
シンタグマ広場は階級闘争に新しい展望を作り出している。それが抱えるさまざまに矛盾する要素と重大な弱点にもかかわらず、それは基本において希望をもたらす一つの発展だ。実践的な側面ではそれは、人々の共同を作り出すために現代の技術(インターネット、携帯電話、その他)を大規模に活用したアラブ革命から刺激を受けていた。アラブ人の運動は民族の境界を越えることに成功し、ヨーロッパの資本家が恐れを抱いた以上に、ヨーロッパを「侵略」した。ゲームに入った最初の国であるスペインの後を、他の大都会の首都が追った。パリ、ローマ、リスボン、そしてもちろんアテネだ。この運動にはもちろん、重大な弱点がある。実際この運動の参加者大多数はしばしば、低い水準の政治意識しかもっていない(少なくとも、もっとも大衆的な示威行動に際して)。そしてこの運動は、明確な政治的展望を欠いている。しかしながらそれは非常な吸引力をもつ運動であり、六月五日の集会参加者はアテネで一〇万人を超え、それに加えてギリシャの他の都市でも重要な集会がいくつもあった。運動は依然特に不鮮明かつ流動的なままであるとはいえ、それははっきりした要求を起点としている。つまり「覚え書き」の廃棄であり、一体となってそれを引き連れてきた者たちの取り替えだ。
運動に結集している人びと
われわれは他方で、その自発性と自己組織化の性格を過大評価してはならない。それはまだ、真性の反乱という姿を取っているわけではない。しかし、新「覚え書き」が票決に付されるその日に議会を封鎖するという考えが実際に実を結ぶとすれば、その日は確実に、心中に本物の反乱を引き入れることとなるだろう。特にこの日はゼネラルストライキと結合される以上そうなるはずだ。一方われわれはこの運動を、労働運動の中心性に代わり得る、一つの新しい政治主体と見なすことはできない。しかしそうであってもそれは、運動の前衛的部分と被抑圧層大衆の間の相互作用が働く一つの場だ。それは被抑圧層に、集団的組織化の経験を、そして何らかの具体的勝利が達成されるならば自信を提供する。左翼の隊列と反資本主義の理念に何人かの戦士がこの運動を通して合流することは、あり得ることだ。
まず第一歩として、運動に対するわれわれ自身の働きかけの目標と限界を吟味するために、この「怒れる者」の運動の社会的構成を探りはっきりさせることが重要となる。その点では以下の層を指摘できる。
▼失業者と非正規労働者。その大部分は、伝統的な労働組合の内部であろうが、労働者階級の政治組織であろうが、集団的組織や集団的行動の経験は基本的にまったくない。
▼その生活水準が打ち砕かれつつあることを目撃している小ブルジョアジー。これらの人びとは時として、彼らの利害が下層階級の人びとのそれと相反していると決めつけている。われわれにとって決定的なことは、彼らの利害は資本家のそれと一体なのではなく労働者階級の利害と不可分一体であることをはっきり示し、もっとも最下層の小ブルジョアジーと労働者の連携を打ち鍛えること、これに何とか成功することだ。
▼種々雑多な「愛国主義」グループ
▼二大政党支持者、特に右翼政党支持の失望させられた有権者。
▼左翼(ギリシャ共産党は別として、各々の組織の間で参加/介入の細部に違いがある)。これらの部分は、特に最初の数日後、シンタグマ広場で毎晩開かれている民衆総会やいくつかの作業グループで、ある種中心的な役割を果たしている。そこには常に、会合を左翼諸組織間の闘争へと転換してしまう危険がある。幸いなことにこれは当面の問題ではない。自律主義/無政府主義の共同グループの重要な部分は不在であり、この間の歩み全体を非難してさえいる。他方で別の部分は活発に参加し、左翼諸組織のほとんどと同じ限界をあらわにしている。 矛盾をはらんだ反組織感情
運動を深く分析し、その枠組みに沿ったわれわれ自身の立脚点を定めるために、この運動の基本的な政治的特性をさぐり、いくつかを明確な形で表すことも決定的だ。その点から以下を指摘したい。
▼この運動は、全政党と組織された何ものに対しても反対している。とはいえわれわれは、労働組合とストライキ労働者に対する当初の反感は減退した、ということを心に留めなければならない。そしてこれこそが、左翼の働きかけが実際に成し遂げた大きな成功の一つだ。この立脚点は幾分かは、決意と闘争が必要とされているということを確信させる上での伝統的労働組合の無能力が生み出したより全般的な枠組みの中で、明記されてよい。実際労組指導部は極度に官僚化され、まったくある時から、基本的に労働者の闘争すべてを売り渡してしまった。他方でいくつかの部分は、万事において動員を躊躇しているように見える。その上に左派政党は、納得させるやり方で代わりとなる社会構想や一定の展望を提出する能力がない、ということを明かしてしまった。これらすべてがあるとしても、この運動内部にある明確な反組織の雰囲気は、運動の明らかに保守的な習慣的考え方の一つとして理解されるべきだ。同時に、正当化されるとはいえその全般的な反議会主義は、もし別の政治的な諸側面によって補われることがなければ、反動的な諸提案(テクノラート政府、腐敗した議員から制約を受けることのない強い指導者)へと導かれる可能性がある。
▼運動には高度に矛盾した特性がある。それはもちろん、その大衆的な性質との直接的な対応関係としてある。この相貌はほとんど確実に、運動内部での思想的政治的衝突へと導くだろう。
▼運動は国民的一体性を求める雰囲気を見せている。意識的であるなしにかかわらず、この運動の無視できない部分は、挙国一致を、並びに公職にある裏切り政治家へのいわば条件反射として、「国の利益」のためにのみ行動するテクノラート政府を提案している。
▼運動は高度に革新的な実践と組織形態を導入した。たとえば、運動の民衆参加総会であり、討論並びに特定の課題(雇用/失業、経済、教育、その他)に関する行動に向けた作業グループがある。それだけでなくまた、生活と空間(集団的食糧補給、医療、清掃、その他)の集団的管理・運営の諸形態もある。
▼最後に、左翼と無政府主義者がより強い影響力を発揮している地域的民衆総会とシンタグマ広場の総会の間には、一定の裂け目がある。いくつかの無政府主義グループは、地域的総会にのみ介入している。 我々はいかに働きかけるか
日々の出来事となったシンタグマ広場への民衆の集結が、反資本主義者と革命的理念にとっての有望な舞台を生み出していることは明確だ。しかしこれは、この運動に活発に参加している部分の意識が左翼へと、定められたように導かれるということを意味しているわけではない。反資本主義左翼の働きかけは、われわれの考えを人びとに提起することに狙いを定めるべきだろう。それは総会を通してか、個人的な討論の中での活動となるだろう。そしてわれわれの力の限界を前提とすれば、最初の対象は、失業者や非正規労働者や若者など、説得により適していると見られる人びとに的を定めるべきだろう。極右が全般化した憤激から利益を得、「空になった政治空間」を埋めることを妨げるためにわれわれは、何にもまして、愛国主義と人種主義の考えすべてに対決して闘うことと並んで、国民的一体性と挙国一致を望む精神を打ち壊すことを最優先と考えるべきだ。
われわれにとっての大きな挑戦課題は、この運動と労働者の諸闘争の統一だ。その始まりは、六月四日のストライキの中で動き出した。その時労働組合のデモは、シンタグマ広場を解散地点とした。これは次のゼネストに向けた事例としなければならない。そこで組合員とシンタグマ広場の怒れる人びとは統一し一緒に闘わなければならない。これはもちろん、働きかけのもう一つの基本点、つまり、階級的統一と自立に向かう必要を広めるという課題をわれわれに提起することとなる。われわれは、まともな俸給を得ている労働者や移民労働者、また公務部門などに罪を着せるべきではない、と言わなければならない。われわれは、労働者内部に持ち込まれる分断、たとえばギリシャ人と移民労働者、あるいは公務部門と私企業部門という分断に反対して闘わなければならない。それはまさに、ギリシャ社会の無視できない部分の中に分け入ってその共鳴を探しつつ、政府がこの的確なカードを切りつつある最中にあるからにはなおさらだ。すべての民衆が基本的には同一の諸問題に直面していることがますます明白となっているからには(特に、IMFの監督下におかれた諸国――アイルランド、ポルトガル、そしてギリシャ――あるいはそのような見通しによって脅されている国――スペイン――では)、国際的連帯と闘争の協調の必要性(少なくともヨーロッパを横断する)を指摘することは、おそらく少し易しく(しかし決定的要素に)なっている。
同時に、民衆会合の実施を居住地区に広げ、それらをシンタグマ広場で維持されるべき中心的なそれにつなぐことが重要となる。そのようなより小規模な細胞は、潜在的な可能性としてある運動の後退(無視してはならない一つの可能性)の後でもより容易に維持される可能性、さらに地域のレベルや職場のレベルの双方で組織化に有利となる可能性をもっている。
即時に必要なあるいは過渡的要求という側面では、今この時点で広範に理解される可能性のある、また広場の運動にとって初歩的な統一的方向となる可能性のある、そのような要求を選択することが重要だ。それはたとえば次のようなものだ。
▼「覚え書き」とその諸方策の廃棄、そして現政府の打倒。
▼継続可能な形のゼネストと生産の停止(ストライキ、街頭封鎖、建物占拠、その他)。
▼債務完済拒否そして債務帳消し。 次は、との問いへの回答を
権力および代わりとなる社会・政治システムの問題は、もはや客観的な必要性というだけではなく、多数の民衆に共有される一般的な問題の領域に置かれている。われわれは、代わりとなる(共産主義的な)社会並びに諸民衆会合に基礎を置く権力のシステムについてのいくつかの基本的な姿を、ややこしくない易しい言葉で討論しなければならない。当面もっとも緊急性のあることは、労働者階級と被抑圧階層に自信を与えることになる、ただ一つであっても具体的な勝利を達成することだ。しかしたとえそうであってもわれわれは、「それで、次は何だ」との疑問に対し、何らかの回答を出すことを避けることはできない。それは、小規模の討論においても、また――初歩的な形態においてだとはいえ――シンタグマ広場の民衆会合においても、双方でくり返し出てくる質問だ。われわれの基本的な諸権利のために決起を働きかけるという即時に求められる義務と並んで、革命的かつ共産主義的な本質的な理念を求める聴衆を探り、その彼らを獲得すること、それが重要となっている。(六月、アテネ)
▼筆者は、OKDE――スパルタコス、第四インターナショナルギリシャ支部の指導的なメンバー。(『インターナショナルビューポイント』二〇一一年六月号)
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